第121話 カビ臭さがこびり付く
「今日はソフトボールをする!」
ターナーの威勢の良い声とは裏腹に全くやる気のない我が2年A組。が、ただ一人ターナーLOVEの八重子(本名、山下 八重さん)だけは早速グローブをはめてやる気満々。でもお前って文化系じゃなかった?
それにしても、なんなんだろねこの体育教師は。ドッチボールとかリレーとか、高校の体育っていえば柔道とかサッカーだろ。その前に男女別にやるだろ。なんで必ず混合ですか。ってか何で教師のアンタが試合出る気満々なの?
「事前にチームは俺が作っておいた! タナチームはあっち、クラチームはそっちに並べ!」
たな・くら? ……棚倉先生、どんだけ自分大好きだよアンタ。
みんなターナーの自分勝手さはよ~くわかっているらしく、ため息混じりに並ぶ人、欠伸をしつつも並ぶ人……並ばない人。俺? 俺は笑顔で並ぶ人。
「おぉ太郎! 俺と同じチームで良かったなこの野郎! タナチーム最高!」
「一郎と同じチームかよ……あ、あかねぇ!! 同じチームだ! やったやった!」
やったぜの舞を一郎と共に踊る俺にため息を漏らすあかねさん。八重子はターナーと同じチームになれたのがそんなに嬉しかったのか、隣りにいた岩ぁんの背中を思い切りぶったたいているのが見える。
がんばれ岩ぁん。
あかねに『俺、諦めません』宣言をしてから約十日が過ぎた。その間に起きたことと言えば……あまりに多くて俺自身整理がついてません。『かくかくしかじか』で終わることが出来たらどれほど楽でしょう。
まず第一に……また萌ちゃん(性を秋月、名を萌と申す者)と登下校を共にせざるを得なくなりました。原因の全ては萌の親父、真さんです。
彼女が襲われそうになったと知るや否や、しかしノブ君に萌を任せるのがどうしても嫌だったらしく、俺に火の粉が飛んできた、というワケですよ。真さんめ、俺がチョコレート大好き人間なの知ってて、
『様々な国々のチョコレートの数々を食べ尽くしたくないか?』
だとよ! あぁ食いたいさ! 食い尽くしてやりたいさ! チョコレート欲しさに目がくらんだんだよ!
にしても真さん、俺ぁ萌に振られたんですぜ? 学校で顔付き合わすのも辛いってのに、登下校を共にしろだなんて地獄絵図ですぜ?
……ま、また一緒に登下校出来るからって全っ然嬉しくないんだからね!!
っとまぁ、そんなこんなでまた秋月邸の前で寝ぼけ眼のお嬢様を待つことになったんです。でも真さんってどんだけノブ君のこと嫌ってんだろ。金持ちで顔も良くて人当たりも良くて……お、俺だって! 人当たりの良さでは負けてないぜ!
「お? 萌と高瀬はクラチームか」
そんなことを考えながらふとクラチームの方へ顔を向けると、視線に気がついた高瀬がこちらに向かって手を振ってきた。萌は……相変わらずこっちを見ない。やはり空気イコール俺。
まぁでも違うチームなら面倒なことを押しつけられずに済むな、と意気揚々とグローブを掴んで……クサッ! 何コレ臭い! グローブ独特のニオイじゃなく、カビ臭ぇよこれ! ってかマジでカビ生えてんじゃねぇか! 小さいカゴにドサッと入れてすぐ倉庫に仕舞うからだよ! 他の、他のグローブを!
急いで別のグローブと交換しようとしたが、あまりの臭さに悶絶しそうな俺を見ていたタナチームの奴らが、急げとばかりカゴに入っていたグローブを購買のパンを争うかの如く奪い合い、散り散りに去って行った。ってかカビ生えグローブってこれだけだったの? 僕はその一個を取ってしまったの?
くそっ、アイツ等覚えてろよ! ……いや待て! まだ1つだけカゴに入ってる!
「あれ? グローブこれしかねぇのか……」
一人出遅れた俺の大親友、一郎。彼はひとつだけ残った少しヨレヨレのグローブを手にしていた。残念無念そうな顔を見せている一郎に不覚にもソワソワしてしまう。これとあれ……カビ臭さとボロさ、あなたならどちらを取る?
「いち、一郎! それボロボロだから俺のと交換してやるよ!!」
「え? 良いのか?」
「おうよ! 同じチームになった縁だ。気兼ねなくコレを使ってくれ!」
「た、太郎! お前ってヤツは……ありがとよ!」
素直に喜んでくれるのはいいが若干心が痛む。ま、一郎だからいいか。
ハハッと白い歯を見せてグローブを渡した俺は速攻で一郎から離れた。「返品する!」と喚かれるのも嫌だからね。
「ぐわっ! クサッ! 太郎てめぇクセェじゃねぇかこれ!! うわっ! 脱いでも手がクセェ!」
「大丈夫、お前と同じニオイだから安心しろ」
「俺はこんな臭くねぇよ!」
返品しろ! と叫ばれたがもはや時既に遅し、俺はグローブをしっかりと左手に収めた。悪いな一郎。少しの辛抱だ。
「よしっ! まずはクラチームの攻撃からだ! 打順も俺が決めておいた! 一番高瀬!」
「え~私ぃ?」
勘弁してよと言いたげな高瀬さんは、出来れば傍観を決め込みたかったらしく、ブツブツ何か呟いて面倒臭そうにバットを手に取る。何でもいいからブンブン振って三振しちゃったらいいんだよ。その後はゆっくり観戦してりゃいいんだ。
「って、ちょい待ちターナー! 誰がどの守備につくか決まってねぇよ!?」
「騒ぐな! この紙に全部書いてある! ほら津田! お前がピッチャーだ!」
「えぇ? あた、あたしですか? ピッチャーなんてやったこと―」
「お前以外に適任はいない! 残りの奴らも一条に渡した紙見てチャッチャと配置に付け!」
急げ! 時間がもったいないだろう! と、ターナーが叫ぶ。そんな彼の右の袖にご飯粒がチラホラと付いているのが見えた。が、その事には一切触れずにもらった紙を見てみると……え~っと、あかねがピッチャーで、一郎がセンターで……。
「ちょっ、俺がキャッチャーって死ねっつってるようなモンじゃねぇかよ!?」
あかねの剛速球をまともに喰らえってか!? エンドレスで喰らい続けろってかよ!? 毎度毎度パスボールしてたら試合になんないけどいいのね!?
一人ハイテンションで息巻いていると、溜め息を漏らしながらピッチャーズマウンドへと歩き始めたあかねが見えた。そんな彼女の肩を目にも止まらぬ早さで掴んだ俺は「何だよ?」と言いたげな顔をジッと見つめる。
「……出来る限り取りやすいボールを頼む」
「……あんたねぇ、それ女に向かって言うセリフか?」
こう言っちゃなんだが、性別上は女でも俺よか腕力あるでしょ!? 俺の左手を想ってくれるのならば優しさ溢れるボールを投げてくれ!
「さぁさぁバッチ来いや~! どんな球でもファインプレー見せてやるよ~!」
センターの位置がいたく気に入ったらしく、一郎は(臭い)グローブ片手にやる気上々。それとは正反対にやる気の全く見えないピッチャーキャッチャー。って、これキャッチャーミットじゃないんですけど。良いんですかね?
ぐわっ! マスクも臭ぇ! これをずっと被り続けなきゃいけないなんて罰ゲーム以外の何でもねぇぞ!?
「よし! それじゃあ始めるか!」
「ちょっ、おいターナー! 審判がいないんですけど!?」
「え? 審判? ……よ、よし俺がやろう! ヒイキなどしないから安心しろ!」
この人、絶対に審判の『し』の字も忘れてたよね。ドッジボールの時もそうだったけど、ちょいちょいルール忘れるよね。しかも必要不可欠で忘れちゃいけないルールを忘れる。
……忘れてると言えば、準備運動させてよ。ランニングとか体操とかあるじゃん。イヤだけど体育委員らしく俺が前に出てお手本やるから。手首を重点的にほぐすからさ。
こうなりゃやってやらぁ! とマスクを被って思い切り良くしゃがみ込んだ俺は、バットを持ってフラフラ歩いてきた高瀬を見上げる。マジでやる気ゼロの顔だな。
「あかね~。全部真ん中に投げてね~」
高瀬さん、それは三球三振を目指しての言葉だな? しかしそれは俺にとって有り難い言葉だ。全部真ん中に投げてくれれば取りやすさも倍増だ。
ソフトボールはデカイしなんと言っても硬い。それが顔面を捉えたら……なんて考えるだけで背筋凍るよ。
「えっと……下から投げればいいんだよね」
ソフトボール未経験のあかね。あれやこれやと考えたような表情を見せた彼女は頭上にハテナマークを浮かべつつも構え、そしてボールを放った!!
「!!」
た、高い高い! どんだけ長身を相手にしてんだよ!?
案の定、といいますか。ボールはキャッチャーの俺や後ろで審判をしているターナーの遙か上を飛んでいった。あれは俺じゃなくても捕れないぞ。
タンマ(タイム!)をかけてあかねに駆け寄ると、彼女は自分の手の平をまじまじと見つめてこう呟いた。
「下から投げるのってムチャクチャ難しい……」
わかる、わかるぞ。指導も無しにいきなりピッチャー任されて、ど真ん中ストライクを投げろってのが無理な話だ。
そんなあかねを眺めながら、なぜか腕を組んでこっちを凝視しているターナーに向かって、ゆっくりポイって投げて良いっすよね? と確認をとってみる。
「下が無理なら上から投げろ!」
あんたバカでしょ!? こんな至近距離で上から投げられてみろ! 俺はもちろん、後ろにいるあんたも吹っ飛ぶぞ!? あかねの潜在能力を甘く見るな!!
「ん、上からなら何とかなるかな」
待てあかね! この距離からあんたの投げたボールを受ける俺の方が何とかなっちゃうよ! ピッチャー交代を求む!
だが、必死の抵抗も虚しく試合は再開された。っつーか抵抗してんの俺だけじゃねぇかよ。敵も味方もあったもんじゃねぇな。自分がケガしなきゃそれでいいんだなタナチーム! 俺もお前達の立場ならそうしてた!
「いっでぇぇええ!!」
ボールがずしりと重い! 手の平の衝撃がハンパないよ! 振りかぶって投げるあかねを真正面から見られるのは嬉しいが、毎回この痛さはキツイよマジで。高瀬、頼むからバット振ってくれ! ぼてぼてのゴロでいいから打ってくれ!
「いっでぇぇええ!!」
頼むから振ってくれよ! ボケッと立ってても何も始まらないよ!?
「おい高瀬ぇ! 何でもいいからバット振ってみろよ! もしかすっと当たるかもしんねぇぞ!?」
「ムリムリ。こんなの当たるワケないじゃん」
そりゃそうかもしれないけど!
小休止を求めながら左手にフーフー息を吹きかけていると、ネクストバッターズサークルに気合い満点の岩ぁんが控えているのが目に入った。ありゃ打つ気マンマンだな。ただそのやる気は空振りすると思うがな……誰かツッコんでください。
「スットレェェイ!! ヴァッツァアウッ!!」
え? 何語? と思わず振り返ると、「フッ、少々ネイティブ過ぎたか」とターナーが意味もなくマスクを外し前髪を掻き上げた。それを遠くから見ていた八重子が「キャー!」と黄色い声を発する。
出来るなら俺も奇声を発しながらアンタのみぞおちに正拳突きを喰らわせてやりたい。
あまりの痛みで涙目でいる俺に「それじゃがんばってね」と一声掛けてくれた高瀬は希望通り三振を喰らった。そしてターナーには目もくれずヤレヤレといった感じでバッターボックスを後に。
「……つ、次! 岩村!」
ウケケ。ターナーさんよぉ、女子の誰もがアンタに黄色い声援を送ると思ったら大間違いだぜぇ?
「ここまで飛ばしてみやがれがんすけぇ! ぐわっクサッ!!」
センター一郎、うるさいよ。
なぜか岩ぁんを敵視する一郎の声援で彼のやる気はマックスに。この2人は仲が良いんだか悪いんだかな。
「言いやがったなこの野郎! 思いっきり飛ばしてやるから見てろ! 俺はサッカーも野球も出来るってとこ見せてやる!」
ズバン。
「スットリェェック!」
「まだ構えてねぇのに!?」
お前達の掛け合いほどどうでもいいもんはない。あかねのボールがそう物語っていた。高瀬の時とは比べようもなく左手は痛くならなかったから。超ゆるゆるボールで充分と言っていた。
「時間押してるんだよ。あんた達の会話聞いてたら一回の表で授業終わっちゃうから」
「だ、だからってまだ構えてもない相手に投げていいのか!? お前にスポーツ精神はないのか津田!?」
「あるよ」
「あぁ!? あるなら―」
ズバン。
「スットリェェック!」
「津田ぁぁあ!!」
ズバン。
「スットレェェエッ! ブァッツァアウゥッ!」
津田ぁぁあって叫んだだけで終わった岩ぁんの見せ場でした。バット片手に去っていく岩ぁんの背中はヤケに悲しそうでした。
「はい次! 山下!」
「はい! 山下 八重、いきます!」
八重子に3番を任せるとはやるなターナー……つっても4番はあんたが打つんだろうけど。ってか4番以外に興味ないんだろうね。
「っふん! っふん!」
おぉ、ターナーに褒めてもらおうと素振りも必死だな八重子さん。ただバットを握る手が上下逆だと思うんだが。教えてあげろやターナー。
「っふん! っふん! (グキッ)イタッ!」
……ちょっ、何やら不穏な音が響いたんですけど!
バットを放り出した八重子は左手首を押さえながら膝をついてしまった! 素振りしただけでケガするって……やっぱり手首の運動は大事だ!
「山下! 大丈夫か!?」
審判マスクを脱ぎ捨てたターナーが慌てて駆け寄り、「見せてみろ!」と彼女の手を掴んだ。
おいおい八重子、そこはウットリする場面じゃないでしょ。イタタって顔作れよ。演技しなくてもいいくらいマジで痛いんでしょ?
「……うぅむ、これは捻ってるな。おい保健委員! 山下を保健室に!」
「ターナーが連れて行った方が良いんじゃないですかね?」
八重子もきっとそれを望んでいる。2人仲良く肩を寄り添い合って保健室へGOが八重子にとっても、俺達クラスメートにとっても一番ベスト。
あっ、続きは責任を持ってやるので安心してください。休んだりしないから。
「俺は4番なんだから行けないだろう!」
はぁ!? あんた、八重子の左手首より4番が大事なの!? 呆れてモノも言えねぇよ! でも言ってやるよ!
「4番なら秋月さんがやってくれます! 大丈夫です、体育委員である彼女を信じてあげてください!」
「勝手に話を進めるな!」
ベンチで高瀬と談笑中だった萌が「待て待て待て!」と必死の形相でストップを掛けてきやがった。
おいおいちょっと考えろ萌。ターナーが行ったら休んでていいんだよ? ちゃっちゃと片付けてグラウンドで体育座りしながらお喋り出来るんだよ?
「私は7番! 4番じゃない!」
おまっ、打ちたくないとかじゃなくてターナーの(独断と偏見で)決めた打順に従順なだけかよ!?
「棚倉先生が行くなら5番が繰り上がって4番やればいい。……だから私は7番でいい」
そう言ってアナタ、ただ単に7番ってのが気に入ってるだけじゃ? ラッキーセブンとか思ってんの? うぷぷウケる~っ!! ってか繰り上がったらお前さんは6番ですけどね!
「いぎぇっ!」
ヘルメットでケツを叩かないで! 真っ赤に腫れたらイスに座る度に絶叫しなくちゃいけなくなるんだからな!
痛い痛いとお尻をさすっていると、さきほど見事な三振を喰らった岩ぁんが寂しそうな表情を浮かべつつフラフラと近づいてきた。
「……俺が保健室に連れて行く」
やめて岩ぁん! 三球三振喰らったからってそんなに自分を責めないで!
「俺の打順はまだまだ先だから……もう来ないかもしれないし」
これはただの授業だよ? だからそんなに思い詰めないで、俺が悲しくなってくる。誰だって三振くらいするさ。
結局、八重子は岩ぁんと共に保健室へGOすることになってしまった。しかし岩ぁんよ、八重子のあの恨めしそうな目を見たか? 保健室のベッドに眠るのはお主かもしれぬぞ。健闘を祈る。
「よし! それじゃあ試合再開! 4番、俺!」
「……」
八重子が去った今、もはやターナーに黄色い声援を送る者は誰一人いない。もうこれターナー対A組でよくない? 今ならみんな一致団結できる自信あるよ。
…………あれ? 待て待て。今4番って言ったけど、八重子の代わりだから3番だろ? ちょっとした計算すら出来ないほど4番にご執心かよ。
アナタ3番ですけど……そう言おうとしてやめた。クラスのみんながターナーにニヤリな視線を送っている。そんな薄気味悪い笑みを浮かべている全員の気持ちを代弁すると、4番だと思い込んでいる彼に三振喰らわせた後、「お前は3番だったんだよ!」と言ってやろうってことだ。
フハハ、A組って良いヤツ等だな。
(太郎、三球三振喰らわすからよろしく)
ターナーの代わりに体育委員である萌が審判を務めることになり、(本人はめちゃくちゃイヤがったが)力のないプレイボールのかけ声と共にあかねからの凄まじいアイコンタクトを受けとった。
大事なクラスメートの八重子をほっぽった奴に手加減は無用じゃ! 思う存分投げてくれ! 八重子待ってろ、後で俺も保健室へGOしてやんよ! 手の平を真っ赤にしてやんよ!
「いぎゃいぃ!」
キャッチャーミットプリーズ!! なければファーストミットでも可!
「ドンドン行くよ!」
ま、待って! まだ左手が回復してないの!! その野獣のような目が余計怖い!
「いでぇぇえ!」
一回の表で重傷を負った。あと何回続くか……想像もしたくねぇっす。