王の十一 増強(1)
国を出る前、詐欺師ことゼイムスは自分をこう騙った。
「実はイーリャンの王族の隠し子で、追放された忌み子」だと。
隠し子であれば、イーリャンの現王から玉座を奪い取る理由にもなるし、それまで民に知らされなかった道理も通る。
すなわちイーリャンからラムーグに亡命し、そこで復讐の機会をうかがっていたのだと。
そう説明し、王位を転覆する戦いであると目的をこじつけた。
追従した民とていまさら驚きもしない。
ずっとウォルゼーだと思っていた王が、実はゼイムスと言う名前の隣国の王子でしたと言うだけの話であって、それが自分達にとって何ひとつ不利益にならなかったのだから。
そうして「正統な後継者」を自称し、ゼイムスはまんまとイーリャンの玉座に収まった。
「これでいい。まあ、姫さんにはしばらく窮屈な思いさせるけどな」
「あら、母上に会うより良いわ?」
そう笑うベルザは、ハイラの目の届かない舞台裏へ。
つまり地下へと篭り、一部の者しか知らぬ隠れた王女となった。
[*]
地下と呼ぶには明るい空間。
王宮らしく趣向を凝らしたそこに、その日はセライヴァの声が響いていた。
「良いのですか、主。こんな日陰者のような生活など……」
地下とは言え豪華に作られた場は、日光が来ない事を除けば城と遜色ないほど美しく仕立てられている。
その寝台に横たわり、枕元花を愛でる主ことベルザは、どこか眠たげな顔でギュンタムと、言葉を並べるセライヴァの方を眺めるばかり。
単に聞く気がないのだと、暗に示す姿勢を見せていた。
セライヴァの説得はこれで十数回目。
その一つとして、ベルザに聞き入れられた事はなかったのだが、
「主……」
「冗談でしょう? 母上のいる所に出るなんて」
花を手に妖しくに笑うベルザに、セライヴァがぐっと拳を握る。
ふがいなさと苛立ちを、ぶつける先もないと言う悔しさ。
その心情を悟られまいと必死に耐えて、セライヴァは再び口を開いた。
「主、かの災厄への恐れは理解できます。私はずっと共におりましたから……」
もう随分と前になるが、初めて顔を合わせたあの日の夜。
ぞっとするほど魅惑的に微笑みながら、それなのに何もないからっぽの人形のような暗い目をしていた少女を見て、一瞬のうちに悟ったのだ。
自分が仕えるべき相手は、この少女だと――生涯をかけて守るべき者だと、刹那に胸に刻み込んだのだ。
それが気付けば詐欺師の導くまま、まるで追いやられるように地下へと住まわされている。
それが不憫でいたたまれなくて、何とかしたい一心でセライヴァは説得を続けた。
「ここを離れましょう、主。また新しい国を奪いましょう。我々はどこまでもお供いたしますから……ですから」
「嫌よ!」
刹那、鋭い拒絶の声が響いた。
眠たげな雰囲気が一瞬で影をひそめ、炎すら凍らせるような声がベルザの唇から滑り出る。
「誰に口を利いているの? 私を誰だと思っていて?」
「……ご無礼、を」
ぞくりと、背筋が冷える心地がした。
最後まで怒鳴られた方が良かったと思えるほど、ベルザの声が心に突き刺さる。
言葉が過ぎた非礼を改めて痛感し、うなだれるセライヴァ。
その肩へ、慰めのようにギュンタムが片手を置いた。
「誠に、申し訳ございません……」
深く頭を下げるセライヴァと、それを静かに見守るギュンタム。
そこに氷のようなまなざしを向け、ベルザがゆらりと立ち上がった。
「忠言なんていらなくってよ、あなた達は私の為にいるのでしょう?」
「……はい」
「だったら、私の為に在り続けなさいな。それ以外、何ひとつ必要ないわ」
「……御意」
顔を上げぬままに忠誠を示す配下へと、ベルザがそっと腕を伸ばす。
そして不意に、ギュンタムにキスを送り、セライヴァをその細腕で抱きしめた。
「いいこと? 二度と言わないわ。私には貴女達がいるの。それなのに何を不安になる必要があって?」
何よりも忠実な者、誰よりも信頼のおける二人が側にいるのに――
「理解なさいな、それぐらい。他に側近なんて、置かなくってよ……」
「……っ!」
予想外の言葉に息を飲んだセライヴァが、その姿勢のまま硬直する。
そして数秒の後、ぎこちなく抱擁を返して目を伏せた。
ひどく礼を欠いた行動に出ているのではないかと、そんな恐れが胸をよぎる。
けれども他にどう応じたら良いのか、その方法が思いつかなかった。
「光栄に御座います。我が、主――」
冷水のように冷えた頭とは裏腹、ベルザの体温がやけに温かい。
側近がいるから大丈夫だと、そんな言葉が返って来るとは思わなかったから。
だから、頭がぼうっとするのは身に余る栄誉のせいだろうと自分に言い聞かせる。
「主、あの……」
おそるおそる、ためらいがちにセライヴァが口を開く。
「あの……よろしければ……」
ガチャリ。
「おお、邪魔したか?」
途端に飛び込んだのはゼイムスの声。
その声で一気に現実に引き戻され、セライヴァは慌てて扉の方を睨みつけた。
「な、何をしに来た道化!」
「ん? 姫さんへの見世物が思いついてな。だけど後にすらあ。じゃ、ごゆっくりー」
ぱたん。
「……」
「……」
唐突な登場と退場に、何とも言えない沈黙が流れる。
その気まずい空気を打ち払ったのは、セライヴァの小さな咳払いだった。
「主。もし……もしも、お願いしてもよろしいのでしたら……」
消え入りそうな声で紡がれた側近の願い。
それを聞いたベルザが、ふわり花のような笑顔をほころばせた。