表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/6

太陽の光をうけながら木陰でまどろんで

 弟はある日、自宅で死んでいた。


 狂ったように泣きわめきながら電話をかけてくる母は、一体何をしゃべってるのかわからない位に乱れていた。

 死んでしまったということがやっとわかったけれど、でも私は駆けつけるといっても実家からは離れていた場所に住んでいたし様子が全くわからない。


 それよりも・・・もしも私が死んだ時には彼女はこんな風に錯乱するのだろうか? 弟の死の残念さよりも、そのことの方が気になってしまっていた。


 ******


 弟と義妹の間には結婚して五年程後に子供が出来たらしい。


 妊娠したことを私は後から聞かされた。それは殆ど出産の前だったし出産後知らされたのも同じ。

 親類縁者の結びつきはとても濃厚な地域だったから、進学、就職、結婚、おめでたなどは直ぐに知らせ合う。

 近くに住めば月に何度か親類が来たり、盆暮れや正月のつき合いは当たり前のようにあった。つきあわないと村八分(むらはちぶ)のような「親類八分」で無視される。


 出産した時は病院から連絡されることなく、何かのついでに「そういえば赤ちゃんが産まれてね。男の子よ」と後に知らされた。無視されていた私だが濃厚で表面的なつきあいは私の方が避けたいと思っていたから全く構わなかった。

 

 私は殆ど実家に行くことはなかったけれど、(まれ)に顔を出して不思議に思ったことがあった。

 赤ちゃんの顔は父親に似たり母親に似たり、顔つきがよく変わる。あるいは、おじやおばにソックリだとか似てる人も部分もコロコロと本当によく変化する。甥はこちらの血縁者に似ていると感じたことがない。

 義妹の家族の写真を見たことがないから何とも言えないけれど。髪の毛の色が栗色でも金髪でもなくて黒色で日本人系の顔をしてるが、弟やこちらの家系の誰のどこに似てるのか探してもわからない。それは甥が小学校になってからも思っていたことだ。



 弟の死を知った時、私は複雑な気持ちでいた。葬儀には参列したが義理で行ったようなもので正直、行きたくはなかった。


 死が悲しいというよりも、幸せを感じないでこの世を去った彼が痛々しく、悲しいのではなくて哀しいのだ。

 薔薇バラの美しさや甘い香りも雨上がりの虹も見ることが出来ない、感じることが出来ずに死んだ弟のことが惨めというか哀しすぎて目を背けたくなっていた。


 子供が産まれたことは彼にとって喜ばしいことだっただろうけど、人生の中で彼は心から「自分自身が幸せ」って感じたことはあるだろうか。 

 例えば、大学生の時に友達とコンサートに行く。友達と行き来して好きな女の子のことの悩みを打ち明けたりして夜遅くまで話しこんで泊まる。サークル活動したり打ち上げコンパで仲間と朝まで騒ぐとか、そんな人との触れあいってなかったはずだ。

 一人のリラックスで夜にドライブに行って窓から入る風を感じる。山で緑に囲まれて森林浴をし、小鳥のさえずりを聞いたり高い樹の間から射し込んでくる太陽の光を浴びたことがあっただろうか。なかっただろう。

 実際に出来なければ本やネットを見て頭の中で想像するだけでもいい。そんなことさえも出来なかったろう。


 家族旅行して美味しいものを食べた、子供を遊園地に連れて行って楽しい思いをさせた。確かにそれも「幸せ」には違いない。誰かが楽しんでる顔をみて嬉しいと思うことは素敵なことだから。

 だけど、それを「家族サービス」っていうように自分の健康や気持ちを犠牲にして無理していたとしたら残念なこと。実際、無理していた。

 人生の主人公って「自分」だと思う。


 ******


 ねぇ、君。幼い頃、本当に母からの愛情は心地よかったの?


 私はとても家にいるのが嫌で母からは逃げようと思っていた。その位、苦しくて辛くて仕方がなかった。

 それを近くで見ていた君はどう思っていたんだろうね。君も自分のことで精一杯で私への虐待なんか気がついていなかった?

 小学校になってからも靴下や服を着せてもらったり、玄関に置いた鞄や荷物を母が運ぶのも心地よかったのかしら。拒んでしまうと何か言われそうで、されるがままだったのかな。どちらも? そうかもしれない、両方の気持ちがね。


 姉弟なのに後味が悪い喧嘩ばかりしていて次第に口も聞かなくなって。ほかの家の色々な親子関係って見たことはなかったかな。羨ましいと思わなかったかな。

 私たちは、お互いの中に姉弟としての存在ってなかった。本当は楽しいことも悩みも話したかったのに。

 君も友達をつくったり恋愛して楽しんだり傷ついて泣いたり、その時でないと出来ない、そんな話をしてみたかったと思う。

 可哀想に・・・友人もいなかったんだよね。


 死の訪れがやっと君のことを楽にさせたみたいで、私には言葉がない。

 温もりを感じさせてあげることが出来なくて、ごめんね。



 叔父が言うには自宅での死だから警察は来た。皆、自然死だと思ったよう。

 司法解剖はないけれど、精神科に通って服薬してるし引きこもりがちで運動不足だったことから「心不全」と診断書に書かれたらしい。

 だけど、叔父は確かに多くの薬の処方や太ることで体に負担がかかっていただろうが、自らの薬の飲みすぎかもしれない。量的に大丈夫でも喉から下に詰まる窒息はあるからと。母には言わない方がいいと呟いた。


 義妹は、私の知らないうちに弟の病気のことを知っていたようだ。

 自国に行った時に彼の体に良いだろうとハーブで作られたというサプリメントや、煮て飲むようなものを買ってきたり取り寄せていたらしい。

「どういう」ハーブかは誰にもわからないままだ。人ってサプリメントといえば特に疑問を持たないで薬局に売っているビタミンCのようなものだと思うから・・・私の考え過ぎということにしよう。


 ******


 弟が他界してからも母は義妹と甥の三人で暮らしてきた。

 父は弟の死後、すぐに癌で逝ってしまった。義妹は働いてるから、母が孫を育ててるようなものだ。私が帰省した時には、

「この子は私がいないと」

 と何度も言って甥を溺愛してる。


 義妹は甥が小学校にあがる前に綺麗な家を建ててやりたいと、会社の社長の紹介で土地を見つけてきたらしい。 

 母は私に電話をかけてきて、土地を買って引っ越しをすることについての事後報告と文句を言う。

 父との想い出の家を離れたくないし、丁寧に使っていたからどこも痛んでいない。部屋もある。そう主張したが既に義妹は彼女名義で土地を購入していた。

 彼女は働いていたし、弟の遺族年金やひとり親への補助金もあるから購入するのには問題なく審査が通ったよう。


 その時の電話で私は余程言いたかった。

 義妹も三十代で、もしかしたら再婚の可能性もある。父との想い出の家は確かに痛んでないし十分住むことが出来るから母だけで住んだらどうかと。


 甥が、

「新しいおうちにすみたい。おばあちゃんのへやもあるよ。いっしょにすもうよ、でなきゃ、ママのくににかえるよ。」

 涙を浮かべて言う甥の言葉を聞いて、母は、やっぱり甥には自分が必要なんだと一緒に住み、古い家は誰かに売ることに決めたらしい。



 母も老いてきて、年に二回程は私から元気でいるかと電話をすると、弟に似ていない甥の声が後ろから聞こえてくる。

「おばあちゃん、早く! おなかすいた」

「これからご飯作らなきゃ。電話切るわ」

 食後に彼女から電話されることはない。私が彼女を心配してる気持ちが伝わらない。



 また珍しく母から電話があった。土地の時と同じできっと何か問題があるのだろうと察したが、やっぱり良い話ではない。

 義妹が妊娠したのだ。甥にはきょうだいや父親の存在も必要だから、と、母に気がつかれず誰かとつきあっていたよう。


「お母さん、悪いけど父親になる人と産まれてくる子のために家を出て行ってくれない?」

 非情にもそんなことを言ったらしい。


「私の立場はどうなるの!」

「安心して、男性とは一緒に住むけれど結婚はしないから。お母さんとは繋がってたい。」

「それなのに出ていけって、どういうこと!」

「いいわよ、ここに住まわせてあげる。じゃあ、お腹の子の面倒もみて。私は働くから食事も洗濯も掃除も、家事は全部してね」

「そんな勝手なこと。今までの恩は忘れたの? 車の免許取る時、お父さんが合格するように勉強教えたり乗り方練習みたでしょ。私だって、今まで家のことしてきたわ」

「だから、今までと同じことをするだけじゃないですか」


 そんなやり取りがあったようだ。

 男性と知り合って赤ちゃんが出来たのに結婚はしない。それは母が万が一に逝った時に一番財産を甥が継承しやすいからだろう。「義姉は家を出た人」と彼女が知ってることは、それとなくわかる。

 私は相続放棄するつもりだから何とも思わないけれど、彼女はしたたかに計算してる気がする。それに既に弟の存在というか想い出を忘れている。忘れてしまうのが悪いわけではない。

 ただ「最初から」夫婦の愛情があったのかは気になる。



 家を解体するには費用がかかるし誰かに売る予定だった元の家に母は戻って住み始めた。

 いいじゃない、それで。全然知らない人と一緒に住むなんて出来るものじゃないから。父と弟の想い出にひたりながら趣味をつくってリフレッシュしたりゆっくり過ごす。それが母にとっていいと私は思ってた。

 何ヵ月かして、甥がリュックとランドセルを持って母を訪ねた。

「おばあちゃん、ママは赤ちゃんをかわいがって、ぼくはあそんでもらえない。さびしいよ。」

「ああ、おいで、おいで。」


 甥の机やタンスを自分の家に運び、今、彼と暮らしている。


「やっぱり、この子は私がいないとね。」

 他界した弟と同じように溺愛してるようだ。


 ******


 お母さん、お母さんの幼い頃のことは全部は知らない。

 ただ、勉強したかったのに女の子だからと進学させてもらえなかった悔しさと悲しい気持ちはわかる。そして、祖父を憎んでた。

 結婚した時には嫁という一番下の地位だったし、お父さんが味方してくれなかったのも理不尽なこと。


 人のことを憎んだり恨んでもいい。

 だけど、そのストレスを別の誰かに向かわせるのは、自分も相手をも不幸にさせてしまうこと。それに貴女は気がついてこなかった。今でも。


 もしも進学してたら、もしも長男と結婚していなかったら。「もしも」って考えても戻れないし助けることは出来ない。

 自分からお父さんにぶつかることって出来なかったのかしら。泣いて「この家でてアパート借りましょう」って言えなかったのかしら。

 ああ、ごめんなさい。これも「もしも」「あの時こうしていれば」ってことだし、責めてることになってしまう。


 人は産まれた時に、その時点で不公平なこともあるし育っていくうちに不公平になっていくこともある。

 私は幼い時にメアリーがいて話していた。幸せになれるって四つ葉のクローバーを探してラッキーと思ったり。

 でも、自分が育ち始めたって感じたのは大学に入った時からだった。茉莉ちゃんの紹介で精神科に行って、そこでの先生も彼氏も気持ちをわかろうとしてくれて、やっと「私って、今産まれたみたい」って思った。


 きっと、人って何歳になっても「今、産まれた」て何かのきっかけで目が覚めるものだ。

 お母さんも色々な呪縛がずっとある。それもとても強いものがね。正直、病んでるから精神科に行った方がいいけれど、私の話しは聞かないでしょうね。

「この子は自分がいなければ」って歪んだ愛情を与えるっていうか、これからも弱い立場の者と共依存する関係を続けていくことになる。

 それは、いばらの道を歩き続けることよ。


 自分を大切に出来ないのに人を大切にすることなんか出来ない。自分のことを知らないのに人を知ることは出来ない。


 お母さんの人生はお母さんが主役なの。

 誰かの人生はお母さんの人生ではないことに気がつきますように。


 時に昼まで寝ていて部屋着でボーとしたり、どこか原っぱに出掛けて木陰で寝ころんで風に吹かれてみたり。すれ違う人に大きな声で「今日は晴れてますね」って挨拶してみるのって気持ちがいいことよ。帰りにお腹が空いて「こんなの食べてみたかったわ」って道で売ってるホットドッグ食べてみて。

 生きてる、幸せってこんな風に感じるんだって思うわ。

 そういうことってね、お母さんは照れるというより恥ずかしいことって思うでしょうね。世間体が悪いって意味で。

 恥ずかしいなんて思われたりなんかしない。誰も知らない人のことなんかね、見ていても全然意識したりなんかしてないの。


 まだ遅くないから。

 きっとね、原っぱには名前も知らない花が咲いてるわ。それを見て、持って帰りたいって可愛らしさを感じてみて。摘んで持って帰って透明なコップにその花を入れて玄関に飾ってみてよ。


 お母さん自身の、自分の幸せを感じられるようにって。

 私にはそう祈ることしか出来ないわ。


 それから甥が・・・弟と同じような人生を歩まないことを。

読んで下さって、どうもありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ