村人「ハハハッ子供達まーたキャプテンマリーごっこしとる」
ロイ「すまんの、わしがほんの少し目を離したばかりに」
アレク「ううん……僕が止められなかったんだ……」
ウラド「よすんだ太っちょ」
ニック「そうそう、酒がまずくなるぞ」
「すごいすごい! こんな大きな船、はじめて!」
「すみません、ただで乗せていただいて……」
考えてみれば、あの親子にもリトルマリー号に乗ってもらう事になるというのは当然の成り行きだった。
隣島の人々は乗り合いの小船で二島の間を行き来しているが、帰りの船が出るのは午後だという。時間が勿体無い。
それに、リトルマリーに乗って貰えれば案内も頼めるし、村についてもすぐ話が通じる。
幸い、波風は比較的穏やかではあったが、それは他の船乗りやあの親子にとっての話である。
「すごいねお母さん、大きな船、ぜんぜん揺れないよ!」
「そうね、村の船と全然違うわ、少ししか揺れないわね」
「ホッホ、お嬢ちゃんは船乗り向きなのかもしれんのう」
「本当!? 私もあの……マリー船長みたいになれる!?」
先ほど不精ひげにこっそり聞いた所によれば、帆船の先端に大抵ついてる真っ直ぐ伸びた槍のような棒はバウスプリットというらしい。
私はずっとそこに立って前方を注視していた。
私の姿は緑色の上着にベージュのズボン。幌布のシューズも履いている。そう。バニーガールではなかった。
手近なロープを握りしめ、私は根性でそこに立っていた。
勿論、もの凄く気持ち悪いし怖い。足元は海だ。
それでも私は自分の成長に感動を覚えていた。
あの日、港の中にただ泊まっているだけの船の上で、少し日記を読んでいただけでリバースした私。
今、船は明らかに航走している。それなりの上下動を伴いながら。
乗り越えろ、乗り越えろ私。今は絶対バニーガールになんかならないぞ。
げろも吐かない。船長は船酔いでげろなんか吐かないのだ。
あの女の子に、その母親に、あんなみっともない姿を見せてたまるものか。私はあの二人の前では、ヒーロー、キャプテン・マリー・パスファインダーとして過ごす。そう決めたのだ。
「無理するな、衣装を着て船長室に篭っていればいいじゃないか」
「うるさい、仕事に励みたまえ不精ひげ君」
オレンジ農家の家族は隣の島の村に住んでいた。村には男手もちゃんと居た。
隣島の村の砂浜には桟橋すらなかったので、荷物は村の漁船や筏と、リトルマリー号の小さなボートで運ぶ羽目になった。
仲買人達には「少し」と言ったが、私はリトルマリー号の船倉なんか世間の目から見れば満載でも「少し」だろう、という意味で言ったつもりである。
私は浜に降り、荷物の積み替えを手伝った。
「船長さん、こんな事までやって下さらなくてもええだよ、こんな田舎の島にオレンジを買いに来て下さっただけでも感激だで……」
「気にしないで下さい! 働いてる方が好きなんで!」
村の男達は口々に、船長なのに偉いと、自ら服を濡らして荷揚げを手伝うなど中々出来ないと褒め称えてくれた。
嬉しいけどちょっと後ろめたい。
私はただ、一瞬でも早く船から降りたかったし、一秒でも長く陸に居たかっただけなのに。
「こんなに頂いてええだか……? わしらは助かるだが……」
「持ってっちゃって下さい、じゃないとオレンジが積めないし」
小麦粉の袋の山とオリーブオイルの樽、干し葡萄に麻の生地、岩塩、塩漬け肉それに針や糸、薬などの雑貨……それらがオレンジの代金だ。
下甲板にこじんまりと収まっていた彼らの代わりに積むのが、樽や木箱や袋に詰められた青いオレンジの山、山、山である。
出来る限り下甲板に積んだ後は、板を渡した上甲板にも積む事になる。ギリギリまで、リトルマリー号はオレンジを積み込んだ。
「完全に過積載になるぞ……」
「ホッホ、貨物船なんか積んでなんぼじゃ」
ウラドは少し不安そうな顔をしているが、ロイ爺は笑っている。
うーん、全部は積めなかった。まあ全部積んじゃったらあの子達が食べるぶんもなくなっちゃうか。
「ありがとーっ! 船長さぁぁん! ありがとうーっ!!」
砂浜で腰まで水に浸かったあの女の子が、いつまでも手を振っている。
私も船尾で手を振っていたが……そろそろ許していただきたい……ここが私の限界だった。
気合いで止めているが、もう限界だ。二島間を走っていた時より波風も強くなっていたし。
程好い所で、私は浜から見えない船首の方へ走る。
「ううう☆△×●○! おえええ○◎□▲××★△●×~」
さて……着替えるか……
「誠に申し訳ありません」
私は操舵輪の周りに集まってもらった皆に土下座した。
もうバニーガールになっているので船酔いは消えつつあったが、心は苦しい。
「なんで謝るんだ。船長として、自分がやりたいと思った事をしたんだろう」
「じゃあ不精ひげはいいですけど」
私は頭を下げたまま続ける。
「他の三人、特にアレク。ほんとごめんなさい」
私はそれだけ言って、返事を待った。
「……いいよ……僕は別に」
私は立ち上がり、そっぽを向いたアレクの肩を掴む。
「良くないでしょ!」
アレクがびくりと震えた。
「うちの父も含めて、みんないい加減なこの船でしっかりお金の管理をして、この商会を何とか続けられるようにしてたのって、多分アレクなんじゃないの!? 今日だって仲買人と一生懸命交渉してたのに、私が入って来て台無しにして……」
そこまで言ってしまってから、私は自分が重ねている失敗に気付いた。
とにかく、アレクはそれで私を叱ってくれる程には、私の事を信用してくれていないのだ。
私がこんな事を言っても何にもならず、ただアレクを苦しめるだけだと思う。
「本当にごめんなさい」
私は頭を下げる。今はそれしか思いつかなかった。
「よ……」
……?
「よしてよ……」
アレクがまた気まずそうにそう言った。何だろう?
「泣かないで……」
あ。まずい、ちょっと涙出てた。
うーん……
父の訃報を聞いて以降……涙腺が緩んでいるのかも。この所私は何かにつけ泣いている。
ささいな事でも涙が出る癖がついてしまったのか。
「解った。泣かない……」
世の中、何でも謝ればいいというものではない事は解っているつもりだった。
「物資と引き換えに、オレンジを買った事は後悔してない……つもり。ただその過程で、アレクの努力を台無しにした事、皆にちゃんと相談しなかった事は、悪いと思ったから。それで、これからの事なんだけど」
私は覚悟を決めて、言った。
「このオレンジ。北に戻って沿岸都市に持ち込んでもたいした値段では売れないわよね?」
「まあ、そうじゃな」
ロイ爺は苦笑いをして頷く。
「でも南に1000キロ進んで砂漠地帯の沿岸都市で売ればいい値段で売れるわよね?」
「おお、素晴らしいアイデアだ」
不精ひげは簡単に手を打つが、ウラドは腕組みをして俯いている。
「実際には無理だという事を除けばな……かなりの過積載な上、この季節、ここより南の海域ではほぼ常時南風が吹く。砂漠からの熱い風だ……逆風の中、南の沿岸に辿りつく頃にはオレンジはカビの山になっている可能性が高い」
そう……だよね。
私なんか海図で見る海しか知らない。父の話でしか異国を知らない……
砂漠地帯の沿岸の都市には、私達とは違う服を着て違う言葉を話す人々が住んでいるという。
私達の王国には無い香辛料、驚くほど柔らかい布、見た事もない宝石……
私にとってはキラキラした御伽噺でしかないそれは、船乗り達にとっては現実だ。
時間が何日かかるかとか、どんな費用が必要とか……
まともな商船は、この海を真っ直ぐ南に向かったりしないんだと思う。遠回りでも沿岸を、商いをしながら進むのが普通なんだ。
じゃあ北に戻って何とか少しでも高くオレンジを売ろうと言いかけた、その矢先。
「僕は……船長に賛成」
私は顔を上げた。誰が……? アレク!?
「何とかして平均3ノットでも出せれば10日くらいで行けるよ……ちょっと分の悪い賭けだけど……」
「それは……そうだが……」
ウラドがやや困惑気味に相槌を打つ。
アレクは俯き気味に、皆から目を逸らしながら続ける。
「まず、もうオレンジはここにある。今さら取り消しに出来ないから、このオレンジの売り方を考えないといけない。とは言えレッドポーチや北の沿岸に帰っても、待っているのはジリ貧だ。だけど南へ行けば高く売れる。オレンジが新鮮なほど……早く着けば着くほど」
「それはまあ、商機が広がるからのう、砂漠の商人にとっても」
「それから、今はまだ南風も吹いてない……ていうかレッドポーチからここまでずっと、季節外れの北風だった」
「よし、それをこの先も期待しよう」
「不精ひげ発言禁止。続けて」
「もし南風が吹いても……頑張って切り上がって行けばいい。ただし。二つ……船長に……覚悟して欲しい事があるんだ……いいかな……?」
アレクはいつも通り、視線を反らしていたけれど……何度か。何度か私の目を見た。
私はアレクが何かを頑張っているのを感じた。
あいにく、私にはアレクが何を頑張っているのかがよく解らない。
だからせめて真剣に聞こうと、私は真っ直ぐにアレクを見る。
「あ、あの、そんな風に見ないで……」
「覚悟、なに?」
「一つ。南風……向かい風が吹きだしたら、スピードを稼ぐ為オレンジを何割か海に捨てて欲しい。島の人達には悪いけど。絶対に平均3ノット以上出して南へ向かう」
なるほど……合理的だと思う。荷物の重さのせいで全部の荷物が危険になるくらいなら、一部を棄ててでも軽くすべきだ。
「二つ。もしこの企みに失敗したら、今度こそ船を売る」
これには驚かずにいられなかった。
「みんなもいいよね? これでオレンジが全損になったら、さすがにもう取り戻せない。船をちゃんとした値段で売り払って、商会の借金を返して、レッドポーチに帰ろう。残ったお金は絶対に船長に全部受け取ってもらう。それで解散」
「ちょっと……」
私は口を挟もうとしたが、四人がうなずいて私の方を見るのが先になった。
仕方ない。その時はその時で、何とかしてこのお人好し共に金を押し付けて逃げるとしよう。
私は空を見上げ、祈った。
どうかこの船が南の大陸まですっ飛んで行くような、すっごい北風が吹き続けますように。







