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悪女と詐欺師のフォークロア  作者: 水沢 流
第一章 詐欺師、企む
2/29

王の一 遭遇

挿絵(By みてみん)

 その夜、王城は惨劇の舞台と化していた。

 切り飛ばされた腕が、足が、そして苦悶の顔がぶちまけられ、その死体を踏み荒らして無慈悲な軍勢が剣を振るう。


 その中心に在るのは女だった。

 むしろ、少女と呼べる年頃だった。


 月光の冷たさを帯びた銀の髪、色香を宿すあどけない顔立ち。

 彼女は数々の民を殺し、どこか妖艶に笑っていた。


「ふふ、うふふ、あはははは! ほうらギュンタム、あっちに腰抜けが隠れたわ! まあセライヴァ、だめよ腕は両方落とさなきゃ!」


 軍勢を率いて攻め込んだ彼女の前に、小国の護衛など役立つはずもない。

 逃げ惑う男や震える女。そこに、次々と容赦ない一閃が襲いかかる。


 喜々として剣を振るう彼女はまるで、狂った童話の姫のよう。

 ベルザ。ベルザ・ヅェンライン。

 殺戮姫として名高い彼女は同時に、処刑者の異名を持つ生きた災厄だった。


 青目の彼女に続く兵もまた、不運な命を刈り取って行く──


「ど、どうか命だけは……ぎゃああっ!」

「ち、ちょっと来ただけですから助け……ひぎいっ!」


 恐怖と苦痛に裏返った声が、断末魔の絶叫となって血の海に沈む。

 さなかで無力にも斃れた王の側には、すでに屠られた王妃の屍。

 そして、ひざまずいて祈るばかりのウォルゼーの姿もあった。


 亜麻色の髪と、優しげな栗色の瞳を持つ王子――

 指を組み、悲しみの涙で頬を濡らすその横顔が、世を嘆く天使のような憂いを帯びる。

 そこに、冷酷なベルザの剣が向けられた途端、


「おやめ下さいっ!」


 強く、鋭く割り込んだ声が一同の注意を引いた。

 先に兵達が声の方を振り返り、続けてベルザも振り返る。

 そして――誰もが絶句した。ベルザはもちろん、ウォルゼーさえも。


 息を切らして立っていたのは、ウォルゼーそっくりの顔をした男。

 何事かと凍りつく一同の前、その男が声を張り上げた。


「僕の『影』をどうか……どうか見逃してあげて下さい! 僕の命を差し上げますから、だから!」


 その言葉が終わらぬうちに、数人が男を取り囲む。


「みすみす出て来るとは愚かな王子だ」


 誰かが笑った。


「殺しますか?」


 別の誰かが言った。

 それを聞いたベルザが、すっと片手で兵を制す。


「見逃しておやり」


 くすくすと冷たく笑うベルザに、慈悲の心など全くない。


「平和に呆けた世継ぎに、素敵な世界を見せてあげるわ」


 つまりは、そう言う事であった。


 身代わりである影武者を守ろうとする、そんな馬鹿な王子は見た事がない。

 それがいかに愚かであるかを、その目に見せつけてやるのも面白いと思ったのだ。


「くくっ、てめえはもう用無しだってよ、ほら行け!」


 どん、と兵が乱暴にウォルゼーを突き飛ばす。

 その衝撃によろめき、ふらついたウォルゼーが男とすれ違いかけた瞬間、


「遠くより、お慕い申しておりました……」


 瓜二つの男が、そっとウォルゼーにささやいた。


「ですから、どうか御無事で。馬屋の裏に馬車を配してありますから……それで」


 まるで祈りを紡ぐような、懇願にも似た悲痛な声。

 だが、応じようとするウォルゼーに、問いの時間など残されていなかった。

 今にも切りかかりそうな兵から感じる、無言の重圧と歪んだ殺気。

 それに怯え、逃げ出したウォルゼーの姿が見えなくなってから、男がベルザへと声をかける。


「二人で話そう。気に入らなければ、僕の首を刎ねてくれて構わない……」


 思い詰め、死をも覚悟したような真剣な声―――


 それを聞き届けたベルザが、高らかな、勝利の笑い声を響かせた。


[*]


 武器を持たぬ事を示し、血にも毒を仕込んでいない事を示し、ようやく男は人払いを許され、ベルザと共に私室へと踏み込んだ。

 とは言え、その背にはベルザの剣の切っ先が、ひたりと容赦なく突きつけられている。

 一歩でも下がればそれが刺さる事は明白で、男はただ前に進むしかできなかった。


 否、扉が閉じた辺りから、男の歩みは堂々たるものになった。

 ずかずかと床を踏み歩き、途中にある角盃の梨を引っ掴み、ごろりと豪華な寝台に身を投げ出す。

 そのあまりの豹変ぶりに、ベルザが思わず目を見張る。

 だが、男は全く気にせず悠々と足を組み、手にした梨をむしゃむしゃとむさぼりはじめた。


 先程とは正反対の男の態度。

 それに戸惑いを隠せないベルザへと、半分まで齧った梨を掲げた男がニタリと笑う。

 それは、王子らしい笑みとは違う――

 例えるなら品性のカケラもない、悪党にありがちな笑みだった。


「どうだい姫さん。なかなかうまいぜ、これ」

「なっ……!」


 絶句したベルザの頬が、たちまち怒りの色に染まる。

 次の瞬間、ベルザの剣が、男の喉元に突きつけてられていた。


「私を……馬鹿にする気だったの?」


 本物と偽物の区別もつかぬ無知として!

 そう怒り狂うベルザを前にしても、男は全く動じない。

 それどころか降参の意を示すように両手を広げ、笑い、ゆっくりと目を閉じた。


「憧れていたんだ、王城の生活って奴にね」


 しみじみと告げる男に、ベルザが不審のまなざしを向ける。

 命乞いなら聞く耳を持たないつもりだったが、相手の意図を量りかねた。


「まあ、最後にうまい梨も食えたしよ。ここまで来ただけあるってもんだ」

「……何なの、貴方」


 どう言うつもりなの、と唸るベルザに、男が片目だけを薄く開く。

 そして片腕を枕にして、ふっと皮肉気な笑みを深めた。


「おれは田舎のペテン師だよ、姫さん。……本当の名はもう忘れちまった」


[*]


 ラムーグの民が、王族の幼少時代を知る事はない。

 慣習として、王子も姫も、十五歳になるまで民の前に姿を現さないからだ。

 よって国民が世継ぎを目にするのは、それぞれが成人してからとなる。

 そうしてウォルゼーが初めて国民の前に姿を現した際、乞食であった男は仰天した。


「あんときゃ、ほんっと天地がひっくり返ったかと思ったぜ」


 盗みのため、ずっと布で隠していた自分の素顔。それが、当の王子そっくりだったからだ。

 そして、その日を境に彼の生活が一変した。貧困から贅沢へ、不自由のない暮らしへと移り変わった。


「悪いけどお忍びなんだ。寝床貸してもらえるかな?」

「ど、どうぞ。よろこんで!」

「実は城の者には内緒でね。ああ、何か食べる物を」

「それでしたらこちらを!」


 そんな具合に寝床をせびり、食べ物をせびり、衣類や道具を手に入れた。

 無名の盗人だった頃の自分に対する反応とは、正反対の好待遇――


「すまないね、こっちの礼儀には不慣れなんだ」

「とんでもございません! わたくし共でよろしければ、何なりとお聞き下されば!」


 とにかく、一から十までそんな調子だった。

 地方の貴族ともなれば、田舎の大将と大差ない者も中にはいる。

 その辺りから順に訪れ、男は、王子らしい振る舞いを覚えて行った。


「――で、そんな事してたらあんたが攻め込んで来たってわけ」


 混沌とする戦禍の中、王子が本物か偽物かなんて誰も気にしない。

 それに乗じて「城に戻らなければいけない」と嘘ぶいて、馬を手に入れて駆けつけた。


 そうして現場に居合わせて、一世一代の大芝居を打った結果として今がある――

 そんな経緯の説明を終えて、男がちらりとベルザを見上げた。


「ま、せめて死ぬ前に贅沢をと思ったんだがなあ、あんたを見て気が変わった」


 にやにやと笑いながらそう告げる男に、ベルザが思わず眉をひそめる。

 確かに落ち着いて良く見れば、影武者にしては粗末な服装であり、ひそかに堆肥の匂いまで漂っている。

 それに気付いて後ずさったベルザの前で、男がむくりと起き上がった。


「おれは、王子としてあんたと結婚しようと思う」

「……なんですって?」


 思わず聞き返したベルザに、男が再び真顔で告げる。


「結婚しよう」

「正気なの? みずぼらしい乞食風情が私に触れて良いとでも思って?」

「いいや、おれはあんたに触れない。首が落ちそうだからな。だから、結婚しよう」

「……どうかしてるわ」


 正気の沙汰じゃない、と剣を握りながら青目を細め、男に氷のような冷笑を向ける。


「身の程を知りなさいな愚民、それとも首を落とされたいの? 妻にすれば女は変わるなんて思っているのなら、考えを改めた方がよろしくってよ」

「ああ、そうかもな」


 男がうなずく。


「あんたの噂なら聞いているよ。だがなあ、おれはこれから何十人、何百人と言う民を、おれの為に手なづけたり罰したり、欺いたり丸め込んだりするんだ。あんたと言う脅威が近くにあれば、それ以上怖いモノなんてなくなるだろう?」

「ふふ……」


 惚れたわけではない、同情したわけでもない。

 けれど、目の前の男から感じるしたたかさにベルザは笑った。


 強国の男に媚びて、玉座のお飾りになる気はない。

 ならばこの風変わりな男と、名だけの契りを交わす方がましだと思えた。


「良いわ、それなら妻になりましょう。ただし、婚姻は私の国の方式で」

「構わねえよ。どんなのだ?」

「呪われた指輪を婚約の証に。それで、貴方は私の命を決して脅かす事ができなくなる」


 そう言って髪に指を通したベルザが、華奢な手をゆっくりと握り込む。

 その後、再び指を開くと、そこには繊細な茨を思わせる指輪があった。


 白銀にしては透けるようにまばゆく、そのまばゆさも、落ち着いた光と言うよりも研ぎ澄まされた刃のような危うい煌き。

 それを剣先に乗せ、まるで汚い物にそうするよう、ずいと男の目の前へと突きつける。


「たとえ他人を使ったとしても、私の命を狙った瞬間に貴方は死ぬわ。いかが?」

「なかなか素敵な条件じゃないか」


 あっさりと応じた男が指輪を受け取り、はめる。


「おれの持ち物の中で一番豪華だ」


 指を飾ったそれを眺め、男が感動したようにつぶやいた。

 剣に乗っている時は少し小さく見えたのに、いざ指を通してみると、最初から男の為だけに作られたかのようにぴたりと合う。

 さらに手を揺らすたびに光を反射する彫刻が、樹氷をも思わせる輝きを放っていた。


「はは、綺麗なもんだな」


 お気に入りの玩具を与えられた子供のような笑顔。

 その、あまりの能天気さにベルゼは呆れ、やがて小馬鹿にしたように息をついた。

 彼が指輪の呪いを信じていなくても構わない。妙な気を起こしたら死ぬだけだ。


「愚かね、後悔しても知らなくってよ?」


 忠告して剣を納める。それを見た男が、また寝台へと寝転がった。

 天蓋を振り仰ぎ、再び梨を噛みしめた男が、視線だけでベルザを見る。

 直後、男の目元が楽しげな弧を描いた。


「後悔してみるさ。ま、とりあえず発表は姫さんから頼むぜ? おれがやったんじゃいつボロを出すかわかりゃしねえ。なあに、姫さんの隣で黙ってにこにこ笑ってるさ」


 そうして、詐欺師はウォルゼーになった。

 一方、逃げ出した本当の王子はジニーと名を変えて、隣国に潜む事となった。

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