王の十四 指輪
暁が、焦土を白く照らし上げる。
生き残った者にも、死んだ者にも、朝日は等しく降り注ぐ――
藍の夜の色を夜明けの光が薄める頃、ラムーグから戦乱の音が消えた。
折れた剣、そして壊れた槍が散らばる城下に訪れたのは、寒いほどの静寂だった。
[*]
夜明けを告げる光の中、ギイと響いたのは蝶番を軋ませる音。
真っ暗な小屋と外を隔てる、小さな扉が開かれる音だった。
その音色に、思わずベルザが剣を握る。
けれども扉を開いた者は、警戒に値しない相手だった。
「セライヴァ……」
「戻りました……我が主。そして道化よ、貴様はどこまでも、実にどこまでも私の機嫌を損ねてくれるな。ふふ……」
ギュンタムに肩を支えられて笑う、傷だらけの側近の皮肉。
それに目を細めるベルザに続いて、ゼイムスが扉の方へと顔を向けた。
「そいつあ悪かった。首尾は?」
「貴様の言う通りにやって来たさ、ラムーグとイーリャンをあの腑抜けた王子にくれてやる。いたく感謝されたぞ、さすが命をかけて王子を守ってくれた方なだけあると」
実に鳥肌が立つ感謝だった、と笑いながら肩を手でさすり、セライヴァがおどけてみせる。
「貴様の正体を、一つ残らず伝えてやろうかとも思ったぐらいだ」
「……」
「まあ、話はせんよ、主が困る。時に要らん心配をされたぞ、貴様はどうするのかと」
ラムーグを捨て、イーリャンを捨てたら居場所がなくなるのではないか。
それではあまりにも申し訳ないと、そう王子に心配されたのだ。
「ラムーグに家を構えるのなら、いくらでも土地を出すそうだが?」
「いらねえよ」
朝日に目を細めながら、軽く応じたゼイムスがベルザを見る。
「おれは、姫さんの故郷をもらう予定でね」
彼女と共に、ハイラが治めていたヅェンラインの王となる。
だからラムーグなんて必要ない。
そう言い切ったゼイムスを、セライヴァが軽く笑い飛ばす。
さながら諦めと、納得を混ぜたような投げやりな笑いだった。
「ふん、貴様の遊戯にこれからも付き合わされるのか。最悪だ」
「ああ。おれに指輪がある限り、な」
違うか? と片手を上げるゼイムスに、セライヴァが思わず絶句する。
そこに、くすくすと笑うベルザの声が割り込んだ。
ベルザがゼイムスに指輪のからくりを告げたのだと──
そう、暗に示す笑い声だった。
[*]
ヅェンライン王家の女には、ある特別な力がある。
それは、物心ついたときに異界から茨の指輪を呼び出せると言うものだ。
その時に一緒に現れるのがセライヴァ達のような存在。
つまり、人ではない者――
「初耳だったぜ? 魔族がこんなに人間めいているなんて、な」
「ふん、それは貴様らの勝手な呼称だ。私は私でしかない。老いて死に、傷で死ぬ。この世の民ほど軟弱でない自負はあるが、指一本で山野を吹き飛ばすような御伽の魔物でもない」
指輪の呼び出し手である女は純潔である間だけ、その指輪が持つ呪い――指輪を嵌めた婚約者が、決して自分をおびやかす事ができなくなると言う力を行使できる。
最も呪う婚約者を変える事はできず、純潔を失っても効果が切れてしまう為、ベルザの母であるハイラには魔族がいない。
王となる伴侶を選び、その王を支配するまでの、ひとときの繋ぎである魔族。
それは女王になってベルザを産んだハイラには、もはや不要の存在だった。
「……残念な事だ」
「ん?」
「なに、こちらの話さ。道化になぞ理解は求めんよ」
愚民は黙っていろ、と薄い笑みを見せてセライヴァが金の目を伏せる。
災厄ことハイラには、二人がかりですら苦戦した。
まるで小虫を払うように、自分の剣やギュンタムの斧を跳ね除けるハイラは、酷く恐ろしく、同時に息を飲むほど魅力的だった。
洗練された剣技。
迷いのない狂気。
討たれて尚、周囲の兵に一切の手出しをさせなかった女王は、もはや軍神の如き気高さに満ちていた。
ベルザに害を及ぼすものとして、あんなにも疎んじたと言うのに、勝利の瞬間に敗北感を覚えたのも嘘ではない。
「何でも、ないさ」
女王を下した側近達に、兵達の反撃はなかった。
ただ静かに、場から去る事が許された。
もう二度と、ハイラほどの存在と刃を交える事はないだろう。
それが嬉しくもあり、悲しくもあった。
「母上は死んだのね……」
「はい、確かに」
そう返し、その後の主の顔を見るまいと、会話の相手をゼイムスに振る。
「さて道化」
「うん?」
「この際だから答えてやってもいい。私に問う事はあるか?」
「そいつあ何よりだ。あんたらが指輪の化身なら、おれは、あんたらが死んだら自由になれるのか? この指輪が折れたらあんたらも死ぬのか?」
扉からの光にかざすよう、指輪を見せながらゼイムスが問う。
その問いに、明らかに馬鹿にした表情を返して、セライヴァが肩を竦めた。
「何かと思えばそんな事か。自由になりたいのか? 道化」
我が主を裏切ってまで、と問うセライヴァに、ゼイムスがゆっくりと息を吐く。
「まさか。姫さんの脅威がなくなったらボケちまうぜ、ボケたら乞食に逆戻りだ」
ぱたりと腕を床に下ろし、そう返すゼイムスの声は軽い。
途端にベルザが緊張を緩めたのを察して、セライヴァが不服そうに眉をひそめた。
「勘違いするなよ道化。我らは派生。呼ばれた際に指輪を捧げるまでが我らの役目だ」
あくまでも指輪を届けに現れるだけで、それ以上でもそれ以下でもない。
呼び出した主に仕えるか否かは、あくまで魔族達の自由意思。
指輪が力を失うのは主が純潔を捨てた時のみで、その時には魔族も消える。
それ以外で縁が切れることは決してない――
「永劫の自由を求めて、主を殺める同胞も珍しくないがな」
殺してしまえば永遠に主の純潔が失われることはなく、自分が消滅する心配もなくなる。
そうした間柄ゆえに、主を裏切った魔族の話、主を愛して消えてしまった魔族の話なども、数えられぬほど在るとセライヴァは笑った。
それでも、
「私は決して裏切らん。主の為ならば消えることも厭わん」
セライヴァとギュンタムのベルザに対する忠誠心は固く、揺るぎない。
白い暁の空を背に、誇らしげな笑顔を見せるセライヴァに、痛みを押し殺した声でゼイムスも笑う――
「自由を捨ててまで、姫さんのために在り続ける……か。よくわからんなあ、魔族の考えって奴は」
「それはそれは、褒め言葉と受け取っておこうか道化。私には貴様の考えの方が余程わからんよ。今までも……これからもな」