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悪女と詐欺師のフォークロア  作者: 水沢 流
第九章 決戦
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王の十二 決戦(2)

 敵兵を切り、刎ね、刺し貫き――

 疾風の如く陣を突き崩した先で、セライヴァは戦慄に息を飲んだ。

 陣の終端で馬に跨る、ベルザに非常に良く似た女。

 同時に、その、年齢不詳の美貌を見せる女の方もまた、セライヴァに気付いたようだった。


「退け」


 女が命じる。

 その一言で、セライヴァへと武器を向けた兵達が、後方へと恭しく下がった。

 女の凛々しく落ち着いた声音は、脅しの凶暴さとは程遠い。

 それにも関わらず、兵士がそれに抗う事の許されない雰囲気が、辺り一帯に張り詰めていた。


 女の、青く凍えるような瞳がセライヴァを見る。

 途端に小刻みな震えと熱を体に覚え、セライヴァは息を詰まらせた。

 恐怖でもなければ、武者震いでもない。

 それは崇拝すべき畏敬の対象を眼前にしたと言う、歓喜と憧憬の震えだった。


「久しいな」


 馬上で悠然と微笑むハイラの声が、美酒のように意識の底を擽る。

 それだけで、武器を捨てて平伏したい衝動に襲われた。

 狂気に惹かれ、強さに惹かれるセライヴァの本質に、支配者の威厳は眩し過ぎる。

 神を前にした信者のよう、射竦められたセライヴァの唇が、恐々と言葉を紡ぎ出した。


「女王陛下……」


 夢見心地でつぶやき、ふらりとその前に歩み出る。

 その途端、ハイラが艶やかに笑い上げた。


「未だ汝を残しているとは、出来損ないらしい選択だ」

「な、に……?」


 酔いが薄れる。

 心地良さの中に、不快感が混じる――

 従属を願う体とは裏腹、意識が鬱陶しいほどに嫌悪を喚き立てる。

 その拮抗に眉を潜めたセライヴァの耳に、再び、女王の声が滑り込んだ。


「出来損ないと言ったのだ。聞こえなかったのか?」

「何、だとっ……」


 出来損ないだと。

 我が主、ベルザを出来損ないだと!


「愚弄するな、下衆が!」


 そう鋭く吠えて剣を握った瞬間、強烈な誘惑が消し飛んだ。

 自分が呼ばれた「あの日」から、主は一人だ。ベルザしかいない。

 それはギュンタムとて同じだろう、言葉にせずとも「判る」のだから。


(セライヴァ……)


 優雅な絹のドレスを朱に染めて、手首だけになった執事に接吻(くちづけ)を送って。


(あなたたちは私の「もの」よね?)


 そう言いながら微笑んでいたベルザは、幼く狂気的な暴君だった。

 傲慢不遜な残忍さを垣間見せながら、眠りの間際まで自分達を側に置きたがった主。

 その奇妙な矛盾に自分が固執していると気付いた時は、勢い余って自害しそうになったほどだ。


「脆弱な出来損ないに(ほだ)されるとは、似た者同士と言う事か?」

「ふん、貴様には永劫にわかるまいよ」


 女王が絶対だったあの城で、ベルザの味方は側近達だけだった。

 ベルザの癇癪に巻き込まれた給仕が、殺されたり、逃げ出したりしたと言うのも大きかったが。

 側近達は配下であると同時に世話役であり、そして、ベルザの心の拠り所だった。

 それが――セライヴァの戸惑いになった。

 生まれた時より自我を持ち、何一つ不足のなかったセライヴァにとって、自由と服従以外の選択肢が出来たのは予定外。

 けれどもいつしか、それは誇りになり、彼女の剣をより卓越した域へと押し上げた。


「貴様の所為で、我が主がどれだけ心を傷められていたか! 貴様の娘だろう!」

「はっ、娘だと? 私は、『私の弱さ』を切り捨てただけだ」


 あれは娘ではない。自分と良く似た姿をした『弱さ』だ。

 幼少の頃、産みの親を恐れた無様な弱さを切り離して、ようやく女王として一人前になれただけの話だ――


「半端者が怒るか? よかろう、怒れ。私の汚点は、私の手で拭うが道理よ」


 そう言い放ったハイラが、ひらりと馬上から飛び降りる。

 その所作に一瞬だけ目を奪われたセライヴァへと、ハイラが艶やかに微笑んだ。


「おいで、脆弱の下僕。私が『私の弱さ』に囚われないことを証明してあげよう」

「不要だ。その減らず口、必ずや後悔させてやる!」


 叫び、低く構えたセライヴァの横に、到着したギュンタムが並ぶ。

 それを確かめたハイラが、すらりと鞘より銀剣を抜いた。


「なに、私が優位なのだと改めて教えなおしてやるだけだ。さあ、かかっておいで」


 叩き伏せてやるから、と。

 剣先を跳ね上げる所作で二人を挑発したハイラ目掛けて、剣と斧が唸りを上げた。



[*]



 にわかに、敵兵の様子が騒然となった。


「……時間だ」


 高台の上でゼイムスが笑う。

 初撃で射た、遠すぎる距離からのボウガンによる攻撃。

 その企みがようやく成功した事を、雰囲気の変化から読めたからだ。


「こっちにゃ敵兵を誘う金もない、数で押し切る兵力もない。ならば彼らに新しい敵を作ってやればいいのさ、味方と言う身近な敵をね」


 進撃前、神経を乱す毒を弓隊に配った後、そうベルザに告げた言葉通りの結果。

 つまり白兵戦は、効果が出るまでの時間稼ぎでしかなかった。

 毒は利きの鈍い幻覚性のもので、神経をかく乱する系統のもの。

 最初に矢尻にそれを塗り、あえて致命傷に至らないように撃ち込んだのだ。

 失敗に見せかけ、その後の油断を誘うためにわざと。


「うまく行ったなあ。見ろよ、大騒ぎだ」


 風に乗る錯乱の絶叫が、同士討ちの気配を伝えて来る。

 さらに、散り散りになった陣形からも、敵軍の混乱が見て取れた。

 そんな中、遠くに見えた三つどもえの交錯――

 剣戟の音すら聞こえて来そうな一戦に気付き、ゼイムスがちらりとベルザを見る。

 まるで踊るよう、優雅に敵を翻弄するハイラ。

 それに対峙しているのは、他でもないベルザの側近達だった。


「……射るか? 災厄を」

「必要ないわ」


 私の側近達ですもの。

 そう一点の迷いもなく言ってのけるベルザに、ゼイムスが次を問う事はない。

 絶対的な信頼をよせ合っている者に、詮索など必要ないからだ。

 ベルザが側近達の力を信じている以上、ゼイムスの策が入り込む余地はない――


「なら、災厄はあの二人に任せよう」


 その一言で片付けた。

 ハイラの兵はベルザの側近と等しく、死ぬまで戦い続ける忠義の化身達だと聞く。

 そして女王を仕留めても決して引かないとベルザが言う以上、殲滅意外の道もない。


「……信じらんねえな、命を賭けて最後までとか」


 同士打ちを誘った身でありながら、苦笑するゼイムスの表情が少しばかり曇る。


「逃げちまえばいいものを。……おれなら逃げるぜ」


 そうつぶやく声には羨望と、少しばかりの哀れみがあった。


「……ま、敵の敵を作れば勝手に削りあってくれるとは思ったけどな。案の定って奴だ」


 戦場から視線を反らし、控える馬の鞍にひらりと飛び乗って一言。

 それから高台から下へ降りる山道へと馬を向け、ゼイムスは坂を下り始めた。

 その背にベルザと側近達が続き、長らくベルザに仕えている私兵がそれに続く――


「大軍を滅ぼすのに必要なのは、それを押し切る大軍や武器じゃねえ。大軍の中へと滴らせる、不審と言う毒だけだ」


 一で百を殺せる火は要らない。誤爆で自国を滅ぼす品は、管理に手間と金がかかるだけだ。


「集団が大きければ大きいほど、分裂の打撃も大きいのさ」


 それは前夜、晩餐の席でゼイムスが語った事だった。



[*]



 無数の蝋燭と鏡、そして細工を施した品々が作り出す幻想的な陰影。

 決戦前夜、それらが織り成す光ゆらめく地下宮殿で、四人は机を囲んでいた。

 透き通った水晶のような玉葱のスライスを彩る、陽光の恵みをたっぷり受けた野菜類。

 それを口に運んだゼイムスが、食事を共にするベルザと、それを見守っているだけの側近達に視線を流してナイフへと手を添える。


「大国を安全に滅ぼす魔法がある。その国の内部に不審を生む事だ」


 すっと空に滑らせたナイフをチーズに当て、二つ、四つと切れ目を入れて行きながら。


「『仲間意識』を小分けにする。まず国に対する不審を煽って二分する、次に民同士で不審を煽るようにして、また二分する……」


 四つから八つ、八つから十六個――


「ごく小さな集団、自分の身の回りの人間しか信じられなくなるまで分ければ、小国を相手にするのと何ら変わらなくなる」


 細切れにしたチーズをクラッカーへと乗せて、味わうゼイムスの一人語り。

 その隣で甘く冷やした果物を口にしたベルザが、やわらかな唇に笑みを浮かべた。


「貴方が前にやった方法?」

「ああ、国内でな。あの時は国の駒と暴徒に分けたが、今度はもっとみじん切りだ」


 厚みのある肉にナイフを入れ、一口大にしたそれを持ち上げて、


「あんたの母君の兵は、見事に忠誠を誓ってらっしゃるようだしな。せいぜい誰が敵だかわからなくしてやるさ。なあに、姫さん好みの展開にしてやるよ」


 だから楽しみにしておけと、とろみのある肉を頬張りながら策を伝えた。


[*]


 ──美しい王女、蛮力の鎧騎士、熟練の仮面騎士、そして穏やかな慈悲の王。

 数百年の後、そうした英雄として壁画を飾ることになるこの四人の会合は、こうして一夜の幕を閉じた。

 そしてこれ以降、この宮殿をゼイムスが使う事はなかった。

 閉鎖を命じたゼイムスの言葉により、火が落とされ、扉が閉じられたからである。

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