番外編2 気付いたら強くなってたんだよ
あたしの名前は津田 あかね、中学三年生で15歳。一応、空手部の主将なんてやってます。でももうそれもあと一ヶ月足らずで終わり。三年生は夏の大会が終わったら引退だから。だからってわけじゃないけど、気合いを入れて毎日毎日アザとか作って練習に励んでます。
「お、津田じゃないか!今帰りか?」
試合が近いから結構遅くまで残っていたあたしは、玄関でバスケ部のキャプテンである宮田 晃に声を掛けられた。
コイツ、なんて言ったら失礼かもしれないけど、宮田は何を隠そう萌のストーカー。でもあたし思うんだけどさ、後輩や同級生、さらには高校生のお姉様方によく声を掛けられるクセに、なんで萌?…あっいや、別に萌がどーのって訳じゃなくて、え〜っと…言葉って、難しい。
「宮田も帰り?」
「あぁ!夏の大会で俺達3年は引退だからな。今度こそ絶対に全国に行ってやる!」
「うん、がんばれ」
宮田が率いるバスケット部は毎年惜しいところで敗退していた。もう少しで全国大会!ってトコロで。でももしも全国に出場なんてすることになったらバスケ部が出来て以来の快挙だ。がんばってほしい。
外靴に履き替えたあたしはチラリと宮田を見た。
長身で、スポーツマンらしからぬ長髪(とはいっても前髪が少し長いくらいだけど)で、パッと見はマジでカッコイイのに、萌のストーカー。
なんで宮田がこんなにも萌のことが好きかというと、答えは簡単。中学に入って初めての体育祭で、ケガをした宮田のキズの手当てをしたのが萌だったから…萌、災難だね。
「なぁ津田。帰りの方向同じなんだから途中まで一緒に帰ろうか」
「え?い、いいよ」
頼むからカンベンして。女バスの子とか、バレー部の子とか、ってか周りにいる女子の目が怖い!自分では気がついてないかもしれないけど、あんたモテてんだよ。だから軽いノリでそういうことを言われるとこっちが疲れる。
「なんでだよ?今日の萌ちゃんがどんなだったか聞きたいんだよ」
「いつもと同じだっての!」
やっぱりか。何であたしなんかに声を掛けたのか、理由がわかったよ。あんたは口を開けば萌、萌、萌。でもあたしが宮田にそう言ったら絶対に、『萌ちゃんは最高なんだよ!』って意味がわからない答えが返ってくるに決まってる。だからあたしは出来るだけ周りにいる女子の怒りメーターを上げないようにやんわりと断った。
疲れる。
「津田ぁ!待てって!」
「追いかけて来るな!」
「萌ちゃんの報告をしろ!」
「ムリ!」
さすがバスケ部一の俊足、簡単に追いつかれた。あぁもうこれであたし、もしかしたら明日から全校生徒(女子のみ)からハブられるかもしれない。ちょっとは考えろ宮田!
肩を掴まれたあたしはもう逃げ切れないと悟り、後ろでゼェゼェ息をしている宮田に振り返る。ホント、部活で疲れてるってのに走らされて最悪だよ。
「一緒に帰るぞ!」
「はいはい…」
もうこうなったら誰も手をつけられない。ここでローキックでも喰らわせてダッシュして逃げたい衝動に駆られたけど、お互い大会が近いし。仕方ない、涙を飲んで一緒に帰るしかない。
わかったから手を放せと肩に乗せられた宮田の手を軽く叩いたあたしは溜め息混じりに歩き始めた。
「今日の萌ちゃんはどうだった?俺が見たところ…」
もうさっきから、校門を出てからずっとこんな調子。ってか同じこと繰り返し聞いて楽しいか?言っておくけど新しい情報なんてないよ、全部出し尽くしたんだから。
なんて二度目の重い溜め息を吐いた時、あたしは立ち止まらざるを得なくなった。
「あれ?津田じゃんか!」
「あ、藤井先輩?」
な、なんで藤井先輩がここにぃ!?
彼…藤井 秀正(戦国時代の武将みたいな名前だけど)はあたしの一つ上の先輩で、中学の頃は主将を務めていた人。高校でも空手をやっていて、ついこの間あたしは先輩の試合を見に行っていた。結果は3位だったけど、一年生でその成績を取れるなんてすごいってあたしは思った。
…要するに、あたしの憧れの先輩なんだよ!
「あれ、お前宮田だっけ?」
「はい!お久しぶりです藤井先輩!」
「ははっ。相変わらず声がデケェな」
そんなことないッス!と宮田は笑顔で彼に返す。そんな宮田につられてか、藤井先輩も笑顔でそう答えた。
この前は観客席で見てたし、試合が終わった後に声も掛けなかったからこうして先輩と話すのは本当に久しぶりだ。今年初めてじゃないかな?なんて思いながら先輩を見つめた…言っておくけど乙女の視線とかじゃないから。
「どうした津田?なんか元気なさそうだな。練習疲れか?」
「まさ、まさか!」
あたしが両手をブルブル横に振るのを見ると、先輩は白い歯を見せて笑った。
「ハハッ、それもそうか。津田が疲れてるところなんて見たことないもんな」
それはないですよ!あたしだって疲れることくらいありますよ。しかも空手の練習とかじゃなくて、精神的に疲れることが。
あたしの心の叫びをヨソに、藤井先輩は何を思ったか突然あたしと宮田をマジマジと交互に見つめ始めた。やばっ、先輩が今なにを言おうとしてるか察しがつく。
「お前らってもしかして…」
「「ナイです!」」
…宮田、あんた最高だわ。
「そうなのか?いや、お前らならお似合いかなぁなんて思ったんだけど」
「ムリですよ藤井先輩!俺には心に決めてる人がいるんですから!ムリです!」
ムリなのはお互いわかってるけど、そんなにムリって連呼されると段々腹が立ってきた。大会が近くなかったら絶対に蹴ってた。でもそれはできない、じゃあ…消えろ宮田!
「あ、あれ萌じゃない?」
あたしは誰もいない遠くを指差してそう叫んだ。萌なんてとっくに太郎と家に帰ったに決まってる。頭のいい宮田ならすぐにそんなウソを見抜くハズ…だけど萌の名前を出したらそうもいかない。
「萌ちゃん?!どこだ!どこだよ津田!」
思った通り、宮田は慌ててあたしの肩を掴むとゆさゆさと揺らしてきた。って酔う!酔うからやめろ!
「む、向こうに…」
具合が悪くなったあたしはどこということもなく、遠くを指差す。でも宮田は吐き気を催しそうになっているあたしのことなんてお構いなし。
「もしかして萌ちゃん待っていてくれたのか?!そうと知ったら行かなくては!津田、報告感謝する!そしてまた明日!あっ藤井先輩、津田のことよろしくお願いします!」
「え?あ、あぁ」
萌ちゃぁぁん!と呆気に取られている藤井先輩と吐き気に苦しむあたしを残し、宮田はさっきよりも速いスピードで走り去った。
なんか、悪いことしたかな。
「津田?大丈夫か?」
「え?あ…だ、大丈夫です!」
先輩はあたしのことを心配してくれてか、背中をさすってくれた。ちょ、なんか恥ずかしいんですけど。試合の時、「がんばれ!」って背中を押されたときはそんなこと思ったこともなかったけど。さすがに今は試合前のハイテンションじゃないから当たり前と言ったら当たり前か。
「そ、そういえば先輩。なんでこんなとこに?」
自分でもわかるくらいに赤い顔をしているあたしは何か言わなきゃ!と思いついたことを口にした。と、そっと先輩にバレないように自分の頬を触ってみる。うわっ顔熱くなってる、やばい!
「あぁいや、久しぶりに後輩達の練習ぶりを見ようかなって思ったんだけど、終わってたな」
「あっそうなんですか?」
腕時計に目を落とすと、もう8時近い。そりゃ辺りも真っ暗になるってね。
それじゃあ、とあたしは言いかけた。一度だけ空手部のみんなで藤井先輩の家に行ったことがあるけど、たしかあたしの家とはまったくの逆だったんだよね。もう少し話したかったけど、もう遅いし。明日も朝練あるし。
「あぁ送るよ。宮田に頼まれたし」
「え?!い、いいですよ!」
「遠慮すんなって。それにいくら津田が強いっても女の子を1人で帰すなんて邪道だろ」
「じゃ、邪道って…」
いいですいいです!とまたも両手をブルブルと振るあたしに苦笑いを見せた先輩は、「いいから、バッグ貸して」と持っていた重いスポーツバッグをヒョイとあたしの腕から持ち去った。
「せ、先輩!」
あたしの言葉を待たずに先輩が歩き出す。つられて後をあたしは追った。
「藤井先輩…ちょっと聞いてもいいですか?」
「え?なに?」
先輩と並んで歩くのなんて初めてで、あたしは微妙に後ろから後を追うカタチをとっていた。う〜ん、隣りに行くのもなんだかなぁ…なんて思っていたあたしは、ふと先輩が寂しげな表情を見せたのを逃さなかった。
「なんか、あったんですか?」
「…」
あれ、なんで何も言わないのかな?もしかして、あたしになんて言ってもムダだって思ってる?アホな質問したあたしのバカ!先輩の心のキズを広げるようなこと言うな!後悔先に立たずだよ!
「実はさ」
先輩に見えないように自分の頭をできるだけ音を立てないように殴っていると、先輩はとても小さな声で話し始めた。
「空手、やめようと思って」
「え、なん、なんでですか?」
「…聞いたらきっとお前は俺を軽蔑する」
「な、何言ってんですか」
そう言ったあたしは心配でいっぱいになった。藤井先輩のそんな真剣な表情なんて見たことがなかったから?いや、そうじゃない。なんかよくわからないけど、不安な気持ちがあたしの中で膨らんだからだ。
「あ〜…空手ってさ、ハードだろ?」
「え?あ、まぁ…そうですね」
「ケガはつきものだし、っていってもどんなスポーツしてもケガをするときはするんだけど」
「?そうですね」
不安があたしの中で段々と膨らんでいく、けどそれが何を意味しているのかわからない。先輩が何を言おうとしているのかも不明だ。ケガしたくないから空手をやめるってこと?せっかく大会で一年生ながら3位になったのに?
「先輩?」
あたしは気がつくと藤井先輩と並んで歩いていた。恥ずかしい気持ちなんていつの間にか忘れていた。今のあたしは先輩のことが気になって仕方がない、ただそれだけだった。
「か…」
「か?」
か…って、何?蚊…違うって!か、か、か……。
「かの次はなんですか?!」
まどろっこしい!先輩ってそんな人じゃなかったですよね?もっと言いたいことはズバッと言える人ですよ!お願いですから言ってください、このままじゃ気になって夜も眠れなくなります!…あたし、なんでここまで?
「か、彼女が、いるんだけど」
「…え」
それを聞いて目の前が真っ白になっていくのがわかった。でもそう言った先輩の顔が真っ赤になっていくのは見えた。
彼女…そう、そうか。先輩みたいにカッコ良くて人当たりのいい人に彼女ができないわけなんてない。でも、なぜだか心から喜べない自分がいた。
「この前試合を見に来てくれたんだけど、その時ちょっとケガしちゃって。そしたら危ないことはできるならしてほしくないって」
「危ないこと…」
あたし達がやってることって、そんなに危ないこと?そう言おうとして口をつぐんだ。
言えない、言えるわけがない。あたしは先輩の彼女でも何でもないんだ。何を言ってるんですか、先輩は空手を続けてくださいなんて勝手なこと言えない。
「俺もできるなら続けたいとは思ってるんだけど」
「そう、ですか」
先輩の言葉を聞いて彼が女々しいなんて思わなければ、やめてほしいと言った恋人に対して怒りが込み上げてくることもない。ただ悲しさが滲んできた。よくわからないけど、涙が出そうになった。
「でもなぁ…って津田?ど、どうした?」
「え?」
なっなんであたし泣いてんの?今泣くところじゃないのに。っていうか泣く意味がわかんない!先輩もあたふたしてるし!何やってんだあたし!先輩を困らせるな!
「なんでも!なんでもないです!大丈夫ですから!」
そう半分叫んだあたしは袖でグイと涙を大雑把に拭いた。
実は誰にも言わなかったけど、できるなら先輩と同じ高校に行きたいと思ってた。また同じ高校の空手部で一緒に練習して…一緒にがんばりたいと思って。
でも今の成績じゃいけるわけないだろ!って先生に言われてからは必死で勉強も、もちろん部活もがんばってて。それはこれからも変わらないと思う…でも。
「津田?」
心配そうな表情であたしの顔を覗き込んできた先輩は、やっぱり優しかった。そして、あたしは先輩の隣りに並んで歩いちゃいけないんだって思った。
「あっ!そういえばあたし、ちょっと行かなきゃいけないところがあったんです!すいませんけどこれで失礼します!」
「え?」
困惑した先輩の腕からバッグを奪うように返してもらったあたしは素早く頭を下げると一目散に走り出した。
「つ、津田!」
後ろから先輩の大声が聞こえる、けど立ち止まれない。立ち止まってもどうしていいかわかんない。
早く気づけばよかった。この前試合を見に行ったとき、綺麗な女の人が先輩の横にいたんだ。
……わかってたのかもしれない。でもそれを認めたくないあたしがいたんだ。あたし、ホントにバカだね。太郎のこと、バカバカ言えない。
あたしはそれから一度も立ち止まることもなく家まで走った。
「あぁかぁねぇ!お疲れぇぇ!」
「うわっ!」
中学最後の大会を終えたあたしの元へ一番に走り寄ってきたのは、太郎だった。そして思った通り、先輩が来てくれているわけもなかった。
「やっぱあかねは強ぇ!どんな相手でもイチコロだね!あっでも決勝戦の相手はなかなかやりおったのぉ!お陰で応援のし甲斐があったわい!ほっほっほぉ!」
「あんた誰だよ」
「ワシはお前の師匠じゃ!」
シャシャシャーッ!と不気味な笑い方であたしの背中をバシバシ叩く太郎を見て思った。あたし、太郎が友達でよかったかもしれない。気兼ねなくこうして話せる男友達なんてそうそうできない。
でもあまりに太郎が背中を叩いてくるもんだから、「試合した後で疲れてんのに!」とローキックを喰らわせてしまった。…うん、男友達も良し悪しだね。
「いででぇ…あっそうだ。あかねぇ、これ」
「なに?」
ちょっと強く蹴りすぎたか、太郎は涙を堪えながら小さな、いや中くらいの包みを差し出してきた。何コレ、まさか爆弾とかじゃないでしょうね。優勝おめでとうドッカーン!とかイヤだよ。
いつまで経っても受け取らないあたしにイライラした太郎がそれを思い切り突き出してきた。って誕生日とかでもないのになんでこんな可愛く包装されてんの?ちょっと、困るって!萌が見たら怒られる…萌、どこ行った?
「さっき知らない人から預かったんだよ」
「知らない人?」
それこそマジで受け取れない。何が入ってるんだか、考えただけで恐ろしい。
「多分、俺達の元先輩?」
「元って?」
あんたねぇ、もうちょっとマシな言い方できないかなぁ。先輩は先輩でしょうが。
「ほらいたじゃんか。メチャクチャ強い…戦国時代を生き抜いた武将の名前みたいな」
「え、藤井先輩?」
まさか藤井先輩、見に来てくれた?戦国武将みたいな名前の先輩なんて、彼以外に思い浮かばないし。
あたしは先輩の姿を必死で捜した。と、太郎はいつかのあたしみたいに両手をブルブルと大きく振った。
「違う違う!それじゃ現代の名前だろ!?たしか、え〜っと…ふじのもとの、いや、ふじのくらやまの…」
「いないだろそんな先輩!」
そんな名字、戦国時代にもいないだろ!…いたかどうか知らないけど。何で名字限定なんだ。
どれだけ考えても藤井先輩しか有り得ない。あの時ダッシュで逃げて以来、会ってなかったけど。そっか、来てくれたんだ。
「あかね?いい加減に受け取ってもらえない?」
「え?あぁゴメンゴメン」
あたしは一度苦笑いを見せてから太郎から包みを受け取った。それはとても軽く、何が入ってるんだろうって気になった。
「そういえば萌は?」
太郎の隣りに当たり前にいるはずの萌がいなかったから、好奇心で聞いてみた。すると悪びれる様子も見せず、太郎がフゥッと息を一回吐いた。
「あかねの試合が終わった後、真さんから電話が来て怒り最高潮で帰って行った」
「な、何があったんだろ」
「俺も怖くて聞けなかったんだよ。でもあかねのことは任せたって言われた。だから安心してくれ!俺が最後の花道をしっかりと見届けましたぞ!」
「あぁ、ありがと」
「覇気が足りねぇよ!ヨッシャーくらい言ってよ!」
「ムリ!疲れてんだよあたしは!」
寂しいよあかねぇ!と叫ぶ太郎をスルーして、「着替えてくるから待っててよ」とだけ伝えて彼と別れた。
太郎は少し…異常に寂しげな表情を見せたけど、ただそれは一人は寂しいんですけど!みたいな顔だったから別段気にする必要ナシ。それよりも、あたしの手の中にある物が気になって仕方がなかった。
「なんだろ?」
着替えも済まさず、あたしは控え室に戻るとコソコソとそれを開けてみる。誰かに見られても別に気にはしないけど、なんかちょっと恥ずかしい。
「あっ」
中に入っていたのは綺麗な青と白が入れ混じったタオルだった。それと小さな紙切れが一枚。
『俺、やっぱり空手を続けます。だから津田もがんばれ! 藤井 秀正』
「だからって、なんだ?」
あたしは何が可笑しいのか、そのまま声を上げて笑ってしまった。もう涙は出てこない、大丈夫だ。
それからの帰り道、あたしと太郎は不気味な男女に出会い、勝負を申し込まれた。どっかで見たことがあるなぁって思ったら、決勝戦で戦った典子って女だった。そこまで逆恨みされる覚えはないんだけど。
二人を相手するのはちょっと難しかったあたしは、男の方を太郎に任せた。
「任すな!ムリだって…うぉぉ!」
見知らぬ男と戦う太郎を見て気がついた。意外に強かったんだねあんた。もしかして空手とかやってのかな?…って思った瞬間に殴られてるよ。こんな時に変顔してる場合か!
あたしは先に典子(男がそう呼んでたから憶えちゃったよ)を戦意喪失させ太郎の援護に回ろうとした。が、恋人が気絶させられたのを見た男があたし目がけて走って来ようとする。そのスキをついて太郎が男の足を掴んで倒す。
やるねなんて思ってたら変な構えをした太郎が「クェ、クェェ!」と不気味に笑い出した。マジメにやれっての!
でもよく見ると太郎の両鼻から鼻血が出てたから加勢した。
結局、あたしは藤井先輩とは同じ高校へ行くことはできなかった。まぁ、受けたけど…落ちた。
でも後悔なんてしてない、だって今の高校には萌も、太郎も、恭子もいるし(まぁ一郎も)。それに空手の大会の日にはちゃんと先輩に会える。まだタオル使ってくれてんだ?って先輩の笑った顔も見られるし。彼女さんとは別れたみたいだけど、先輩は変わらずに笑顔を見せてくれる。
そして時は過ぎて高校2年になったあたしは部活の帰り道、先輩からもらったタオルを首に掛けながら小走りで帰路に着こうとしていた。
ちょうど路地を曲がった所で萌が知らないオヤジに羽交い締めにされているのを発見、そして考えるヒマもなく飛び出していた。ふと見ると、あの時と同じように太郎が両鼻から鼻血を噴射して倒れている。
ちょっと待ってろ!
「俺だってできればこんな汚い手なんて使いたくねぇけど…」
何やら男(太郎を殴ってる男もいて紛らわしいからコイツはAで)はブツブツ言いながら萌を羽交い締めしている。イヤならやるな。
「ちょっとオッサン」
「誰がオッサンだ!」
Aの後ろに回り込んだあたしは勢いの乗ったミドルキックをお見舞いした。汚い手を使うヤツに手加減なんていらない。
「おやすみぃ!」
ぐえっと膝をついたAに回し蹴りを喰らわせた。はい、さよなら。
Aから逃れた萌は肩で息をしながら「なんでここに?」という目であたしを見上げる。あんたって、なんだかんだ言って女の子だよね。こんな状況で冷静でいられるハズがないか。
彼女の腕を掴み立たせたあたしは顔を覗き込んでみた。
「萌、大丈夫?」
「あ、あかね…」
その髪の乱れ具合からして、なんとか逃げようと必死だったみたいだね。でもさすがに男と女じゃ力の差は歴然だし、仕方ないよ。
と、萌の表情が一変した。
「あっあかね、太郎が!」
「うん、わかってる」
いつもの萌らしくなく、混乱した様子で彼女はそう叫んだ。なんとか落ち着かせようとあたしは萌の肩をポンと叩く。でも、こんなんで落ち着けるハズないよね。なんてったって、彼氏があんなにボコボコにされてんだから。
行ってくるから待っててと言った後、Bがノコノコ殴られに来てくれた。行く手間が省けて助かったよ…歯が抜けてるよあんた。
「キミ、萌ちゃんだったよね?」
何言ってんだコイツ。あたしと萌って全然似てないじゃん、髪型だって全く違うし。興奮し過ぎて意識が朦朧としてんのかな…まぁいいかどっちでも。
「違います」
「え…ぐぁ!」
あたしはAに喰らわせた回し蹴りよりも強い蹴りを繰り出した。萌の恋人である太郎をあそこまで殴って、正気で帰すか!
吹っ飛んだBはもはや動く気配はない。あたしは萌の側まで戻り、背中を押す。固まってるヒマなんてないって。
「呆けてるヒマなんてないよ。太郎の所へ行ってあげて」
「う、うん」
萌の走る背中を見ながら、あたしは首に掛けてあったタオルに触った。もう何回も洗ってるからゴワゴワになってるけど、これに触れていると心が落ち着くんだよね。
ってうわ、萌のヤツあたしが近くにいるってのに太郎に抱きついちゃったよ!…で、でも驚いたけど仕方ない、二人は恋人同士なんだから。ここは目をつぶってあげようか。
「い、いくら何でも、もう行ってもいいよね」
あたしは太郎と萌の愛の劇場が終わったのを見計らって二人の元へ静かに近付いた。そしてやっぱり口からも鼻からも血が出ている太郎を発見。よくここまで殴られたもんだよ。
あたしと目が合った太郎の開口一番がこれだった。
「あえ、あかねぇ?!なな何でここに?」
「ここはあたしの通学路だよ」
あたしは一番の男友達である太郎の頭にタオルを掛けた。汗とかは(多分)染みてないからそれでちゃんと血を拭きなよ。
何も言わずに笑顔でいたあたしに太郎は使っていいんですか?という顔で見上げてくる。
大丈夫、どんなに汚れてもあたしの宝に変わりはないから。それに使い始めて2年くらい経つからヨレヨレになってるけど、そのタオルを持ってると藤井先輩が背中を押してくれてるような気がするんだよね。だから太郎にも元気のおすそ分け。
「ちょうど萌が男に羽交い締めされてんのが見えてさ。なんだ?って思ったらあんたいいだけ殴られてたから」
「いいだけって…」
「ほら、いいからさっさと拭きなって」
「あ、ありがとうあかねぇ!」
太郎は萌に抱き締められているせいか、紅潮した顔をムリヤリ変顔に変えてそう叫んだ。お礼はいいからまず鼻血を止めろ!