第112話 最高に最悪な俺
萌とあかね(と晃)と俺は交渉の末、3日間続く祭りの最終日に行くことが決まった。何でもあかねが最終日に打ち上げる花火を見たいからとか何とか。
あかねったら意外に乙女だよね。でもうまくいけば花火を見上げながら気分が盛り上がって俺の肩に頭を乗せたりなんかしちゃったり……ヒヒヒ。
そして最終日の前日、つまり今日は土曜ということもあり学校はお休み。なので一日中家でゴロゴロしておりました。一郎はさっさとおじいさん達(おばあさんも行きました)と温泉旅行に行ったからヒマでヒマで仕方ない。
……どうでもいいですが一郎にメールで「温泉まんじゅう」って送ったから買って来てくれることを願おう。
夜になり晩飯を食い終わった俺は部屋に戻った。が、テレビはないので早めに布団を敷いてゴロ寝を開始する。新しいマンガも買ってないし、DVDが見たくてもテレビはないし………このまま寝てしまおうか。
リンロンリン…リンロンリン…。
まだ夜は始まったばかりにも関わらず電気を消してしまおうとコードに手を伸ばした瞬間、あの心地よいメロディが部屋中に鳴り響いた。
一郎かしら?温泉まんじゅうでいいのかって電話かな。いちいち連絡してくれるなんて律儀な方だな。
「……みっ!」
一郎だったら出ないかなぁなんて彼に大変申し訳ないことを考えながら液晶を覗いてみると『三井』の2文字が表示されていた。
で、出た方がいいよね?そういや塚本のことで電話くれて以来メールとか来なくなったんだよな。
急いで廊下に出て誰も2階に上がって来ないのを確認する。そしてそっとドアを閉めて一呼吸置いた。久しぶりだから緊張してしまう!
「も、もしもし?」
『あっ一条君?いきなり電話してごめんね。今大丈夫かな?』
やはり電話の相手は三井でした。声だけ聞いても可愛いね。よく声と顔が一致しない方っているけどキミは一致し過ぎだね。
「あ、うん大丈夫。何もしてなかったし」
『そう?良かったぁ』
そう心底嬉しそうに弾んだ声を出した彼女は外に出ているのだろうか、風の音が電話の向こうから聞こえてくる。夏が近づいているとは言っても夜は肌寒かろうに。
「今外にいんの?」
『うん、あっもしかして声聞きづらいかな?』
いやいやいや!キミの可愛い声が聞こえないだなんてそんなことは!ちゃぁんと聞こえてますから!
しかしもう午後7時近いってのに外にいるってのは不安だな。誰かといるならそれでいいんだけど。
「三井1人?」
『え?うん、そうだよ』
ちょいちょいぃ!そんな当たり前のように答えちゃダメだって!もっと人通りの多い場所へ移動して!その方が安全だから!絶対に誰もいない夜道を歩いちゃダメだよ!?
「ひ、1人で大丈夫?」
心配になったのでそう尋ねてみる。頼むから『誰もいない暗い夜道だから大丈夫』とか平然に言わないでね?助けに向かいたいけど足が震えてそこまで行けそうにないから。
『うん、大丈夫だよ。誰もいないから』
それが危ないんだってばぁあ!
そりゃあ今は誰もいないだろうさ。だけど5分後、10分後のことを考えよう?1人でいるのは危険なんだよ!しかも三井のように可愛い子なら尚更!
「ちょ、ちょっと待ってて!今行くから!どこ?」
『え?アハハ大丈夫だって、きゃあ!』
「え……ちょっ、ちょっと三井?どうした?!」
『……』
おいおいおいぃぃぃ!今から眠ろうとしてたのにバッチリ目が覚めちゃったよ!このままじゃあ一睡も出来そうにないよ!
「三井ぃ!どうしたぁ?!三井ぃぃ!?」
俺がパニクってるよ!家にいる俺の方がパニックだよ!
何も返答がなく恐ろしくなった俺は何度も彼女の名前を叫ぶ。マジで何か言って!返答プリーズ!
『……あ、ご、ごめんね』
「大丈夫か?!何があった?!」
電話しながら逃げるのって辛いよ?すぐに切っていいから!謝るのは後にして今は逃げることだけを考えて!
『いきなり猫が飛び出して来たの』
「……お、おあぁ」
マジでビビッた、マジで怖かった、マジで手が震えたわ。今にも涙がポロポロこぼれ落ちそうになった。小心者なんだからあまり怖がらせないで!
「み、三井。お願いだから早く家に帰った方がいいよ」
『え?もう家の前だよ』
そ、そりゃ良かった。家を飛び出そうと思ってたから本当に良かったよ。
全身の力が抜けてしまったせいで布団の上に寝そべった俺は深い溜め息を漏らす。マジで良かった。幽霊と戦うなんて無理だったから本当に良かった。
『それでね?一条君?』
「…え、あ、何?」
そういえば何で電話してきたのかまだ聞いてなかった。
よしっと布団の上に座り直した俺はカーテンをしめていなかったことに気がついて立ち上がる。窓から誰かが顔を覗かせてたりしたら怖いからね。さっさとしめてしまおう。
『さて、今私はどこにいるでしょうか?』
カーテンが引っ掛かってうまくしめられないでいると、突然質問を受けた。
「え?家の前でしょ?」
三井自身がそう言ったハズだと思うんだけど。もしかして三井って萌以上に天然?……萌に聞かれたらブン殴られそうだな。
『家は家でも?』
「い、家は家でも?」
何の謎かけ?ギャグとか言わないとダメなのか?でも今の俺はイッパイイッパイだからそんな上手い言葉出てこないよ。
「え、えっと……」
家は家でも、一郎の家?………笑えねぇ!その前に三井がヤツの家を知ってるハズがない!
上手い一言も見つからず引っ掛かって動かなくなったカーテンにも痺れを切らし、逆に開いてやることにした。押してダメなら引いてやれ!
「……っずぇええ?!」
ガシャガシャとカーテンを動かしてからふと視線を窓の下に向けてみた。と、同時に一条家の前で可愛い女の子が電話を片手にこちらを見上げているのが見えました。
……なんでぇぇ?!
「え?ちょっと、ちょっと何で?!」
『ごめんね。どうしても話したいことがあったから来ちゃったの』
また「〜ちゃった」攻撃ですかい!それズルイよね。だってめちゃくちゃ可愛く聞こえるんだもの!しかもそれプラス「テヘッ」な笑み見せてくれちゃってるし!
カーテンを掴んだまま固まっている俺に彼女は「お〜い」と手を振ってくる。そ、そんな可愛らしい仕草されても困ってしまうんですが。
銅像のようにまばたきすら忘れてその場に立ち尽くしていると暗いトーンの声が電話口から聞こえてきた。
『もしかして、これから何か用事とかあった?』
「あっいや、ないない!ち、ちょっと待ってて!今行くから!」
『うん、ごめんね』
動かないでね?!と念を押して廊下に飛び出す。母ちゃんお願い、寝てしまっていて!父ちゃんが帰って来たら俺が起こしてあげるから眠っていて!夢を見るヒマもないくらいに爆睡してて!
出来るだけ音を立てないよう階段を3段飛ばしで下りた俺はそっと居間にいる母上様を確認する。よし、ソファで眠りこけてやがる!見たいドラマは9時からだからそれまで寝ちゃおうってことだろう。
静かに、なおかつ素早く玄関に移動してドアを勢い良く開いた。もしかしたら何かの間違いかもしれない、目の錯覚かもしれない。三井はそこにいないのかもしれない!
「こんばんは!」
どうやら俺の目は正常だったようだ。
ドアを開けた先に私服姿(膝丈のスカート着用)で笑顔を見せる三井がそこにいた。うっ、眩しい!夜なのに眩しい!やはり俺の目はちょっとおかしい!
「こ、こんばんは……って、どうして?」
「うん。今日ね、千満神社でお祭りやってるんだけど。それで良かったらこれから一緒に行けないかなって思って」
「ま、つ、り…」
驚きで返事がカタコトになってしまったがスルーしてくれた三井は「ダメかな?」と俺を上目遣いに見てくる。
「もしかして、お祭りとか好きじゃなかった?」
固まって「ま、つ、り、ま、つ、り」を連呼している俺の顔を見た三井の表情が笑顔から戸惑いに変化していく。そんな悲しみの表情で俺を見ないで!
「…え、あっいやいや好きです好きです!大好きで仕方ねぇです!!ええ好きです!」
どんどん悲しみに飲まれていく三井の顔を見ていたらいつの間にかそんな言葉が口から飛び出してしまっていた。
と、そう言った瞬間だった。どこからともなくガチャリと音が聞こえたような……。
「………もっ」
ふと音がした方へ三井と共に視線を向けると……タイミングがマジで悪い。萌が財布片手に秋月邸の門から出て来たところだった。
バッドタイミングもいいところだよ!
「……」
無言で、だけど驚きの表情で俺の顔をジッと見つめてくる萌は門に手をかけたまま動かない。俺は俺で萌から視線を外せずにいた。
「……」
多分だけどそうしてたのは数秒だったと思います。自分の中では数十分くらいにも感じたけど。
無言という重い空気をブチ壊してくれたのは意外にも萌だった。
「……こんばんは」
そう小さく(きっと俺じゃなくて三井に)挨拶をした萌は門から手を放すと急ぎ足で一条家とは反対方向へと歩いて行く。
もしかして萌さん、何か誤解してる?
「あ、ちょっと萌…」
「一条君」
「え?って、ちょっ!」
ま、ま、待って待ってぇ!背中に抱きつかないでぇぇ!
萌を追って走り出そうとしたその時、三井が俺を羽交い締めに……違う!背中に抱きついてきた。
あわわ慌てふためく俺をヨソに萌の姿はだんだん小さくなっていき、三井は俺にしがみついたまま何も言ってこない。
「ちょっ、ちょっと三井?!どうしたのよ?!」
振り返ろうにもガッシリと掴まれているから首を180度くらい回転させないと三井の顔が見えない。どうすることも出来ない俺は萌に向かって伸ばしていた手を下ろすしかなかった。
それから三井に背中を掴まれたまま萌の後ろ姿をジッと見つめていると、ついにはその背中が暗闇に消えて行った。幽霊とかダメなくせに1人でどこに行ったんだ?近くのコンビニか?
「……一条君」
もはや見えなくなった萌の姿を目で追っていると、背後から弱々しく今にも泣き出しそうな声が聞こえてきた。
「ど、どうした?」
何で泣きそうな声なの?たしか祭りは好きだって言ったよね?嫌いじゃいなんて言ってないよね?
「やっぱり一条君、秋月さんのことが好きなんだよね…」
そう言った後、俺の腹に回された三井の手にギュッと力が入った気がした。その彼女の言葉に心臓が一度だけドクンと高鳴る。
「だけど、それでも私……」
グッとおでこを俺の背中に押しつけてそう呟いた三井はそれから何も言ってこなくなってしまった。俺は俺で変顔のまま真っ正面を見据える。
「え、えっと……」
何か、何か言わないと………何かじゃない。ちゃんと自分の気持ちを言わないといけない。言わなきゃ三井に対して失礼だ。出来るなら彼女の顔を見てちゃんと言いたかったけど、手の力を緩めてくれそうにないからこのまま言うしかない。グッと拳を握り締めて決意を固めた俺は大きく息を吸う。
「お、俺さ…」
「あの時…秋月さんとは付き合ってないって聞いたとき、ホントに嬉しかった」
決意を固めたが遮られてしまった。
えっと、確かそれって喫茶店に行ったときのことだよな。
……そうだよ、あのとき俺が正直に自分の気持ちを言ってなかったからこんなことになったんだ。すぐに言っていればと後悔するもやはり先に立たず。何とかして三井の顔を見ようと必死に首を回転させてみるも全然ダメ。180度も首が回るワケねぇ!
「……」
右に左に首をブンブン振っていると彼女の手から力が抜けたのがわかった。
そっと離れていった彼女と向き合おうと振り返ってみるが、三井は俺に背を向けてしまっていたので顔を見ることは出来ない。
「ご、ごめんね……」
後ろ姿を見だけで泣いているのがすぐにわかる。小さくそう呟いたあと肩が小さく上下したから。
「あの、三井……」
思わず彼女の肩に手が伸びる。が、寸でのところで思いとどまった。
ここで俺が三井の肩に触れたらどうなる?三井の想いに答えてあげられないクセに、そんなことをしてもいいのか?慰めになんてならないんじゃないのか?
葛藤が頭の中をグルグル回ったが、最終的に伸ばした手をギュッと握り締めて下におろした。
俺なんかが肩に手なんて置いちゃダメだ。そんなことしたらこれ以上に彼女を傷つけることになる。
「……ご、ごめん」
こういう時はどんな言葉も彼女にとって辛くなるのはわかっている。でも、それでもちゃんと言わないと三井に申し訳ないと思った。が、結局出てきたのは謝罪の言葉だった。
「いいの……わかってたから。公園で秋月さんと話す一条君の顔見て、あぁ好きなんだなって」
「え?」
「なんて言って、実は告白したときに薄々感づいてたんだけど。一条君ってウソつくの下手だよね」
っつはぁ!バレバレだったのか!?もしかして俺が嘘ついたり隠し事すると鼻の穴が異常に膨らむクセを知ってたりするのか?
これほどまでに自分の鼻が憎らしく感じたことはなかった俺は手の平で鼻の頭を何度もブッ叩く。このっ!意志とは無関係に広がりやがって!
「一緒にお祭り行ったら何か変わってくれるかなって期待してたんだけどなぁ」
少し強く鼻を叩きすぎたせいで涙目になってしまった俺はそう言って振り返った三井と目を合わせる。
無理に笑顔を作ってそう言ってみせる彼女の目尻にまだ涙が溜まっているのが見えた。
俺って塚本よりもダメ男だな。自分ではあーだこーだ良いこと言っておいて彼女のこと泣かせてるんじゃねぇか。アイツと同類……いやもっと悪い。
「……秋月さんのこと追いかけなくていいの?」
何も言わない俺をジッと見つめて三井はそう尋ねてくる。
実のところ萌のことは心配だ。どこに行ったのか全然見当もつかないけどそう遠くへは行っていないはず。
……だけど。
気にしなくていいから行っていいよと言われても、俺の足は動かない。また今にも泣き出しそうな表情で、だけど必死に笑顔を作っている三井を置いてなんて行けるわけがない。………それこそ偽善かもしれないけど。
「私なら大丈夫。家までそんなに遠くないから」
「いや、おくっ送って行くよ。1人は危ないし」
「大丈夫だって。一条君は心配性だね」
その言葉は早く行ってと言っているように聞こえた。これ以上俺と話をしていたくないと言っていた。でも、それでも…。
「そ、そうだよ!心配性だから家まで送らせて!」
三井にとって俺は「振った相手」で、そんな俺とはもう話をしたくないってわかってる。だけど、だからって1人で帰らせるなんて出来ない。今言った通り俺は心配性で小心者なんだ。
「でも秋月さんはいいの?」
「あ……アイツはそんな遠くに行けないからもうすぐ帰って来る、よ」
「どうしてわかるの?」
「方向音痴だから」
右って言いながら左に曲がるヤツなんだよね……それこそ心配っちゃ心配なんだけど。
「……」
「あ、いや俺と話したくないってのはわかってるんだけど……」
下を向いてしまった三井になんとかOKしてもらおうと言葉を探す。調子こいて隣りなんて歩かないし、無言は慣れてる。だから三井の家の前まで送らせてと頼んだ。
「……ありがとう」
「え?」
「お願い、します」
「あ、うん…」
なんとか頷いてくれたことに安堵した俺はゆっくりと歩き始めた彼女の後に続いて足を進める。
「……?」
無言で三井の後ろを歩き出した時ふと視線を感じた。その鋭い気配にビビりながらもチラリとだけ後ろを振り返ってみると、秋月邸の門の前に誰かが立っているのが見える。
うん、ありゃあ間違いなく萌だな。突き刺さるような視線を送れるのはこの世にヤツしかいない。でも良かった、何事もなく無事に生還してくれたか。やはり遠くには行けなかったようだ。
ジッと萌はこっちを見ていた(と思う)が、俺は数秒間してから視線を前に戻して三井の後ろを追った。
「ここが私の家」
俺の家から歩いて約20分、三井家に到着しました。当たり前だがここに来るまで俺達は一言も会話をしなかった。……途中でお巡りさんに職務質問されて言葉を発したくらいか。どうやら俺が三井のストーカーか何かに見えたらしい。まぁ無言で彼女の後をずっと追ってたわけだから勘違いされても不思議はないか。
「け、結構デカいんだね…」
3階まである家を所有しているってことは結構なお金持ちなんだろう。しかも庭まである。夏は外でバーベキューとかするんだろうな。そして極めつけは外車が2台、車庫に停まっているのが見えた。
「お祭り、っていうのは一条君に会う口実だったんだけどね。それでも一緒に見て回るの楽しみにしてたの」
玄関を前に初めて三井が俺に振り返ってくれた。その瞳にもう涙は見えない。
「え?あ、そうか祭り……」
祭りのこと頭からスッポリ外れてた。そうだった、祭りに誘いに来てくれたんだった。なのに直行直帰させてしまった俺のバカ。
「ご、ごめんせっかく誘ってくれたのに」
「ううん、いいの。こうして送ってくれただけで充分」
「……」
「それじゃあ、送ってくれてありがとう」
そう言いながら鞄から鍵を取り出した三井は笑顔を見せてくれる。
俺が三井の立場だったらそんな笑顔を見せられる余裕なんてないだろう。憎々しい顔で「あんたなんてどっかに消えたらいい!」とか言ってそうなのに。
そんな彼女の笑顔に目を奪われていると、ふと顔が赤らんだのが見えた。え?もしかして鼻の穴広がってる?何も言ってないのに?
「………これからも友達としてメールしていいかな?」
「え?あ、三井が送ってくれるなら……」
「……」
正直言ってもう彼女とはメールとか出来ないと思っていた。それはきっと当たり前のことだと思っていた。
返事を聞いた三井は何か言いたげに下唇を噛んでジッと俺の顔を見つめてくる。な、なんか変なこと言ってしまったか。
「一条君って、ホントに優しいんだね」
「え?な、なんで?」
優しいなんて俺にはもったいなさ過ぎる。キミを振った時点で俺はもう優しくないんだから。
「普通はね、振った相手のメールなんて欲しくないんだよ?」
「そ、そうなの?」
ご、ごめんなさい。そのような経験は皆無なのでそういうの全くわからないんです。でも逆に考えたら振られた相手のメールなんて欲しくないってことなのか?やめてくれって言われるのを待ってたとか?
「じ、じゃあメールしない方がいいのかな?」
「ううん、一条君がいいって言ってくれるなら」
「そ、そう?」
「うん」
乙女心って本当にわからない。普段オネェ言葉を発していてもわかるわけないけど。
玄関の鍵を開けた三井の背中を見つめながら首を傾げる。一日だけでいいから女性になってみたい。それでもって乙女心を研究してみたい。
「一条君知ってた?」
「え?何を?」
腕組みをして真剣に悩み続けていた俺は突然の三井の言葉に顔を上げる。が、彼女は俺に背を向けたままだった。
努めて明るい声を出してはいるものの、無理をしていることがすぐにわかる。だけど俺はその事には触れずに聞き返した。
「私はね」
「う、うん?」
「……諦め悪いの」
「え?」
「それじゃあおやすみなさい!」
「えっあっちょっ……」
元気におやすみを言ってくれた三井はそれから俺に振り返ることなく家の中に入ってしまった。そして残された俺はというと、右手を前に向かって伸ばしたまま固まるしかなかった。
三井家の玄関先で固まること数分、やっと意識が回復した俺は30分近くかかってやっと自分の家の前までやってきました。
諦め悪い……諦めないってことか?それとも最後に嫌味の一つでもってことなんだろうか。
うんうん唸りながら足を進めていると、秋月邸の前に人影が立っているのが見えてしまった。
泥棒だったらイヤだな。幽霊だったらもっとイヤだ。
リンロンリン…リンロンリン。
そんな時でした。
何も見てませんよぉという雰囲気を全身から溢れ出させて家の中に入ってしまおうと歩き始めた瞬間にケータイが鳴ってしまったのだ!泥棒に見つかったらマズイ!
「……萌?」
着信は驚いたことに萌から……何でだ?俺が家に帰って来たのに気がついて電話してきたのか?
何だと思いながらもハッと気がついた俺は電話に出ながら秋月邸の方へ視線を向けてみる。
「もしもし?」
『ップ…ップーップーップー……』
もしもしだけしか言ってませんけどぉ?!どうして何も言わないで切ってしまうんですかお前は!
「何で切んだよ!何か言ってから切れや!」
「電話代がもったいない」
「っつぇあ!」
突然の返事に驚いて慌てて声がした方へ顔を向ける。と、そこに幽霊…なんかじゃなくて萌が立っていた。さっきの人影はお前か!
「な、何で?ってか一瞬でどうやってここまで?!」
「歩いてきた」
お前が電話に向かってなんだかんだと文句を言っている間に歩いてきた、ということらしい。
突然の萌の登場にバクバク動く心臓に手を当てて何とか静めようと頑張るも言うことを聞いてくれない。
「ど、どっか行ってきた帰り?」
ジッと俺を見つめてくる萌の無言攻撃に耐えられなくなってそう質問をぶつけてみた。が、その答えは一生わからない。だってあの萌が俺の質問に素直に答えてくれるハズないのだから。
「……別に」
やっぱりそれですよね。俺に言ったところでどうなる?みたいな顔ヤメてくださいよ。
「あんたは早希とどこ行ってたの」
「はっ?!べ、別にどこも……」
「良かったね」
「何が?!」
どこも行ってないのが良かったのか?それに良かったねって言ってる割にめちゃくちゃ不機嫌そうな顔してるんですけど。
「早希に告白してOKもらったんでしょ」
「はぁ?」
誰がいつ告白したって?俺はお前にしか告白をした記憶はないのですがね……はず、恥ずかしい!
「大声で好きだ好きだって騒いで。本当に近所迷惑」
「?」
俺がいつ騒いだ?そんな近所迷惑になるほど大声は出してないぞ。
何を言ってんだと疑問に満ちた表情でいると、何を思ったか萌が後ろに一歩引く。蹴りの間合いとか取ってんじゃないよね?蹴ろうと思ってないよね?
萌の足に注意しながら(足を見たいとかそういうのではない!)自分も間合いを取った方がいいのかと悩んでいると、不機嫌オーラに包まれた彼女は意味不明発言をしてくれた。
「OKもらったんなら祭りは私なんかとじゃなくて早希と行った方がいいんじゃないの?」
「…どういう意味?」
いきなりの嫌味、まぁそれはいつものことだけど。なんだかヤケにつっかかってくんな。まさにあの日の朝の俺って感じ。
「愛しの早希ちゃんと祭り行けばって言ってんの」
「愛しの?何言ってんの?」
暗い夜道とは言っても街灯の下にいるから萌の表情は面白いくらいによく見える。
首を傾げる俺にイライラした表情で萌は睨んでくる。俺と話しただけでそんなにイラつくなら電話とかしてこなきゃいいのに。
「あかねには私から言っておくからあんたは早希と行けばいい」
上から目線でそう呟いた萌は、何か言えとばかりに俺を睨んでくる。
俺が三井と祭りなんて行けるワケねぇじゃんか。今さっき誘われたのも忘れて家まで送ってきたんだよ。それに…………。
「……行かない」
静かにそう言ったつもりだったけどその言葉を聞いた萌は一瞬だけ驚きの…いやビビった表情を見せた。暗がりだから俺の顔がいつもより怖く見えたせいかもしれない。
何も知らないクセに……ただの八つ当たりになってしまうとわかっているが、言われっ放しで黙っていられない。嫌味には嫌味だ!
「そう言うあなたこそノブ君と行きたかったんじゃねぇの?」
「は?」
「ノブ君ノブ君、私のノブオくぅん!私がんばって浴衣着ちゃうから一緒にお祭り行きましょ〜!そんでもってたくさん奢ってちょうだいね!ってな感じで誘ったら一発オーケーでしょ?断られる確率はゼロだよゼロ」
悪いけど今の俺はお前の嫌味攻撃を素直に受け止めてる余裕はないんだよ。それに何を言ったらお前のイライラゲージが上がるか知ってんだ。すなわち俺の勝ちで決まりだ。
「………伸貴」
「は?」
「のぶおじゃない、伸貴」
黙ってると思ったら訂正かよ。それはごめんあそばせ。
「あぁノブキさんでしたか。それじゃあ私のノブキくぅん!で行きましょう。せーのっ、ノブっぎぇ!」
やっぱり蹴りの間合いを取る為に離れたのか?!
アホ面で「ノブキくぅん!」を言おうとした瞬間にするどいローキックを喰らった。しかもドカッみたいな効果音なんかじゃなくてゴキャッ!だった。お前、本気で蹴ったね?
「いづづ…」
モロに蹴りが入ったせいで左膝がビリビリ痺れてくる。でも倒れない!倒れたらまた蹴られる!
「い、いつもより気合いが入ってないねぇ…」
「……」
目尻に涙をためて強がってみるも萌は仁王立ちのまま俺を睨み続けている。マジで今回は痛い。いつもの数倍痛い。本気でブチかましたなこんちくしょうが。
「私は…」
「いつつ…」
マズイなこれは。あともう一発喰らったら立ってられねぇ。ここは離れて距離を取った方がいい、絶対にいい。
ゴニョゴニョと口ごもっている萌の動向に注意しながら一歩ずつ後ずさりを開始する。もうちょい、もうちょい…。
「どこに行く」
「えあっ…いや、別にぃ?」
お前ってヤツは一体どことどこに目がついてんだ?ずっと下向いてたクセに何で俺が後ずさっていくのがわかったのよ?
俺が一歩引いたのと同時に萌は近づいて来る。頑張って離れた意味がないよこれじゃあ!
「私がノブ君と祭りに行ったらあんたは早希と行くワケ?」
「だ、だから行かないっつーに。お前がノブ君と行くなら俺は家で寝てるわ」
「……」
な、なんだよその疑いの眼差しは。
あっそうか、俺が三井と行きたいが為に萌にノブ君と行けって言ったと思ってんだな。悪いが俺はそこまで頭が回らないよ。お前の嫌味に対抗してそう言っただけですから。
素早く左足をさすって少しだけでも痛みを和らげようと頑張る。くそっホントに痛い。一郎が隣りにいたら抱きついて足折れるって叫びたいほどに痛い。
「私だって………あんたと行かないなら家にいる」
え?それってどういうこと?本当は祭りなんて行きたくないってことか?俺が三井と行けば家でまったり出来るのにってこと?
「いでぇっ!」
目が点になっている俺にもう一度萌はローキックを繰り出してきた。同じ所を狙ってきやがった!まだ痛みも引いてないのにそうくるか!?何も言ってないのに蹴ってくるなんて!
「何で蹴んの?!何も言ってないけど?!」
「何も言わないからだよ!」
「意味わかんねぇっつーに!」
言えば言ったで蹴るし言わないと蹴るし!俺はどんな行動を取ったらいいんですか?!口ごもればいいんですか?
言いそうで言わなければ蹴られることはないのかと考えた末、試験的に口を開いては閉じ、開いては閉じを2度ほど繰り返してみた。
「いでぇ!」
これもダメって一体どうすればいいんですか?!
「焼きそば奢れ!」
「どっから焼きそばが出てきたよ?!」
いいから絶対に奢れ!と渾身の目力で凄んできた萌はフンと鼻を鳴らし俺を背に勝手に歩き出してしまう。
「おまっお前の方が金持ってんじゃんか!何で貧乏な俺から奢ってもらおうとすんの?!」
「……」
ま、待って!振り返って!晃に奢ってもらって!マジで俺は金持ってないんだってば!
俺の願いも空しく、萌は一度も振り返ることもなく秋月邸へと入って行ってしまった。
……色々なことがありすぎて今日はぐっすり眠れそうにないよ。