第83話 雨降って俺固まる
保健室からタオルを借りて持って来ていたしっかり者のあかねは、なぜか萌にそれを手渡した。彼女いわく「タオル一枚しかなかったから」らしいです。しかし、悲しいです。濡れた上着返してもらっても嬉しくねぇし、使ったタオルでいいから貸してほしい。でも萌が絶対に貸してくれるわけないってことは百も承知。
僕はビショ濡れになっている上着を着る気にはなれず、クシャミを我慢しながら教室へと向かった。その間、萌とあかねは俺を後ろに追いやって2人で楽しく何かしゃべってました。
そして教室のドアを開けた俺に待ち受けていたのは、タケちゃんからの悲しすぎる一言でした。
「一条君、キミ遅刻だね」
萌はどうなのよ先生ぇぇぇ!ちょっ俺を見てください!萌だけを見つめないで!いっつも明後日の方向しか見てないクセにこういう時だけガン見しちゃダメですよ!萌がちょっと引いてるし!
しかし必死の反論も虚しく、タケちゃんは溜め息混じりに俺へと視線を戻すと「あまり遅刻が多いとアレだよ」と言い放った。…アレって何だ?気になるけど今は聞き時じゃない気がするからスルーしちゃえ!
フラフラと席へ戻る時、タオルで顔その他を拭いていた萌はクラスのみんなに向かって「この件について触れるな」という視線を送ったため、なぜ遅れたのか、そしてなぜ(俺だけが)ビショ濡れなのかは聞いて来なかった。
でも。
やっぱりちょっと気になるのか、髪の毛から学生服までビショ濡れで席へ戻った俺に「何やってんだ?」視線をみんなが浴びせてくる。お願い、視線じゃなくて誰でもいいから優しい言葉を掛けて!
って一郎!寝てんじゃねぇ!
今さら気がついたけど、一郎が堂々と居眠りしているのにみんなは完全にスルー。まぁ今コイツを揺すろうものなら意味不明な寝言を大声で発しそうだし、賢明な判断だね。こんなアホ男に授業を潰されたくないと思ってんでしょうな。…俺も居眠りしてる時みんなにそう思われてんのかしら。
ば、バカ!それは違うよ!みんな「いつもお疲れ様」みたいな感じで俺を寝かせてくれてんだよ!
化学の教科書を取り出したついでに机の中にハンカチか何か入ってないかなぁと物色する。ってか入ってるわけないけど。う〜ん、やはりないのね。
タケちゃんは俺を遅刻扱いして満足したのか、一郎を咎めることもなく授業を再開……タケちゃん恨むからね!
あぁもうせっかくセットした(と思い込んだ)髪もビショビショだし。…寒いし。もうタオル使ってないのに萌ったら貸してくれないし!
なんて悲観的な考えが頭をよぎっていると、右目に激痛が走った。
「おっぐぅぉっ!」
今なんか目に入った!なんか白い物体が顔面に飛んできたよ!ってかイテェ!目を開けてらんねぇよ!
痛い痛いと訴えても、みんなでスルー。大丈夫くらい言えないのかウチのクラスは!?
痛みと恐怖で右目を手で覆い、誰か声を掛けてよ!と左目で辺りを見回すと、机の上にタオルが置かれているのを発見した。そして気がつく、萌の仕業だったと!
ってこんなヒドいことすんの1人しかいねぇだろ!
「あ、あんた何すんだよ…!」
授業を再開したタケちゃんには聞こえないよう、小声で萌に意見をズバッと…小声の時点でズバッとじゃないか。
攻撃を終えた萌はというと、俺をスルーして授業を聞いている。
…なんだ?いつもなら睨んで文句のひとつでも言ってくるってのに。屋上から無事に生還したと思ったらいきなり機嫌が悪くなっちゃって。まぁきっとタオル使いなってことなんだろうけど、口で言えよ!なんで攻撃して知らせんだ!
…でもせっかくだから使ってあげるよ。
ブツブツ文句は言いつつ有り難く使わせてもらいながらふと視線を泳がすと、授業を聞いていない率100パーであろうあかねと目が合った。
何か言いたそうな顔してるけど、俺の心配をしてくれてる目じゃないね。
(あんた、屋上にいるときマジで萌に何かしたの?)
黙りこくって教科書と睨み合っている萌に悟られないようあかねがアイコンタクトを送ってきた。ってやっぱり俺を心配してくれてるわけじゃなかったか。
(雨降ったから上着貸してあげただけぇ)
心当たりはまるでないからね、そんなに睨まれてもないものはないの!ってか誉められることをしてあげたのに何で怒られてるの?
俺の毅然とした態度が良かったか、あかねは(な、ならいいけど…)みたいな顔を見せる。
そうだよ、俺は何も悪いことはしてないんだから!
「え〜一条君」
あかねにアイコンタクトで怒られるのを回避できた喜びから小さくガッツポーズを取っていた俺は、いきなりタケちゃんから指名を受けた。ってか何か思い出したような言い方ですね。
「あっはい、何でしょう?」
「どうして髪の毛が濡れているんですかな?」
「えぇ?!」
今ソレ言いますか!?いくらでも言うヒマありましよねぇ?!
「あ、いやぁ…ちょっと雨に濡れたくて」
あれ?何か今の俺、ちょっとカッコ良くない?雨に濡れたいなんて、二枚目俳優が言いそうだよね?ここでポケットに手でも突っ込めばそれこそ二枚目じゃん?
(黙れ!)
あかねヒドい!
「……え〜じゃあ教科書の……」
タケちゃんまで!
「あっちょっとタケちゃん!勇樹がいないんですけどぉ!」
ヒドイよタケちゃん!と叫ぼうとして止めた。毎日見ている素敵な後ろ姿がなかったから。くそ、俺としたことが油断してしまった。あの勇樹を見落とすなんて、俺のバカ!
髪が濡れたこととは全然関係ないことだったけど思ったから言っちゃった。…まぁ少なからず関係はあるにはあったけど、わざわざ言うことでもないし。
思わずタケちゃんと言ってしまったのにタケちゃんはスルーしてくれた。
「あ〜…佐野君は職員室だと」
「職員室?」
ということは、呼び出し喰らってからまだ話し合いが続いてんのか?勇樹ったら、やっぱり何か悩み事でもあったのかね。じゃなきゃわざわざ俺達を屋上に呼び出したりしないだろうし。…卒業後について、とか?あぁもう俺って頭悪い!何も思い浮かばない!
「あのぉタケちゃん?勇樹って何かしでかしたんですか?」
「お前じゃないんだから」
「何てことを…って萌かい!」
ずっと黙ってたと思ったら今かよ!タケちゃんに言われてたら悲しみのあまり、まだ居眠りぶっこいてる一郎の頭を殴ってたとこだよ。
萌は俺に悪態をついてちょっとは気が紛れたのか、メンドくさそうに溜め息を吐く。
「って萌、あなた心配じゃないの?」
「何が」
俺の方を見ないで萌様がぶっきらぼうに答えてくれました。不機嫌なら話しかけてくんなよ!
ってもう髪の毛その他が乾いてきてるよあんた。俺なんてまだビショ濡れなのに…俺の方が髪短いんだけどなぁ。あっこう見えて俺、結構髪の量多いからその辺よろしく。
「何がって……俺の勇樹が伊藤先生と話し合ってんだよ?そしてまだ戻って来てないんだよ?」
「あんたのじゃないし」
そこはもうスルーしてくれていいから!いつものことだと思って流して!
「何か悩みでも抱えてんのかなぁ」
「人間なんだから悩みくらいある。あんたじゃないんだから」
ぐっ、いちいちトゲのある言い方すんなぁ。
(あんたやっぱ何かやらかしたんでしょう?!)
ちょっ、してないって!油断したスキを狙ってアイコンタクト送らないでよあかねぇ!
何でもいいから萌に謝れ目線を送ってくるあかねは、って何もしてないんだから謝りたくないんですけどぉ!
イヤだイヤだと首をブンブン横に振るが、あかねは(謝りなって!)とアイコンタクトを飛ばしてくる。
何もしてなくても俺は悪者にされる運命なの?
髪が濡れた惚れたことはもうどうでもいいのか、タケちゃんはまたもさっさと教科書を開いて授業を再開。その間にも(謝りな!)目線が俺を貫く。キミが妖怪なら俺は石になってるとこだ。
………わ、わかったよ!だから睨まないで!
「…えっとぉ、萌?」
「なに」
や、やっぱりイヤだ!こんな子に頭を下げたくない!
声を掛けたというのにこっちをチラ見すらしてくれない。しかもその横顔は不機嫌そのもの。
(あかね!ムリです!)
俺の手には負えない!不機嫌な理由を聞いたりしたら「お前に話し掛けられたから」とかって言われそう!
涙目でそう訴えたのが良かったのか、あかねは(わ、わかった)と頷いてくれた。
「いだぁっ!」
ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、右のヒジが痺れる!机に思い切りぶつけたような痛みに襲われた!
「なっ何すんのぉ!?」
「お前が話し掛けてきたんだろ」
「あっいや、まぁ、それは…」
今さら何でもありません、なんて言えない。え〜っと、え〜…。
「あ〜…俺って、どちらかというと魅力的なクチビルしてない?」
「全然」
こっち見てよ!そう答えてくれていいからこっちを見て言って!
おちょぼ口を見せる俺に対して、バカじゃないのと呟いた萌はそれから教科書に目を落とすと俺のことを空気にした。イチャモンつけられるよりはマシだな。
何とか切り抜けたよ!とあかねにアイコンタクトを送り何故かスルーされるも、ラッキーチャチャチャな気分で窓の外を眺める。
あぁ雨がシトシト降ってんなぁ。さっきよりは雨足も弱くなってきてるけど、傘なんて持って来てないし……置き傘してたっけ?
「ぐわっ!ちょっ、だから痛いって!言うことあるなら口に出して!」
ヒジを重点的に攻めないで!ビリビリしてるから!
目にも見えないジャブが面白いくらいに何度もヒジへジャストミートする。こっちも見ずによくそんなこと出来るな!
「なん、何なの?」
ここまで意味の分からん攻撃されるの初めてなんですけど!口を真一文字にされてもわかんないって!
それから授業が終わるまで、萌はタケちゃんの目を盗んでは俺にジャブを喰らわせてきた。
もう痛くてヒジが上がらねぇ。
さぁて今日も一日お疲れ様でしたぁ!……笑顔でそう言いたかった。
「太郎、今日は萌と帰りなよ」
筆記用具その他を鞄にブッ込んでいた俺に衝撃的な発言が放たれた。声の正体は何を隠そうあかね。ってかあかね以外は考えられない。
「今日はって…もう一緒に帰らないってことになってんですよ?なんでわざわざ、いでっ!」
スポーツバッグが顔…じゃなく腹部にヒット。ヘタこいたら吐き気に襲われるわ!
腹部を押さえて苦しんでいると、さも「当たり前じゃん」みたいな顔の彼女は冷たくこう言い放つ。
「あんたロッカーに置き傘してあんでしょ」
「え?マジで?ってか何で知ってんの?」
俺ですら知り得なかった事実をどうしてあかねが知ってるんだ?まさか、俺のロッカーを開けたことがあるのか?
ハッ!そうか、そうなのか?!もしかしてあかね、キミは俺にラブレターを出そうとしたことがあるんじゃないのか?
「あかね、ラブレターなら今ここで受け取るよ」
二枚目俳優の言葉が頭から離れず、片方の手をポケットへ、そしてもう片方の手を彼女の前に差し出す。恥ずかしいからってずっと鞄の中に入れてんでしょ?いいよ、大丈夫。ちゃんと受け取るからね。
「何であたしがあんたなんかにラブレターなんて書くのさ」
「あ、違うの?」
「当たり前だろ!」
「ぐえっ!」
スポーツバッグは殺傷能力バツグンですね。
腹部を攻撃されると思っていたのに顔面に飛んできたからガードが追いつかなかった。横っ面に脳しんとうを起こすほどバッグ攻撃を喰らった。
「ちょ、ちょっとからかってみただけだってぇ」
そんな怒らないでぇと顔をさすりつつ土下座する。あかねの言うとおり、萌と一緒に帰らせていただきますから。
「あ、ちょっ萌行っちゃったよ!早く…土下座してる場合か!」
頭上げなって言ってくれないからタイミングを逃したんだよ!
早く!と蹴りを入れられそうになったけど、素早く立ち上がりそれを回避した。そして萌が出て行ったドアをチラリと見る。
………行くよ!だから可愛くバイバイさせてね!
「それじゃワタクシのあか、げぇ!」
「いいから行け!」
スポーツバッグが飛んできそうになったので…ってか一発喰らったけど、俺は教室をダッシュして抜け出した。後ろから「ぐえっ!」と聞こえたのは空耳じゃない。一郎があかねの攻撃を避けきれなかったらしいです。ってか起こすの忘れてたからちょうど良かったかもしれないね。