第64話 長男よりも外食優先
あかね、本当にありがとう。もう言葉じゃ言い尽くせないほどありがとう。
「な、なに?ジッと見られても困るんだけど」
萌の肩を借りて津田家へと歩いていた俺はアイコンタクトであかねにお礼を言い続けていた。でもなんでわざわざアイコンタクト?口に出して言えばいいじゃないよ。
「いや、本当にありがとうあかね。返せない借りを作ってしまった」
「何で返せないって決まってんだよ。ってそれより萌、あんた大丈夫?太郎重くない?」
「だ、大丈夫」
あかねは俺のことなんて軽くスルーして少し息を荒げている萌を心配そうな瞳で見つめた。朝とは違って萌のヤツ、自ら率先して俺に肩を貸してくれたんだよね。いやはや、明日は季節外れの大雪にならないことを祈るしかないよこりゃ。
萌の姿を見つけたあかねは俺が(いいだけ)殴られているのを目撃し、すぐさま救援に向かってくれた。まず萌を捕まえていたAに思い切ったミドルキック。そしてぐぇっと膝をついたスキに回し蹴り。はい、意識不明。
萌を助けていると、お次にBが自分から殴られにやってきた。暗がりだからよくわからなかったのか、それとも萌とお近づきになれると興奮していたのかはわからないけど、Bはショートカットが似合うあかねを萌と勘違い、そして吹っ飛ばされた。てかいくら何でも気がつくでしょうよ!なんで数分の間で萌が髪を切ってんだよ!
「あんた、絶対に明日顔腫れるよ」
「ちょっ、怖いこと言わないでよ」
あかねが貸してくれたタオルを首に巻き、「カンベンしてぇ」と溜め息を吐く。顔が腫れたりなんてしたら周りの女性達が悲しむ…いねぇよそんな女性方!
「まぁでも仕方ない、お前は男だ」
「意味がわかんねぇよあかねぇ、いでっ!」
勘違いしないで!萌に殴られたとか、蹴られたとかじゃないよ!口が切れて痛いの!
「だ、大丈夫?」
「え?あ、うん大丈夫よん」
だからそんな心配そうな瞳(め)を見せないで。
涙声で何度も大丈夫か聞いてくる萌に困り果てた俺はあかねにヘルプを頼んだ。でも彼女はこっちを見てすらいない。しかもほのかに赤ら顔。ちょ、萌は俺を心配してくれてるだけだって!なんであなたが照れるのよ。
「もっもうここでいいよ、わざわざありがと!あっ太郎ちゃんと顔冷やしなよ!」
津田家が見えた辺りであかねがそう言うと突然走り出した。やっぱり俺は津田家の人々に嫌われているのだろうか。でも今は萌もいるのに。
「た、タオル洗って返すから!本当にありがとあかねぇ!」
待ってと言っても立ち止まってくれないのは濃厚なんだよね。だからお礼だけは言わせてくれ!
「あいよ〜!」
振り向く素振りすら見せず、あかねはダッシュで津田家へと消えて行った。そ、そんなに津田家の人々に俺を会わせたくないのか?妹ののぞみに嫌われているのか、それともかなえなのか、はたまた隆志に嫌われているのか…ってかあかねに?!…悲しいから聞かない。
「行くよ」
「あっ、お願いしまぁす」
津田家をいつまでも見てないで、と萌は俺に肩を貸したまま方向転換した。そしていい匂いが俺の鼻にまとわりつく。へ、変態ぃ!
俺が重いからか(右足がとっても痛くて体重を掛けてしまってるから重いのは当然だけど)、隣りにいる萌は少し息切れを起こしている。なんか申し訳ない。でも俺だって男の子ですよ、一人で歩けるからいいよってさっき強がりを言ったんだけど、
「絶対に肩貸す!」
と、怒り口調で萌は強引に俺に貸してくれたんですよ。いえ、嬉しいは嬉しいんだよ。正直に言うと一人で立てる状態じゃなかったし。ってか石で頭を殴られたから意識朦朧だったし。
何も言わずに無言で俺と歩く萌をチラ見…ってか俺って真正面から萌を見たことない気がするんですけど。どれだけ萌を恐れてるってハナシだよまったく。
「…と」
「と?え?」
ごめんなさい!無言のままだったからボケッとしてた!何か言ったよね今。でも語尾しか聞き取れなかったよ。「と」って、〜と〜みたいな?並列の?
「あ、ありがと…」
「…」
き、聞いた?聞きました?萌が俺に感謝の気持ちを伝えてきたぁぁぁぁ!柿の種とサラミを買って来たとき以来の快挙です!
どうするよ、なんて答えるべきなの?「うん」とかでいいの?って、なんでこんなに混乱しなくちゃいけないんだよ。うん、普通でいいよね。
「あ、いや、うお、うん」
日本語になってないし!かろうじて最後の方だけは日本語だったけど。
「いや…俺が勝手にやったことだけら」
勇樹降臨!慌て過ぎて語尾をマズった。でも萌はそのこと咎めたりしてくることもなければ、こっちを見ようともしない。いつもなら「けらってなんだ」とか言いながら殴ってくるんだけど。おかしい、おかしいよ萌ぇ。
なんて思っていると…ん?なんか微妙に顔が赤くなってませんか? 俺を担いで歩いたから疲れたの?
なんて軽く考えていた俺はふいに萌が口走った言葉に頭が真っ白になった。
「あんたって、私の彼氏だっけ?」
「は?」
どう考えても彼氏じゃないよね。そんなの明らかなのにわざわざ確認する必要があんの。
「なに言って…あっ」
忘れてた…Bに宣言してた。あの時は一郎みたく頭に血が昇ってたから自分でも意外なことを口走ってたぁ!ってか違うってわかってんのにいちいち聞くなよ!そんなに俺をどん底へ突き落としたいの?ってかここで「そうだよ萌、俺はお前の彼氏だよ」なんて言ったら俺を突き飛ばしてダッシュで逃げられる可能性有り!というか100パー逃げられる!
「か、彼氏じゃな…」
そこまで言って言葉を失ってしまいました。なぜって、萌が俺の腰に回していた手の力を強めたからです。じゃあ何て言えばいいのよ。
「…」
「…」
うぉぉぉぉ会話が途切れて気まずいぃ!なんか言わなきゃ!何でもいいから言わないと!
「き、昨日見た夢では彼氏になってた…」
「…」
はい一郎降臨。ウソついてごめんなさい、考えるまでもなくウソです。こんな理由で納得してくれるわけないよね。
「…ふぅん」
いいのかよ!
「私のこと嫌いなのにそんな夢見たのか」
萌は相変わらずこっちを見ないでそう呟いた。ってか嫌いなんて一言も口にした記憶がないんですけど。なんでそう決まってんの?
でも正直、俺って萌のことどう思ってんのかな。ただの幼なじみ?…萌は俺のことどう思ってる?
「俺は嫌いだなんて思ってないしぃ?でも萌は俺が嫌いなんだよねぇ」
答えは聞かなくてもわかるけど一応聞いてみた。お願いだから「その通り、嫌いだよ」とか言って俺を突き飛ばさないでね。心が痛んで歩くことすらできなくなるから。
「別に嫌いってわけじゃない」
微妙な答えだなぁ。嫌いじゃないけど…じゃあ何なのってことだよ。俺?俺だって嫌いじゃないけど…じゃあ何なの?矛盾ボーイでごめんなさい。
おかしな質問して失敗こいたと思いながら歩いていると、秋月邸の門が見えてきた。できるならもうちょいこのままでなんて考えたけど仕方ないよね、だってノブ君がいるんだから!
「あっ」
俺に肩を貸しくれている萌に気がついたノブ君の顔が一瞬強張った。でもすぐに清潔そうな表情に戻すと小走りで近づいて来る。
「萌、遅かったから心配したよ」
「ご、ごめん」
萌は俺から離れることもなくノブ君に頭を下げた。と、彼の視線が俺を捉えた。
「す、すごいケガしてるけど大丈夫ですか?」
そこはスルー希望だった。
そう言ったノブ君はチラリと萌を見て、まさかキミが?って目を向ける。いくら暴力女でもここまでやらないって。ここは萌の顔を立ててあげなければいけないね。
「だ、大丈夫ですぅ。あっ知らない人さん、送ってくれてありがとうございますたぁ。えぇ、もうここまで来ればあとは1人で帰れますのでぇ」
そう微妙に高音で言った俺はなんとか萌に離れてもらおうと気味悪い笑顔を見せる。知らない人さんって、日本語になってないけど許して。
「いや、どう見ても知り合いだよね?」
ノブくぅぅん!あなたは空気が読めないのね。俺が気を使ってんだから何も言わずにスルーしてくれたらいいのに!
「ごめんノブ君。コイツ私の知り合いなんだ」
こ、コイツ言うな!お前はノブ君の前じゃおしとやか女性に変身するんだろ。なんで素のままなんだ。
「あっやっぱりそうなんだ。…えっと、初めまして金本 伸貴です」
「あっど、どうも…一条た…なおひ、でぇ!」
直秀って自己紹介してたから今さら太郎ですもマズいかなと思っただけです!だからノブ君にバレないよう足を踏まないで。
「い、一条 太郎です」
あ〜あ、言ったよ言っちゃったよ。もうこうなりゃヤケだ、どうにでもなれぇい。
挨拶を交わしたもののそれから会話が始まらない。そりゃそうか、自分の彼女が意味不明な男担いで現れたんだからねぇ。
…待てよ、この2人って付き合ってるわけじゃないの?萌は過去形だったよな。う〜ん、でもノブ君はまだ現在形で決まりだよね。だって俺を見るその瞳(め)はちょっと嫉妬してますって感じだもんね。
「あっ、萌。もうここでいいから。ありがとうねぇ」
いつまで経っても始まらない会話を待ってても仕方ない。お腹空いたし、もう一条家は目の前だし。もう知り合いだってバレたから堂々と帰れる。
「えっちょっと…」
一瞬のスキをついて萌から離れた俺は(いいからいいから)とアイコンタクトを送る。泊めてくれって言われてたけど、この状況なら素直に秋月邸に帰った方がいいって。
「それじゃあ後は若いお二人でどうぞぉ」
俺だって萌と同い年なんですけど!仕方ないの、何も思いつかなかったんだから!
「太郎!あんた何やってんだい!」
イテテと微妙に頭をさすりながら玄関へ辿り着いたとき、勢いよく開いたドアと俺のおでこがクラッシュした。最後の最後でこれか。もうどうでもいいわ。
こんなに勢いをつけてドアを開けられる人間なんて考えるまでもなく、あのお方だ。俺の母上様ですね。
「今日は早く帰って来いって言っただろ!」
ごめんも言わずにそれですか?!痛かったかい、とかもナシなの?その前にそんなおめかししてどこへ行くおつもりですか。
「どっか行くの?」
「父ちゃんとご飯食べにいくから留守番頼むって朝言ったのに、なんで憶えてないんだよあんたは!」
ちょっと遅くなっただけでそんなに怒らなくてもいいじゃないですか。頭痛いんだからゲンコツはやめて!それにちゃんと憶えてたっつーに!ただ忘れてただけで。
「あれ、直秀は?」
「あの子は誰かの家に泊まりに行ったよ」
「えぇ?あの野郎、帰ったらタダじゃおかねぇ」
誰の所へ泊まったかなんてどうでもいいんだよ。ただ、ただ俺を一人ぼっちにするなんて、許せん!…あっ一人は寂しいとかじゃないよ。
「そんなこたぁどうでもいいんだよ!ほらカギ!あんた持ってないんだから!どっか行くならちゃんと戸締まりするんだよ!」
「いでで!」
わかったからカギを顔に押しつけるのだけはやめようよ!俺ケガを負ってんだよ。ってか鼻血とか出てる息子を見て大丈夫とかもナシかよ!そんなにメシが大事か!
「帰りは遅くなるからね!晩ご飯はテーブルに上がってるから!」
やっぱり息子よりメシかよ!
「ってか俺ケガ人なんですけど!」
「唾液でもつけときな!」
ツバって言ってよ!
そりゃないでしょ、自分達はこれから美味いモン食いに行くってんだから憐れんでバンソーコーくらい貼ってくれてもよくないですか?心配くらいしてよ!
「あれ?萌じゃないか、久しぶりだね!」
じゃあ頼んだからねとケガ人の俺の頭を一発軽く叩いた母ちゃんは、家の前で立ち尽くしている萌を見つけるとそう叫んだ。叫ぶ必要性がわからん。
そして母ちゃんの次の言葉に俺は叫ばずにいられなかった。
「ちょうどよかったよ、太郎1人じゃ心配だからあんた一緒に留守番してあげて」
「こう見えても俺は高校二年生なんですけどぉ!」