第72話 ちくわ以外も食べさせて
ちょっ萌、近いって!なな何をしようとしてんの、それ以上顔を近付けないでぇ!
…え、何で泣いてんの。またあかねに怒られるから俺の前で泣かないでくれ。いや、手を握られても困るから。ってちょっ、ちかぁぁい!
「ちかぁぁ!」
「わっ!」
あれ…?どこだココ。
「だだだっ!」
鼻が痛い!そしてなぜか後頭部も痛い!
「だ、大丈夫?」
ギャヒーと叫んでいると横から涙声が聞こえてきた。
この声って萌か?いやいや、萌が俺に向かってそんな優しい声を掛けるわけねぇ。…もしかして「大丈夫?」ってことは「頭、大丈夫?」という意味か?
「…ヒィ!」
なぜ泣き腫らした顔してんのよあなたぁ!?しかも今気がついたけどギュッと手を握られてるし。握り潰そうとしてるならわかるけど、フツーにギュッて…。
「も、萌様?なぜに泣いておられるのでしょうか?イヂッ!」
上半身を起こした瞬間、後頭部への激痛。しかしこれは萌に殴られたわけではないこと、ここで証言を致します。
「まだ寝てな。あんた頭打ったんだから」
え、ちょっ怖い!その優しさがめちゃくちゃ怖い!いいから、手伝ってくれなくていいから!
「あだだ…あっ」
グゥ〜。
「…」
やっべ、腹鳴っちゃた。
…でもちょいと待っておくれやす。体育の授業って二時限目だったんだよね。何で腹が鳴る?一郎ならまだしも、ちゃんと朝メシ食ったのに。運動したからか?
「人が心配してるってのに、お腹空いたってか」
お腹が鳴ったのがそんなに悪かったのか、ワナワナ震え始めた萌は立ち上がり俺を見下ろした。
「ごめ、ごめんなさい。朝メシ食ったハズなんですけど」
「もう昼だから」
「えっ昼?マジでぇ!?」
「うるさい!隣りに寝てる人いるんだよ!」
「あわっ。ご、ごめんなさい」
反射的に頭を隠したけど、正拳は飛んでこない。…隣りで寝てる人?ここ、まさか保健室?
「俺、ずっと寝てました?」
「イビキ掻いてた」
「ま、マジですか」
イビキ掻くほど爆睡してたのか俺は。昨日はピザ食った後すぐに眠りについたんだけどな。寝る子は育つとはよく言ったモノですな。
「あれ、萌はメシ食ったの?」
「…食べてない」
「マジ?なんで?」
「食べられるわけないだろ!」
ベッドを渾身の力を込めて殴らないで!隣りで人が寝てんだよ?
「お、お腹空いてないのん?」
「空いてる」
はてな、腹減ってんなら食ってくればいいのに。
「あ〜じゃあ弁当食いに教室行きましょうか」
「あんたの弁当は野代が食べた」
「の…一郎が?」
「三時限目が終わった後に」
あんの野郎!親友が頭打って生死をさ迷ってたっつーのに盗っ人みたいなことしやがって!
「一郎めぇ、購買でパン買ってもらう!」
「購買に行っても無駄。もう全部売り切れてる」
「マジでぇ?!午後の授業どうすりゃいいんだよ」
頭痛いし鼻は痛いし、腹減ったし。もうヤケじゃ、萌の弁当奪ってやる!教室へ急げぇ!
「…私ので良かったら食べな」
ベッドから出ようと布団を上げると同時に、萌がスイと俺の前に弁当らしきものを差し出した、そして沈黙。
これ、萌のだよね?何で保健室に持ってきた?
「た、食べていいの?」
「食べれば」
そう言われてもガン見されたら食い辛いんですが。でも腹減ってるし、カッコつけてる場合じゃないか。
あっそれじゃ、
「い、一緒に食わね?」
萌の弁当っていつも豪華だから2人で食っても腹は満たされるだろ。半分以上は俺が食うと思うけど。
「箸一膳しかない」
「じゃあ俺は手で食うから」
「汚い」
ちょっ、なんつーこと言うのよ。優しさを最大限に出してみたってのに。
「じゃあ一本ずつ使おうや」
イヤな顔を見せた萌を軽くスルーした俺はヒョイと弁当のフタを開けた。保健室に箸なんて置いてないし、仕方ないでしょ。
「うおっ」
やはり秋月様の弁当はハンパねぇ。超とまでは言わないにしても俺が毎日持参しているそれとは違う。
エビの天ぷら…食いてぇ。
「はい箸ぃ。それじゃあいただきます!」
箸一本を渡した俺は両手を合わせて拝むとエビの天ぷらめがけて箸を振り下ろす。いただきぃ!
「ってちょっとぉ!」
ウキウキな俺がエビの天ぷらを最初に食べようとしたのに感づいたのか、あと少しのところで萌に奪われた。しかも取る瞬間が見えなかったよ、速すぎ!
「ひでぇ!」
何ということを!意地悪すんなよ!
「…」
てっきり俺に不敵な笑みを見せながら食うんだろうよ、なんて思っていたが天ぷらをぶっ刺した萌はそれに口をつけようとせず、ジッとそれを眺めている。
なんだそのパフォーマンスは、食う様を見せびらかしたいのか?どんな嫌がらせだ。
「ってか食わないなら俺にちょうだいよ」
そんな見つめれたらこれから食われるってのに天ぷらだって照れるわ。食う気がないなら取るんじゃないよ!
「…はい」
「あえっ?な、なに?」
ズズイと俺の口元へ天ぷらが移動した。食わないの?じゃあなんで取った。
「く、食っていいのん?」
「…」
そこで無言になられると対処の仕様がないんですが。しかも何でか少し照れてるし、意味わかんねぇ。
え〜と、俺の目の前には天ぷら、これはパクリといっていいよってことだよね?箸渡しはやっちゃいけないし。
………ガブッ。
「!」
「おぼぉっ!」
天ぷらを持っていない方の手が飛んできた。平手打ちはモロに俺の右頬を捉え、口に入っていた天ぷらは宙を舞った後に無様にも床へ落ちた。
「いったぁ!あなた何すんのよ!」
「お前がいきなり噛みつくからだ!」
お前がどうぞ的に天ぷらを差し出したから食べただけでしょうよ!何で平手打ちを喰らわなきゃいけねぇんだ!
「そんな言うならわざわざ見せびらかしたりしないでさっさと食えば良かったじゃんか!」
「それは…」
落ちた天ぷらを泣く泣く拾い上げて黙ったままの萌を見た。あ〜あ、せっかく高そうな天ぷらが。落ちて3秒以内に拾えなかったからもう食えない。
「…」
まだ無言で俯く萌をチラ見しながら、次に俺はちくわの天ぷらに目をつけた。エビに比べたら少し劣るかも知れないがこの際だ、食ってやる!
「ちょっ、だからぁ!」
またしてもこの女ぁ!何で俺の食いたいモノがわかるわけ?透視能力とか身につけてんのかっつうんだよ。
くっそ、この意地悪娘を何とかしないと俺は何も食べられない!
「食べんの?マジで食べんのね?」
一応聞いてみます。また意地悪に見せびらかしたいだけじゃないの?
「…はい」
……またかよ。どうせ俺がその差し出されたちくわを食った瞬間に、その握り締められた拳が飛んでくんだろ。まったく、一体あなたは何がしてぇのよ。口に出して言わないと全然わかんねぇ。
「ケガ人に意地悪したいの?」
いくら僕でも同じ手は喰いませんよ。美味しそうだけどがっついたりしませんぜ。
「食べな」
「そ、そんなこと言って、また殴るんでしょうよ」
目が据わってんだよ。殴る気満々じゃねぇかお前。
「食べていい」
「…じゃあ殴るとかナシの方向でお願いします」
「…」
無言で頷いた萌だが、俺に向けての鋭い視線は収まらない。絶対に殴るなコイツ。
ってか俺がちくわ取れば良かったんじゃないの?
「いた、いただきます」
「…」
「…ごめ、悪いんだけど、出来るならあまり見て頂きたくないんですが」
「じゃあどうしろっつうんだ」
「え…えっと、目とか、つぶってくれたら嬉しいんですが」
「…」
おっ意外や意外。咎めることもなく目をつぶっていただけました。きっと見てたら殴りそうだと思ったんだろね。
「い、いただき、ますぅ」
恐る恐る萌が持つ箸に顔を近づけていく。今この状況で目を開けられたら確実に殴られるな。
…萌ってまつげ長いんだなぁ、あまり顔とかマジマジ見ないからわかんなかったけど。
…ち、ちくわ食おう。
「萌〜!太郎だいじょう…」
もう一息!というところであかねが保健室へ入って来た。後ろには高瀬もいる。
「…あっ」
扉を開けたあかねは緊急停止、高瀬も驚いたことに口をあんぐりと開けて固まっている。何かおかしなことしてるか俺?
「な、何かあたし達、お邪魔ですか?」
あかねは引きつり笑いを浮かべてそう呟く。高瀬は我に返り、ニヤニヤしながらあかねの背中を押して中へ入ってきた。と、高瀬の首根っこを掴まえ、顔を真っ赤にさせたあかねは瞳孔が開きそう。
「ご、ごめんごめん。ほら恭子、行くよ!」
「え?何で?いいじゃん別に」
空気読みなって!とあかねは大慌てで保健室を後にしようとした。
「ちょっと待ってよあかねぇ!手に持ってんの何?」
顔を真っ赤にさせてドタバタと逃げ出そうとするあかねの手に小さな袋が見えたから止めてみた。あれはどうみてもパンだね。
「あっえっいや、これは…」
「実は野代が一条のお弁当食べちゃってさぁ、きっとお腹空いてるだろうなってパン買って来たんだけど、必要なかったみたいだね〜」
パンを背中に隠したあかねを横目に高瀬は早口でそう言うと、ちくわの天ぷらを持っている萌に意味深な笑みを見せた。
ちくわ、落ちそうだよ?
「パンくれんなら欲しい!腹減っちゃって仕方ないんだよアタクシ」
「いや、でも…」
チラリと俺を見たあかねはアイコンタクトを送ってくる。
(空気読みなって!)
く、空気って…読んだから引き止めたんですが。せっかく購買という名の戦場からパンを買ってきてくれたのに、頂かないわけにいかないでしょ!俺は空気読んでるよ!
「萌のお弁当ってすっごくオイシいよね〜!」
(あんたも空気読め!)
「イタッ!」
なぜか高瀬に向けてのアイコンタクトが聞こえた。でも当の本人には聞こえていない。足を踏まれて涙目を浮かべている。
「ったぁ!何すん…」
「いいから行くよ!あっじゃあね萌太郎!」
「ちょっ、萌太郎って…ってかパン!パン置いてってぇ!」
あたし達で食べるから!と言い残し、あかねは足をさする高瀬を引っ張り出て行った。
「…」
パン、食いたかったな。
ハァと溜め息を吐いた俺はまだ天ぷらを持っている萌と目が合った。
「パン、食べんの」
「え?」
「パン、食べんの?」
リピートしてもらって申し訳ないんですが、ちゃんと聞こえてたんですけど。
ふと彼女を見ると落ち着かないのか、目が右往左往している。ちくわ落とすって!
「ち、ちくわぁ!」
ギリッギリセーフぅぅ!
勢いよく手をを引っ込めたせいで箸からちくわが離れた。が、さすが俺の反射神経、しっかりとキャッチアンドパクリした。ってかこのちくわ、うめぇ。きっとちくわはちくわでも高いちくわなんでしょうな。
「エビに続き、ちくわまでも食えなくなったらどうすんの!」
「キモイんだよバカ太郎!」
「逆ギレかい!」
いきなり不機嫌モード突入ですか?まさかお前もパン食いたかったの?
「まったく……って何で弁当片付けてんの?!」
「パン食べれば」
「購買に行っても売り切れって言ったのあなたでしょうよ!」
「パン食べれば!」
「だからムリだって!フタ閉めないで!」
まだちくわしか食ってねぇのに弁当を片付けられた。やっぱり見せびらかしたかっただけなのね。
「俺の弁当…」
「お前のじゃない」
「少しでいいからください」
「ヤダ」
「一口だけでも」
「ヤダ」
ここにきて繰り返し人形のお目見えでございます。俺って何かしたか?ただちくわ食っただけだよ?
「あっ、そうか、そうなのか?!」
早く気付けよ俺ぇ!萌も腹減ってんだったよな。
「ちょっと萌、悪いようにはしないから弁当貸して」
「ヤダ」
「いいからいいから」
「ちょっ…」
萌から弁当を奪った俺はおもむろにフタを開けた。奪った瞬間に殴られるかなぁと思ったけど拳は飛んでこなかった。だけど敢えて深くは聞かない。
「え〜っと、この唐揚げなんてどう?」
「何が」
不審者を見るような目つきでこっちに視線を送る萌に対し、俺は唐揚げに箸をぶっ刺した。
「はい召し上がれぇ」
「!」
「ごぶんっ!」
可愛い掛け声と共に唐揚げを萌の口元へ運んだ瞬間、殴られた。当然だけど唐揚げはキレイな弧を描いて床へ落ちた。
「いってぇ…あっ唐揚げがぁ!勿体ないことしないのぉ!」
「お前がいきなり変な事するからだ!」
「イダッ!」
頭から火が出る勢いで顔を真っ赤にさせている萌が俺に向けて箸を投げてきた。刺さらなかったから良いものの、ヘタしたら腕に箸が生えてるとこだよ!
「萌も腹減ってんでしょ?俺に遠慮なんてしないで食べればいんだよ」
「誰がお前なんかに遠慮するか」
「じゃあ何で食わないんだよ」
「…お前と食べると吐き気がする」
ひでぇ!