ロイ「決断力はあるようじゃの」
最初の航海をどうやら無事やり遂げたマリー船長。
見張り担当という仕事も見つかり、まずは順調。
あいにく島に近づく頃には、すっかり夜になってしまった。
近づいて来た櫂漕ぎの小船に導かれ、リトルマリー号は島の入り江に入る。
「投錨ぉぉ」
間の抜けた声を上げ、不精ひげが錨を投げ込む。
これで入港完了ですか……船ってみんな波止場に停めるわけじゃないのね。
さて、島の人々にまでこの姿を見られる必要はないはず。
大急ぎで船室に戻り普段着に着替えた私は、甲板に戻る。
幸い午後中吹き荒れた風は嘘のように収まっており、入り江にはほとんど波は立っていない……けれど……
―― ゆらり……ゆらーり……
この程度の波でも……時々、眩暈のような感覚に襲われる……
やっぱり、早く上陸したい……
いやいや、今は我慢だ。
今から大事な仕事がある。そんな気がする。
小船に乗っていた人の一人が舷側の梯子を登って来る。島の役人だろうか。
ロイ爺がランプを手に迎える。
「今晩は。こんな時間に申し訳ない」
「リトルマリー号、新しい船長は決まったんですか?」
不精ひげはそれに答えず、黙って私が取って来た出航許可証を見せる。
「マリー……そちらの……女性が?」
私は咳払いを一つする。よし、大丈夫。まだ気持ち悪くない。
「船長、マリー・パスファインダーです。よろしく」
よし、決まった。
決まったよね?
「今回は遅かったですね……やっぱり、フォルコンさんの件ですか?」
島役人のその男は私を半ば無視し、そのままロイ爺に話し掛けていた。
まあ、いいか……元々なりたくてなった職業じゃないし。
船長扱いして貰えなくても、しょげる事は無い。
「いや、少し休んでいただけじゃよ。何も問題無いぞ」
ロイ爺は役人にそう答える……なるほど。「いやー最近まで危うく船を叩き売って解散する所でしたよー」なんて、本当の事を話す必要は無いのね。
「皆を待たせてしまっていたのかのう?」
「うーん。一昨日にはオーガン商会の船が入りましたから、今はあまり困ってないかもしれませんね」
私はロイ爺と不精ひげを交互に見る。
ふーん、そう、というくらいの感じ? ロイ爺は少しニヤリとまでしたし、不精ひげはいつもの無表情だ。
なるほど。つまりまずい状況なのね。
◇◇◇
「いやあ、新しい船長は察しが良くて助かるのう……」
ロイ爺は笑っていた。
役人が下船した後、私達五人は会食室に集合していた。
今は入港して錨も降りてるから、上甲板に誰も居ない事には何の問題も無い。
テーブルの真ん中にランプを置き、他の明かりは全部消した。
何だか悪巧みでもしているかのようだが、ただの節約である。
「まずいのね?」
「まずいのう。つまるところ、ライバルに先を越された。オーガンがもう物資を入れてるから、うちの荷物の買い手は少なくなる。帰りは島の商品を買って行ったろうから、我々が買える品物は少ない……のう、太っちょ」
アレクはうなずいた。
「……うん。今、極端に保存の利かない荷物は無いけど、取り引きが少なくなるのは痛いと思う……」
私は普段着で居た。今のところギリギリ、気持ち悪くなる手前で持ちこたえている。
「隣の島はどうなの?」
「そっちはだめじゃ」
「どうして……?」
「隣の島に大陸の品物を売るのは、この島の商人の利権なんじゃ」
「そっかあ……」
そういうのは解る。私も針仕事人の端くれだ。
「じゃあ、とにかく明日の朝市場が開いたら、商談に行ってみる感じ?」
「もしくはこのまま出航して、別の離島を目指すか……ただ、オーガンはわしらが居ないうちに商売をしようと船を出したのじゃろうから……どこまで先回りされとるか……どうするかの?」
皆の視線が集まる。ん? 私?
なんで? あ……船長私か。
そういう難しい判断を押し付けて来るか……知らないわよ? 適当に選ぶわよ?
「ここに泊まりましょう。明日市場へ行って、商売出来そうなら一生懸命そうする、だめならやめて大急ぎで出航する。いい?」
私がそう言うと……四人の水夫共は互いの顔を見合わせる。
私何か変な事言った? 知らないわよ……素人の小娘に判断任せる貴方達が悪い。
「じゃあ私もう寝るから。各自、お酒はほどほどに」
「アイ、船長!」
◇◇◇
翌朝……夜中に吐き気に負けまた人外の格好をしていた私は、きちんと普段着に着替えてから外に出る。
上甲板ではロイ爺とアレクが出掛ける支度をしている所だった。
「ボート、降ろすぞぉぉ」
不精ひげは船のボートを滑車で海面に降ろしている。
ウラドは船内の索具や何かを点検をして回っている。
私はボートで桟橋へ降りる。本物の陸地に足がつくと、やっぱり少しホッとする。
島の港はレッドポーチとは比べ物にならないほど小さい。リトルマリー号もここでは堂々とした大船に見え……ないか。
リトルマリー号の居場所は季節で変わるそうだ。
この時期の外洋は波が高く危険なので、内海に周回航路を作り、その中を巡る。
商売としては外洋の方がずっと美味しいらしいが、船が耐えられないのでは仕方ない。
もちろんこの時期の取り引きと航路も大事なので、なるべく多くの取り引きをしておきたい。
取り引きが縁となり、また次の取り引きに繋がるから。
それをなくしてはいけない。
入り江から短い坂を登ると、倉庫がいくつかあり、その周りが市場になっていた。卸も小売もごちゃ混ぜの、島の市場だ。
「オーガンの船の奴らが、リトルマリーは出港出来なくなってるから来ないって言ってね……卸の連中もそれじゃ仕方ないって、多目に仕入れたようだな……倉庫もいっぱいだよ」
顔なじみらしい露天商と話していたロイ爺が戻って来る。
「聞いた通りじゃ……厳しいのう」
「うーん……アレクは?」
「太っちょなら仲買人と話しに行ったよ。うちで一番計算が速いのでな」
私は一瞬それを聞き流してしまったが、すぐに気付いて言った。
「大事な話じゃん! 何で私も連れてってくれないのよ!」
「いや、船長をないがしろにしとる訳ではないんじゃが」
ロイ爺はわざとらしく声を落として言った。
「気付いておると思うが、太っちょはシャイな男でな、まだちょっと新しい船長に慣れておらんのよ、一緒に居ると無駄に緊張するんじゃ」
「えー……何で……」
「今日はただでさえ難しい話になるからな、まああいつを信じて任せてやってくれんか」
理由は解ったけど……いや解んないけど、そんなの何とかしないと。
「フォルコンも算盤の事はアレクに任せっきりじゃった……それでも気になるかの?」
「それはもういいけど、私に慣れてないってどうしたらいいのよ」
「それはまあ追々、そのうち慣れるじゃろうから」
追々では嫌だ。私は自分の水夫には気分よく働いてもらいたい船長なのだ。