王の七 老婆(1)
珍妙な来訪者と対面する朝――
たまには、そんな日があっても良いのかも知れない。
「驚いたな、ババアだったか……」
「その言い方はないんじゃないのかい? 若いの」
物怖じしない声が反論する。場所は、光が射し込む謁見の間。
そこでセライヴァに席を外させた後、ウォルゼーは玉座に腰掛けて、小さな老婆と向き合っていた。
「はっ、人を罠にかけたくせに良く言うぜ」
嫌味っぽく笑い、ウォルゼーが足を組み直す。
──部品事故の真相を知りたくないか。
最初の連絡はそれだった。知りたいなら教えても良いと。
その時は、誰かが情報をネタに、金でもたかりに来たのかと思ったのだが。
「いざ顔を合わせてみりゃ、墓に片足突っ込んだ婆さんと来る。しかも、おれを罠にかけた張本人。こいつは神様に恨みでもならべる所かねえ、それとも福音に感謝すべきか」
「さあね、まずは大将が信心深いかどうかが先かも知れんよ?」
さらりと老婆が言い返す。その声に威厳はない。
どこにでもいそうな田舎の老婆。
服も、口調も、そんな雰囲気を辺りにもたらすものだった。
ただ、ひとつだけ。
「わたしゃあんたに会う理由があったからね、わたしにとっちゃ幸運だ」
その声に潜む、言葉の毒だけが異質だった。
「聖なる王。慈悲の王。噂はかねがね聞いておるよ、策士殿」
皺枯れた声が、笑いの音色を含んで揺れる。
ウォルゼーが軽く鼻を鳴らした。
「いい度胸してやがるぜ。俺があんたを打ち首にするとか考えなかったのか? 婆さん」
「いんや、わたしゃこれでも鼻が利くんだよ。あんたからは卑怯者の匂いがする。濁った沼を知るそれだ」
そう告げる老婆に、ウォルゼーが軽く目を見開く。
視野に入る彼女は小柄で、真っ白な髪と曲がった腰が目立つばかり。
その灰色の目は片方が閉じられ、もう片方もわずかに曇っている。
なのに充分に知性のある、歳月と経験を重ねた者の気配がそこにあった。
「……命知らずな婆さんだな」
にやりと含み笑い、ウォルゼーが片手を上げる。
それをスッと喉元に滑らせ、ウォルゼーは脅すように身を乗り出した。
「あんたは愚かだ。おれへの反逆罪、ついでに不敬罪。ああ、何で罠にかけてくれようと思ったかぐらい聞かせろや。遺言として受け取ってやるから」
言え、と命じるウォルゼーに、老婆が顔全体で笑みを作る。
「なあに、わたしのかわいい娘仔を養うためさ」
「……そんな事でか?」
「そんな事だからねえ」
言い切る声は楽しげだった。
「とある貴族様が、いい案を出したら金をくれると言うたでね」
だから案を売り、金をもらった。
きっかけは、老婆が関所の品調べを手伝っていた時だ。ラムーグに向かう品々の中に、武器型に似た物を見つけた。
それを根拠に、「もしかするとラムーグは武器を作る気かも知れない、断つ方法を売ってあげる」と、強欲そうな貴族に持ちかけてみたのだ。いくばくかの金銭と引き換えに。
「それだけさ」
「じゃあ、その貴族様のとこにいりゃ良かったじゃねえか。何でまたおれの所に?」
わざわざ自分が騙した男の顔でも見に来たか、と開いた片手を顔に当て、指の間から老婆を眺める。
「それか、おれに詫びでも入れに来たか」
「いやいや、娘仔が死んじまってね。生きる理由がなくなっちまったのさ」
「……」
あまりにもあっけなかった娘の死因は、ほんの小さな事故だった。
だから、その事に関しては誰を恨むでもない。
さらに、
「わたしから案を買い上げた貴族様も死んじまったしねえ」
だから頼る先もないのだと、寂しげに目を伏せた。
老婆から案を買い上げた後、貴族はそれを自分の手柄のように言って回った。
それが他の貴族の妬みを買った――おそらく、そんな所だろう。
老婆がその貴族と会ったのは一度だけで、しばらくして死の知らせを聞いた。
「だからね、故郷にはもう何もないんだよ。それなら大将がどんな王か、死ぬ前に一度拝んでみようかと思ってね」
弱った老体に無理をさせ、馬車ではるばる国境を超えた。
会えなければそれでも構わないと、そんな事も考えていた。
憧れではなく、同類として、何か人間的に惹かれたのかも知れない。
そして幸運な事に、今、こうして向き合っている――
「で? おれを拝んだ感想は?」
「思った通りだったよ、あざとく、無邪気な背徳の奇術師だった」
断言し、再び腰に手を当てて背を丸める。
老いて節が目立つ皺だらけの手には、いくつもの傷と汚れの跡。
決して楽な人生ではなかった証拠がそこにあった。
その事を嘆くには、年を取り過ぎたが。
「来た以上、わたしの命は大将のもんだ。殺すなら殺しておくれ。けど……」
「けど?」
「どのみち死ぬ身だからねえ。大将の行く末を見届けたいんだよ」
「おれの?」
そう尋ね返したウォルゼーが、小さな老婆を怪訝そうに見つめる。
それからふっと息を吐き、ウォルゼーは老婆の望みを突き放した。
「冗談じゃねえよ、あんたはおれを罠にかけた」
だからそのまま、ただ近くに置く気などない。
そう言って立ち上がり、老婆の近くに片膝をつく。
「罪は償うもんだ。違えか?」
「……そうだねえ、そうなると思うたよ」
やっぱりね、と笑う老婆からにじむあきらめの気配。
それを見届けたウォルゼーが、ぽん、と老婆の肩に片手を置いた。
「償いの方法はこうだ。『おれのために働く』」
「……大将?」
「二度も言わせんなよ婆さん、あんたを裁くのはおれだ。おれに不利益をよこした罪を、おれのために働く事で償えって言ってんだよ。ああ、異存は認めねえからな」
謝る暇があったら、共に歩いて最後まで生きろと。
どうしてそんな事を言ったのか、ウォルゼー自身にも分からなかったけれど。
「なあに、住む場所ぐれえはくれてやる。しっかり頑張れよー、婆さん」
明るい声でそう告げる頃には、胸のわだかまりも消えていた。
「さて、行くぞ」
と笑いながら老婆を案内しようとして、ふと感じた違和感に息を飲む。
老婆が小さくしゃくりあげる音が、ウォルゼーの耳へと届いたからだ。
「……婆さん?」
問いかけるウォルゼーの前で、ぽつりと床にこぼれた雫――
「おいおい、泣くこたあねえだろう!」
「……大将」
「今はウォルゼーだ。あのなあ、涙で肌なんて潤わねえんだからやめとけって。あんたはペテンの元に来たんだ。当然、そのまんま終わるなんて思ってねえだろ?」
涙を流す老婆の背を、ウォルゼーの手がやわく叩く。
「死ぬまで付き合わせるぜ、婆さん。だから名前ぐらい教えろや。あんたに困らされた分、今度はおれがあんたを困らせる番だ」
そう囁くウォルゼーの、王としての威厳はどこへやら。
いたずら仲間を見つけた子供のような、楽しげな表情が朝の光に照らされていた。