第81話 摩擦を起こして寒さを凌げ
筆箱を強制的に片付けさせられた俺は現在、屋上へ向かう階段を上がっております。そしてなぜか側には萌が当然のようにいる。
勇樹には『秋月お嬢様もご一緒にどうぞ』とか言われた記憶は全くないんですがね。何を勝手に解釈してついて来てんだか。
斜め前をズンズン歩く彼女に視線を向けるが、何だか元気がなさそうに見える。でもこんな時ですら俺はあなたの隣りには怖くて行けない。
秘訣が知りたくなるようなサラサラなストレートヘアーを眺めて歩きながらふと思った。
そういや昨日は萌のヤツ、一条家に泊まらなかったけど何事もなかったのかな。朝におばさんと出て来るノブ君を見たけど、別に何かあったような風には見えなかったしなぁ。まぁ俺が考えても仕方ないことだけどぉ?
「ってか萌まで来ることなかったのに」
「うるさい」
う、うるさいって。他に言い方ないのかよ。
「私も勇樹に呼ばれてるから」
「へ?」
いつ?と聞こうとしてやめた。さっき教室の前でボケッと突っ立ってた時にケータイ持ってたなたしか。そうか、勇樹とメールのやり取りしてたのか。
待てよ、萌にはメールで俺には電話。もしかして俺の方が勇樹に好かれてる?
「…勝った」
「何に」
ありゃ、聞こえてましたか?
本当はヒャッホォ!と叫びたかったけど、小さくガッツポーズをすることで何とか耐えた俺は、それから含み笑いを隠すのに必死になった。
「あれ、固ぇ…!」
屋上へと繋がるドアは思いのほかサビついていたから開けるのに一苦労だったよ。勇樹一人でこの頑丈なドアを開けたかと思うと心が痛む。俺が隣りにいたら間違いなく開けてあげるのに。
「さぶぅ…」
「ちょっと、早く行け」
さ、寒いんだって!イタッ、背中押さないでよ!
今日一日分の力を込めてドアを開けたはいいが、進もうとしない俺に腹を立てた萌が拳を背中にガンガン当ててくる。背骨痛いって!
背中をさすり軽く鼻を啜りつつ前へ進むと、か弱そうな男子生徒の背中が見えた。
肩震えてるよ勇樹、寒いなら中に入れば良かったのに。
「ごめぇん待ったぁ?」
後ろにいる萌を置き去りにして俺は勇樹の元へと小走りに近付いて行く。まず中に戻りましょう、でないと風邪を引くよ!
後ろで萌が「気持ち悪い」と呟いたように聞こえたが、空耳であって欲しい。
俺達に気がついた勇樹は振り返ると笑顔を見せてくれる。しかし鼻の頭が赤く…寒いんでしょ?
「ごめんね2人とも。こんな所に呼び出したりして」
「気にしたらイヤよん。勇樹が来いと言ったら地の果てまでも迎えに行くわ!」
そう言って勇樹を抱き締める。ちっきしょ、何でお前は女性として生まれて来なかったの?そしたら今ごろ俺は勇子と付き合ってるってのにぃ!
「気持ち悪い」
「…」
やっぱりさっきも「気持ち悪い」って言ってたよね絶対に。
勇樹が可哀想、と俺の背中をまたも殴りつけた萌もやはり寒いのか、腕をさする仕草を見せる。
あっ風に乗ってシャンプーの香りが……勇樹から匂ってくるってことは、お前も高い(であろう)シャンプー使ってんのね?
「何かあったの?」
不機嫌な顔で俺を引きはがした萌は即座に質問を投げかける。が、勇樹は小さく頷くだけで何も言葉にしない。
何があったんだろ、何か悩みでも……萌のことか?もしかして、告白タイム?ってかそれなら俺を呼ぶ必要性がないか。
ジッと萌と一緒に言葉を待っていると、勇樹が時折なにか言おうと顔を上げる。が、困ったようにまた俯いてしまう。それを3回ほど繰り返した時、萌が口を開いた。
「勇樹?」
って勇樹が勇気を出して何か言おうとしてるんだから、ここは口を挟んじゃいけないよ萌!とは言えず勇樹の顔色を覗う。耳まで赤い、マジで風邪引いちゃうよ?
「と、とりあえず中に戻らね?寒いでしょ?」
「え、あっあの!」
さぁさぁお開きですよぉと言おうとして、勇樹に止められた。そして切羽詰まった顔が目に映る。屋上でなければいけない何かがあるのか?
ハッ!もしや昨日、塾で何かあったの?テストが悪かったとか…まさか勇樹に限ってそれはないだろ!
「…あの」
どしたどしたぁ!と抱きつこうとすると勇樹がすっごく小さい声を出した。
重い口を開いた彼は、それから真っ直ぐに萌を見据える。
もしかして、俺はいらないの?勇樹にまで空気のような存在にされているの?
涙目の俺を真っ向からスルーしている萌は不思議そうな顔で首を少し傾げる。そしてその瞳は勇樹を捉えて離さない。
「僕は……」
そう言ってまた口をつぐんでしまった。マジで、マジでどうした勇樹ぃ!あかねだったら「はっきり言え!」とかって口走ってるトコだよ?ここにあかねがいないこと、神に感謝だよ!
「秋月さん……」
「うん?」
ちょっ萌、勇樹に近付いたらダメ!ほら、後ずさりしてるから!近付かないでって!
萌の肩を掴もうとして寸前で止める。危ない危ない、無意識のうちに触れたら拳が飛んでくるところだ。
ふぅっと額の汗を拭う動作をしていると、勇樹が意を決したかのように早口でこう言った。
「ご、ごめんなさい!」
…なぜ謝る?
頭を深々と下げる勇樹に対し、何も言えない俺達は彼の後頭部をジッと見つめるしかできない。
「ぼ、僕は…!」
そう口を開いた時、間が悪くキンコンカンコンが聞こえた。それを聞いて言葉を止めてしまう勇樹。せっかくやっと何か言おうとしたのに!
『2年A組、佐野 勇樹君。至急職員室まで来てください。繰り返します、2年……』
声の主は我らが伊藤先生だった。ってか間が悪いよ伊藤先生ぇ!今の状況をよく考えてから呼び出してください!
……無理ですね!
ジッと伊藤先生の美声を聞いていた勇樹はハッと我に返り、俺達を交互に見つめる。真面目なキミのことだ、伊藤先生の呼び出しを聞いてスルー出来るわけない。
「行った方がいいんじゃね?至急ってくらいだから急ぎだろ」
それに寒いし、風邪引いたらヤバイよと勇樹に微笑み掛ける俺はまさに天使。
(お前が天使?ッハン、鏡で自分の顔をよく見てごらん?)
るっせ!顔じゃねぇ、心が天使……お前の方こそ天使とは言い難いわ!
「で、でも…」
天使を心の奥に押し込み、何か言いたげな勇樹の肩を叩いた俺は「後でちゃんと聞くよ」と優しく呟く。やった、萌の出番を全て奪ってやった!
やはり、というか萌は俺を恨めしい表情で睨んでくる。ヒヒヒ、あなたはお呼びじゃないわ!
「ご、ごめん…行ってきます」
「行ってらっしゃぁい、ワタクシの王子ぃ!」
ブンブン勢いよく手を振り勇樹を見送った。いいねぇあの小走り、ずっと見ていても飽きないわぁ。
と、背後にするどい殺気を感じる。やっべ、萌の存在を忘れてた。
「うがぁ!」
恐る恐る振り返るか振り返らないうちに萌のミドルキックが脇腹にモロに入った。折れた、折れる!手を振るのに必死で脇腹がお留守になってたよ!
あまりの衝撃にその場にうずくまるも、萌の攻撃は止まらない。
「気持ち悪い!」
「イデッ!ちょっ何も言ってないんですけどぉ!?」
うずくまってる人に向かって蹴りを繰り出すとは、一体どんな教育受けてんだよお前ぇ!……知ってるだけに何も言えない!
何か腹の立つことでもあるのでしょうか。萌は立ち上がり逃げまどう俺を追ってくる。ってかマジで怖いって!逃げる俺も必死だよ!
「おわっ!」
後方からの異様なまでの殺気に、両膝がガクガクになっていた俺は不覚にも転んでしまった。いつつ、手の平が切れちゃったよ!血が出てる!
「いあぁ!」
倒れているのを良いことに、萌は俺を足蹴にしてくる。ってか何も悪いことしてないのに何でここまで酷い仕打ちを受けなきゃいけないの?
「すと、ストップ!」
待って待って!とうつ伏せから仰向けに体を反転させる。そして脇腹や足の痛みに耐えながら顔を上げた。
逆光で萌の表情が見えない。どんな顔してるかわからないだけにめっちゃ怖い。
って………。
「ぱ、パン…イテェ!」
み、見えちゃったモンは仕方ないでしょうよ!ってか萌がそこに立ってるのが悪いんだよ?俺は起き上がろうとしただけ!
慌てて立ち上がった俺に何度もローキックを繰り出す萌は赤鬼状態。スカート着用してんのに蹴りなんて繰り出すからだろが!イヤならパンチにしとけよ!
「バカ変態!」
またイヤな単語同士をくっつけやがって!ってか一瞬だったし、逆光だったから何色かまでは選別出来なかったし!…だから俺は変態じゃない!
「わか、わかったって!俺が悪かったです!ごめんなさい!」
すんごい理不尽だったが、俺は即座に土下座を実行した。ここで萌があかねだったら「…もういいよ、顔を上げな」とかって言ってくれるんだけど、萌だし。想像を遙かに超える回答が飛んできそうで恐ろしい。
…あ、そっか。俺も同じように恥ずかしい思いをすれば許してくれるんじゃない?ハハハ、簡単簡単!
「俺のパンツ見てもいいから、それでおあいこって事で」
「汚い!」
「ヒドイ!」
俺のパンツは汚くないよ?今流行り(?)のボクサーパンツだよ?しかも母ちゃんの趣味で真っ赤なボクサーパンツ。ちなみに直秀のは真っ黄色、兄弟で色違いのお揃いを着用しております。
マジでバカ!変態!腐る!を繰り返し連呼の萌は、土下座をしている俺にもう一発蹴りを入れると真っ赤な顔のままで屋上を出ようと歩き始めた。
あなたの気持ちを汲んであげた俺の想いはいらないの?
俺の誠意なんてそんなものかい。別に気にしてないからいいわよぉ!とブツクサ言っていると、出入り口に到着した萌が何やら頑張っているのが見えた。ドアですらお前は対戦相手にできるのか。
「どした?」
涙を拭う動作をしながら萌に近寄る……離れる。目が据わっててマジで怖いんですが。
少し距離を取ってからそう質問すると、彼女は困り果てた様子で、だけど俺への警戒心を剥き出しにしつつ小さく呟いた。
「ドア開かない」
「え?マジで?」
ちょっとどいて、と彼女と交代してドアノブに手を掛ける。くぉぉぉ、固ぇ!誰かカギ閉めたの?
「ノブが回らねぇ!……あっノブ君じゃないよ?イデェ!」
場を和まそうとしただけなのに後ろから思い切り殴られた。しかもグーで手加減ナシ。
「ドア壊して」
「ムリです!」
こんな鉄製のドアを蹴破れるのはあかねくらいだ、非力な俺には到底ムリ!
どうしようかなぁと悩みつつ腕時計に目を落とす。
あっもうあと7〜8分足らずで授業が始まっちゃうよ。たしか5時限目は化学だから…タケちゃんか。よし大丈夫、タケちゃんはいつも5分くらい遅れて教室に来るハズだ。まだ猶予はある!
「早く壊せ」
「だからムリだっつーに!」
ノブ(君)と戦っている俺に、急かすように萌は背中を殴ってくる。ってかお前が殴ればドアなんてひとたまりもないんじゃないの?
「マジで固ぇ…!どうなってんだこれ、勇樹はどうしてあんな簡単に開けられたんだ?」
まさか勇樹ってもんのすごい力を隠し持っていたのか?細いけど強かったのか?
すげぇなぁ、尊敬しちゃうなぁなんて感想を述べながらもなんとかノブ(君)を倒そうと必死に頑張る。くそ、俺だって頑張れる!
と、突然後ろから倒れそうになるほど強く学生服を引っ張られた。ってか邪魔してる場合じゃないだろ。
「なに?!俺がんばってますって!」
「そうじゃなくて、寒い」
「えぇ?!」
何言ってんの?と振り向くと、彼女の体はさっきの俺のようにガクガクと震えていた。寒いから、何よ?
「上着貸して」
「何言ってんの?!貸したら俺が風邪引いちゃうってぇ!」
俺が寒がりなの知ってるでしょ?!と強く言ってみる。だが萌は学生服しか見ていない。俺の話なんてまるで聞いていない。
寒いならスカート丈を昔の不良女子みたいにロングにすればいいだろ……一回家に帰らないとまずムリだよね。
「早く」
「ちょっ、まだ貸すって言ってないのに!」
早くしろと萌は学生服をグイグイ引っ張る。
って破れたら弁償モンだよ?そんな簡単にポンポン買える代物じゃないんだから!残りの高校生活を破れた学生服で過ごす俺の身になって!
…あなたが新しいのを買ってくださると言うのならば、喜んでお譲りしますが。
「寒いんだって」
「わ、わかったよ!貸せばいいんでしょ貸せば!でもノブ君を倒したらソッコーで返してよね!」
「ノブ君?…お前、何言ってる」
何でカタコト?
わかったわかった、あいあいどうぞぉとこの寒い空の下、俺は学生服を脱ぐ。
ぐわっマジで寒い!学生服って思った以上に寒さを防いでくれてたのね。失って初めて気がつく大切さ。
ホクホク顔の萌を背に、寒さ倍増でノブを回そうと頑張る。
「まだ寒い」
ぬくぬくした表情で言うな!もう貸し出せるモンなんざねぇよ!
「ぐぁぁっくしょうがぁ!」
何としてもノブが回らない!誰か向こう側からノブをしっかり掴んでんじゃないの?あかねとか、あかねとか!
……俺のバカ!あの優しさを物体化したようなあかねがそんなマネするか!
「あっ太郎、もう授業始まる」
なぜか笑顔で萌は後ろからプレッシャーを与えてくる。
って知ってるよ!だから頑張ってんじゃないの!文句言うなら手伝って!
それでも手伝う素振りを全く見せない萌はヤジを飛ばしてくる。こっちは寒くて手が痛くても必死に頑張ってんのに!
「あぁダメだ、こりゃお手上げだわ」
もぉダメ〜と諦めた俺はドアに背をつけてそのまま地べたに座り込む。体育座りなんて杉なんとかの専売特許だけど、そんなこと気にしてられない。
重苦しい溜め息を吐いて、少しでも寒さを凌ごうと縮こまり空を見上げた。うわぁ雲行きが怪しくなってきた。春に雨なんてヤメてよね、マジでカンベンして。
「さぶさぶぅ」
両腕を高速でさすり摩擦を起こして暖かさをキープする。ダメだ、やってる傍から寒い。ってか俺の行動がサムい。
「寒いの?」
「寒いです!」
見ててわからないかい?思いっ切り鼻を啜ってるでしょ?いくら春とはいえまだまだ寒いのよ。
あぁもう風邪引いちゃうわぁと小さい声で嫌味を言っていると、いきなり頭頂部をパチンと叩かれた。
「ちょっとズレて」
「え?あぁ、うん。…イタッ」
移動した際に頭をドアノブにぶつけたのはスルーしてもらって、彼女は俺の隣りにちょこんと座り込んだ。
肩、くっついてるけどいいの?腐らない?
寒いかどうか聞いてきたからてっきり上着を返してくれるんだろうと勘違いをしてたわ。全然返してくれる素振りすらないし。何で俺の隣りに座ってんのかもわからない。
「まだ寒い?」
「え?あぁ、寒いです」
まだって、何もしてくれてないよね?上着を返してくれた後にそのセリフを言ってくれるのならわかるんだけど。隣りに来て座ってるだけじゃん。手を握って暖めてくれようともしてないじゃん。
……夢物語もここまでくると妄想だよ。
「え、あっちょっ萌…?!」
そりゃ確かに手を握って暖めて…なんて妄想はしたけど、誰も腕を組んでなんて言ってないよぉ?!
ちょっ何?!と慌てふためく俺に、何を血迷ったか萌はあろうことか腕を組んできた。
あっ暖かい…じゃないって!大胆だね萌さん!
「あっもっ、ちぃっ」
「うるさい。寒いんだよ」
昨日に引き続き「黙れ」と呟いた萌は俺の腕をがっしりと組んでくる。微妙に掴まれた腕が痛いから何か言ってやろうと口を開くけど、言葉が出てこない。
…ってか、ちょっと胸が当たってんだけどいいの?俺はとっても気になる……俺は変態じゃないよね?男子なら気になっても仕方ないよね?
こんなチャンス滅多にない、でも胸が当たってることを俺が理解してるって知られたら後々が怖い。
なんて俺が葛藤しているというのに、こんな時に限って天使も悪魔もどこかへバカンスに出掛けやがった。今出て来ないでいつ来るの?もう絶対に表に出してやらないからな!
どうしよどうしよと目線を泳がせていると、萌が無言で顔を上げた。
ってか見上げないで!俺を上目遣いで見ないでぇぇ!