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悪女と詐欺師のフォークロア  作者: 水沢 流
第六章 生の証
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王の九 用途

「……あんたの娘が、おれの国の民だったとしよう」


 夜半過ぎのリュギの部屋。

 寝台に横たわるリュギと、その近くに控えるギュンタムとの間に立って、ウォルゼーは静かに口を開いた。


「人が嫌がる虫取りや、雑草刈りに当てるね。おれだったら」

「……普通には使えぬから、か?」

「馬鹿言うな、逆だ」


 疲れた顔のリュギを見下ろし、そう笑ってみせるウォルゼーの声は妙に明るい。


「使えるからだよ。ああ、かわいそうって話はなしな。大人に泥遊びをしろって言ったら苦痛だろうが、泥遊びを楽しめる心の持ち主に対して、泥遊びさせられるなんて酷すぎる、かわいそうにとか勝手に決めんなよ」


 かわいそうだなんて、ただの勝手な代弁に過ぎない。

 そう語るウォルゼーの手には、一文を書き加えた紙があった。

 泥仕事、害虫取り、そうした諸々に知恵遅れを当てると言う一文。

 もちろん報酬は働きに応じて出す方式で、それをどうするかは保護者として認められた相手によって決まる。


 ――制定は明日から。

 ウォルゼー直筆のサインと共に、その事がやや雑に書かれていた。


「ま、連中が無能だって言う奴らに聞いてやりてえとこだけどな。あんたらが見下してる連中より前向きに、そこらの虫取れる奴がいるかってよ」


 そんなの釘を打てる氷に、野菜を洗う水の役をさせようとして、洗えないなんて使えないと嘆いているのと変わらない。

 そこまで阿呆な事があるかと、声を控えたまま悪態をつき、


「ま、そんなわけで明日からな」


 そう言ってひらりと紙を振り、それを懐にしまいこんだ。




 ウォルゼーの平等主義は、常に、貢献に応じて利を還元する方式でしかない。

 それは弱者でも良い生活をなどと言う温情系ではなく、義務の度合いに応じて権利を決める方式であり、例えば知性が子供なら子供としての義務しか課さない代わり、大人並みの権利を一切与えない事で辻褄を合わせて行く。


 当然、弱者救済を謳う集団との対立も絶えず、お陰で世話役の動向に逐一、側近達が目を光らせる場面もあったが、その程度で怯むウォルゼーではない。

 それどころか、「もしも自分に何かあったら、聖王殺しと言う汚名で世間から抹殺してくれる」と、あえて大衆の前で無防備を晒し、彼らを挑発する事さえ珍しくもなかったのだ。


「ふふ、大将は聖王殿になるわけ、か……」


 リュギが笑う。

 知恵遅れは悪魔憑きとされ、忌まれるか教会で毎日祈らされるかのどちらかかだったのに。

 これが王でなかったら、神への背徳もいい所だ。

 悪魔憑きを助ける異端と言う汚名と、悪魔憑きすら人として扱う慈悲の王としての評判。

 そんな噂が新しく付く事になるねと笑うリュギに、ウォルゼーがふいと顔を背けた。


「けっ、慈悲だと思いたい奴にゃ勝手に思わせとけ。使える連中を使えないと思いたがる、そんな奴らに付き合ってやる義理なんかねえってだけだ」


 民ならそれでも良いだろうが、一国の王がそれを成したら後に招くのは停滞のみだ。

 それをなぜか今晩中に言わなければならない気がして、急ぎ、ウォルゼーは追加の法を書き上げて来ていた。

 ――その、直後だった。


「……っ」


 げほ、と不意にリュギが咳き込んだ。


「くっ……かはっ……」

「婆さんっ!」


 唐突に苦しみ出したリュギに、ウォルゼーが思わず手を伸ばす。

 そして急いでその背に手を当て、いたわるようにさすり始めた。

 こうなるのを見た事は何度があるが、いつもとは何かが違う。

 そう、確かに感じさせる状態だった。


「婆さん……」


 情けないとは思っていても、表情に困惑がにじむ。

 おれらしくもない、と心のどこかで自分を笑っているのに、急に恐怖が込み上げたのだ。

 そんなわけないだろうと、何度自分を否定しても。


「大丈夫か、婆さん……」


 背をさすりながら控えめに尋ね、息を詰めて様子を見守る。

 その声が聞こえたのか、ふと、リュギが弱々しくうなずいた。

 大丈夫だとでも言いたげな態度。

 それが余計に、ウォルゼーの不安を膨れ上がらせた。


「……無茶、するからだ」


 骨の形がわかるほど痩せたリュギの、痛ましさが見ていて辛い。

 その背をさすり、咳をなだめ、永遠のような数分間を過ごす。

 そうしてようやく落ち着いたのか、リュギが弱い息を吐き、


「……大、将」


 青ざめた顔を上げ、掠れた声を絞り出した。


「なんて顔をしているんだい大将……一国の主ともあろう者が」


 まるで、迷子になった子供みたいじゃないか、と囁くリュギから感じる、濃厚な死の気配。

 それを認めまいと下を向くウォルゼーに、リュギがやんわりと笑いかける。


「そんな顔をするでないよ……似合わないねえ」


 いつもの調子はどうしたんだい、と。

 優しく叱り付けるような調子の声に、ふ、とウォルゼーが不意に笑った。


「……おれは道化だぜ、婆さん」


 落ち込んだフリぐらい得意分野だ。

 そんな一言で自分をごまかし、無理に笑いながら顔を上げる。

 そしてギュンタムを振り返り、静かに佇んでいる鎧騎士を見て苦く笑った。

 おそらく、ギュンタムは知っていたのだ。リュギが長くない事も、この日が来る事も。


「くくく、ババアにしちゃ、良くやったよ。褒美に一言ぐらい聞いてやらあ」


 ああ、気を抜けば泣きそうだ。

 そんな内心を悟られまいと、いつもの悪態でリュギに応じる――


「で、道化に言い残す事は? 寿命まで生かしてやったんだ、一言ぐらいあるよな?」

「……そう、だねえ」


 ウォルゼーが明るく振舞おうとするなら、リュギもまた彼と同じ。


「じゃあ、大将の情けに縋って、一つ無理を頼もうかねえ……」

「ああ」

「このまま……ね。ただの民として、終わらせて欲しいんだよ……」


 城の関係者は手厚く葬られるのが習わしだが、絶対にそうしないで欲しい。

 小さな墓標だけあればいい、時間と共に朽ちてしまうものがいい。

 本当の自分を知る人の思い出の中にだけ、そっと残る程度でありたいから――


「……頼めるか、ね」

「頼むも何も。おれを騙した奴を語り継ぐ碑なんて、冗談でも作る気にならねえわ」


 そう言ってにやりと笑うウォルゼーに、リュギが安堵の表情を浮かべる。

 それすら苦しかったのか、細い息を吸って、吐いて、また吸って――


「……わたしゃ果報者だよ。あんたみたいな大将に会えて、本当、に……」


 その先はただの息となり、ほどけてゆっくりと消えて行く。

 それが空気に溶け込む前に、リュギは静かに息を引き取った。


 ……ありがとね。


 そんな言葉が、きちんと声になる事はなかったけれど。

 確かに、その意思は二人に届いていた。



[*]



 ふつりと、蝋燭の灯が消える。

 一つ、また一つとギュンタムの手で消されて行く。

 全ての灯が落ち、光が消え去った部屋の中――


「……おやすみ、婆さん」


 別れを告げる、ウォルゼーの声がわずかに震えた。

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