王の二 婚礼(2)
婚儀が終わり、今に至るまでの間、ウォルゼーはいかにも哀れっぽく、貴族達にささやきかけたのだ。
ありったけの金品を渡すから、どうか自分を逃がしてくれと。
もちろん賛同者は多かった。
その中で、『金品を受け取ろうとした者』だけが今、目の前で屍と化している――
「生かした連中は三種類」
語り始めるウォルゼーの靴が、床の血だまりをぴちゃりと踏む。
「一つ目は、心底王子に陶酔している愚か者」
つまり「金などいらないから逃げてくれ」と、自分の事のように願った者。
例えば、気弱そうな貴族はウォルゼーの手を握り締めてこう泣き崩れた。
「とんでもない! むしろわたくしの財をさしあげます。ですから、どうか逃げてくださいませ!」
また、別の老いた貴族は、両手で顔を覆ってこう嘆いた。
「貴方様の御身に斯様な不幸が降りかかっていると言うのに、これ以上何を貴方様から取り上げられましょうか!」
そうした者達に、ウォルゼーもまた涙で応えた。
「申し訳ございません、実は、僕は影武者なのです。王子には国外に逃げて戴きました。ああ、本当に我が身の無力が情けない……。身代わりとしてここに残り、あの悪姫の注意が王子に向かないようにする以外、自分に出来る事など、何もっ……」
そう言って、はらはらと涙を流すウォルゼーに、貴族達が感動したのは言う間でもない。
「よくやった、よくやってくれた! 王子は無事なのだな、どうかそのまま、悪姫の注意を引いていてくれ。なに、心配するな。私達は君の味方だ」
「ああ、ありがとうございます、身分を明かした甲斐がありました。全力を尽くして王子を演じますので、王子が戻るまで、なにとぞ悪政でも耐え抜いて下さいませ!」
貴族達の好意に感激の涙を見せ、ひとまず、その場を切り抜けた。
「とまあ、そんな感じだ」
「情に訴えたのね、酷い人」
「なあに、姫さんほどじゃねえよ。それでもって二つ目は、先の可能性を残す者だ」
「例えば?」
「いずれ王子が戻った日に、人一倍感謝される事を狙った連中さ」
胡散臭いったらありゃしねえ、と笑うウォルゼーの方がよっぽど胡散臭かったとは、後に側近の語る所ではあるが。
ただ、面白い物を見てきた子供のように、ウォルゼーは笑顔で語り続けていた。
「そいつら、『僕は王子に全面的に信頼されているんです』って言ったら急に下手に出やがるんだぜ。影武者だと言った瞬間には、侮蔑の目をしたくせにな」
「殺せば良かったじゃない」
「いいや、ああ言う手合いは自分の得になる事には貪欲だ。おれに味方する事が将来の出世に繋がると思えば裏切らないさ。『協力して下さった事、王子にお伝えしておきます』とか言ったら、帰りの馬車まで用意してくれるような輩だぜ?」
「愚かね」
「まったくだ。そして最後が臆病者。ようするに、姫さんの噂に震えあがってる奴だな」
例えば若い貴族は、『逃がしてくれ』とウォルゼーに言われた瞬間に青ざめた。
青ざめ、後ずさり、震えながら首を横に振った。
「冗談じゃないですよ! お、おおお王子様の頼みでも、あの殺戮姫に逆らうなんて出来ません! 私は何も聞かなかった、何も見なかった! だからお引取り下さい、か、帰ってくれ!」
そう言い終えると同時に護衛を呼んで、影武者だと告げる時間も与えずに屋敷から放り出したのである。
「王子にする態度じゃなかったよなあ、あれは。くくく、姫さんがどれだけ怖がられてるか見られて面白かったけどよ」
「あら、それは褒め言葉?」
「もちろん。で、この状況さ。金で裏切る奴は信用ならんからな。後々、おれが金で他を買う事はあっても、金で買われる奴なんていらねえよ」
だから、金を受け取った奴を呼んで殺した。
そう説明しながら廊下の突き当たり、壁の前まで歩いて振り返る。
「三つ目を一番近くに、二つ目をその外に、さらに一つ目を一番外に」
「臆病者を側に?」
「ああ。城に見張られていると思えば下手なまねもできないだろ? ついでに姫さんの処刑を目の当たりにするんだ、ますます縮み上がるだろうよ」
そこまでウォルゼーが言った時、ふと、鎧騎士ではない方の側近が歩み寄った。
セライヴァ――端正な顔の左半分を、無地の白い仮面で隠した女剣士。
ばっさりと切った深緋の髪は短く、凛々しさを顔立ちに与えている。そして意思の強さを滲ませる金の双眸は鋭く、声もまた、覇気をともなう強さを持っていた。
「主。私も口を挟んでよろしいでしょうか」
「構わなくってよ。なあに?」
無邪気な笑顔で首をかしげ、ベルザが場への発言を許す。
それに一礼で感謝を示して、セライヴァは形の良い唇を開いた。
「偽の王子よ。悪いが、その案は賢いと思えん。一つ目を外側に置くのは危険ではないか? 逃げた王子を連れて、謀反をくわだてた連中が来たらどうするのだ」
「いや、そいつは心配ない」
「根拠は?」
「この国の神はこう申されたそうだ。『恩には恩で報いよ』とね。謀反を企てればおれの身が危なくなる、命の恩人を危険にさらすマネを、あのお優しい王子様がするわけがない」
「王子がやらずとも、配下がやるかも知れんぞ」
「ああ、そのための一つ目さ。やつらは口々にこう言って止める。『あなたはそれで良いかも知れませんが、そんな事をしたら王子が悲しまれます!』ってね」
「……」
「おれは外に逃げたジニーに、貴族達を通して時々贈り物をしようと思う。せめてこれを着て下さい、せめてこれを召し上がって下さいと味方を装ってね」
「あくまでも王子の味方のふり、か……」
「そうそう。それがどんだけ役立つか、おれが誰より知っているのさ。あんたらの中ではな」
この国で生まれ育った。だからこそ、この国の長に求められる気質を知っている。
実直であり、思いやりがあり、他を敬い民にも他国にも真摯である王族。
少なくとも、表向きはそうでなくてはならないのだ。慈悲と慈愛の神を信奉する国として。
「さあて、そろそろ片付けを呼ぼう」
にこやかに語るウォルゼーに踏みにじられた血は、凝り、固まりかけている。
靴底にこびりついたそれを、近場の柱でこそぎ落として彼は笑った。
「言ったろう? 命が惜しいって。おれはおれの命を守るために、何だってするよ」
そうして貴族達の割り振りが決まり、その日の夜は過ぎて行った。