王の七 老婆(2)
「……広すぎて落ち着かんねえ」
「ああ、おれも最初はそうだった」
ウォルゼーが、リュギと名乗った老婆の感想に、神妙な顔で同意を示す。
ウォルゼーがリュギを連れて来たのは、城下が良く見える上層階。本来は王族のみが使う、特別な部屋の一つだった。
そこでは薄布で飾られた窓や、充分な綿を入れられたベッドが品良く置かれ、それらを照らす午後の陽光が、鏡の彫金に当たってきらめいている。
一方、石張りのテラスから一望できる庭園には美しい花が咲き乱れ、噴水が所々で水音を立てている。そこで摘まれる花の蜜漬けはベルザのお気に入りで、湯を注いだ時にふわりと花が開く様子は、翼を広げる妖精のようだとも言われていた。
「ま、気に入ったら飲んでくれや」
部屋の隅の、鮮やかな蜜漬けをウォルゼーが指し示す。
「なあに、おれがこの場所に慣れたんだ。婆さんもそのうち慣れるさ」
そう笑うウォルゼーに、リュギもまた、笑顔で応じた。
心なしかウォルゼーの声が弾んで聞こえるのは、きっと、気のせいではないだろう。
この風変わりな王にとって、城は味気ないのではなかろうか。
リュギには、そんな気がしたのだ。ただの勘に過ぎなかったが。
リュギの灰色の目がウォルゼーを見る。
「大将。わたしの娘仔はね……」
「うん?」
「生まれついての隻腕だったのさ」
そして、少しばかり知恵遅れだった。
そう告げて寝台に腰を降ろし、膝の上へと杖を置く。
「まあ、そんなだからまっとうに働く事もできんかった。親族に面倒見てもらうためには金がいるだろう? その金が作りたかったのさ」
何も知らず、ただ無邪気に笑う娘を幸せにしたかった。
――それも、もう過去の事。
それを不幸だと言い張る気がない程度には、したたかに世間を生き抜いてきた。
「……懐かしい思い出さ」
身内について告げたのは、ウォルゼーに対する信頼を示すためだ。
うつむき、杖から離した指を膝に置く。
それから少しの間をあけて、リュギはゆっくりと顔を上げた。
「……大将」
「あん?」
「わたしゃ大将から鋼を奪った。それは返せないし、返すつもりもない」
断言し、骨ばった片手を持ち上げてウォルゼーを手招く。
それに誘われて近付いて来た王に、ふと小さく笑いかけて、
「だから代わりに、今度は他国を欺いてあげるよ。……どうだい?」
そう尋ね、判断を仰ぐべく首を傾げた。
「償いは早い方がいいだろうし、役立つ前に死んじまっちゃ意味もなかろうて」
「はは、そりゃあ嬉しい話だ。ボケ老人の戯言じゃねえ事を祈るぜ」
などとおどけたウォルゼーが、片手で自分の顎をなでる。
そうして感心に一つ唸り、少しの間を空けて笑い出した。
「くくく、婆さんと十年早く出会えてりゃなあ。おれの人生も違ったかも知れん」
「冗談言うでないよ、面倒をしょいこむ気かい?」
仮にそれが叶っていたとして、娘の事で世話をかけたに違いない。
もちろん、それを後ろめたく思っているのとは違う。
ただ「この手で育てている」と言う充実感を、誰にも邪魔されたくなかっただけだ。
だから、会うのは今で良かった――そこまで伝えて話題をしめくくり、軽く首を振る。
「湿った話は好みでないのさ、昔より今の話をさせておくれ。……ねえ大将、この国に炭鉱はあるかい?」
「ん? ああ。小さいのなら」
「犯罪者の受け入れは?」
「はあ?」
思わず、ウォルゼーが面食らった声を出す。
「受け入れって、おれの国にか?」
「そうさ、よそ様の犯罪者を拾って炭鉱で働かせるんだよ。もちろん普通の労働力としてね。その代わり大事に使っておやり? 病にだけはかからせないようにね」
「……」
意味がわからない。
そんな顔をするウォルゼーに、リュギがそっと案を伝える。
「……なあに、大将の国を困らせようってわけじゃない」
小さな毛虫で大魚を釣るだけさ、と。
伝えられた策に耳を傾けたウォルゼーが、声も立てずに小さく笑った。