第109話 さすっても治らない
いきなりですが牛乳を飲んでお腹を壊しました。丸々1本飲み干したらこんなんになってしまいました。
……とは言っても牛乳だけのせいじゃない。牛乳片手に自分で作った豚丼を2人前、おやつ代わりにきなこモチを5コ、最後の最後に萌のおばさんからもらったチョコレートを全て食べたんだからお腹が暴れ出したのは当たり前。多分、食べ過ぎただけなのでしょうな。
眠れそうになかったのに余計に眠れなくなってしまった。そして気がつけばもう起床時間。仕方ない、朝ご飯食べないで行こう。
そんなこんなで着替えを済ませ、今はギュルギュルうるさいお腹をさすりながら秋月邸の前で萌お嬢を待っています。
「ぐぐっ。腹いてぇ」
いつまで経ってもお腹の調子が悪い。何でもいいから胃薬飲んで来ればよかったなぁなんて考えながらその場で足踏みを開始する。
「………余計に痛い!」
自分で自分にツッコミを入れるという行為は結構寂しいですよね。学校行ったら速攻でトイレに駆け込もうと冷や汗を拭う。たしか3階って朝はあんまり人が通らなかったよな。そこのトイレに行こう。
叫んでも無言でも動いていても痛いものは痛い。その場にしゃがみ込んで少しでも痛みが和らぐのを待ってみる。
「……」
無言でしばらく黙っていると、ふと三井の顔を思い出してしまった。
昨日、彼女はどうして塚本を怒ったの?とか何で怒ったの?とか、どうしてそういうことするの?って聞いてこなかった。きっとそれを聞く為に電話を掛けてきたと思うのに。でも三井は俺が答えづらいのかと考えてすぐに話題を変えてくれた。つっても、「一条君はどんな食べ物が好きなの?」っていう質問だったんだけどね。思わず「オムライス!」って子どもみたいに大声で返事しちゃったよ。
「……いでで」
超大盛りのオムライスを頭に浮かべたせいで余計にお腹が痛くなってきた。今日は朝から最悪だよ。
早く来てくださいぃ!と秋月邸を見上げて祈っていると、通じたようです。門がうるさく開いてくれました。ゴゴゴってうるさい!お腹にくるわ!
「あ、おはよぉ萌ぇ……」
「……おはよ。朝から何してんの」
しゃがみ込んでいる俺を不審に思った萌が見下ろしながらそう尋ねてきた。大丈夫?とか言ってこないのがこの子の魅力です。
「お、お腹痛くて……」
何とか腹式呼吸でそう返事をしつつ顔を上げる。しゃがんでも痛いし、立ってても痛いよマジで。
「………」
な、なんだコレ?!何か顔が微妙に熱いんですが!
萌の顔を見ると自分でも不思議だけど顔が熱くなっていくのを感じる。なんで熱い?…っぐ、お腹痛い!お腹痛いせいで顔が熱いのか?!
「ちょっと大丈夫?」
「おっぐぐ…だい、大丈夫ぅ」
ありがとう、大丈夫って言ってくれるのね。
尋常じゃないくらいの冷や汗が萌を優しくした模様です。彼女は近寄っては来ないものの心配そうな顔を見せてくれた。
え?ちょっ肩なんて貸してくれなくていいから……あ、貸す気はさらさらないようですね。
「あんた学校行けるの?」
「い、行ける。ってか行く」
心配してくれる萌に少しだけ照れながらも絶対に行くぅと立ち上がろうとしたときだった。彼女の背後になんだか見覚えのある好青年の姿が……。
「大丈夫かい?」
「……あっ」
の、ノブ君いつの間に?!いつから萌の隣りに陣取っていらっしゃったの?!
朝から爽やかな笑顔を振りまきつつも俺の腹を心配してくれているのか、彼は固まったままでいる俺に近づいてくる。
くそっ、俺だって爽やかな笑顔で挨拶できるんだ!
「お、おはようございます……」
だ、ダメか。お腹が痛いせいで笑顔で挨拶できない。目上の方には笑顔で挨拶が俺のモットーなのに。何とか彼に対抗して爽やかな笑顔を披露しようと頑張るけどやはり無理なようです。
萌は必死に笑顔を作ろうとする俺を心配そうに見ていたが、ノブ君もいるからか全く近づいてくる気配すらない。
ゼヒュゼヒュうるさくも何とか立ち上がった俺は萌に何かしら話しかけ始めたノブ君に視線を移動させてみる。
そこでふと彼の手にある四角い箱が目に入った。あれは弁当箱だな。
……そういや俺、今日はお腹痛いから弁当少なめでいいって言ったんだった。そしたらヤケに嬉しそうな顔した母ちゃんに「じゃあハイこれ、おにぎり」って(めちゃくちゃ)小さい握り飯を1コだけよこしやがったんだ。昼になってお腹治ってたら購買行かないと足りないな。
お腹が痛いクセに朝っぱらからお昼ご飯の心配していると、萌と話し込んでいるノブ君がチラチラこっちを見てくるのを目撃してしまった。あなたは萌のおばさんに弁当もらったんでしょ。言っておきますが俺の握り飯はあげませんよ!
「本当に大丈夫なのかい?」
「あ、はいっ大丈夫です…」
意外にも……ってかノブ君が「お前の握り飯をよこせ」なんて言ってくるワケはない。全て私の妄想です。彼は冷や汗を流して縮こまっている俺を心配してくれていたんです。優しいんです。
本当にノブ君って優しいのねぇなんて冗談を飛ばそうか迷っていると、それを痛みを堪えてるんだと勘違いした彼はそっと背中をさすってくれる。
………う、嬉しいんだか嬉しくないんだか。
「車で送って行こうか?」
「え?!あ、だ、大丈夫ですって!」
ちょっ何を断ってんだ俺!こういうときは険しい表情を継続しつつもラッキー!ってな感じで乗せてもらうのが俺だろ?!ありがとぅございます!って言えばいいのに!
自分でもなぜ断ったのか理解出来ない。変に対抗意識を燃やしているんだろうか。……対抗意識を燃やす時点で負けてるから!ってか何で燃やしてんだ?
「乗せてもらったら?」
前言撤回していいですか?なんて言えずにわふわふ口ごもっていると萌に背中を押されてしまった。
……あらら?なんか、あんたが乗りたいみたいな顔してるね。
「…………萌が乗って行けば?」
自分で言って驚いた。お腹が痛すぎて口が勝手に動いてしまったのか?
俺の宣戦布告ともとれるその言葉を聞いた萌は少しの間呆然。そ、そんな目で見るな!俺だって男だ、そんな哀れみの目で見られたら泣くよ?!
「何で私が乗って行くんだよ」
「え、えっと…」
まさか冗談でも「私が乗りたいのにぃって顔に書いてあるんだよ」なんて言えやしない。
……だけどノブ君と話す萌を見ていると、もしかしたら本当にそう思っているのかもしれないと感じた。
だとしたら行けばいいんだ。昨日だって俺なんて家に入れてくれないでノブ君と楽しそうに話し込んでたし。今だって2人仲良く秋月邸から出て来た(見えなかったけどきっと並んで)んだし。包容力があって金持ちで格好良い彼と共に学校へ行けってんだ。俺なんて置いて行ってくれていい。
「俺に気兼ねしないで乗せてもらったら?」
「……」
俺の言葉に面食らった萌は戸惑いの表情でノブ君に視線を移動させた。
萌は何も悪くないのはわかっている。なのに冷たい態度をとってしまう自分が不思議で仕方ない。でも今さら「ごめんなさい、僕も乗せてってください」とは言えない俺はそっぽを向く。
そんな僕を見て萌様の怒りは頂点に達してしまったみたいです。
「……あんたに指図される筋合いはない」
「えぇ?いでっ!」
萌が突然腕をわし掴みにしてきた。それも相当な力で。腹痛いってのに腕まで痛いわ。
ってか俺の話聞いてなかったワケですか?俺はノブ君の車で行きなさいって言ったよね?
「行くよ」
ちょっ俺の意見なんざ無視ですか?!スルーですかい?
ちょっと放してよぉと気持ち悪く言ってもスルーされてしまう。お前が俺に触れるとノブ君がガン見するんだってば!
「ごめんねノブ君。私達歩いて行くから」
「え?あ、うん。気をつけて……」
そうじゃないでしょうがノブ君よぉ!そこは「萌!太郎様がこう言ってくださってるんだ。俺と一緒に行こう」って言わないと!強く生きて!
「いでっ!」
イタタ!爪が、爪が腕にめり込んでるよ萌ぇ!
痛がる俺をこれまたスルーした萌はノブ君に「いってきます」と述べて歩き出す。ってか、ちょっ腕放して!爪痛い!………お腹痛い!
「いでっ、いでっ、いでっ」
「うるさい」
「だ、だってお腹に響くんだよ」
そんな乱暴に引っ張られたらお腹にズシンズシンってくるんだよ。おまけに腕痛いし。こんなんなるんだからやっぱりノブ君と行ってもらえば良かった。
「響けばいい」
「な、なんつーことを」
イライラしているであろう萌は俺を気遣う仕草なんて見せないで歩く速度を段々上げていく。歩けば歩くほどお腹痛い!本当に響くんだって!嘘じゃないんだって!
しゃべればしゃべるほどお腹が痛くなる。掴まれた腕を振りほどく元気もない俺は為すがままにズルズル引きずられていった。
言っておきますが、腕を組んでるようには見えませんから!
「た、タイム!ちょっとマジでタイム!」
公園を横切ろうとした時だった。俺のお腹は限界を迎えた。
どうにもこうにもいかなくなった俺は大急ぎで辺りを見回してトイレを探す。
「べ、便所に行かせて!」
「学校まで我慢しな」
ひでぇ!まだ学校まで結構な距離あるんだよ?もう絶えられないんだってば!
「ムリ!ムリ!」
ホントごめん!と謝った俺は引っ張られているのも忘れて公園内に入る。公衆トイレで我慢するっきゃない!朝だから電気が切れてても問題ない!
「ぎゃぁああ!」
限界点突破!俺は猛ダッシュでトイレに駆け込んだ。
「っく、いてぇ…」
約3分ほどしてからトイレから出てきた俺はまだお腹の調子が悪い。くそっ、一体何回トイレに入ればいいんだ。持ってるティッシュも残り少ないぞ。
苦い顔で洗濯仕立てのハンカチをポケットにねじ込みトイレから出るとなんと驚き、仁王立ちで俺を待ちかまえる萌様のお姿がございました。
「あっ……ご、ごめんねぇ」
もういないと諦めてたのに、なんと萌は待っていてくれた。遅いと思って先に行ってるんじゃないかと思ったけど意外にもそこから動かずにいてくれたようです。
睨みつけるような目で俺を見た彼女は軽い……重い溜め息を吐いてくれた。
「お腹痛いのは治ったの」
「い、いやまだちょっと痛いです…」
一向に良くなる兆しすらないです。段々痛くなってます。
「変な意地張らないで乗せてもらえば良かったのに。バカ太郎」
「……」
本当にそうですよね。自分でもアホかって思います。乗せてもらってたら今頃学校のトイレに入っていたかもしれないんですよね。でも何かわかんないけど乗りたくなかったんだよ。
なんだか腹の痛みのせいでやさぐれてしまったようだな。今なら背中に夕陽を背負えそう。
「そんなに乗りたかったんだったら萌が乗れば良かったじゃんか」
「は?」
渋い言葉の一つも出ない俺は、またも嫌味を言ってしまった。今日の俺は本当におかしい。せっかく待っててくれた萌に対してそれはないだろうに。
「……何なのさっきから」
「え?」
「あんたの指図は受けないって言ったろ」
体中から不機嫌オーラをまき散らし始めた萌は「同じことを言わせるな」と凄んでくる。
で、でもさぁ、あんた乗りたそうな顔してたでしょうよ。俺の勘違いだったら申し訳ないけど、確かにそう見えたんだよ……なんて言ったらマズイかなと思いつつ、もっとマズイ一言を発してしまった。
「じゃあ俺と一緒に歩いてくださいって言えば良かったね」
「……」
もう嫌味以上の何でもない。俺っていつからこんな嫌なヤツになったんだ。嫌味は萌の専売特許なのに。
お腹を押さえながらも口だけは達者な俺をジッと睨みつけた萌は少しずつ近づいてくる。めっちゃ怖い。言ったこと後悔しそうになるほど怖い。
「あんた何か怒ってんの?」
「へ?……べ、別に怒ってないけど」
はぐらかすようにそう言うと、首を一度コキッと鳴らしてまた一歩萌が近づいてくる。ヤバイ、殴られる予感がする。鳥肌が立ってきてる!
殴られると確信した俺はいつでもガードできるよう体勢を整えた。が、飛んできたのは手じゃなかった。
「……鼻の穴膨らんでる」
「うぇ、うっそぉぉ!?」
「嘘」
してやられた!そうだ、あかねが昨日変なこというから気にしてたのにマスクしてくんの忘れた!
お腹が痛いのも忘れて思わず鼻を隠してしまった俺は正真正銘アホです。
「そんなに私と行きたくないか」
そう言ってジッと俺を見てくる萌の目力に全身が硬直してしまう。
行きたくないなんて誰も言ってな……あんな態度取ればイヤでもそういう風に聞こえるか。
「いやそうじゃなくて。萌がノブ君と行きたそうな顔してたから…」
「誰がいつそんな顔した?」
「……し、してませんでした」
さっきだよ〜なんて言ったら鞄が俺の腹を貫くね。やっと少し痛みが和らいできたのにまたぶり返したくない。
目線を合わせることが出来ずにキョロキョロ視線を彷徨わせていると、不機嫌な顔のまま萌が後ろを振り返った。
「行くよ」
「あ、はい……」
今度は俺の腕を掴んだりせずに萌は歩き出す。それに続いて慌てて後を追う。
俺は朝から萌を怒らせて何がしてぇんだよ。別に一緒に行きたくないワケじゃないんだ。ただ、なんてぇの?その……あの……。
「……っはぁ」
うまく言葉が出てこない。こんな時だってのに悪魔も天使も出て来てくれないし。自分で考えろってことか?
自分でも気がつかないうちに溜め息を漏らしてしまったらしい。前を歩いている萌に聞こえたようで勢いをつけて振り向かれた。
「なに」
「え、何が?」
「溜め息」
強い口調でそう言った萌は睨みとも言える目で俺をガン見する。怒りは少しずつ収まってきてるみたいだけど、殺気を放つその目に何も言えなくなる。
「あっ、おな、お腹良くなんないかなぁって」
「……ずっと痛がってればいいのに」
「ひでぇ」
「太郎ぉぉぉ!おはよぉぉ!」
「おはよう一郎……ってちょっと!」
おも、重いんですけど!
教室に入った途端に一郎が飛びかかって来た。でも逃げることも出来ない俺はそのまましがみつかれた。
こっちは朝から体力減ってんだよ!何が悲しくて女性じゃなくてお前をおんぶしてやらなきゃいけねぇんだ。
「どうした?何か顔色悪いぞ?」
あ、さすが親友。俺の顔見て一発でわかってくれたか。
「腹痛いんだよ」
「腐ったモンでも食ったのか?」
それが親友に送る言葉かよ!俺の家に腐った食べ物なんてひとつとしてない!……ハズ!
何も答えずにイタタと一郎を背負いながら席につく。ってかいつまでくっついてんだ、離れて!
「あっそうだ!これ見てくれよ!」
何か思い出した一郎はやっとこ離れてくれた、と思ったら携帯に撮ったキャラメル親子の写真を自慢げに見せてくる。うん可愛い。でもお腹痛いんだよ今。
「あとコレと、コレと……」
い、いいから!何枚も見せてこなくてもいいって!可愛いのはわかった!
「あっ秋月も見るか?!ってあれ?秋月は?」
「え?たしか一緒に教室入ったと思うけど。いでで」
どこにもいねぇや。一郎に飛びかかられるまで一緒にいたんだけどなぁ。
辺りを見回して萌の姿を探すも見つからない。どこ行ったんだろうね。まぁいつも何も言わないで消えるお嬢様だからな。いちいち気にしてたら身がもたないって。
ふぃ〜と机に突っ伏そうとすると、「なぁなぁ」と萌がいないと知るや一郎が突然小声で話しかけてくる。って近い!息が耳にかかって気持ち悪い!
「お前って三井と付き合ってんだよな?」
「っはぁ?!何言ってんだよ」
何を真剣な眼差しで言ってくれてんだ!お前のそんな真剣な顔久しぶりに見たわ!
「だって三井そう言ってただろが。そのこと秋月は知ってんのか?」
「違うって。あれは石井ってヤツにさっさと諦めてほしくて言ったんだよ」
そうか、コイツは途中で逃げたから誤解を解いてるヒマがなかったんだったな。ってか土日とあったんだからいくらでも電話するチャンスはあったのに何でメールとかしなかったんだろ……面倒臭かったからか。
「そうかそうなのか……へへ」
お前さん、その目はまさか三井を狙ってんじゃないだろうな。嫌でも一郎の気持ちが手に取るようにわかってしまうね。それだけわかり易いヤツってことだ。
「まぁお前は秋月以外は考えられねぇしな!」
何か考えてたと思ったらそうきたか!
「声デケェって!ってか変なこと言うな!」
「おーおー恥ずかしがっちゃってよぉ!………バカやろー!」
なんで?!
なぜにバカ呼ばわりされたのか全く不明。一郎はそう叫んだと思ったら全速力で教室を後にしようと走り出す。マジで意味わかんねぇ。
追いかける元気もない俺は一郎の背中をのんびりと見つめる。と、ドアを開けた彼は教室中に響き渡る大声(奇声)を発した。
「あっ!秋月おはよぉ!」
ドアの向こうに萌がいたみたいです。
さっきよりも数倍デカい声を張り上げて萌と挨拶を交わした一郎は一瞬だけ俺の方に振り返りニタリと……何考えてんだ?!やっぱり前言撤回!お前の思考はさっぱり読めねぇ!
「っぐ!いでで!」
くそがっまたきやがった。こんな痛いなら今日学校休んじゃえば良かったかもしれない。一郎と一緒にいたら痛みが悪化すること間違いナシだったってわかってたのに。でもホームルームすら出てないのに帰るなんて無理だよなぁ。高速でお腹をさすって痛みを紛らわせるしかないか。秘技、摩擦で治す!
「あ、太郎おはよ」
どりぇぇ!と超高速でお腹をさすっていると美人なお姉ちゃんが俺の元へやって来てくれた。
「おは、おはよぉ!」
よし、笑顔で挨拶出来た!さすが秘技なだけある!
萌の後に教室へ入ってきたと思われるあかねに気合いの入ったおはようを披露する。あかねさんは同い年だけど俺にとっては姉ちゃんだからな。目上の人になる。
「秋月秋月!これ見てこれ見て!」
「なに?あ……」
あかねと挨拶を交わしていると一郎が萌を捕まえて………とは言っても腕を掴んだりはしていない。触れたら腐るって言われるから。
教壇近くで萌を呼び止めた一郎はそそくさと携帯を取り出して彼女にそれを見せ始める。お、なんか萌も乗り気で見てんな。
「ねぇ太郎。あんた萌と何かあった?」
そんな2人のやりとりを見ていたあかねが一郎の席に座ると同時に困った顔を見せてくる。うっふぅ、その困惑した表情サイコー。
「え?何もないけど?」
特にこれといって何もないよ。別にいつも通りだけどねぇ。
別に事件は起きてないよ?と教えるが、萌へ目線を移動させたあかねはまだ困り顔。何かあったの?
「いや、あたしの勘違いならいいんだけどさ。ちょっと様子がおかしい気がしたから」
う〜んと唸るあかねと共に萌をガン見してみるが、一郎に写真を見せてもらっている意外はおかしなところは見当たらない。
って、あれ?なんかあかねとしゃべってたらお腹の痛みが治まってきたよ?さすがあか姉ちゃん、そばにいてくれるだけで治っていくとは。治癒オーラを身にまとっているとみた。
「う〜ん、別に普通じゃね?」
「そうかなぁ。まぁ太郎がそう言うなら大丈夫か」
うんと一つ頷いてくれたあかねは俺に視線を戻してくれる。うわ〜、下から見るあかねもいい。見下ろされるのも結構いいモンだね。
「そうそう、大丈……」
……ま、まさか萌の様子がおかしいのって朝の一件のせいじゃないよな?だとしたら俺に全責任があるんですが。
青ざめた顔で言葉を詰まらせるという些細なミスをあかねが見逃してくれるハズなかった。
「やっぱり何か心当たりある?」
っスルドイ!
「にゃ、ないない!一粒もない!」
一瞬だけ猫語を披露してしまったが、鼻の穴が広がらないよう意識して言ったからバレることはない、と思い込む。
まだ疑わしい目つきで俺を見るあかねに満面の笑みで反撃を開始。俺は無実、無実だよ!?
ウルウルした瞳で見つめたのが良かった。少なからず納得してくれた彼女は自分の席へと戻っ……。
「昨日のこと誰かに言った?」
っくりしたぁぁ!いきなり振り返られたらドキッとするわ!ショートカットの髪がフワッてなびいたよ!思わず「キレイよあかねぇ!」って叫びたくなるよ!
でもそんなことを言ったら机が飛んでくると知っている俺は顔と手を勢いよく横に振って潔白を証明する。
「言ってない言ってない!」
不本意ながら高瀬には言わないって塚本に約束したカタチになっちゃってるからな。萌に言うことでもないし一郎に言ったら最後、高瀬の耳に届くことになる。
「そっか」
まぁお互い頑張ろうとなぜか励ましの声を掛けてくれた彼女は今度こそやっと自分の席に戻ってくれた。
ふむ、俺との会話を見る限りあかねも誰にも言ってはいないようだ。っても昨日は日曜だったし、映画見た後に誰かに会ったとも考えにくいな。
「またいつでもウチに来いよな!美咲も喜ぶと思うから!」
「……うん」
あかねが離れて行ったせいでまた痛くなってきたお腹を優しく撫でながら、もう片方の手で頬杖をつき一郎達の会話に耳を傾けてみる。
猫つながりでこんなに2人が仲良くなってくれるなんて私はとても嬉しいよ。あとは一郎が萌に対して変な言動をしなけりゃ最高だ。……絶対にあのこと口にすんじゃねぇぞ。
頼むから絶対言うなよ〜と念力をかけているとそれに気がついてしまったか、一郎がギョロッとした目でこっちを向いた。
「太郎!お前もまた来いよ?!」
「うぇい?!あ、あぁうん」
いきなり話を振ってくんなや!驚いて変な効果音出ただろが!
俺の気持ちなんて全く考えない一郎はフンフン気分最高潮でケータイをいじる。一体お前は何枚写真撮ってきてんだよ。何十枚だよ。
「あ、写真これで終わりだ」
俺の念力が通じたようだ。一郎はがっくり肩を落としてケータイをポケットにしまい込んだ。
悲しげな表情で残念だなぁと呟く一郎に「じゃあもっと撮ってこいや!」とは言わず、「また撮って来て」とお願いする萌。キミは本当に猫がお好きなのですね。
また撮って来っから!と笑顔の一郎を背に萌はこちらへやってくる。正確には自分の席に、だけど。
「……」
「……」
……気まずい!
萌が自分の席についたと同時に視線を窓に向けた僕は心臓爆発寸前です。
あかねが言った「様子がおかしい」ってのは多分きっと俺のせいだろう。でも確かめる勇気がない俺は窓の外を見たまま動けずにいた。
「……太郎」
「……」
「金太郎」
「……」
「桃太郎」
「……」
「バカた…」
「俺の萌ちゃぁぁぁぁん!」
あ〜あ、やっぱり来ちゃいましたか。でも助かった。バカ太郎なんて言われたらツッコまずにいられなかったからホントに助かった。
先週、萌さんの風邪は治ったみたいですメールを送ったにも関わらず、心配が最高潮を迎えた晃がそう叫びながら教室内に飛び込んできた。
図体がデカいくせにバタバタ走るからうるさいうるさい。晃は教室に入るなり机にぶつかりながら萌の元へとやって来る。
「風邪は?!風邪は治ったのかい?!」
「いででで!」
ちょっ何で俺の膝の上に座ってくんの?!こっちは腹痛くてそれどころじゃねぇってのに!
「お、おっぐ!げっぐぅ!」
ヤバイヤバイ!お腹に力入れたらもよおしてきたぁ!
「ちょっどけて晃ぁ!マジでどけてぇ!」
「え?何をそんな慌ててんだ?」
重い!お願いだからどいてください!どっかり座らないで!
ポカンとした顔でこっちを見てくる晃に絶えきれなくなった。全身全霊を込めて彼を前に押し出す。
「どぅけぇぇ!」
「ぐわっ!」
俺の席に座っていいからどけろぉぉ!
驚異の力を見せた俺にさすがの晃も吹っ飛ばされた。そして地面に突っ込んでいった彼の背中を踏んづけてダッシュを試みる。もう一刻の猶予も許されない、急げ3階へ!
……やっぱり今日休めば良かった!