薔薇(バラ)の道といばらの道
ラムネの瓶に入ってるビー玉。
飲むことよりもビー玉を何とかして取りたいと試したことが、昔あったのを思い出した。夏には炭酸がシャキッとして美味しいし、飲んだ後にカラカラって音が綺麗な響きで暑さを和らいでくれてるのが子供心にわかった。
無理だとわかっていても欲しくて仕方がない。ビー玉は売られてるのにラムネ瓶の中の物は特別な物に見えた。
取っちゃいたいと無邪気に思う子供のことを馬鹿みたいと無駄なことしてると思う親もいるし、子供の気がすむまで見守る親もいる。
後者のような親だったら本当に良かったのに。私は自分だけでラムネを飲んでビー玉をながめていたのだ。
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弟は精神科に行くことには最初は抵抗があったようだった。
母にしても同じで精神科のイメージを悪く思っていたから、受診は恥ずかしいと拒んでいた。一昔前の精神科と今のでは違うんだけれど。
ただ、弟はまともに授業が受けられず学校を休むことも多くなって留年したし、苦しみから解放されたくて自分から行くことにした。
そして、茉莉ちゃんや私の先生が推測していたように弟は強迫神経症と診断されて薬も出ることになった。
その後は弟と私の関わりはなくなってきた。電話をしても出ないし、きっと引きこもりか誰とも話したくなかったんだと思う。
ずっと後に彼から連絡があって、人に使われるよりも国家資格を取りたいから簿記専門学校に通っていると聞いた。
強迫的な症状は治まり、ただ、うつの症状は出るので通院はしたままだけど通えるのなら良好なんだろうと私は思っていた。
単位をおとして留年。彼は卒業後には資格試験に合格するまで勉強に集中するために就職活動はするつもりはなかったが、母親が反対したらしい。
「ちゃんとした企業に就職してくれないと恥ずかしい。」
弟は会社には大学が斡旋するものだと思い込んでた。母も同じだ。そして、そのために卒業前の年は自ら一年留年をして大学の就職課を利用することにした。
それは勘違いだ。就職は自分で情報を集めてコンタクトをとって説明会や面接に行く。誰かが自分のことをしてくれるんだと慣れていて気がつかなかったのだ。
就職課は斡旋はしない。まだ決まってない学生のための追加募集の案内などのフォローはするが、弟が「会社に自分を紹介して欲しい」と言っても無理な話だ。それについても弟も母も文句を言っていたが残念ながら二人は甘かった。
母は就職活動を面倒がる弟に懇願し、結局、彼は小さな税理士事務所に就職をした。そして働きながら夜は勉強して合格を目指すつもりでいた。
だが、残業もあったから仕事を終えて帰宅しても勉強をするつもりになれずに試験は受けることが出来ないでいた。やる気も出ず、薬による眠気もあったろう。
うつの症状が強く出た時には仕事も辞めた。働いては辞め、短い所は三日で終わったらしい。朝、どうしても行けずに休むのでなく辞める。カウンセリングにも通っていたらしいが良い方向には向かわなかった。
当たり前だと思う。無関心な父と毒母と暮らしてるのだから。
弟は本当に辛かったんだと思うけれど、家を出るとか毒母の支配から逃れたいとは思わなかったようだった。私は家を出ることを勧めたが無理だった。呪縛が強すぎ、そして、精神も麻痺していてたんだろう。本当に不幸だと思った。
働くこともままならなかったが、今度は結婚適齢期という「課題」が母の中にある。
メンタルな病気が改善されないというのに結婚紹介所に登録させた。弟は幼い頃は痩せていたが、薬の副作用や運動不足でずいぶんと体重が増えていた。帰省した時に会うと昔とは随分変わり、顔も能面のように無表情だった。
お見合いをする。しかし、ふられるばかり。
五回目の見合いが失敗した時に紹介所のスタッフが、「日本人に拘らなくて良いのではないか? 国際結婚も増えているし、お子さんが出来たらバイリンガルになれます」と持ちかけたらしい。
欧州出身の女性を紹介された。来日して働いてるがもうすぐビザが切れる。自国では大学を卒業し、日本に留学の経験もあったから日本語も堪能だ。
見合い後、彼女は弟にひとめぼれしたという。
彼女の国の出身で結婚コーディネーターをしてるという女性が紹介所のスタッフとともに両親のもとを訪れた。
それまで恋愛の経験がなく、見合いを断られていた弟は舞い上がり乗り気になってしまう。
母は猛反対した。日本人女性じゃないと駄目だと。それに大学を出ているから母を見下すような態度をとられては困ると勝手に思い込んだのだ。
女性は背も高く綺麗で大学を出ている。両親は他界してるが上のきょうだいが彼女の面倒をみて大学に行かせたらしい。母には女性のそんな所も気に入らなかったのだ。
弟は結婚出来なければ死んでやると言って車で家を出てドライブに行く。携帯に電話しても出ない。母はオロオロし帰宅したら認めようと負けた。
私が、彼らが結婚したという話を聞かされたのは彼女の国で結婚式を済ませた後のことだった。
一度帰国しなくてはいけないから、あちらの国で式を挙げ結婚証明書によって彼女は再来日することが出来る。
母は、その間に私に話せばいいと思ったようだ。慌ただしいといえ、私には早い時期に話すものじゃないかな、と思ったが、昔から私の存在は母の頭にはないのだ仕方がない。
母からは不可解な話を聞いた。
彼女の国での結婚式には、結婚紹介所のスタッフと彼女を連れて来たコーディネーターが一緒に渡航する。
式にかかる費用、スタッフ二人を含めた渡航費用や五日間の宿泊費は、とんでもない金額だったのだ。
あちらでは内輪だけの小さな挙式だしそんな金額は不自然。私は費用の内訳書、明細書を見せてもらったかと聞いた。
だけど、母はそんなものはなくてまとめて金額を渡せばいいからと信用して既に支払ったという。しかも、振り込みではなくてスタッフに直接の手渡しで一枚の領収書だけはあった。
母が言うにはスタッフはとても親切で日本でも大きな式を挙げるでしょうからと父と母は、彼女の国の結婚式には行く必要がないと「気を遣ってくれた」らしい。いい人達だからお礼もしたいし日本の式の時にはぜひ来てもらいたいと言う。
私はブローカーではないかと疑った。それについての検索をし、多額の費用を支払って女性が来なかった例、来ても数カ月でいなくなった例、それから女性も費用を支払ってはいたが合計すると納得のいかないような多額の金額という例。データをコピーして何日か後に説明した。
お金は返ってこないにしても、万一、花嫁も消えてしまったら弟にはかなりのショックだ。まだ日本では結婚してないから考えてみてはどうかと。
母はそんなことはない。スタッフは本当に親切だし、第一、弟は毎日のように国際電話で話してとても楽しみにしている、と結婚を反対してた割りに弟の味方をした。
私が正しいわけではないし危惧にすぎないかもしれないが、結局、私の話しは頭から聞かないとわかった。
私に出来ることはここまでだった。
お願いもされた。
弟が精神科に通院してることは彼女には言わないで欲しいと。内緒にするのはいいが勤めに出られない時もあるし体調が悪い時はどうするのだと心配すると、
「その時は、風邪だとかなんとかごまかせる」
と笑っている。
住めば薬を飲むところを見られたり、働いたり辞めたりということの不自然さはわかってしまうのではないだろうか。後から知られてしまうと言い訳は出来なくなってしまうのに。
見合いを含む、たった二回のデートで結婚を決めた二人。そこに信頼関係はまだないだろうに、後にわかってしまう隠し事はよろしくないのにと思ったが。
私は、おかしな夢を何度もみたことがある。水の中に私がいて、透明なガラスの棚がある。そこには透明な置物があって、どうやら私にとって大事らしい。それを数人の知らない人が持って行く。全てが透明で、色がないってことは見えにくいってこと。
私は夢の中で、「私の置物を持って行かないで」と手を伸ばすけれど届かなくてもどかしくて悲しく、怒りも表れて声を出して目が覚めた。
弟は悪夢ってみたことはないのだろうか? ないかもしれないしみても気づかないのかもしれない。まだ「暗中にいる」んだから。彼の場合ずっと現実が悪夢だから。模索さえする力がないだろう。
私は大学入学までは心が凍っていて冷たい壁をつくってきたけれど、氷を溶かしてくれるのは自分の力と友人の茉莉ちゃんや彼氏、精神科の先生のおかげだった。
彼の場合は、掴めるものというのは異国の美しい女性だったのだろうか。
救世主が現れた時、私には雨があがった朝に雫がのってる薔薇の花の束を胸に抱えてその美しさにも香りにもホッとした気分だった。彼にとって心に揺さぶりをかけられたことってあったの?
彼が選んだのは・・・いばらの道だった。
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義妹が来日し、本当に不幸なことに両親と同居し始めた。
留学経験、仕事経験があるから日本食にも慣れていたけれど、「その家」に慣れるまでは暫く母についていたようだった。彼女が来日して私はホッとした。もしも来なかったら弟は大きなショックを受けるだろうから。
結婚後にわかったことは、彼女は自国の両親がかなり高齢の時に出来たらしく実は長期に渡って入院してるらしかった。
お姉さん達から「少しでいいから親の入院費を出して欲しい」と言われていた。学費も借りていたが返済はしていないから遅延損害金の請求もある。
そして、一度結婚経験があり流産が原因でもしかしたら子供を宿せないかもしれないと告白した。それまでわからないことだったし、話も違う。
親の面倒をみるのが嫌で遠く離れたい、返済も嫌だ。そして弟よりは少ないが、彼女も数百万ほどコーディネーターに支払っていたらしい。親の面倒の出費や介護して疲れるのに比べたら、スタッフへの支払いは安いものだと平気な顔をしていた。彼女の親も・・・毒親だったのだろうか、それとも彼女の性格なんだろうか。
だんだん家にいるのは退屈になったようだ。窮屈と言い換えた方がいい。
私が帰省した時に、母が「洗濯物のネットの使い方が悪い」と義妹がいない所で文句を言いながら自分のやり方でやり直していた。義妹も何か感じていただろう。母が全く変わっていないことには改めて心の中で苦笑した。
義妹は家計を助けたいと、ゴルフ場のレストランで働くようになったがゴルフ常連の中小企業の社長に「うちで働かないか」と誘われた。
陽気でさっぱりしていて仕事はテキパキこなす、そして、会社が彼女の国とも関わっていくことが多くなるということで主任の立場にヘッドハンティングされた。
仕事で使うからと携帯を会社用二つ持ち、つき合いのためだからとゴルフセットを購入した。他県にも彼女の国への出張も増えてきたようだった。
弟は相変わらず仕事を始めて辞めるの繰り返しだったし、両親も、その時は働いてはいなかったから家計はかなり助かっていたのかもしれない。
彼の救世主は、義妹だったのだろうか。
彼らがどんな過ごし方をしていたのかは私にはわからない。彼女が「本当にか」仕事の出張でひんぱんにいないのは仕方がないし、ただ、そんな時は毒母が待ってましたとばかりに嬉しそうに彼の世話をやいていたと聞いている。
精神科の予約日に面倒だからと母が変わって薬をもらいに行く。
「医師と話して、家族としてのアドバイスを受けたりしないの?」
私がそう言っても、彼女は、
「薬でなんとかなるものでしょ。」
「うつだと『頑張って』って励ますと悪化する場合もあるみたいだし、親なら診察室に入れてもらえるはずよ。」
「そういえば、前に、先生に会って『頑張れってなるべく言わないように』、そう言われたかしらね。」
彼女は深夜、弟がお腹が空いたと言うとコンビニに走り、お弁当やカップ麺を大量に買ってきたようだった。義妹がいる時にも、そんなことはあったよう。寝る前に食事するのが義妹には不思議だったし母が買いに行くのも訳がわからないと言われたことがあったから。
この家のことは、手助けする域を超えてしまっていく・・・。
大切なものは物や形に残るものだけじゃない。苦悩をただ黙って聴いて優しく見守るような人の温かさとか、何がその人を苦しめるのか陰で突き詰めていったり、本人を追い込まないこと。
親として医師に会わないってことは信じてないってことだ。
闇の中にいても、どこからか足音は聞こえるし、もしかしたら僅かな光が見えるかもしれない。その光をなんとかして掴もうとすることも大切。
だけど毒母がそばにいると、それに気がつかないで闇の中で這いまわるだけなのだ・・・。




