第57話 勘違い野郎にローキック
金田は萌の頭を下げている姿をジッと見つめていた。見るともう涙は流れていない。俺は足の痛みも忘れて萌の隣りに並び、頭を下げた。俺が頭を下げても何も変わらないかもしれない、けど萌だけに頭を下げさせるわけにいかない。
「本当に、ごめんなさい」
俺は頭を下げたまま何も言わずに萌の言葉を聞いていた。萌は何も悪いことをしてないってことは俺が一番わかってる。高瀬事件の時もそうだ、悪いのは勝手に話を進める大人。
真さん、あんたのせいで萌も、金田も傷ついてんじゃねぇか。俺は頭を下げながら言いようのない怒りが込み上げてくるのをグッと堪えた。
「…わかりました。そこまで言うのなら、萌さんの事は諦めます。だから2人とも顔を上げてもらえませんか」
ゆっくりと顔を上げた俺達が見たのは、金田の清々しい笑顔だった。本当に誠実というか、汚れがない性格で、勇樹のようだと思った。普通なら晃みたいに諦めない!って食い下がるところだとは思うけど金田はそれとは違った。大人な証拠かもしれない。
どんな表情をしたらいいのかわからない俺は萌をチラリと見る。彼女も俺と同じだったか、こっちを見てきた。笑っちゃいけないし、泣く意味もないし。そんなことを考えていると金田が俺の方へと近寄ってくると手を差し出してきた。この状況でお手ではないよな。
「一条君。萌さんを、どうか幸せにしてあげてください」
「は?はいぃ」
そう言った俺は微妙な顔で、金田は笑顔で握手を交わす。でも中学の時とは違って力を込めてこない。本当に諦めたんだと思った瞬間、彼は意外な言葉を口に出した。
「もしも、キミが萌さんを泣かせるようなことがあったら、僕は許しませんから」
こ、こえぇ!いだだ!やっぱり力込めてきた!手が真っ赤になるって、足の次は手が折れる!
「返事が聞こえませんが?」
見る見るうちに俺の手は血色を失っていく。ここは素直に従うしか助かる道はねぇか!
「はいそりゃあもう!絶対に幸せにします!泣かせたりなんてしません!ええ、そりゃもう!」
とか言ってついさっき泣かせたばっかだけど。余計なことを言ってくれるんじゃないよ萌。
手があまりにも痛くて涙目になった俺は金田の笑顔につられて泣き笑いを披露した。
俺が、俺が泣かされてんですけど!なんで返事したのにまだ力を込めてんだよ!悔しいからですか?何も言えやしねぇ!
心の中で痛い痛い!と叫んでいる俺にニヤリと笑った金田はやっと手を放してくれた。マジ痛かった。さっきの鞄アタックより数倍痛かった。
俺が手にふぅふぅと息をかけているのを少しの間見ていた彼は、体を反転させて悲しそうな顔の萌と向き合った。俺もそれと同時に萌の方へ顔を向ける。…ミス赤ら顔。
「萌さん、一条君とお幸せに。父さんには僕が言っておきますので、何も心配はしないでくださいね」
「あっ、はい…」
そう言った瞬間、萌と目が合った気がしたけど…俺の気のせいか?彼女はもう一度金田に深く頭を下げると俺の方へ近付いてくる。え、何?殴るのはカンベンしてくれないか?もう俺は傷だらけなんだから。
「行くよ」
「あっえ?」
萌は頼んでもいないのに肩を貸してくれた。あっそうか、まだ金田がこっち見てるからか。俺はそれに便乗し、金田に2人一緒に頭を下げると学校へと歩き出す。
「お元気で!」
その大声に驚いて振り向いた俺達は金田の吹っ切れたような笑顔を見た。でも、視力2.0の俺は見逃さなかった。金田の目尻には少しの涙があった。
金田、きっと萌に会う事ものすげぇ楽しみにしてたんだな。早く副社長になって萌に会いたいと思ってたんだ、本当に悪いことをしたかもしれない。
俺と萌はいったん離れ、金田に向かって深く頭を下げた。
「重い」
「2人になった途端にそれかい」
一郎に出会えなかった俺は校門に着くまで萌に肩を借りている。でも萌は離れろとか見るなとかは言ってこない、ただ重いとしか言わない。
「ば…太郎」
「今、何気にバカとか言おうとした?」
「…バカ太郎」
言い直さなくてもいいから!くっそ、俺が余計なことを言ったばかりに!
重いとしか言わなかった萌は校門を過ぎた辺りで立ち止まる。いでぇと俺も立ち止まった。
「もう放してもいいだろ」
「え、もうちょっとでゴールなのに?」
ゴール直前でギブアップなんてしないでくれ。階段とか上るんだよ?足を負傷した俺にはキツイって。
もう少し頼むよぉと言おうとして、やめた。なぜなら登校してきた生徒達が羨望の眼差しで俺達を見ていたから。やっべぇ、足の痛みに負けて忘れてた。萌とこんなにくっついてたら…。
「たろぉぉぉぉ!!」
やっぱり来たか!?
後ろから晃の怒鳴り声と共に激しい足音が聞こえて来る。やっべ、やっべぇ!でも萌と離れたら歩けなくなるし。今の晃は俺に肩なんて貸してくれないし!
「喰らえぇぇ!」
「ぐえぇっ!」
「わっ!」
晃の容赦ないドロップキックが見事に俺の背中を捉えた。でもちょっと考えてみてください。萌はまだ俺に肩を貸してくれてるんですよ?萌だってダメージ喰らったから!謝っても許してもらえる確率ゼロパーだかんな!
俺と萌は勢いに負けて地面に倒れ込む。やべぇ、萌が!俺は何とかダメージを軽減させようと萌の下にもぐり込む。制服が汚れない程度に倒れてくれ!
「いってぇ!」
なんとか、なんとか萌を俺の上に倒れ込ませることに成功した俺は、思わず痛いと本音が出た。でも本当に痛かったから仕方がない。だって萌のことに必死で自分の後頭部が思い切り地面にゴッツリいったんだから。
晃てめぇ何すんだ!と言おうと顔を上げた俺は、思わず息を呑んでしまいました。だって、だって…。
「ありゃ…」
萌さん顔が近いぃぃぃ!しかも今気がついたけど、ちゃっかり抱き締めちゃってる!この間みたいに殴られる!でももう痛いのはイヤだ!
「…!」
俺が言葉を失っていると萌は顔を真っ赤にさせて素早く立ち上がった。しかも微妙に立ち上がる寸前に俺の腕を踏んだ。ゴリッっていったよ!
「てめぇ太郎!誰に断って萌ちゃんと肩なんて組んでんだ!離れろ!今すぐ離れろ!」
お前の断りなんて必要ねぇよ、お前は何様のつもりさ!でも踏まれた腕が痛くてそんなことを言っている場合じゃない。
「ちょ、足がイテェんだって。待って待って!」
晃が容赦なく襲いかかってくるのを目撃した俺は、ちょっと待って!と両手を前に出した。すると萌が晃の前に立ちはだかり、真っ赤な顔のままで俺をグイと引っ張ると立たせてくれた。ふと見ると彼女は身の毛もよだつような恐ろしい顔を見せている。
晃、お前の人生は今日で終わりを迎える。でも俺もついでに睨まれた。
彼女は無言でツカツカと晃に歩み寄る。さよなら晃。
「宮田、あんた朝っぱらから何すんのよ!」
「萌ちゃんの怒った顔もさい、ごぁ!」
サイコーまで言わせてもらえなかった晃は鞄アタックをモロに喰らい地面に突っ伏した。さっき俺が喰らった鞄アタックよりも殺傷能力が向上している。
「萌ちゃんの、殴る姿も、サイコー…ぐふっ」
「最悪だよボケェ。頭ぶったじゃんかよ!」
後頭部をさすると激痛が俺を襲う。足に腕ときて最後は頭かよ。朝から災難続きで最悪だわい。いっ!足がぁ!
足に突き刺さるような痛みを覚えた俺は手をブルブルと震わせて萌に近付いてみた。頼む、保健室まで肩を貸してくれぇ。
「触るな!」
ここまで一緒にがんばってきたのに最後にはそれ?途中で投げ出さないでがんばろうよ!
「萌、頼む。あと少し、あと少しでゴールなんだよ」
ここまで来たら恥じらいとかもうどうでもいい。俺を保健室まで連れて行ってくれたら後はミエリンに任せてもらっていいから。
俺の子鹿のような瞳に心を動かされたか、萌は盛大な溜め息を漏らすと俺の頭を軽く叩く。今の一発は仕方ないなぁ的なカンジだよね?
「まったく」
倒れた晃をそのままに、俺は萌に肩を借りることに成功した。晃、本当にすまん。しかし今はお前を心配するよりも自分が大事なのだよ。キミはただ鞄アタックを喰らって気絶してるだけ、俺は足の裏の骨が折れてる。どっちが重傷かわかるよね?
玄関に着いた俺はいったん萌から離れると、ゲタ箱を開けて上靴を取り出した。そして外靴を脱ぐ、と…これは!
「萌!血!血が!血がぁぁぁぁ!」
「うるっさい!」
悲痛な叫びに腹を立てた萌は俺の肩に正拳を当てる。って今は怒るところじゃないってぇ!
靴の中敷きには血がベッタリとついていた。スプラッタ映画も真っ青なくらいの量、とまではいかなくてもこれはヒドイ!折れた骨が飛び出したんだ!うげぇ、自分で言って貧血起こしそう!
「足が死ぬぅ!」
パニック状態の俺は意味不明な発言を連発した。足が死ぬって、意味わかんねぇ。
「ちょっと見せて」
おぎゃあと叫ぶ俺の頭を軽く、いや強く叩いた萌にグイッと足を持ち上げられた。あぶっ、俺バランス感覚ないんだから!
「…あっ」
足の裏を確認中の萌は一瞬驚いた顔を見せた。けど、何も言わずに足を地面に置いた。そんなに重傷なのか?早く保健室へ行こう!
でも慌てている俺を軽く、いや強く睨んだ萌はアゴでクイッと俺の足を指名した。なんか「ちょっと校舎裏まで来いよ」みたいな仕草。
「あんた、自分で見てみな」
「えぇ?ヤダよ!骨が出てるんだろ?」
こう見えて俺は血が苦手なんですよ!しかも量がハンパなさそうだし、見られねぇ!骨が飛び出てるなら尚更に見れない!でも萌は俺の意見など却下。
「いいから見ろ!」
「マジかいぃ…あれ、なんだコレ?」
俺の真っ白な靴下はやっぱり血だらけ、まではよかった。なんか、丸い金具みたいのが足の裏に引っ付いてるんだけど、なんだこれ?
「…が、ガビョウ?」
がびょーーん!表現が古すぎてごめんなさい!そして古典的ですみません!ただガビョウが刺さってただけですか?骨折と勝手に思い込んでいただけですか!?足踏みしてたから何度もグサグサ刺さっただけ?自分に腹が立ってきたぁ!
どうしてくれようかと悩んでいた俺は、目にも留まらぬ速さの鉄拳に気がつくハズがなかった。
「ごっ!」
萌の怒りの制裁が俺のアゴを捉える。俺だってまさかガビョウが刺さってるなんて思いもしなかった。骨折したと思い込んだ俺って、まさか本当にバカなのかもしれない。
「アホ太郎!馬鹿太郎!死ね太郎!」
「最後のはマジでやめて!」
死ね太郎って、マジでイヤなネーミングつけられたよ。馬鹿太郎の方が数百倍マシ。
はらわたが煮えくり返っている萌を前に俺はゲタ箱に後頭部を強打した。さっき地面に思い切りぶつけた傷がまだ癒えてないってのに。でも俺が全面的に悪いからやり返せないし言い返せない。
でも折れてなくて本当にホッとしたよ。って顔は萌の前では見せちゃダメだ!何ホッとした顔してんだよ!ってもう一発飛んでくる!
「マジで馬鹿太郎!」
そう言い残した萌は俺を殴ろうとしてか拳を振り上げる。俺はとっさに両手でそれをガード。でもそんな俺が可哀想だと思ったのか、上げていた手を下ろすと彼女は無言でのしのしと行ってしまった。
折れてなくてよかったね、アハハって言ってくれてもよかったのに。まぁそれは有り得ないか。
「このガビョウ、いつの間に靴の中へ忍び込みやがったんだ?」
萌が去った後、ガビョウはよく見ると新品同様だった。あっそういえば母ちゃん、今日玄関でカレンダーを貼ってたっけ。もしかしからその時落ちたのがうまいこと俺の靴の中に…奇跡のような偶然だな。でもそうとしか考えられない、母ちゃんが俺を悲しませるためにガビョウを入れるなんて悪質なイタズラしないよな。気に入らないことがあったら迷わず口に出すし。やっぱり偶然入ったんだ。
「っんだよ。朝から迷惑なガビョウだな」
俺は教室に行く途中でガビョウを廊下の壁にぶっ刺した。いろんなポスターが貼ってある場所だからガビョウがあっても問題ないだろ。
またも下手くそな口笛をペェープー吹きながら階段を上がった俺は、後ろから名前を呼ばれた気がしたので立ち止まった。
「一条君、おはよう」
「お、勇樹殿!おはようございまする社長!」
殿か社長かどっちかにしろや!というツッコミはスルーしてもらって、俺は笑顔で階段を上がってきた勇樹と挨拶を交わした。
「昨日は奢ってくれてありがとねぇ」
ちゃんとお礼は言わないとね。母ちゃんがよく言ってたんだよ、「挨拶とお礼ができなきゃ人間じゃない」って。いや、言えなくても人間だとは思うんだけど、きっと人道に外れてるって言いたかったんだよ母ちゃんは。
「ううん、一条君と話してると楽しいから。また行こうね」
「絶対に行くよ!いつでもヒマだから!」
くぅ嬉しいことを言ってくれるねぇ。また行こうねってかい?絶対行くに決まってるさ!
「あっそういえば、今日は秋月さんと一緒じゃないの?」
俺が1人で階段を上がっていることに気がついた勇樹は萌の姿を捜し始めた。お嬢様は怒り心頭で先に教室へ向かったんだよ、なんて言ったらミス地獄耳に聞こえてしまう。
「あぁいや、玄関までは一緒だったんだけど。先に行ったんだよ」
「え?そうなんだ?」
なんで?って聞かない勇樹に感謝。
なんてことない話をしながら、ガビョウが何度も刺さったせいでズキズキとした痛みが消えない俺は、微妙に勇樹に寄りかかった。頼む、勇樹の骨も折れないで!
「ど、どうしたの?」
俺の行動が気になったか勇樹は少しずつ俺と距離を取ろうと試みた。でも俺はそんな彼に引っ付くように歩き続ける。
「いや、ちょっと勇樹に寄りかかりたくなっただけぇ」
ガビョウが刺さったなんて言っても困惑した顔するに決まってるし、勇樹なら絶対に「肩を貸すよ」って言ってくれる。でも勇樹に俺の全体重を掛けたら俺の足よりも重傷を負うことになるから言えない。
「そういえば秋月さん、何か変わったことなかった?」
勇樹の聞きたいことはそうじゃないだろうってことがすぐにわかった。お前が聞きたいのはノブ君についてだよね。ってか俺もノブ君のことについて萌から何も聞けてないんだけどさ。
「変わったことって言われてもなぁ。ちょっと女性らしくなったくらい?」
正直な気持ちを言ってみた。おわわ、萌のあの時の仕草を思い出したら頭が痛くなってきた。やっべぇ、思い出すだけで頭痛いなんて、相当重傷。きっと今萌の顔を見たら倒れてしまうかもしれない。
「じょ、女性らしいって、秋月さんは元々女性らしいよね?」
「断固として頷きません!」
それはない!元々女性らしいなんて有り得ないから!だってずっと何年も萌と顔を付き合わせてるってのに俺の前で女性らしい仕草したのは今日が初めてだよ?どこをどう見過ごしたらそんな言葉が出てくるんだよ。
「いいかい勇樹。アイツは仮面を被っているんだよ。それも分厚い面を!お前はわかっちゃいねぇ!」
「それって、誰のこと?」
「だからも…えぇ?」
あれ、今俺に質問したの勇樹じゃない。いくらまだ声変わりがしてなさそうな勇樹でも萌の声をマネるのはちょっと無理があるよね。ってことは!
「も…萌様ではないですかぁ!」
教室の前で腕組みをしている萌に気がつかずに俺はデケェ声を張り上げてた。今の聞こえてた、よねぇ?助けて勇樹!
「あっおはよう秋月さん」
「ちょっと勇樹ぃ!心友を見捨てないでぇ!」
萌を見つけた勇樹は嬉しそうにタタタと彼女に走り寄った。
絶対に勇樹は萌にぞっこんですな。萌は萌で勇樹に笑顔で挨拶返してるし。あっそうだ、俺も勇樹みたいに可愛く走り寄ってみたらどうさ?きっと笑顔で殴られるよね!
「と、トイレ行こうかな〜」
俺は足を引きずりながら教室とは反対方向に体を反転させた。萌にまだ動く気配はない。逃げて俺!
「おは太郎!」
この状況で声を掛けるな!
目の前に現れたのは額から汗がわんさかと流れる一郎でした。今日に限って遅刻ギリギリで走って来やがったなこの野郎。
でも一郎は俺の考えなんて知る由もなく、ケータイを見せびらかせながら俺に近付いて来る。新型でもなんでもないケータイを見せびらかせて嬉しいか。
「見てくれ!見てくれこの子!」
「あぁ?いぃ!」
一郎に気を取られていた俺は萌が近付いて来ていたのに気づけなかった。足を踏んだよこの子!それもガビョウが何度も刺さった方の足を!
「だろだろぃ?カワイイだろ?」
そっちの「いぃ!」じゃねぇよ!ちょっ、ケータイ近づけすぎて見えないから!
ケータイの液晶部分を俺の額にぐいぐいと押しつける一郎。見ろというよりも喰らえ!に近いから!
「俺の彼女なんだぁぁぁ!」
「「「ええぇぇぇぇぇ!?」」」
そばにいた勇樹と俺と萌は同じ奇声を上げた。とそれは別として、お前に彼女なんて・・・・許せねぇ!
「このっ抜け駆け一郎!」
俺は笑顔でいる一郎の坊主頭を手加減なしで叩いた。でもダメージを受けてない!幸せオーラが一郎を取り巻いているからか?こんチクショウ!
「よく見せろ!」
ヘイヘイホォイ!と腹の立つ踊りを見せてくれている一郎からケータイを奪い取った俺は萌とそれを覗き込んだ。うわっ、一郎とは不釣り合いな女の子じゃんか!お前いつの間に!
「伊藤 円ちゃんって言うんだよ〜ん!俺の彼女だよ〜ん!」
「うるせぇ!」
ケータイの液晶には大人っぽい女性が一郎と仲睦まじく写っていた。円と呼ばれた女性はよく見ると制服を着ている、高校生か。少し茶色い肩まで伸びた髪の毛が大人びた表情にすごく似合っている。
お前に、俺より先に彼女ができるなんて。
「お前、もしかして騙されてんじゃねぇの?」
正直な心です。だってそうとしか考えられない!こんな綺麗な女性が、一郎、一郎なんかにぃぃ!俺も人のことは言えないけどぉ!
「騙されてるわけねぇよ〜!だって昨日、こくはっくされたんだから〜!」
こくはっくってなんだよ、告白だろ!マジで腹立つ!ちょっと萌!呆けた顔してねぇでなんとか言えよ!
ケータイを握りつぶす勢いでいる俺とは対照的に、萌は画像をジッと見つめている。どうした?いつものあなたなら「有り得ない」って言ってくれるでしょ!
「この人…」
「え?萌の知り合い?」
どうやら萌はこの円ちゃんという女性を知っているらしい、そして引きつった顔を見せている。でも俺、こんなキレイな人見たことないんですけど……そうだ!
「一郎諦めろ!円には本命がいるんだ!そして萌とその男を取り合っ、だぁ!」
目を覚ましてあげようとした俺を待ち受けていたのは、萌の正拳突きと一郎の回し蹴りだった。手と足で顔面を挟まれた!
「悔しいからってなんてこと言うんだボケ太郎!」
「俺はお前のことを想ってやってんだよ!ねぇ萌!お前も何か言っておやり!」
顔面のどこということもなく、全部にダメージを喰らっている俺は涙目で一郎に反論した。本当のことを言ってあげなきゃ一郎が可哀想でしょ!円という人の本性を教えてあげて!
「べ、別に」
ちょっと萌ぇぇぇ!さっきこの人…って言いかけたよね?だから俺は一郎に待ったを唱えたんだよ。じゃないなら親友に彼女が出来たことを一緒に喜んでたのに…ウソは全ての始まり。
顔面をさすっていた俺は萌の顔が険しくなったのを見た。何を隠してるんだ?
「その人、私達の一コ上だろ」
「え?なんだよ秋月。円ちゃんと知り合い?」
楽しそうに萌と会話を続ける一郎を見て思った。おいおいちょっと待て。俺は1人蚊帳の外ですか、何を勝手に話を進めてくれちゃってんですか。ってやっぱり知ってんじゃねぇかよ萌。
話についていけない俺は勇樹の側に移動、そして肩を借りた。お前も俺と同じ蚊帳の外、仲良くしようね。
「知り合いっていうか、知り合いだけど」
一郎と話しづらそうに萌は口をモゴモゴさせつつ答える。でも一郎はそんなことはお構いなしに円ちゃんとの馴れ初めについて語り出した。誰かに言いたくて仕方がないんだね。
「昨日、早く家に帰ってゲームやりたくてさぁ。ダッシュで走ってたわけよ。そして運命の出会い!円ちゃんとぶつかっちゃって!」
古典的。
「俺、円ちゃんを見たとき、思わず言っちゃったんだよ。カワイイって!そしたらニコって笑ってくれて!俺のこともカッコイイって思ったに違いねぇなありゃぁ」
有り得ない。
「んで即座に告白しちゃったんだよ〜ん!」
「ちょっと待てぇ!お前さっき告白されたって言ってたじゃんか!それだとお前が告白したことになるぞ!」
「あっそうだ。俺から告白したんだった〜!ぷぷぷ〜!」
うわぁ、マジで一郎の幸福そうな顔見てたら腹が立ってきた。幸せを独り占めしやがって、お前なんて今日フラれるがいいさ!
無言で念力をかけていた俺に、萌が困惑した顔を向けてきた。なんであんたがそんな顔してるんだよ。もう一郎と会話すらしたくないのか?
そう思っていた俺の隣りで一郎のアホ話を聞いていた勇樹が、萌の微妙な変化に気がついたのか彼女に声をかけた。
「秋月さん?どうしたの?」
勇樹の呼びかけに萌は少し驚いた様子だったけど、すぐにいつもの表情に戻り(俺には向けない笑顔で)何でもないと告げた。何でもないわけねぇだろ。もしかして、一郎に彼女ができたことがそれほどショックだったのか?
「円ちゃん、違う学校なんだけどさぁ、帰りに校門で待ってるからとか言われちゃってぇぇ!」
「聞いてねぇよ!好き勝手にしゃべるな!」
その幸せに満ちた顔、一瞬で凍らせてやりたい! しかし絶頂期にいる一郎にはどんな攻撃も効かないだろう。何でもいいからコイツの顔を怯ませてやりてぇ。
「あっそうだ一郎。お前、高瀬はもういいのかよ」
「バカが!」
「なんで?」
コイツにバカ呼ばわりされるとは想像してなかった。その上から目線をやめろ。
「円ちゃんは俺が好き、俺も円ちゃんが好き、これは両想い!」
「だから?」
「バカが!」
「だからなんでだよ!」
いちいちバカ言いやがってふざけんな。俺より先に彼女ができたからって調子に乗ってんじゃねっ。
「高瀬は俺のこと何とも思ってなかっただろ、むしろ嫌われてかもしれない。しかぁし!円ちゃんは違うもんねぇ!俺の告白を受けてくれたんだよ〜!ぐぇっ!」
あっ、自分でも知らない間に一郎の首にラリアット決めてた。しかしさすが彼女持ち、一郎は笑顔で「ダメージゼロ!」と飛び起きる、そしてそんな一郎に腹が立った。カロリーゼロみたいに言ってんじゃねぇ。
「あっそうだ太郎君。円ちゃんとのメール交換で忙しいからゲームやってねぇんだけど、貸してやろうか?」
ラリアットをしたせいで足の裏の痛みが倍増していた俺に、一郎は勝ち誇った顔で新作のゲームを見せびらかせてきた。持って来てんじゃねぇよ、って太郎君てなんだ。
「貸してください」
俺のバカぁ!このままじゃ負け犬街道まっしぐらだよ!ちっきしょうが!
悔しさ最高潮の俺が足の裏の痛みなんて忘れておらおらぁと笑顔を見せている一郎にローキックをかましていると、茶髪の女王が登場した。ってか俺達、教室に入ればいいのに。
「おはよ〜!」
「あっおはよ」
萌の肩をポンと叩いた高瀬とふと目が合った。う〜ん、改めて高瀬を見ると、やっぱり一郎とは不釣り合いな気がする。もっとこう、ハジケた男が似合ってるね。なんて思っていると、高瀬が誰かの視線を感じたのか少し眉をつり上げた。
「なに?野代?」
へっ?と一郎の顔を見た俺は無意識のうちにミドルキックを繰り出していた。
「いってぇ!何すんだよ!」
「なんでお前が申し訳なさそうな顔してんだ。この勘違いちろう」
別に高瀬とお前は何でもなかったんだろが。なんだその「フッてごめん」みたいな顔は。そういうのはモテ男のすることでお前はやっちゃいけねぇんだよ。
「だ、だってよぉ」
突然弱気になった一郎を見て思った。この男、まだ高瀬に未練がある。さっきまで円ちゃん円ちゃん言ってた割りにだらしがねぇ。
しかしそんなことにお構いなしの高瀬は、「萌、教室入ろ?」と萌の腕を引っ張り俺達を残して教室へと入って行った。一郎が高瀬の姿を目で追っているのを見た俺は、彼のケータイを握り潰してやろうと微妙に力を込めてみた。
「あっケータイ返せよ!」
ちっ、見つかったか。俺からケータイを奪い返した一郎は、
「俺には円ちゃんがいる。そうだ、円ちゃんが…」
そうブツブツと自分に言い聞かせるように、ケータイの液晶に映る円ちゃんを眺めながらキモ一郎は暗い背中で教室へと入って行った。
誰も俺に行こうと声をかけてくれない。
「一条君、行こうか?」
「ゆ、勇樹ぃぃぃ!」
俺が勇樹に抱きついたのは言うまでもない。そして男2人、仲良く地面に突っ伏したのも言うまでもない。