第26話 ふぁ…の相手
教室に戻った俺達は、まずみんなに「なんで鼻にティッシュ詰めてんの?」って目で一斉に見られた。でも誰も何にも言ってこない。きっと俺達がケンカでもしたんだろうと思ってるよね。
「一郎太郎!」
俺達に気がついたあかねが心配そうな顔全開で走り寄って来る。俺、あかねにまで迷惑かけてるよ。
「だ、大丈夫?」
俺の前の席についた一郎の顔を見ながらあかねにそう質問された。大丈夫じゃない、めちゃくちゃ痛くてほっぺたがヒリヒリしてる。けど、痛いよなんて言いたくないし、言えない。
「大丈夫だよぉ。だからそんな目で見つめないでぇ、照れちゃうじゃない」
「…あんたねぇ」
冗談は顔だけにしろ、と頭を軽く叩かれた。それが歯に響いて痛い。ふと見ると、萌の姿がなかった。きっと晃とどこかに行ってるんだろう、アイツのことだから泣き顔なんて他のみんなには見せたくないんだよね。
「あれ、あんた萌は?」
「あぁ…晃とどっかに行った」
「そっか。ちゃんと言ったんだね?」
「うん…許してもらえるはずはないと思うけど」
あかねはそのまま何も言わず俺の頭をさっきとは違って、優しくポンポンと叩いてくれた。それを見ていた一郎が何か物欲しそうにあかねを見つめている。お前もポンポンされたいのか?
「あかねさぁん、僕にはよしよしってしてくれないの?」
「ムリ」
「即答かよぉ!」
あかねは苦笑いを浮かべながら「はいはい」と一郎の坊主頭に軽く手を置いた。こんなとき、あかねの存在はとても大きいんだって気付いた。きっと彼女は今、萌の所へ走って行きたいと思ってるかもしれない。でもそうしないで俺と一緒にいてくれる、感謝してもし足りない。
「ホームルームが始まる頃には戻って来るよきっと」
「…そだねぇ」
あかねは「もういいでしょうが!」と一郎にデコピンを喰らわせると、俺を見て少し笑みを見せ、自分の席に戻った。
「太郎、これからどうする?」
おでこをさすりながら一郎がそう呟いてきた。どうするって、謝らせてもらったけどそれからを考えてなんかいなかった。でもそれは俺達が決めることじゃないし。
「わかんね」
「そっか…」
それから俺は窓の外を見つめた。一郎はというと、何も話さない俺を少しの間ジッと見ていたが、ふうっと一息つくと体を前に戻した。
結局、萌はホームルームには出て来なかった。そして俺は誰も座っていない隣りの席を見ている。いるときはうるせぇって思ってたんだけど、なんだかいないと寂しいものだ。って今頃気付いたって遅いってのに。
「太郎、行くよ」
あかねがボーッと萌の席を見つめていた俺の腕を掴み、立ち上がらせた。行くって、どこへ?
「どこ行くの?」
「どこって、萌のこと探しに行くんだよ」
「探すったって…アイツは俺に会いたくないからホームルームに出なかったんじゃ…」
「いいから!いつまでウジウジ考えてないで!」
「あっ俺も行くよ」
腕を掴まれたまま教室から出ようとしたとき、一郎が後を追って走って来た。お前も手伝ってくれんのか?見ると一郎の顔が少し腫れている。きっと俺の顔も腫れてんだろうな。
「いや、一郎はここで待っててよ。もしかしたら行き違いで萌が帰ってくるかもしれないからさ。そしたら携帯に連絡して」
「え?あぁ、わかった」
あかねはそう言うと、俺の腕を引っ張り教室を出た。いつもなら「俺も行くってぇ!」ってついてくるアイツがあかねの言葉に頷いた。それが一番いい方法なんだとわかったからかもしれない、探すのは俺達で充分だ。
「あたしはB組に行ってみるから、あんたは……保健室にでも行ってみてよ」
「わかった」
よろしく!と力一杯に俺の背中を叩いて走り去ったあかねの後ろ姿を見送った俺は、保健室へ行こうと階段に向かって走り出した。
「ミエリ〜ン?」
保健室のドアを開けた俺は、静まりかえった室内を見渡した。ミエリンは…いないか、職員室にでも行ってるのかな?
出て行こうとしたとき、カーテンの向こう側からベッドの軋む音が聞こえた。あっやばい、誰か休んでたんだ。俺の声で起こしちゃったか?
「すいませんでしたぁ、すぐに退散しますのでぇ…」
俺は顔も見ていない相手に小声で謝った後、できるだけ静かにドアを開ける。何も返答がない、寝返りを打っただけかな?
「……太郎?」
ドアから体を半身出した瞬間、とても弱々しい声が届いた。あれ、この声って…。
「え、萌?」
恐る恐るカーテンに近付く俺は、それを開けられずにいた。きっと萌の顔は涙でグシャグシャになってるかもしれないと思うと、勇気が出ない。
「萌…えっと」
もう一度ちゃんと謝った方がいいよな。でもカーテン越しに謝るのは……でも開けていいのかどうか。
「あけ、開けてもいいですか?」
「…」
返答がない。やっぱり改めて出直した方がいいか?
俺がどうしようか悩んでいると、勢い良くカーテンが開かれ目の前に萌が現れた。俺はというと、突然の出来事に言葉を発することもできず彼女の目をジッと見ている。
「…」
無言を貫く萌の瞳からはもう涙は出ていない。だけど泣き腫らしたのがわかるほどにその目は充血していた。
「あ、いや…」
言葉が見つからない、謝ればいいんだ。もう一度謝るために萌を探してきたんだろうが。
「も…」
「宮田は勘違いしてたんでしょ」
「え?」
俺の言葉を遮った萌は、溜め息混じりにそう言った後ベッドに腰掛けた。
「いや、勘違いというか…」
「ちょっと考えたらわかんない?私が宮田にそんな手紙、書くと思うか」
それはそうです。萌が「好きで好きで仕方がないのぉ!」なんて言葉を使うわけがない。少し考えたらわかりそうなものだ。
でも晃はそれどころじゃなかったんだよ。ずっと好きだった萌から手紙がきたんだ、きっとそれが悪い冗談だなんて考えもしなかったんだろう。
「あの、晃は?」
「教室に戻ったんじゃないの」
だとするとあかねは晃に会えたのかな、俺も後で行かないと。そんなことを考えていると、萌は立ち上がり俺の横をすり抜けてドアへと歩いていく。
「あっ萌」
「…なに」
ちゃんと言わないと、あかねにも言われただろうが。ウジウジしてたって何も始まらないし、終わらないんだから。
「あの、俺のせいで、お前の…その、ふぁ、ふぁ…」
「くしゃみ?」
「いや、そうじゃなくて」
ふぁ、から先が出てこない!今は恥ずかしがってる場合じゃないのに!
「はっきり言え」
萌が体を反転させて俺に近付いてきた。そして充血したままの瞳で俺を睨んでくる。
「俺が、あんな手紙書いたせいで、お前の、ふぁ、ファースト…き…」
「は?」
今しかないのに!早く言わないとミエリンが戻ってくるかもしれないのに!俺の根性なし!
「俺のせいで、萌がファーストキスで奪わせてごめん!」
あれ、ちょっと言葉がおかしいよ。えっと晃の…?
「いや、今のは違くて。え〜…萌が、晃のファーストキスが…あれ?あっちょっと待って、整理するから」
「あんた何言ってんの」
おかしい!ちゃんと言うこと頭に浮かべてたハズなのに、いざって時に混乱してる!早く言わないと萌が出て行っちゃう!急いで整理しろぉ!
「だから、俺のせいで萌のファーストキスが奪われて…いや、違う……あれ、合ってる?」
「私に聞くな!」
冷や汗を掻いている俺は防御をする間もなくミドルキックを喰らった。だからスカートを履いているんだから蹴りなんて繰り出しちゃダメだって言ったのに、見えてしまうよ。
その蹴りが俺の脇腹にヒットし、あまりの痛さにしゃがみ込んでしまった。それを仁王立ちで見下ろす萌。
「いてて…」と立ち上がった俺は、萌と向き合い脇腹をさすりながらも頭を下げた。
「本当にごめん」
「あんた勘違いしてる」
「え?あの…」
「別に宮田が初めてじゃないから」
「はい…え、ええぇぇぇぇ!?じ、じゃあ誰が初め、ぐえっ!」
誰が初めての相手?と思わず質問しそうになったとき、萌の正拳が俺のみぞおちにめり込んだ。めり込むって、相当力が入ってないとムリだよね?
「反省してないわけ」
「いえ、すいません」
ふんと鼻を鳴らした萌が腹を抱える俺を置き去りにし、出て行こうとドアを開けた。が、「わっ!」と驚いた声を上げたと思ったら、その場に立ち止まった。
「萌?」
無言でお腹をさすっていた俺は萌の方へと顔を向けると、ドアの前に呆然と立ちつくす晃の姿が見えた。まさか今の話、聞いてた?
「あ、晃…」
萌の隣りに移動した俺は、晃の後ろにいるあかねに気付いた。彼女も口をあんぐりと開けたまま、「マジ?」という瞳で萌を見つめている。
「い、今の話…マジなの?萌ちゃん」
晃が焦点の合わない目で質問する。俺はあかねと一緒に萌の言葉を待っていた。
「…」
その問いに萌が俺をチラリと見てくる。え、俺がどしたの?
何も言わずに見つめ合っている俺と萌を見ていた晃が「あああぁ!」と突然大声を張り上げた。
「え、なに?」
その声に驚いたあかねが晃の顔を覗き込む。俺と萌は彼のものすごい形相に体を動かせずにいた。
「おま、お前が…?」
「え、なん、何が?」
意味がわかっていない俺の肩を泣きそうな顔で晃が掴んできた。ちょ、さっきよりも力が強いんですけど。
「お前が萌ちゃんの…初めての相手なのかぁ!」
「えぇぇぇ!ち、ちがっ…!」
なぜにそんな勘違いができるんだ?俺と萌は視線を合わせていただけなのに。
あなたも何か言ってくださいと、俺は萌に視線を移した、のがいけなかった。
「アイコンタクトだけで会話をするなぁ!」
まだ視線すら合わせてないから!と言おうとしたとき、俺は晃の手が震えているのがわかった。今なにを言っても信じてはくれないだろうな。
「宮田、勘違いするな!」
俺の肩を掴んだままの晃に、萌がローキックをお見舞いした。「ぐわっ!」と叫んで倒れ込んだ彼は、それでも萌を見上げている。
「誰がこんなやつとするか」
こ、こんなやつ…ちょっと悲しい。けど、誤解されたままはイヤだからここは黙っておいた方がよさそうだね。
「じゃ、じゃあ一体誰が萌ちゃんのぉ!」
「言う必要はない。あかね、行こう」
「えぇ?あ、いや…わかった」
悪い、と両手を合わせたあかねが萌の後に続いて走って行ってしまった。俺達は待って!とも言えずにただ2人を見つめていた。と、晃がスネをさすりながら立ち上がった。
「太郎」
下を向いたままの俺は晃の声に反応して少し顔を上げる。彼の顔に怒りはもう見えない。
「な、なに?」
「さっきは殴って悪かった」
「あ、いや…俺の方こそ、本当にごめん」
俺は許してもらおうだなんて思ってない。だけど、それでも謝るしかない。もう一度殴られてもそれは仕方のないことだ。
俺は晃に向かって深く、もう一度頭を下げた。
「俺も早く気付くべきだったんだ。萌ちゃんがあんな汚い字を書くわけがない。それによく考えてみたら、好きで好きで仕方がないのぉぉ!って、お前の決まり文句だったよな」
「え?」
いつからそれは俺の決まり文句になったんだ?無意識のうちに使ってたのか?晃はそれから「顔上げろって」と俺の頭を軽く叩いた。
「…けどまだ心からお前らを許せない自分がいるんだ」
「うん…」
「でも、言ってくれてよかった。萌ちゃんたら、俺にラヴレターを出しておきながらあの態度だろ?ちょっとおかしいって思ってたんだよ。でも、言えなかった」
「…うん」
顔を上げた俺は保健室を出て行く男の背中を見送った……と思ったら何か思い出したのか、ダッシュで俺の元へと戻って来るとタックルされた。
「っでぇ!」
そのまま倒れ込んだ俺は、地面に強く頭を打った。俺、タックルされるの趣味じゃないんだけどな…。
頭が混乱したまま倒れた俺に馬乗りになったままで、晃はこう叫んだ。
「お前を許してやる!」
「えぇ!?」
突然のお許しに俺は目を何度も瞬きさせる。え、なんで?ついさっき許せないって言ったばっかだよね?
「その代わり、萌ちゃんのファーストキスの相手を探せぇ!」
「お、俺がぁ?」
「一郎と2人でがんばればなんとかなるだろうが!なんとしても探せぇぇ」
「が、がんばりますうぅ!」
晃の殺気すら感じさせるオーラに、俺は何度も頷くしかできなかった。
って、相手を探してどうするつもりだ?殴るのか?