第25話 謝っても心は晴れない
昨日あかねにはちゃんと謝るって言ったんだけど、いざ萌を前にすると声が出ない。俺って小心者で、事なかれ主義。このまま言わなかったら晃は誤解したままで、萌は迷惑したまま。言わなきゃいけないのは自分でもわかってる。でも今、萌の後ろでトボトボ歩いている俺はまったく勇気が出ない。
朝を迎えた俺はいつものように秋月邸の前で萌を待っていた。真さんが昨日の夜にでも帰って来たのか、高級車が駐車場に止まっている。よかった、萌は一人じゃなかったんだ。…でも正直顔を合わせるのがマジで辛い。俺が撒いた種なんだから仕方がないかもしれない、でもなんて言っていいかわかんねぇ。
「昨日何かあった?」
いつものように少し遅れて萌は門から出て来た。俺は「おはゆ、おはよぉ」と動揺バレバレで萌を出迎え、前を歩かせていた。そんなとき、萌が俺の態度に疑問を持ったのか、そう聞いてきた。
「え…な、なんでもないよ?」
「あんたね」
「はい?」
「いつもハイテンションなあんたが、そんな暗い顔でなんでもないって言ってもバレてんだよ!」
突然振り向いた萌は俺に持っていた鞄を投げつけてきた。無防備な俺はそれを顔面でキャッチ。でも「いてぇ!」しか言えない。なにすんだ!なんて言えない。
「何があった」
「いや、なにも?」
「いい加減怒るよ」
もう怒ってるよねその表情は。ドスの利いた睨みが俺を襲う。それでも何も言わないのに呆れたのか、萌は俺から自分の鞄を奪うとそのままスタスタと歩いて行った。ちゃんと言わなきゃ、だよね?
なんとか言わなきゃ言わなきゃ!と考えていると、学校に到着してしまった。しかも不機嫌なままの萌はあれから俺と話をしようとしてくれない。というか、視線すら合わせてくれない。
「おはよ萌に一条!昨日は楽しかったねぇ!」
下駄箱で靴を履き替えていると、高瀬が玄関に入ってくるなり俺達に元気良く挨拶をしてきた。萌は「あぁ、おはよ」と俺には見せない笑顔で挨拶を返す。ってか高瀬、昨日は楽しかったのか?追いかけられて、走って逃げただけなのに。
「あれ、一条なんか元気ないじゃん。なんかあった?」
「あー…昨日走ったから疲れただけぇ」
いつも人のことをあんまり気にしないクセにこういう時だけ敏感なんだからこの子は。言い訳するのも一苦労ですよ。
俺と高瀬の会話を聞いていた萌は無表情で上履きを履くと、「恭子、行こう」と俺を置いて階段を上っていった。いつもなら「待ってぇ!」って追いかけるところだけど、追いかけていいもんか。
「おは太郎!」
そのアダ名で呼ぶのは晃か!と振り返ると、一郎が汗だくで走ってきた。また寝坊したのかこいつ、今年で何度目だよ。お前の家とここって歩いて10分だろうよ。少し早起きしたら歩いて来られるってのに、わざわざ苦労して。
「おは一郎…」
「なんだよなんだよ、朝から元気ねぇな!あっそうだ!今日は俺とハンバーガー食いに行くんだぞ!覚えておけよ!」
「ハンバーガー?……あぁぁぁ!ちょ、お前ぇぇ!」
ハンバーガーで思い出した!俺が元気がないのはお前のせいでもあるんだよ一郎!
俺は一郎の腕を掴み、男子トイレに駆け込もうと走った。
「コラぁ!廊下は走らないぃ!」
「す、すいませぇん!早くしないとヤバイので見逃してくださいぃぃ!」
ミス西岡に追いかけられそうになりながら、俺は一郎の腕をしっかりと掴んだままトイレに入った。幸い朝だから誰も入ってない。
「なんだよ太郎?どうした?」
何があったんだよって顔で見てくる一郎。お前は脳天気でいいね。それに比べて俺は、朝からダークな気分で登校だよ!
「お前、去年俺が書いたラブレター、晃の下駄箱に入れたんだったよな?」
「え?あぁそのこと?そうだよ」
「なんでそんなことした?」
一郎の胸ぐらを掴んだ俺は、そのまま壁に背中を押しつけた。マジな顔をしているのがわかったのか、一郎は少し焦った表情を見せる。
「な、なんでって?お前からのラブレターなんてもらっても嬉しくないからだよ」
「だからって何でわざわざその手紙に萌の名前を書いた?」
「じょ、冗談に決まってるじゃんかよ。ほら、晃の奴モテるくせに秋月秋月って言ってたから。他の女子には冷たくしてたし」
冗談だって?それはマジで笑えない冗談だな。今まで知らなかった俺って一体なんだ?気付けよな!
それに一郎のせいじゃない、俺のせいだ!なのにコイツのせいにしようとしてるよ…マジで最低。
一郎から離れた俺は、一度深呼吸をした。
「悪い、お前のせいじゃねぇのに」
「だから何の話だってんだ?なに、晃にバレたのか?それとも秋月にバレた?」
「バレてねぇよ!だから悩んでるんじゃねぇか!」
俺の大声に仰け反った一郎は顔を硬直させたまま動かない。そういや冗談じゃなくてマジで一郎に怒鳴ったことなんて一回だってなかった。
「な、なんなんだよ?バレてねぇの?じゃあなんでお前はそんな悩んでんのよ?」
「…」
事実を知ったのに悩まずにいられるわけがねぇじゃんか。言わなきゃいけねぇから悩んでんだよ。……なんで悩む必要があるんだ?言えばいいじゃねぇか、素直に謝ればいいんだけど…怖いんだよ。はっきり言って萌にこれ以上嫌われたくねぇんだ。晃にだって、アイツだって俺の友達だ。失いたくなんてねぇ、でも言わなきゃいけねぇ。バレてないからそれでいいなんて思えない。
「た、太郎?お前に真剣な顔は似合わないよ?」
「わかってるよ」
俺は自分への怒りが限界に達し、トイレのドアを乱暴に開けて廊下に出た。それを一郎は呆然と見てた。
教室に行きたくない、けどまた保健室に逃げるなんて絶対にやっちゃいけない。俺は自分の頬を思い切り叩き、ドアを開けた。
「おはよ」
一番に声を掛けてくれたのはあかねだった。心配そうな表情で俺を見つめてくる。その目は「まだ言えてないんでしょ」って言いたそうだった。
「…はよ」
元気良くなんて返せるハズがない。俺はあかねとの会話もそこそこに自分の席についた。そして隣りには腕組みをしたまま動かない萌。チラリと見ると、俺を睨んでいる。
「な、なに?」
「…別に」
ふいと俺から視線を外した萌は、隣りにいるあかねと会話を始める。あかねは時々俺の方を向いては目で合図を送ってくれるけど、声が出ない。チャンスかもしれないけど、勇気が出ない。
「おは萌ちゃぁぁん!」
この声は間違いなく晃だ。顔を見なくてもわかる。
晃は勢い良く教室のドアを開け、ダッシュで萌の側まで走ってきた。それを彼女は完全スルー。…これは俺のせいなんだよね。
「も、萌」
晃が萌に話しかけているとき、気付くと俺は名前を呼んでいた。
「お前、俺が今萌ちゃんと話してるんだから!」
晃が邪魔するなと言わんばかりに俺に文句を投げかけてくる。でも、晃にも聞いてもらわなきゃいけない。今しかない。
「なに」
ちょっと、と晃の背中を押した萌が立ち上がった。その顔は怒ってはいないけど、なんだかとても冷めた目だった。
「晃も、ちょっと話したいことがあるんだけど」
「俺もかよ?なんだよ?」
「いや、ちょっとここじゃ話しづらいから、できれば廊下に出てくれないか?」
「あぁ?」
他のみんなには聞かせたくない。それは晃にも、萌にも申し訳ない。
俺の顔を見たまま動かない晃と萌に、あかねが「行ってあげて」と2人の肩を叩いてくれた。彼女には本当に感謝します。
「ごめん」
俺はそう言うと、先頭を切って廊下に出ようと歩き出した。それを見た晃と萌も怪訝な表情のまま後に続いてくれた。
「2人とも、申し訳ない!」
廊下の行き止まりに来た俺は、他の生徒が来ていないのを確認すると同時に頭を下げる。
「あぁ?なんで謝ってんだよ?お前らしくねぇ」
「…」
頭上げろってと言う晃と、無言のまま俺を見つめる萌。全て説明しなくちゃいけない。
「晃、昨日萌からラブレターもらったって言ってたよな」
「え?あっああ」
「私そんなの書いてない」
「えぇ!?」
その言葉に絶句した晃は、どうしていいかわからず萌の肩を掴んだ。
「だって!だってあのラブレター、萌ちゃんの名前が書いてあったんだよ!?」
「だから書いてないって。ちょっと放して!」
痛いから!と晃を両手で押した萌は、何も言わない俺を睨んでくる。何か知ってるんだろって顔してる。知ってる、俺が原因なんだから。
「俺が書いたんだよ、そのラブレター」
「「…え?」」
と、2人同時に短くそう呟いた。
「お前、マジで俺に気が…」
「ねぇよ!それはお前に書いたんじゃなくて、一郎に…」
一郎は多分悪くない、俺が冗談半分であいつに手紙を書いたからこんなことになってんだ。今あいつの名前を出しちゃいけない。
「なんだよ?はっきり言えよ」
わかんねぇと言う晃と対照的に、何も言わない萌はまだ俺をジッと見据えている。
「晃、マジで…本当にすまない。そのラブレターは萌が書いたんじゃなくて俺が書いたんだ。今まで言えなくて、本当にごめん」
「な、なんだよそれ……なんだよそれぇ!」
渾身の力を込めた拳が俺の顔面にモロに決まった。ふき飛ばされた俺は、壁に激突すると膝からガックリと落ちる。マジで殴ったな晃、でもこんなんで許してくれるわけない。
「お前、俺のことバカにしてんのか!」
壁に背をつけて座り込んでいる俺の胸ぐらを掴んだ晃はもう一発、俺を殴った。
「ちょっと、やめて!」
もう一度、と晃が腕を振り上げた瞬間、萌が晃のそれを掴んだ。鼻血を出した俺は、口の中も切れていることに気がついた。
「萌ちゃん!君だって腹が立ってるんじゃないのか!?」
「立ってるよ!でも最後まで話聞いてからじゃないとわからないから!」
それを聞いた晃はワナワナと肩を振るわせながらも胸ぐらを掴む手を緩める。俺はよろよろと立ち上がり、もう一度頭を下げた。何度下げたところで2人の気が収まることなんてないってわかってる。でも頭の悪い俺にはこうして謝ることしか思い浮かばない。
「太郎、理由は」
「…理由は」
理由を言っていいのかどうか、悩んだ。俺が書いた手紙に一郎が萌の名前を付け足して晃の下駄箱に入れましたって言ったら、一郎に責任を押しつけることにならないのか?
「理由は…」
「はっきり言えよ!」
まともに喋ろうとしない俺に、我慢の限界がきたのか晃がまた俺の胸ぐらを掴もうと突っかかってきた、けど萌にそれを止められた。
「ごめん」
「ご、ごめんじゃわかんねぇんだよ!説明しろよ!」
萌の制止を振り切り、晃は俺の背中を壁に押しつける。でも離せなんて今の俺には言えない。
「晃、本当にごめん」
「だから、ごめんじゃわかんねぇんだっつってんだよ!」
俺の顔面めがけてもう一度晃の拳が迫ってきた。交わすことなんてムリ、というかできない。俺は覚悟を決めて目をつぶった。
「ちょっと待ったぁぁ!」
萌の背後から一郎と思われる叫び声が聞こえた。それに反応した晃の拳があと数センチのところで止まる。
「野代?」
萌の少し驚いた声が聞こえた。晃は俺から手を離し、一郎に一歩一歩近付いていく。
「ちょ、晃!一郎は何も関係ねぇから!」
「話は全て聞いた!晃ぁ!」
一郎が晃の元へと駆け寄る。晃の顔は後ろ姿だからわからないけど、怒ってるのは確かだ。拳をこれでもかというほどに握り締めている。
「俺のせいなんだよ!太郎は何も悪くねぇんだ!俺が秋月の名前を書いてお前の下駄箱に入れたんだ!殴るなら俺を殴ってくれ!」
「言われなくても…!」
晃は力一杯に一郎を殴った。地面に突っ伏した一郎はすぐに起き上がり、
「本当に悪かった!」
と何度も頭を下げる。しかし晃の怒りがそれで収まるはずがない。
「てめぇ!」
もう一度晃は一郎を殴りつける。それでもまたすぐに起き上がる一郎。そしてまた拳を振り上げる…それを見た俺は晃の前に走った。
「晃!一郎は悪くないんだって!俺が…」
「2人とも悪いだろうが!」
初めに俺が、次に一郎が殴られた。最初に殴ったときよりも力がこもってる。見ると晃の拳に血がついていた。きっと俺の歯が当たって切れたんだ。
「宮田!もうやめろ!」
倒れたままの俺に馬乗りになった晃にしがみつき、萌がそう叫んだ。その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。俺、萌まで泣かせてるよ。
「やめない!俺をバカにしやがって!萌ちゃんまで!」
「もうやめなって!もういいから…」
萌はそれから体にしがみついたまましゃくりを上げて泣き始めてしまった。それを俺達は倒れたまま鼻血を出して見上げている。泣き続ける萌をしっかりと抱き留めた晃は、俺達を少しの間睨んだ後、その場を離れて行った。
「太郎、お前、俺のせいだろうが。カッコつけてんじゃねぇよ」
2人がいなくなってから、倒れたままの一郎に文句を言われた。
「カッコつけたわけじゃねぇよ。俺が悪いからだよ」
「お前なぁ…あぁイテェ。口の中めちゃくちゃ切れてんな」
「そうね…めちゃくちゃ、痛い」
心の方が何倍も痛かった。でも、晃と萌の痛みに比べたら、俺の痛みなんて塵みたいなもんだ。