王の十 逃亡(2)
――侵攻前。
「ベルザを倒す者が現れました、どうか、その者と共に国を再び治めて下さいませ……」
影武者に扮したウォルゼーは、そう貴族達に声をかけていた。
「本当に、長く耐えて下さった事、心より感謝申し上げます……」
深々と頭を下げ、いかにも感極まったように、涙声でそう嘘ぶいた。
「……王子が帰って来られると?」
「はい」
「あの悪妃を倒す者と言う話はまことか!」
「はい。かの者の母君に当たります。娘の粗暴を見かねたので御座いましょう……」
「おお……」
動揺のざわめきが広がり、喜びの気配が辺りに満ちる。
「……何と言う朗報だ」
そうつぶやいた一人が、ぐいと袖で涙をぬぐった。
「ああ……王子が帰って来られる」
「耐えた甲斐があった! 素晴らしい!」
「神よ、あなたは我らを見放さなかった!」
などと口々に感極まって叫ぶ貴族達が、急ぎの身支度を給仕達に命じる。
――本物の王が帰って来る。
その喜びで溢れ始めた場をしばらく眺め、神妙にウォルゼーは言葉を続けた。
「悪妃は、あなた方に国の防衛を命じております。ですが、そんなもの守る必要など今はないでしょう。僕は悪妃の近くで何も知らないふりをしておきますから、後はご随意に」
それだけ言い残して場を後にし、イーリャンの侵攻へと赴いた。
その後、ジニーを見つけて声をかけ、貴族達の集う場を教えて馬を与える――
以降は、ウォルゼーの思惑通りに事が運んだ。
美しい朝日を背に受けて、気品ある手綱さばきで馬を走らせて来る王子。
その姿が見えるや否や、貴族達の間に感動が広がって行った。
「ああ、あれは、あの馬は!」
「王子様! 王子様が帰って来られた!」
「おお、ご無事で何よりです。心配しておりました……」
「……ただいま、皆。心配をかけて済まなかったね……」
辿りついたジニーと、それを迎える貴族達の喜びの声。
そうして感動の再開を果たした一団が、防衛を捨ててハイラの元へと向かったのは、それからすぐの事だった。
『過去の王権を取り戻したい』
彼らが願うのは、ただそれだけだった。
ハイラ――ベルザに良く似た冷酷の女王。
髪の質も目の色も寸分狂いない彼女を前にして、一同は最初こそ息を飲んだが、
「自分達は悪女に脅されただけです、ですから貴女と敵対する気はありません……」
そう救国主と誤認したハイラの前で願い、まとめて幽閉の憂き目を見る事になった。
ハイラとて、ラムーグなどと言うちっぽけな国の実情など知る由もない。
ただ、力を付けて来た国があると、そう聞きつけて攻め込んだだけなのだ。
ところが来てみれば、実の娘のわがままに付き合わされただけだと言う。
もはや、くだらないと笑い飛ばすだけで充分だった。
ウォルゼー達が細い山道を潜り、隣国に攻め込んだのだと気付いたのは後から。
その頃には既に、ウォルゼーがイーリャンを下していた。
「色々と惜しいが、まあ、命と引き換えに守るもんでもねえしな」
国に金品資源を全て残し、技術書のみを持ち出した。
あたかも技術書を焼き払ったかのように、燃やした紙の屑をも残した。
さらに有能な技術者達を囲い込み、言葉巧みに連れ出した。
もっとも誘いの言葉をかけずとも、元々、ウォルゼーの統治下にいた民の事。
得体の知れぬ侵略者の為に働くよりも、『自分の技術があれば贅沢ができる』と知っているだけに、ウォルゼーと共に隣国へと流れ込んだ。
「乾杯。滅びた故郷に栄光あれ!」
ウォルゼーの名は、ハイラに突き出した本物の王子へと返してある。
考えた末、ウォルゼーは死刑にした国民の一人から名を選び、ゼイムスを自らの名前とした。