第32話 おでことシャープでがっつんこ
本日最後の授業を受けるべく歴史の教科書を取り出した。我らが伊藤先生、岩ぁんみたいに庭田先生事件を根に持ってなきゃいいけど。あのスマイルは人一人軽くヤレるよ。
そして俺に抱きつかれた後に教室を出て行った隣りの女王は、チャイムが鳴る数秒前に戻って来て無表情を貫いたまま座っている。こっちを向くことも、反対隣りに座るあかねにも話しかけることなくただ前をジッと見据えています。もう顔の赤みは引いたみたいだけど、全身からただならぬオーラが放出されている為、俺はノートでそれをガードしています。
「太郎、教科書貸してくれ」
「はっ?」
萌(と俺)に蹴られたせいで一郎は鼻にティッシュを両鼻に詰めた状態でこっちに振り返った。ってか教科書なんて貸せるわけがないでしょ。
「ムリ。俺はこれから授業を受けるんだから」
「俺だって受けるっての!」
「じゃあ隣りのヤツに見せてもらえよ」
眠気もないし好きな歴史の授業だから久しぶりに真剣に授業に臨もうと思ってんだよ、それを邪魔しないで。
「見せてくんないから頼んでんじゃんよ」
「なんでよ?」
「お隣りさん、山下なんだもん」
「あっ」
そうか、一郎の隣りって八重子だっけ。今は座ってないけど、頼んでも「やだ!」って言われそうだよな。じゃあ反対隣りにって言おうとしてやめた。隣りは窓しかいない。かと言って俺が貸せるわけもないし。
「それじゃ晃に借りて来いよ」
「ヤダよ!あいつに借りたら見返りになんかよこせって言われるのがオチだ!」
「じゃあ…がんばれ」
「何をどうがんばんだよ!」
「俺に聞くな!」
貸す貸さないでモメていても、女王に変化はない。うるせぇって言ったりとか、無言で殴ったりもしてこない。ちょっと、どしたの?できるなら怒鳴って欲しいんだけど。そしたら一郎だって諦めてくれると思うし。
「太郎、貸してあげたら」
「え…」
やっと口を開いたと思ったらこの女、なんつーこと言うんだよ。俺が貸したらお前は見せてくれんのかい。
「マジ!?ありがとう秋月!」
「てめっ、まだ貸してやるって決まったわけじゃねぇんだから引っ張んな!破れたら弁償だぞ!」
「こんなラクガキばっかの教科書にんな価値あるかよ!しかもパラパラマンガ書いてるし」
「俺の唯一の楽しみをバカにすんな!」
パラパラマンガは書いてて楽しいんだよ!最高のヒマ潰しなんだから!それに歴史の教科書だけじゃない、全ての教科書に書いている、俺って不真面目極まりない。
「秋月が貸してやれっつったんだから!」
「イヤよ離してよぉ!」
「貸してよぉ!」
だからなんでオネェ言葉!?一郎まで俺につられてるし。
手抜きナシで教科書を引っ張る一郎。そんなに力入れたら鼻血が止まんないよ?ってマジで破ける!
「遅れてすみませんでした」
教科書を引っ張り合っていると伊藤先生がお目見えしました、そして俺を見てニヤリと微笑む。ニコリじゃなくてニヤリなとこがなんか怖い。やっぱりまだ忘れてくれてはいないようね、でも僕は謝りましたよ。
「センセー!太郎が教科書忘れたからって俺のを奪おうとしてます!」
「それは俺のセリフだっての!」
このウソつき!と目の前の坊主頭を軽く叩く。置き勉してるのに忘れるってありえないから。
「僕は忘れてません!証拠に、ホラ、一条 太郎って氏名欄に書いてます!」
一郎、お前の手には乗らねぇぞ!俺は教科書の一番後ろに書いてある名前を見せびらかせた。キレイな字でしょ、母ちゃんが書いてくれたんだよ!
「野代君、今度は忘れないように」
「…はい」
悪く思わないでくれ。俺は歴史だけはマジメに受けようと心に決めたんだ。
「じゃあ今日は一条君に借りて下さい」
「えぇぇぇ?せ、先生…ってあれ、八重子は?」
そういや先生が来てんのにあの子ったら席についてないよ。一郎に怒鳴って、萌みたいにいなくなって、それから…あら、鞄もないよ。
「山下さんは具合が悪くて早退しました」
えっ、それってまさか、一郎のせい?
「走ったから具合悪くなったのかな?」
それは違うよ高瀬!走ったのは岩ぁんに一郎、それに俺とターナーだけ!八重子は走ってないから!
「秋月さん、申し訳ないんですが一条君と一緒に教科書を見てもらってもいいですか?」
ゆったりとした口調で伊藤先生がそう言うと、萌ではなく一郎がイヤな顔を見せた。なんで?
「センセー!できたら秋月さんの方を借りたいです!太郎の教科書なんてラクガキばっかで集中出来ません!」
この野郎がぁ、それが借りるヤツの言葉かよ。先生!なんとか言ってやってください!
「それじゃ秋月さん、野代君に貸してあげてもらえますか?」
「先生ぇぇ!コイツを甘やかしたらロクな大人になりませんよぉ!ってか俺の教科書はキレイです!」
ダメですよ先生!一郎をその気にさせたら後で恐ろしいことになるかもですよ!って何で笑顔でいるんですか?俺の話をちゃんと聞いてください!
「まぁ今日だけですから。秋月さん、いいですか?」
「野代、汚したら殴るから」
「大丈夫だって、太郎じゃないんだから」
てめっ自分のことを棚に上げてよく言うわ!
「お前よかキレイに使ってるっつーに!お前の数学の教科書なんてぐちゃぐちゃじゃんかよ!」
「はい、それでは始めましょう」
ありゃりゃ、またも完全にスルーですかい。俺、先生に嫌われたのかな……。
「太郎、机」
「え、あっハイ」
萌は汚したらコロス!ぐらいの勢いで一郎に凄味を利かせると教科書を渡した。そして俺は萌と机を合わせ、教科書を広げる。と、女王が「うわっ」と驚いた。
「あんた、何歳?」
え、なんだ?なんで年齢を聞かれたんだ?突然自分の歳がわかんなくなるほどボケたのか?
「まだ誕生日きてないからあなたと同じピッチピチの16歳だけどぉ?」
「小学生だってこんなことしない」
「何が?」
もう話すのもメンドイと萌は教科書のある場所を指で差した。
「あっ」
萌の指先はある人物画を差していた。その人の顔にはヒゲが描かれ、髪の毛を増毛させられ、サングラスを掛けさせられている。あ〜だから何歳って聞いたんだね、納得。
「だってヒマだったんだよ」
「だからってこれはヒドイ」
えへっと笑っても萌は溜め息。う〜ん、まぁこれはヒドイね、元の顔が全く不明だし。
「ま、気にせず勉強しましょうや」
「…これは何」
「えっ?あぁパラパラマンガのこと?ほら、こーすると…」
ページをパラパラめくると、右端に描かれている棒人間が走る走る。絵の才能はないから棒人間です。でも見てるとなんか和むんだよねぇ。
「あんた、授業中なにしてんの?」
「授業を受けてますけど?」
「だから頭悪いんだよ」
普通に授業を受けたら頭が悪くなんのか?ってか俺だってそれほど悪くは…そういや萌って意外に頭いいんだよね。驚きだよ、あの親父からこの娘。おばさんに似たことを感謝しなさい。
「なに。笑ってんな」
「あっごめんなさいぃ」
いつの間にか笑ってたのか。今のは俺が悪いから睨まれても仕方がないね。
伊藤先生の授業は静かだけど面白い。途中途中で小話が入るから飽きないんだよね。
先生の優しい口調の言葉を聞きながらふと萌に視線を移した。黙ってりゃカワイイってのに、口を開けば殴るだから誰も近寄らないんだよね。できれば早く彼氏の一人や二人くらい作ってそいつと登下校して欲しいんだけど。そこいくと勇樹は勇気があるよな…一郎みたいなこと言っちゃった。
「こっち見るな」
「うえっ何で見てんのわかったの?」
「キモイから」
き、キモイ…。言っておくけど俺の瞳は透き通ったブラウンだよ?ふと視線を合わせれば周りの女子が黙って……るよ!
何も言えない俺を横目にふんっと萌が前に顔を向けた時、さっき嗅いだいい匂いがしました。でも言わない、言ったらそれこそ「はっ?キモイ」って言われる。
でも何の匂いだろ。シャンプー?リンス?それとも香水?高校生の分際でぇ!ってか今はそんなの普通か。
「だから何?」
「あっごっ」
「アゴ?あんた何言ってんだよ」
なんで前しか見てないのにわかんだよ!神経を研ぎ澄ませすぎじゃ!
「ご、ごめんなさい…だって」
「だって何」
いい匂いがするからなんて言えない!なんて言い訳したらいいの?
「あか、あかねがこっちを見てたんだよ」
あかね許して!全くこっちを見ていなかったのに巻き添えを食らわす。でも正直者のあかねはそれをスルーしてくれない。
「あたし見てないから」
そこはウソでもあっごめんて言ってくれ!さっきウソあかねって言ったの謝るから!
よく見るとあかねはこっちを見ていない代わりに勇樹をジッと見ていた。ジロジロ見たら萌が疑問に思うでしょうが!
「あかねは見てないって。ウソつくなバカ太郎」
「…ば、バカじゃない、です」
文句を言う声が小さいよ俺!睨まれると何も言えない!わら、笑っておくんなませぇ。
「も、萌?」
「なにバカ太郎」
わーい、俺のアダ名決定!でも名前を呼んだだけなのにその返しは悲しい!
「あなたさ、何で俺と話すと不機嫌になんの?毎日迎えに行ってんだからちょっとは笑顔くらい見せてくれてもいいんじゃない?だって…」
お前笑ったらカワイイのにって言おうとしてやめました。なぜか知らないけどコイツは昔から「カワイイ」という単語に敏感でしかも嫌いらしい。
あっそうだ!じゃあ嫌がらせに…。
「萌ちゃん笑ったらカ〜ワ〜イ〜イ〜んだからぁ」
「…それ以上なんか喋ったら殴る」
思った通りめちゃめちゃキレたよ。でも女の子って男にカワイイとか言われたら普通は照れたりしない?何でキレんの?
「カワイイって言われてんだからさぁ、あっありがと……くらい言えない?」
「言えない、言わない」
強情な姉ちゃんだな。そんなんじゃ今に勇樹に愛想をつかれるよ?なんて言葉を言えるハズもなく、俺は無言で萌の横顔を性懲りもなくまた見つめた…と、あかねと目が合う。ってやっぱこっち見てんじゃんか!
(…)
アイコンタクトを送ってくれていそうなんだけど、全くわからん。間にいる萌にシャットアウトされてんのか?
(あかねぇ!あんまり萌と勇樹を見ちゃダメだってば!バレるよ!)
(…)
やっぱり通じないか!あかねも必死に何か合図を送ってくれるけど全然わかんないし。あぁもうまどるっこしい!声に出せ!
「痛いぃぃ!」
声を出した、というか悲鳴を上げたのは俺です。萌に思いっ切り足を踏まれたから。あまりの痛さに額を机にブチ当てる。
ぐぉぉぉ、右足の小指ちゃん瀕死状態。ついでに机へ頭を打ちつけた時、シャーペンがちょうど額に刺さったからダブルパンチで痛い!
「い、一条君?どうしましたか?」
耳をつんざく絶叫に、さすがの先生もスルーすることはできない。けどここはスルー希望でした。わがまま坊ちゃんでごめんなさい。
「す、いません。クシャミしたらおでこにシャーペンが刺さっただけです…」
アホ過ぎる言い訳にクラスのみんなは大爆笑。大丈夫?って言ってくれるヤツなんざ皆無ですぜ。あっ先生は別ね、絶対に心配してくれる!
「だ、大丈夫ですか?」
「あっ大丈夫、です。どうぞ続けてくださいませぇ」
「そうですか、それでは…」
気を取り直した先生が教科書に目を落とすと、みんなも「あ〜笑った」という顔で前を向き直す。一郎は「ぷぷーっ」とワザとらしく笑うと体を前に戻した。
この、誰のおかげでこんな事になったと思ってんだよ。もうティッシュ取れよ、鼻血止まってんだろ?同情を誘うな!
「ここは重要ですのでノートに書いて下さいね」
おでこを擦りつつ、先生に言われた用語を書こうとシャーペンを持った……停止した。
なんてこった!シャーペン壊れてるよ!
ヘッドバッドを喰らったシャーペンはペン先の金具部分が見事に曲がってしまっている。やっべぇ、俺これしかシャーペンねぇよ。あっこれ萌がくれたヤツだっけ。ってことは!
「…ちっ」
うわっ舌打ちされた。萌様、相当ご立腹です。こんな状態の萌に「シャーペン貸してぇ」なんて言ったら蹴られるどころか顔面殴られる。そして鼻血をインクの代わりに使うことになる。怖い!
「いち、一郎…!」
明らかに居眠りしてるのがわかる一郎は、俺の小さな声に反応すらしてくれない、って寝るの早すぎ。
やばいよ、歴史だけはマジメに!って思った矢先にコレだもん。くっ、ここは鼻血を承知でいくしかないか。
「萌様、お願いがあります」
「ヤダ」
「あっそうですかってまだ何も言ってないから!」
「シャープ貸せでしょ」
「うん、今だけでいいんです」
「ヤダ」
「お願いよぉ!」
「ヤダ」
くっそ、ヤダしか言わねぇ。仕方がない、奥の手として交換条件を提示させていただこう。
「貸してくれたら勇樹君の秘密を教えて差し上げよう」
「いい」
「じゃあ私の…」
「いらない」
勇樹の秘密は「いい」で俺は「いらない」かよ!扱いがヒドイ!って別に勇樹の秘密なんて知らないんだけどさ。
「頼むよぉ。帰りにグレープジュース奢るから」
「ウチにある」
「お前ん家のは果汁100パーでしょ。奢るのは炭酸入りだよ?」
「炭酸苦手」
「あぁ…そうだったね」
そうだそうだった、コイツは炭酸ダメだっけ。前に微炭酸だからって無理やり挑戦させた時、俺の顔めがけて思い切り吹いたんだった。
「じゃあ…いぢっ!」
突然の衝撃にちゃんと「痛い」って発音出来なかった!なんだ?注射でもされたような痛みに襲われた!
「…」
犯人は推理するまでもなく萌です。彼女が俺の右腕に拳を当てました、骨に響いたわ!
「いきなり殴るのやめてよ!」
「…殴る」
「いだっ!ちょっ、予告してからでもダメだって!」
「うるさい」
やってられないと萌はもう一度俺の腕を殴ってから前を向いた。
散々殴っておいてシャーペン貸してくんないんかいぃ。殴られ損のくたびれ儲けたぁこの事でぇい。
あ〜あと溜め息を漏らした俺は窓に目を向ける。
ノートに書かないと頭に入らないんだよな。シャーペンがないんじゃパラパラマンガも書けねぇし。それに帰りは一郎とハンバーガー食いに行かないとなぁ、じゃあ萌も連れてくしかないか…絶対に嫌がると思うけど。
授業になんら関係のない事を考えていると目の前にシャーペンが現れた!しかもペン先が顔面スレスレ。
「おあっ!っぶ、危ないでしょうが!」
「使えば」
「え、マジでいいんですか」
「伊藤先生こっち見てるんだよ」
「へっ?」
黒板に視線を移すと伊藤先生が時間を置いてはチラリ、またチラリと見てきている。
大声で話しているつもりはなかったんですがね。
「あんたの事だから伊藤先生に何か言われたら私がシャープ貸してくれないとかってうるさそうだから。…授業終わったらちゃんと返せ」
「はいぃぃ、すんません」
貸してくれたシャープはこの前に借りたのとは違い、見るからに古い。やっぱ新しいのは貸してくれるわけないか。でも……。
「萌ちゃんありがとーーー!」
「うるっさい!」
「いっだぁ!」