第122話 女装と男装、そして足湯
「では委員長、副委員長は前へ出て進行をお願いします」
伊藤先生はにこやかな顔でそう言うと、ふと俺に視線を送った。あれから何ヶ月も経つというのに、まだ庭田先生事件のことを根に持っていらっしゃるのでしょうか。ってか何をしたかすらもう忘れてしまいました。
遅れましたが皆さんこんにちは。昼メシ食べてお腹いっぱい、一条 太郎です。今は6時限目、ホームルームの時間です。
いやはや左手が痛いのなんのって。ソフトボールの試合は3回で終わるし、俺の打順は三振喰らったターナーの陰謀で10番にさせられるし……9番までしかないのに10番って何なの!?
「それじゃあ、今年の文化祭の出し物について話し合いを始めたいと思います」
勇樹の可愛い声を聞きながら黒板の方へ顔を向けると、副委員長のあかねがチョークで『文化祭出し物』とデカデカ……ふぎぃ! 今ギィィってツメで黒板引っ掻いたろ? テヘッて笑わなくていいから! みんな顔面蒼白だよ!
「早く終わりたかったら意見出しなよ! 決まらなかったら帰れないんだからね!」
あかねって意外と教師に向いているのかもしれません。彼女みたいな人が担任だったら嬉しいことこの上ないぜ。毎日学校へ行くのが楽しみで仕方ない。無遅刻無欠席できる自信ある。
「はいはいはいぃ!」
誰もが手を挙げない中、ここぞとばかりに右手を挙げたのはクサいグローブももろともせずにがんばってくれた一郎君でした。だがソッコーで却下されるだろうけど。
「今年こそ、今年こそ猫カフェを希望します!」
『猫』という単語を聞いて肩をビクつくかせた萌を俺は見逃さなかった。コイツ、もしかして一票入れる気か!?
まぁでもド定番のお化け屋敷は一年生がやるし(この学校では一年生の内、くじ引きによりひとクラスが必ずお化け屋敷をさせられるという意味の分からない決まりがある)俺も特に何がやりたいってワケでもないからなぁ。
去年は演劇をやったんだけど……しかも桃太郎。
てっきり『太郎』つながりで主役は俺だと思ってたのに、結局キジ役だった。あかねに颯爽と主役の座を取られた時のことはずっと忘れない。せっかくの勇樹先生力作のポスターも萌が破っちゃうし。ぐだぐだで終わった去年の文化祭、良い思い出です。
ほわわっとそんな風に去年のことを思い出していると、あかねが黒板に『猫カフェ』と書い……またツメ引っ掻いた! 背筋むずむずする!
「猫カフェって……一郎、お前ん家の猫連れてくんのか?」
背中をボリボリ掻きつつ、誰もツッコミを入れないので一応聞いてみる。俺は猫飼ってないし、他のみんなが猫飼ってるか知らない。キャラメル一匹で成り立つのか? それとも子猫達も連れてくるつもりか?
「バッキャロー! キャラメルなんて連れてきてみろ! アイドルなんてもんじゃねぇぞ!? スーパーアイドルになる!」
一郎ちょっとごめん、うるさいから小さな声でお願い。
変なスイッチを押してしまったようで、テンションMAX状態の彼はキャラメルについて熱く語りはじめた。だけど声が異常にうるさすぎて耳をふさぐ俺。マジうるさい、席すぐ近くなんだからそんなデカイ声出さなくても聞こえるっつーに。
聞けよ聞いてよと騒ぐ一郎を見ていた委員長の勇樹は、う~んと小さく唸ったかと思ったら、「誰か野代君の他に猫を飼っている人はいませんか?」と質問を投げかける。が手を挙げるヤツはいない。あらら一郎カワイソーなんて心にもないことを思っていると、高瀬さんが立ち上がったではないですか。彼女も猫を飼っているのでしょうか。
「私一匹飼ってるけど、学校に連れて来て大丈夫なんですか先生?」
それはもっともな考えだ。動物を学校に連れて来るってのはどう考えてもダメだろうな。
ふむ、と腕組みをしてしばらく考えた先生は、キラキラと輝かせた瞳を見せる一郎に視線を移動させた。
「校長先生に相談してみても良いですが、きっと却下されてしまうと思います。文化祭には小さなお子さんなどたくさんの人が集まりますからね」
「ま、マジっすか……キャラメル、ごめん……」
伊藤先生の答えを聞いた一郎は力なくそう呟くと、悲しみに暮れながら机に突っ伏して小さな寝息を立て始めた……寝てんじゃねぇよ!
ふて寝している一郎を気にすることなく、あかねは黒板に書いた『猫カフェ』の字をさっさと消すと「他には? 何かやりたい事ないの?」と委員長である勇樹を差し置いてホームルームを進めた。
「そこの太郎! あんた何かないの?」
何の前触れもなしに俺かい!? いきなり振られてドキドキなんですけど!
「あ、え、えっと……映画上映会、なんてどうすかね?」
やっと出てきた言葉がこれ。しかし! 何の考えもナシに言ったわけではない! そう、俺には『あの名作』があるのさ!
「もちろん! 上映するのは―」
「却下」
「……て、鉄の―」
「却下」
「……」
おらぁ萌ぇ! 俺が鉄の犬って言うと分かってて却下っつってんだろ? ってか少しくらいこっち見ろや! くそ、意地でもこっち向かせてやりたい衝動に駆られる!
「……も、萌さんや? 私の意見を却下するというのなら、何か良い案でもあるんでしょうか~? 聞きたい聞きたい!」
「黙れ」
「……」
いつになく不機嫌そうな萌は俺をジロリと睨んでから前を向いた。なんだよなんだよ、7番じゃなかったからって俺に当たられても困るってんだ。
悔し涙を浮かべそうになりながらあかねに助けて光線を送ってみるも、完璧なまでのスルー。彼女は「もう何でもいいからそっちから順番に言ってみて」と手持ちぶさたにチョークをクルクル回し始めた。うん、勇樹の出番、ナシです!!
「手芸作品の展示会」
香……そういうのは手芸部でやるだろうが。
「ターナーの歴史発表会!」
八重子……そういうのは一人でやってくれ。
「庭田先生の歴史発表会!」
岩ぁん……伊藤先生の目が光ったよ。
「キャラメルの歴史、ここに来たる!」
お前寝てたんじゃねぇのかよ!?
「モグラ叩きならぬ、人間叩き。もちろんお客さんがモグラ役で」
どんな発想だよあかねさん! 下手したらケガ人出ちゃうよ!
「ちょっ、一回みんな落ち着こう?」
口々に無理なことを言っていくみんなに、勇樹が額に汗を掻きつつ止めに入った。誰もまともな意見言ってねぇ。こりゃ勇樹も先が思いやられるな。俺のが一番良い提案だったんじゃね?
「いいんちょーは何か良い意見あるんですかー?」
コラ高瀬! 勇樹を困らせるようなこと言わないの!
突然の指名に驚きつつも、一度チラリとあかねに視線を向けた彼は照れくさそうに小さな声でこう呟いた。
「……餃子を振る舞うとか、どうかな?」
却下! 間違いなく却下!
そんなこんなで(どんなこんなだ)まともな意見が出ないまま6時限目も終盤を迎えた。このままだと本当に帰れなくなってしまう。やばい、今日は楽しみにしてたマンガの発売日なのに…………買わないから関係ないけど。
最終的に候補として上がったのは『金魚すくい』、『女装(出来るのならば男装)カフェdeドリンク』、『座禅、~肩を叩かれるのはどこのどいつだ~』、『パソコントラブル解決します』、『足湯』といった訳のわからんラインナップが黒板に書かれている。
……どうしよう、どれもヤダな。この中で絶対にどれか選ばなきゃいけないとしたら最悪だ。ってか足湯はまず無理だろ、いちいちお湯沸かすんかい。
「じゃあ……この中でどれが良いか決めたいと思います」
え? 良いの!? まともな提案ひとつも入ってないけど良いのか!?
ざわざわと騒がしくなってきた教室で、一人静かに目を閉じているお嬢様がいた。その名も萌。まさか寝てるんじゃないよね?
「おい萌ぇ。あなた何も提案してないけど、勇樹が可哀想だよ?」
「うるさい」
あんたってホント淡泊だよね。だけど決まったら決まったで「ヤダ」とか言うんだろ? 一番サイアクなパターンじゃねぇか。
「それじゃあ、女装(出来るのならば男装)カフェdeドリンクが良い人?」
あーだこーだ萌と話し込んでいると、いつの間にか『金魚すくい』は却下された模様です。きっと金魚すくいにトラウマを持つあかねに消されてしまったのでしょう。
……それと、少し思ったのだが、『出来るのならば』ってどーゆー意味? 女装は出来て男装は出来ないってことなのか?
「はいは~い! 良いと思いま~す!」
これは提案者である高瀬が元気よく手を挙げた。そしてなんと他の男女何人かも手を挙げているではありませんか! これは決まりか!? 決まってしまうのか? でも俺の女装を見たい人なんて…………はっ!
「はいはい! 俺も賛成! 賛成賛成!」
そうだそうだ! これは勇樹の女装を見られるまたとないチャンスだ! 高瀬ナイスチョイスだよあんた!
「あんたが女装? ハッ」
おい萌、いま鼻で笑ったろ? ってかいつ俺が女装するって言ったよ。男みんなが女装するワケじゃない。何人かは裏方に回るっつーに。俺と一郎と……香は裏方でいい。
「え~っと……いち、に、…………全部で13人です。それじゃ次に、『座禅、~肩を叩かれるのはどこのどいつだ~』が良いと思う人?」
タイトルからして絶対に痛いなこれは。肩を押さえてのたうち回るお客さんの光景が目に浮かぶよ。
周りを見渡してみると、誰も手を挙げない中で提案者のあかねだけが元気よく手を挙げていらっしゃる。あんたが叩いたら客の肩が外れるわ。
「えっと、座禅は1人です。それじゃ『パソコントラブル解決します』が良い人?」
パソコンの知識を持っているやつはA組にはいない。それを考えると、どうしてこれが最終選考に残ったか意味がわかりませんな。
結局、パソコントラボーは0人。提案者すら手を挙げなかったってのはどういうことだ。
……残されたのは『足湯』。現在トップを走っているのは女装カフェdeドリンクの13人。そう、『足湯』という強大な壁を超えた時、俺達は勇樹の可愛すぎる女装を拝めることになる! ってかもうこれ決まったも同然じゃない?
「それでは、最後に『足湯』が良い人?」
「はい」
お、おい萌ぇぇぇええ!? おまっ、何を理由に足湯? そんなに浸かりたいならどっか名所に行って浸かってこいや! 水道水を沸かしただけのモンに足突っ込ませて何が楽しいんだよ? ま、まぁでも手を挙げてるのは萌一人だし、これはもらったも同然…………お、おぉ?
「……え? お、え、ちょ、ちょっとぉ!?」
待て待て待て! なんでみんな萌に続けとばかりに手を挙げてんだ!? 水道水による足湯のどこにそんな魅力がある?
あわわと立ち上がった俺に冷たい視線を向けた萌は、それから勝ち誇ったような不気味な笑みを見せてくる。
「コーヒーとかホットケーキ作るとか、注文受けたり客に出すのメンドイ。足湯ならお湯沸かすだけで済むし」
どんだけ面倒臭がってんだよお前は! ってか仮に足湯に決まったとしても、お前ぜっっったいにお湯沸かしたりしないだろ? 座って傍観決め込むだろ? どっちみちやらないなら黙っててよ!
『女装(出来るのならば男装)カフェdeドリンク』に手を挙げたのが13人、そしてA組は全部で27人。もし残り全員が『足湯』に手を挙げたら…………マズイ1票差で負ける!
「え~っと、13人だから……あっ、カフェdeドリンクと同票だ。どうしよう」
13人、だと? 今日は誰も休んでないはずだから、誰か一人手を挙げていない不届き者がいる! …………あっ、違った! あかねが『座禅、~肩を叩かれるのはどこのどいつだ~』に一票入れてたんだ!
「あかね! あなたの一票をこちらにちょうだい!!」
なりふり構っていられない! どうせ『座禅(以下略)』は却下だ、そうなれば彼女はどちらかに入れざるを得ない。あかねの男装っぷりも見てみたいし!
「あたしは『座禅』に手を挙げたから無理だよ。それに一度決めたことを変えるつもりはない」
だからそれは却下されてるんだよ! でもその意志を貫こうとする姿勢がちょっと格好良い!
どんなにお願いしても彼女は首を縦に振らない。それは『足湯』にとっても同じだった。
こうなりゃいっそのこと分かれてやるか? おぉやるよやってやろうじゃんと、女装派と足湯派の対立により険悪なムードが漂い始めたころ、何とかこの場を収めたいと思ったのか、餃子パーティを却下された勇樹委員長が小さく手を挙げた。
「ここはみんなの意見を尊重して『女装(出来るのならば)男装de足湯』っていうのはどうかな?」
意味不明だよ勇樹! 女装&男装したヤツらが沸騰したお湯持ってウロチョロして何になる? 気になってゆっくり足湯なんて浸かれないよね? ノリノリで「コーヒーお待ちのお客様ぁ!」って言うのが面白いんだよ。ってか女装した勇樹に「ご、ごゆっくりどうぞ……」って言って欲しいんだよ!
どちらも譲らず話は平行線を辿り、もはやこれまでと6時限目のチャイムがなる寸前、我らが伊藤先生が立ち上がった。良い方法を導き出しました、って目をしてる!
「仕方ありません。ここはくじ引きとしましょう」
くじ引き……全員が伊藤先生の言葉に呆然としていると、彼は素早い動作で二つ折りにした紙を2枚用意し、勇樹の前に置いた。
「委員長である佐野君が引いてください。皆さんもそれで良いですね?」
よ、よぉっしゃぁあ! やってやれ勇樹! 俺はお前を信じてる!
「そ、それじゃあ……」
重大な責任を負わされた勇樹は一度深呼吸をすると、目の前にある紙をごしゃごしゃと混ぜ始めた。
「…………」
勇樹が真剣な眼差しで混ぜている間、誰も口を開こうとしない。それだけみんなの意識が彼の手に集まっている証拠だ。いつもは冷静な俺まで手に汗掻いちゃってるよ。
ふと横を見ると、萌も真剣な顔で事の行く末を見守っている。っつーかお前、どっちみちやらねぇんだからいいだろ。
ごしゃごしゃ……ごしゃごしゃ……ごしゃごしゃ……。
「もういいから取れやぁあ!」
お前は寝てろや一郎!