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悪女と詐欺師のフォークロア  作者: 水沢 流
第九章 決戦
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王の十三 聖書

 ――闇を、銀色の光が貫いた。


「ゼイムス!」


 ベルザの悲鳴が森に響く。

 木陰から飛び出して来た黒衣の刺客が、ゼイムスへと飛び掛ったのは刹那の事。

 その奇襲に、ゼイムスも周囲も、一瞬とは言え反応が遅れた。


 勝利確信の安堵が生んだ隙。それを、刺客は見逃さなかったのだ。


「く……っ」


 油断した、とうめくゼイムスの体が馬上で傾ぐ。

 直後、ベルザが後方から鋭く馬を駆けさせた。

 銀の髪をなびかせ、流れる風のようにゼイムスの体を受け止める。

 そして逃げようとする刺客を鋭く振り返り、腰の剣を抜き放った。


「下衆が!」


 鋭い声を放つや否や、手にした剣を投げつける。

 その一撃が刺客を射た辺りで、護衛が一斉に刺客へと剣を振り下ろした。


「ゼイムス!」

「……う」

「しっかりなさい……しっかりして!」


 ぐったりとしているゼイムスに呼びかけるベルザの声が、徐々に悲痛さを帯びる。

 元より戦いに無縁である詐欺師には、おそらく相当の痛手だったのだろう。


「ゼイムス、人を」

「呼ぶな……」


 騒ぎになれば、士気が落ちる。

 この戦況に、凶報を挟んではいけない――


「大丈夫……だ。だから、どこかに隠れてくれ……」

「ゼイムス……」

「そんな顔すんなよ、姫さん……。らしくねえ、なあ……」


 乞食相手に見せる顔かよと意地悪く笑って、痛みに強く顔をしかめる。

 毒は塗られていないものの、首に負った傷は浅くない。

 じわじわと服を赤く染める血が、その事を何よりも示していた。


「頼むぜ。隠れ場所を、どこか……」

「ええ、聞いてさしあげてよ。だから安心なさい、意地を張らずにね」


 そう約束したベルザに、ゼイムスが浅く笑う。

 直後、ゼイムスが気を失った。



[*]



 見つけたのは山小屋だった。

 人はおらず、もう長く使われていないような、そんな小さな山小屋だった。

 応急処置が済んだゼイムスを、ベルザが奥の方へと横たえる。

 そして入り口に見張りを置き、その見張りをも藪に隠れさせた。


 扉と窓を閉めて暗闇を保ち、敵の目にも味方の目にもつかないように気を配る。

 そうして真っ暗になった小屋の中では、音と匂いだけが辺りを知る手がかりになった。

 流れて来る煙の匂い。血の匂い。争いの音色。

 それらを確かめながら、ひっそりと一同が息を潜める。


 その、痛いほどの沈黙を、不意にゼイムスの声が緩やかに乱した。


「……おれの、話をしてみようか」


 意識を取り戻した事を示すよう、掠れた声でそう呻く。

 それに気付き、ゼイムスの元へ手探りで近付いたベルザが、そっとゼイムスに笑いかけた。


「……また戯言?」

「この上ない戯言さ……」


 そう言うと同時にベルザの腕を掴み、ゼイムスがベルザを引き寄せる。

 それは今まで一度とて、自分からベルザに触れた事のない彼らしからぬ行動だった。

 意外そうな顔をするベルザに、ゼイムスが笑いかける。

 それも、お互いの顔が全く見えないからこそ、できるような微笑みだった。


「姫さん……」

「何?」

「……いや、何でもねえ」


 痛みに揺らぐ声で、そうつぶやいたゼイムスが黙り込む。

 そこでようやく、ベルザはゼイムスが何かを抱えている事に気が付いた。

 荒れ果てた装丁、波打った薄い断面――─


「……本?」

「ああ……おれの聖書さ」


 深く息を吐いたゼイムスが、ゆっくりと目を閉じた。


「……道化の、くだらねえ思い出話だ」


 もう、随分と昔の話になる。

 だが、忘れようとしても、忘れられない出来事だ。


「阿呆な思い出……さ」


 けれど捨てられないんだ、と。

 自嘲気味に笑うゼイムスの声が、闇に静かに広がっていった。



[*]



 ……昔、盗みに入った家で旅人に会ったんだ。

 そいつは死に損ないだった。それで、すぐに死んだ。

 なんの望みも口にせずに、勝手に死んで行きやがった。

 くだらねえ神様に義理でも立てるのかと聞いたら、死の床で首を横に振ったよ。

 自分の聖書はこれだと、うすっぺらい本を大事に大事に抱えながらな。


 そいつが、死ぬ前にこの本を寄越しやがった。

「お前が本当に生き延びたいのなら、この本はどんな聖書よりも役に立つ」とね。


 書いてあるのは歴史だった。

 各国で起きた事を、ありのままに書き綴っただけの歴史だった。

 後で英雄でも登場させて詩にする予定だったのか、その辺りはもうわからん。

 ある日行ったら、死体ごとなくなっていたよ。

 狼か何かに持って行かれたんだろう、ちぎれた奴の服が散らばっているだけだった。


 だがなあ、奴の言葉は正解だったよ。

 おれが姫さんの為に何かを考える時、いつでもこいつが役に立った。

 聖句のように並べられた箇条書きが、他国の歴史が俺に光明をくれた。

 まるで魔法みてえに、ここから解決法を探す事もできた。


 だが、もうこれも必要ねえ。

 見ろ、俺の血で真っ赤だ。そのうち真っ黒だ。これじゃ全く読めやしねえ。

 でも構わねえさ、おれの頭にもう全部入っているからな――


 ……なあ、姫さん。


 おれがやっているのは、荒唐無稽な茶番劇だ。

 史実をなぞって上積みしただけの、無名の愚かな戯曲なんだよ。


 これからもよろしく頼むぜ? あんたは俺の脅威だからな。

 ああ畜生……聞きなれねえ泣き声が聞こえやがるぜ。

 くくく、姫さん。困った事になったわ……。

 おれの耳がどうかしたみてえだ。……なあ?

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