第74話 鞄の金具は恐ろしい
なんなく玄関に辿り着き、またピンクの手紙が入っていないか素早く確認すると汚い外靴を取り出し履き替えた。
玄関を出ると勇樹はとっくに外靴に履き替えて俺を待ってくれている。お前が女性だったらどれだけ嬉しいことか。
「さっきの続きなんだけど、てぃって?」
知り合いが近くをうろついていないか確認していると、校門へ着く前に勇樹がそう尋ねてきた。
出来るのならば学校を出てからにしたかったんですが、ダメですね?
「いや、てぃはあまり深く考えないでおくれ」
「じゃあ、ふぁって?」
突っ込むねぇ。俺が意味深な言葉を発したからだと思うけど。混乱させてゴメンねぇ。
「いや、少し前にさ。あき…Aさんがね、萌のふぁ…ファーストキッスの相手を捜せと言ってきまして」
「ふぁ…うん」
そこで「Aって誰?」と聞かない勇樹に感謝。いちいち話を止めてたら勇樹は塾へ行けなくなってしまう。きっと勇樹も何度も突っ込んだら遅刻すると思ったんでしょう。頭がいい子は考えからして違う!
「そんで色々調査をしていたところ、Tさん情報によると勇樹という答えに…」
「ないよそれは!」
うおっ勇樹が大声出したの初めて聞いた!あわわしてる勇樹、抱き締めてもいいですか?
「いや、それでてっきり萌と勇樹は」
「ないよ!」
そこまで否定しなくても。
「もしかして、Tさんって高瀬さんのこと?」
うごっバレてましたか。でも高瀬には誰にも言わないでとかは言われてないから、まぁ頷いていいか。
小さく、かつ素早く頭を下へ下げた俺は、勇樹を見つめた。ウソは言ってないねこれは。しかし慌てふためく勇樹って最高。
「あっ」
違う違うと顔を真っ赤にさせていた勇樹が何かを思い出したか小さく声を漏らした。その目は心当たりアリだな。
「いや、ち、違うんだよそれは」
「いやいや、別に問いただしてるわけじゃ」
こっちが恐縮するわ。ってか違うなら何故にそこまで慌てる?
ふぅむ、これほどの慌て振りを見ると一概にまるきりウソとは信じがたい。でもそれが本当ならやはりノブ君なのか?萌は否定してたけど、勇樹じゃないならやはりノブ君が最有力候補なんだが。
どっちだ?萌と勇樹、どっちがウソをついている?
…何か探偵になった気分。
(調子に乗ってんな)
思考に入ってくんな。
「ち、違うんだよ。秋月さんが僕のマツ毛長いって顔を近づけてきた時があって、高瀬さんそれを見たんだと」
「へぇ、あっマジだ」
男にしてはマツ毛が長ぇなマジで。うんうん、これならカツラ被ってスカート履いたら女になれるよ。そして勇樹だということに気がつかず声を掛ける…一郎が。
「後ろから見てたみたいだからそれで勘違いしたのかも…あの時の高瀬さん、なんだかニヤニヤしながらこっちを見てた気がするし。でも何も言ってこなかったから…」
「長ぇ…」
「あっあの、一条君?」
あっやべ、マツ毛に夢中で話聞いてなかったよ。なんて言ったのかな、いいや勝手に解釈しておこう。
「勇樹の言いたいことはわかった。高瀬に腹が立ってんのよね?」
「ち、違うって!」
あれ、間違ってたか?やっぱりちゃんと謝って一から聞いた方がいいかしら。
「っどぅ!」
謝りついでに勇樹を抱っこしてやろうと手を伸ばした時、右側頭部に激しい痛みが襲った。右の耳が超イテェ、これは鞄の金具が当たったな。
…冷静に状況を把握してる場合じゃねぇ!
「っだぁ!…あ、萌ぇ?な、何で?」
ヒザをついて右耳に手を当て見上げると、仁王立ちでいる秋月さんがいました。後ろからガッツリやりがったなこんちくしょうが、マジで涙出そう。
「勇樹に何しようとしてる」
「な、何って別に、いだっ!」
「トボケんな」
「あっ秋月さん!」
また攻撃しようと鞄を振り上げた萌を制そうと、勇樹は勇敢にも俺の前に立ちはだかってくれた。本当にありがとう!キミは勇者だ!
「勇樹、バカ太郎に惑わされたらダメだよ」
「バカ言わないで!ってかどっから現れたのよアナタ!」
「お前はしゃべるな。話がややこしくなる」
お前が来たからややこしくなったんだよ!無表情で見下ろすな、振り上げた鞄を下ろせ!
ダメダメストップストップ!と叫んだ勇樹の目力に負けた萌は、チラリと俺を睨む。勇樹がいてくれてよかった。あのままだったら俺は泣きながら家へ帰るところだ。
と、萌が突然に勇樹の腕を掴んだ。
「行こう勇樹」
待て待て!勇樹は俺と帰るんだ!
「ちょっ、勇樹は渡さねぇ!」
「うわっ!」
勇樹の右腕を掴んで引きずって行こうとする萌に対抗する為、反対の腕を掴んで引っ張った。絶対に王子は渡さない!ってか勇樹に用事があるのか?だが俺が先客だ!
「勇樹を放せ」
「それはこっちのセリフだからぁ!これから勇樹は俺と愛の逃避行をすんだよ!」
「気持ち悪い!」
「ちょ、ちょっと二人とも!イッ、イタタタ!」
のぉぉぉっ!と勇樹を引っ張り合う俺は彼の泣きそうになっている顔を見た。そして泣く泣く手を放す。
ここは女の萌が手を放すところだと思うんだが、さすが非常識人だよ。
「あっやべ!」
何の前触れもなく放したもんだから、勢いに乗った勇樹は萌に全身アタックを繰り出した。いくら細い勇樹でも充分な攻撃力はあったみたいで、
「きゃっ…!」
仲良く二人で地面へ転んだ。
って萌さん「きゃっ」ってなんだ、女性的な声を発してんじゃないよ。お前なら「ごわっ!」とかだろ。
ってか、ヤバくない?勝手に手を放してんじゃねぇって飛び起きそうだ。
(逃げろ)
えっ悪魔か?う〜、逃げたい衝動には駆られてんだけども、人としてやっちゃいけないだろそれは。俺はこう見えて優しい心の持ち主だから。
(そうよ。早く手を差し出しなさい!)
あっ天使。お前と意見が合うとロクな事がない気がすんのは何故だろう。ってか話しかけてきて欲しくない。
(そして触るな!とか言われて差し出した手を思い切り叩かれるが…)
…ッブ。
叩かれるどうのは今は考えないにしても、手くらい差し出した方が後々の事を考えるといいでしょう。
「だ、大丈夫か二人とも!」
甲斐甲斐しくも慌てて手を差し出す。まずは勇樹を救出。彼は萌にがっしり掴まれていたせいか、顔が赤い。初々しいねこのぉ。
「っと、萌も」
頭を打ったせいで意識が遠のいているのか、俺が彼女の手を掴んでも殴られることはなかった。今の内だ!
「っしょい!」
さすがにこのお仕事を勇樹に任せるのは気が引ける。彼に萌を引っ張らせたらまた全身アタックを喰らわせそうだし。そして俺が殴られそうだし。
後頭部をしこたま打ったらしく、萌は少し涙目で立ち上がった。と同時に弱々しい声を発する。
「いったぁ…」
「ご、ごめんね秋月さん!」
「だ、大丈夫…」
掴んでいた俺の手を思いっ切り叩き落とした萌は、優しい口調でそう言うと勇樹に笑顔を向けた。助けた俺にはこの仕打ちかよ。ってか勇樹は何も悪くないんだから謝らなくていいんだよ、萌が諸悪の根源だから!
「け、ケガとかない?」
スカートについた砂をほろう萌へ勇樹が近寄る。俺が近付いて行ったら「キモイ!」とか言われそうだ、距離を取っておこう。
「うん。あっ勇樹ゴメン。…ちょっとそっち向いててくれる?」
「うん?」
萌はゴメンねと呟くと、勇樹が明後日の方向を向いたのを確認し一歩一歩近付いて来る…いつになく無表情だけど。何でこっちに来る?なんか、イヤな予感がよぎっているんですけど。
「いぃッ!」
イッテェェェ!無言で近寄って来た萌は何の躊躇もなく俺を蹴りやがった。ノーモーションで蹴れるヤツ初めて見たよ。見ても嬉しくねぇ!
「イテェ!」
ヒザがいてぇ!正確にはヒザの裏が痛い!何でこの子は突然こういうことをしでかすのかな!
「いきなり何を!」
「勇樹と一緒に帰るな」
蹴った後に何を言ってんだお前。まず謝れ!頭は下げなくていいからゴメン言え!無表情のままでいいから謝って!
「な、なんでよ?」
「勇樹が可哀想」
「なんでよ!」
「…」
何でそこで黙る。まさかお前、勇樹と一緒に帰りたかったとか、そんな動機か?だから俺から勇樹を遠ざけようと?
「勇樹は…」
そう言った萌は目が定まらないのか視線をあっちこっちに動かしている。
何をそんな慌ててんだ。あなたはさっきの勇樹か?言っておくが勇樹があわわしてたら抱き締めたい衝動に駆られるけど、あなたの場合は違う。思い切り遠ざかりたい衝動に駆られる。
…はっ!まさ、まさかぁ!
「まさか萌、あなた…」
「な、なに」
明らかに動揺している萌は必死に疑問形にしないよう頑張った。でも顔が赤いからバレバレ。
「まさか俺と帰りたいとか、いだぁ!」
何もそこまで怒り狂わなくても!
振り上げられた鞄がモロに顔面へヒット。痛がる俺に追い討ちをかけるように鞄が飛んでくる。
「いた、痛いって!ちょっとからかってみただけ、いだぁ!」
「うるっさい!」
「秋月さんストップ!ストップ!」
萌のタダ事じゃない叫び声、というか俺の悲鳴を聞きつけて勇樹が彼女を押さえ…られるハズなかった。ワタクシの勇樹がぁ!
「勇樹ぃぃ!」
吹っ飛ばれた勇樹をスローモーションで眺めていると、これまたスローモーションで鞄が飛んできた。しかしそれを避けることが出来ず、今度は金具が鼻に当たった。突然過ぎて痛いと叫ぶことが出来なかったよ。
「ぐぐぅ…も、もう許せねぇ!」
蹴られても殴られてもスルーしてやろうと思ってたけど、これ以上はもう笑ってられねぇ。勇樹と帰って何が悪い!
「勇樹が塾に行くまでの短い時間を二人で過ごしてんだ!萌は及びじゃね…ないわよ!」
くそっ、ここまできて強い言葉が言えない。
「いち、一条君」
萌の両腕を掴んでいた勇樹はもう止めようよと目で訴えてくる。
…くぁぁぁ、勇樹の目が小動物に見えるぅ!
「と、とにかく二人とも落ち着いて」
ゼイゼイ肩で息をする勇樹を萌と二人で無言で見つめた。塾へ行く前にそこまで疲れさせてしまった。
見ると萌もしまったという顔をしている。こっち見んな、俺のせいじゃないだろ!
「あのっ秋月さん?」
「えっあっ何?」
突然のご指名に驚いた萌は声がうわずる。あぶねっ、俺が返事するトコだった。
「僕もう行かないと」
「あ、塾?」
「うん。一条君のこと、よろしくね」
「え?よろしくって?」
唖然とする彼女に向かってニコリと微笑むと、勇樹は俺の元へ小走りで走ってきた。そのまま一緒に塾へゴーしたい。
「秋月さんも素直じゃないよね」
「は?え?」
これまたニコリと微笑んだ女神……男神はバイバイと笑うと一人で走って行ってしまった。
勇樹よ、一度でいいから女性になってくれ。
女性になってみて欲しい男子ナンバー1の後ろ姿を眺めていると、視線を感じた。いや、これは視線じゃねぇ、睨みだ。
やべぇ、どうしよ。勇樹は萌と一緒に帰れって言いたかったんだろうけど、どうしよ。
「あ〜、萌?」
それとなく声を掛けてみました。これでもし俺を無視して歩いて行くならハッピー。それ以外だったら、
「行くよ」
バッドエンドでした。