第79話 朝から間近で美人を確認
昨日は散々でございました。……いや、そうでもないか?萌は結局うちに泊まらなかったし、まぁ晩ご飯のメインディッシュがめちゃくちゃ小さいハンバーグ(昨日は珍しいことに直秀のも小さかった)だったのが悲しかったけど。
悲しいといえば高瀬を見送って萌もさっさと帰った後、家に戻った俺に「せんべいは?」って母ちゃんに言われたのが一番悲しかったかな?
今日に比べたらどうってことなかったかもしれないなぁ、なんて感慨深く教室の開け放たれた窓の外を眺める。
「いだっ!」
突然の激痛に思わず大声を張り上げてしまった。頭をさすりながら見上げると、あかねが真っ赤な顔で俺を見下ろしている。
……なぜこんな事態になっているのか、説明をさせていただいてもよろしいでしょうか?
昨日の夜あかねに電話口とはいえ、萌の前であんなこと(何を言ったかはご想像にお任せします)を口走ってしまったせいで現在、僕は教室の隅っこで正座をさせられているのです。
でも俺があんなこと(何を…以下略)を言ったのは、あかねに来られたらマズイと思ったわけでして。決して本心から口にしたことじゃないと言い続けているのに、正座を止めさせてくれないんです。
杉なんとかのことは全て高瀬からあのとき電話で聞いたらしく、そのことについては言及されなることはない。高瀬との電話を終えて、俺に代われと言ったのはなぜそこに萌までいるのかということを聞きたかったらしい。でも俺があんなこと(…略)を言っちゃったものだから頭にきた……んだよね?
ダメだ、今は少しでも気を抜けば今みたいに頭叩かれる。
マジカンベンしてくださいと正座、というより土下座している間に、何も知らない呑気なクラスメート達が「おはよ〜」と次々に入ってくる。そして次の瞬間凍りついた顔を見せるが、「お疲れ〜」という表情でさっさと自分の席につきやがる。
誰も俺とあかねの事について触れようとしてくれない。助けようともしてくれない。それでもあなた達は私のクラスメートですか?!友達が困ってるのにスルーですか!?
そういえば、今日は朝から災難だった。
いつものように秋月邸で萌を待っていると、なぜかノブ君と萌のおばさんが出てきた。とっさに物陰(電柱だけど)に隠れた俺は、「何で隠れる?」と自分にツッコんでしまったのは誰にも言っていない。
ジッと2人の様子を見ていると、まるで夫婦………親子のように思えた。おばさんの笑顔は留まることを知らずにずっとノブ君に向けられていたし、ノブ君はそれに応えるかのように笑ってたし。
そして数分後、2人とは正反対とも言える不機嫌女王の萌が秋月邸から出て来た。萌はノブ君の前だというのに不機嫌そうな顔を貫いている。おばさんがアレじゃあ無理もないかもしれないけど。
なんて勝手な感想を述べていると、おばさんが萌の背中をポンと叩いたのが見えた。
「ほら萌、伸貴君に行ってらっしゃいくらい言えないの?」
「あ、行ってらっしゃい……」
言わされた感100パーで萌がノブ君を送り出すのをジッと見ていた俺は、登場するチャンスをうかがいすぎて出るに出られなくなってしまっていた。ってか俺、隠れるのウマいのか?
「うん、それじゃあ行ってきます」
ノブ君はおばさんと話していたときよりも数倍の笑顔を見せて萌にそう言うと、学校とは反対方向へ向かって歩き出した。
車じゃないのか?電車通勤……通学?ってか何で秋月邸に居座ってんの?ってか大学って背広着て行くの?
まぁ俺は大学には行かないから別に気にすることないけど?
(行かないじゃなくて行けないだろ)
てめっ悪魔ぁ。……ふぅん、あなた言うようになったじゃないの。それでこそ悪魔だね。
(……う、うっせ)
何で照れる?!
「あっ」
照れている悪魔と会話を楽しんでいると、萌が俺を見つけて小さく驚いた声を出してくれた。電柱に隠れてはいたが頭隠して何とやらだな、バレバレだ。
電柱に隠れ続ける俺の元へ不機嫌率がますます上がった萌が静かに近付いて来る。それに気がついたおばさんは「あっコタローちゃん!行ってらっしゃい」と手を振って秋月邸に引っ込んでしまった。
ってかこれからあなたの娘に殴られるかもしれないんですよ、出来ることならばまだその場にいてほしかったです!
電柱から離れられずにいた俺に一発、鞄アタックを喰らわせた萌は一言、
「何してんの」
質問ありがとう。っておはようもなしに攻撃かよ、朝は挨拶が肝心なのに。
「何って……まずおはよう」
「…おはよう」
え?おは、おはよう?お前、もしや昨日何かあったか?
なんてことは言えるわけもなく、電柱からゆっくりと出た俺はかゆくもないのに頭をポリポリと掻いて考えた。
やべぇ、気がついたら隠れてましたなんて理由が通るわけねぇ。
言い訳に困り果て、言って良いことと悪いことの区別がつかなくなった俺は地雷を踏んだ。
「あいやぁ、ノブ君との大切な時間を邪魔しちゃいけないかなぁ…なんつって、イデッ!」
テヘッと言いたかったのにイデッとか言っちゃったよ!ってか照れたんだろ?照れると面白いくらいに顔を赤くするからすぐわかるんだよ萌は。正直者はツライねぇ、キヒヒ。
「…グヘヘ」
「気持ち悪い」
バカ太郎、とボソッと呟いた萌はそれから俺を無視して勝手に歩き始めた。
ね?やっぱり昨日よか朝の方がサイアクでしょ?
ノブ君はまるで秋月家の住人みたいな雰囲気になってたし、おばさんも「ほら、ネクタイ曲がってるわよ」なんて言って母親みたいに接してたし。まぁ萌はそんな素振りは全く見せてなかったけど。
そんな朝の一コマを思い出し、ハァァァァと溜め息をつく。そしてあかねのヘッドバッドを喰らう。ってか朝からヘッドバッドはないでしょうよ!
「痛いわよあかねぇ!」
マジでおでこが痛い!朝からあかねの美人ぶりを間近で確認できたのは嬉しいが、痛みの方がデカイ!美人ねぇなんて言ってる場合じゃない!
おぐぐ……と、おでこに手を当てていると一郎が教室に入ってきた。そして俺の顔を見るなり飛んでくる。ってか今来るな!
「太郎ぉ!お前さぁ玄関で俺を待っててくれてもいいだろぉ!」
「何でよ!?」
お前いつも遅刻ギリギリで来るだろ!待ってたら俺が遅刻するわ!
「あれ、何でお前正座してんの?」
今気づくな!ってか後ろ、後ろ!危ないから逃げて!
「ぐぇっ!」
あかねの前を陣取っていたからか、一郎は彼女の回し蹴りの餌食となり吹っ飛んでいった。いっぱしの男をあそこまで何の躊躇もなく吹っ飛ばせる女性なんて世界中捜してもあかねくらいしか思いつかない。
吹っ飛んだ一郎はそのままドアに全身を思い切りぶつけたらしく、起き上がろうにも力が入らない。俺はそれを正座したまま見つめる。そしてまたヘッドバッドを喰らう。助けたいけど今はムリだ、誰か心の優しい人が教室に入ってくるまで辛抱してくれ。
それから数分後、便所から帰ってきたらしい香に助けられるまで、一郎に近付くヤツは誰もいなかった。ほんっとにうちのクラスって協調性の欠片もない。
ま、まぁ俺が助けても良かったんですが、怒り爆発中のあかねを前にしたら動けなかったのですよ。
本当にすいませんでしたぁ……と謝り続ける俺に、萌がまだ教室へ入って来ていないことを確認するとあかねが心底疲れた顔で呟く。
「あんたさぁ、何でいちいちあたしを怒らせるようなこと言うわけ?」
一度あんたの頭の中を見てみたい、とブツブツ呟いた彼女はテヘッと笑った俺に気づき本気睨みを繰り出した。そして案の定、ヘッド………。
「だから痛いってぇ!」
「あんたがちゃんと考えて行動してくれたら、あたしだってこんなことしないんだよ!」
萌の言う通りマジでバカ太郎だよあんた!と大声で言われてしまった。
そこでふと気づいた。なぜあかねは萌の事となるとこんな必死になるんだろう。過去にツライ体験を共有したとか……ないない!
「なんで首振ってんの?」
「いや、すいません」
これ以上あかねを刺激したら間違いなく保健室へ直行しそうだな。ってかヘッドバッド2回以上にバックアンドブローを1回、全身アタック1回喰らわせたんだからもう勘弁してくれてもいいんじゃない?
周りを見てみると、まだ始業のチャイムも鳴っていないというのに誰も席を立とうとしない。ってかあかねってそんなに恐れられる存在だったか?密かにあかねのこと好きな男共!ここは男らしいトコをアピールするためにも「津田、もうやめろって」くらい言えないのか?
……それであかねが止めるとも思えないけど。
誰かに助けてもらおうにも一郎は香に手を引かれて自分の席に戻ったまま俯いて動かないし、頼みの勇樹は教室にいない。ってか他のみんな、俺を見てよ!
「いづづ……」
ヤバイ、本格的に足が痺れてきやがった。頭も痛いけど足の痺れの方が強くなってきた。
「ほんっとうにすみませんでした!もうあのような事は絶対に言いません!」
ここで萌が戻って来たりなんてしたら、なぜ正座をしているのか理由を知らずとも俺を見下ろして「謝れ」とか言ってきそうだ。そんな理不尽な土下座は死んでもイヤだ!
もうしません、お願いですぅ!と額を何度も床に叩きつけて誠意を見せる。ここまでされたら彼女のことだ、溜め息混じりで「もういいよ」って言ってくれるに違いない!
案の定といいますか、あかねさんは困ったような顔で「……もうするんじゃないよ」と呟く。
ありがとう!もう絶対にあかねを悲しませるようなことはしないからね!
っしゃあ!と立ち上がろうとして地面に突っ伏してしまった。
足が、足が痺れて立てない!
「あか、あかねさん助けて!足がぁ!」
「何やってんの?」
あなたが正座をさせたからでしょうよ!好きで足を痺れさせたワケじゃないからね!
手を貸してぇと俺が涙目で訴えのがよかったのか、あかねは細いがほどよく引き締まった手を差し出してくれる。
「ほら」
「あ、ありがとぉ……いでで、おわぁ!」
「ちょっ…!」
もう痺れは頂点に達していたんです。だからあかねに思い切り引っ張られた後、自力で立ってなんていられなかったんですよ!
立ち上がったはいいが足は全くいうことを聞いてくれず、必然的に俺はあかねへ全身アタックを……というよりも、抱きついてしまいましたぁ!
あっ萌とは違うシャンプーの香りがする。とってもいい匂いではないですか!俺も使いたい!
…俺ってこんな時まで変人?
なんて思いながらスローモーションで俺達は地面へと一直線に向かっていく。と、その時だった。萌が教室へ入って来たのが見えた。それに気がついたあかねと顔を合わせる。ってかすげぇ、ゆっくりと時間が動いてる………あれ、何で視界が逆さまになってんの?
「おぐぅゎ!」
あかねと仲良く倒れる寸前、巴投げを喰らった。あかねとなら地面に突っ伏してもいいや、なんて思ってたのにまさかの巴投げかよ!
「どぅぇ!」
綺麗に投げられた俺は一郎が座る席へうまい具合に突っ込んでいった。
まったくこっちを見ていなかった彼が俺を受け止めることなんてできるハズもなく、あかねではなく一郎と仲良く地面へ突っ伏した。
「イッ、ッテェなぁもう!」
それでなくても全身キズだらけなんだよ俺は!と倒れている俺に向かって一郎が文句を飛ばす。ってか俺だってキズだらけだろが!お前1人がケガ人だと思うな!
「太郎?ごめん大丈夫?!」
倒れた俺にあかねが駆け寄って来てくれる。
ありがとう、投げたのはキミだけどここはお礼をさせて。一郎じゃなくて俺に声を掛けてくれてありがとう。
立てる?と今度は優しく手を貸してくれた………と思ったらヒョイと引っ込められた。もうそれは嫌がらせと思っていいの?
手を掴み損ねた俺はまたも地面へ倒れ込む。くっそ、まだ足が痺れてるし!
「あかねぇ、助けてってぇ!」
目の前に立ってんだから助けてくれよ!ダメ、一郎じゃ話にならないんだってば!見てよ、アイツ勝手に起き上がってまた机に突っ伏しちゃってるから!助けてくれる素振りはまるでナシなんだって!
「あかね!助けてあか……え」
「……」
俺に手を貸して助けてくれたのは、無言でやってきた萌だった。




