王の六 経過
季節は巡り、月日も巡る。
春夏秋冬が繰り返され、その全てが過去になる――
ウォルゼーが王を自称してから、あっという間に十数年が過ぎた。
ベルザは少女らしさを残す魅惑的な女性へ。そしてウォルゼーは、短く髭を仕立てた壮年の風貌になっていた。
その間に、国も変わった。
高額納税者、高度な技術を編み出した者、および武術において優秀な成績を残した者は等しく優遇され、後は弱者であろうと何であろうと、等しく重税をかけられるようになった。
技術に自信のある者、育児教育に長けた者だけが生き残れる社会。
それに脱落した者が次々と亡命し、やがて、残された民の貧富が激しくなった。
その原因の一つが、教会への課税だ。
神の教えを伝える場として、税を納めずに済んでいたニーダルダントの教会を、ウォルゼーが枠に組み入れたのだ。
「十の弱者を救う名目で、十のなまけ者を生む場所なんていらねえよ」
だいたい乞食が生まれる時点で、神の怠慢じゃねえかと。
そう「神」の欠陥を理由にあげて、
「働きながら寄付する奴だっているんだ、そいつの方が困る世なんて救済じゃねえ」
だから文句言うなと反対を押し切り、教会の言い分には耳を貸さなかった。
それでも世間からウォルゼーが見捨てられなかったのは、彼を「聖人」と思い込んだ一部の熱狂的な信者達による。
あの聖王が弾圧などするはずがない、悪妃に脅されているだけだと、必死に彼を擁護したのだ。
そんな策を良く思わない国も多かったが、高水準を誇るラムーグからの品を絶たれると困る国が大半。
結果としてラムーグに手出しできる国はなく、綱渡りのような安全も保たれていた。
国の収入の大半は、その技術を売りとした他国との取引によるもの。
よって労働に適さない国民が亡命し、民から得られる税が減っても、品質を誇る輸出品だけで充分に国庫を満たす事が叶っていた。
「頑張っている奴が損をする、そんな人道主義なんていらねえわ」
亡命の知らせを耳にするたび、ウォルゼーはそう豪語した。
「自分に余裕のある奴が、弱え連中を助けるのが道理ってもんだろう。誰かを助けてやりたけりゃ、頑張って国で一、二を争う稼ぎ手になりゃあいい。てめえで稼いだ金で、思う存分助けてやりゃあいい」
深い藍色の闇落ちる城の自室で、悪魔のような笑顔を貼り付けながら。
「助けたいと思うのは勝手だぜ、おれはそいつを否定はしねえよ。だがな、他人の財布、国の税を使って助けようってなあ酷くねえか。自分で耕す力がないからって、人の畑から食い物を奪いとって誰かに分けてやれよって騒いでるわけだろ? そんなの事が人の道って言えるのか、優しさって言えるのか? やりたきゃ自分でくれてやれよ」
まるで他国の非難を楽しむかのように、そう声を大にして言って回った。
そんなラムーグから技術者を引き抜こうと言う動きもあったが、その技術者への優遇具合がラムーグを超える事はなかなかない。
そして何より、労働と国益を美徳とする育て方をされた民にとって、他国の誘いはそれほど魅力的には見えないようだった。
「さっすがおれの民だ。優秀優秀」
国庫の財である、金銀宝石の帳簿を見てウォルゼーがほくそ笑む。
と、そこに刺のある声が突き刺さった。
「貴様の民ではなかろうよ、道化」
嫌悪を込めたセライヴァの声。
「いいんだよ、今はおれの民だ」
ほれ見ろ、と帳簿を突き出してウォルゼーが笑う。
その帳簿には、ずらりと納税者の名が連ねてあった。
最も、そのうちの何人かは枠で囲まれ、横に小さく合計額が記してある。
それは、最近主流となり始めた納税法についてのメモだった。
誰が、始めに言い出した事か定かではない。
ただ、この頃には労働者が数人で手を組み、誰かが代表で納税すると言う習慣ができていた。
その結果として還付の対象になれば、今度は還付された資金を全員で分配する。
それをウォルゼーは許可し、代わりに、一団体に人数制限を設けた。理由は単純だった。
「同じ業種に全員が集まったら困るからな。国民全員を一人に代表された日にゃ、絶対に国が損をする。だから人数に限りをつけるのさ、その方が別の意味でも都合がいい」
「別の意味?」
「既に技術ができあがった物を新しい連中が超えるのは大変だろう? だから、そいつらより儲けようと思えば、更にそれを発展させるか、別業種に手を出すかのどちらかだ」
得意とする業種が分散すれば、多方面での技術開発に繋がる部分もある。
いくつかの技術を集めて一つの収入にするとしても、枠をつければ、その人数の中で効率的にやる方法を考えなければならない。
「貴族共が数だけ集めて、大きな顔をするのも気に食わねえしな」
配下を選び、上手に使うのも権威者の役目だろうよ、と。
そう言って様子を見ながら、少しずつ法の加筆修正を繰り返した。
[*]
『もしも世界地図を広げたら、ラムーグを探すのはきっと大変だ』
そう言われるほど乏しいそこは、地図に埋もれるような国でしかなった。
その小さく貧しい国の評価が、がらりと変わったのはいつからだったか――
『ラムーグの技術を知っているか? 知らないなんて時代遅れだ』
気付けば、そう噂されるまでになっていた。
[*]
そんな、ある日の事だった。
「くっくっく、やられたなあ」
自室で望まない知らせを受け、ウォルゼーは初めて途方にくれた。
――鋼の鉱石が入らなくなった。
何の前触れも無く告げられたそれは、まさに晴天の霹靂だった。
石炭はあれど鋼の鉱脈を持たないラムーグにとって、それは大変な痛手となる。
そう理解しての事だったのだろう、誰かがラムーグへの流通を断ち切ったのだ。
「くそ、こっちにゃ資源がないってのに。厄介なまねをしてくれたもんだ」
そう嘆くウォルゼーの態度は、珍しく落ち込み気味なもの。
変なものでも食べたかと、セライヴァに皮肉られる程の落胆ぶりだった。
「やられたぜ……ちくしょう」
悪態をつきながら両手で顔を覆い、がっくりとうなだれる。
鋼は生活において必須ではない――が、ウォルゼーの計画に欠かす事もできない。
木や銅では耐えられない負荷を受ける物、すなわち武器を作る予定であったからだ。
もっともそれを言った事はなく、ただ「他国の部品を作る」と言う理由で鉱石を受け入れ、それで作った品を返した上で、製造の際に出た破片を溜めていたのに。
それが――断たれた。
「……入手先を変えるか」
なにせ、信用すべてが失墜してしまった。
今でこそ、純度の高い鋼で作れる部品の数々。それがまだ木であった時代の、当時の「部品」が口実に利用されたのだ。
近隣国の貴族が乗る馬車の部品に、あえて旧時代のものが使われた。
結果として馬車が壊れ、貴族は死亡。
そして、それが大々的に取り上げられた。
「なかなか衝撃的な書き方だな」
見事なものだ、と事故を報じた紙を手にセライヴァが笑う。
「ああ、そこは褒める所だ」
紙の見出し、太字部分をちらりと指の間から流し見て、ウォルゼーも神妙にうなずいた。
[馬車が大破!]
[使われていたのはラムーグの部品!]
そんな言葉で飾られた内容に、ふむ、とセライヴァが納得の声をこぼす。
「お前のような屑が、他にもいると言うわけだ」
「まあな。それにしても屑か。そいつはいい例えだなあ、次はそれで行こう」
「次……?」
怪訝そうな顔をするセライヴァの前で、ウォルゼーがにやりと笑う。
それはセライヴァも良く知っている、何かを企む時の顔だった。
「屑のおれらしく、屑を集めてみようってことさ」
今さら信用回復も何もない。
なにせ「ラムーグ製の部品は危険だ」と言う認識が広がってしまったのだから。
そうなれば「そんな国に部品を任せられない」となるのが普通の流れ。
そして、原料をラムーグに回す事を渋る国が増えるのも当然の事。
鉱石をラムーグに回すなと言う圧力をかける事なく、各国が自然とラムーグを忌避するように誘導したと言う点で、相手としては上々の成果だろう。
その黒幕の正体こそ知れなかったが、結果としてラムーグが現在、鋼不足の窮地に追い込まれている。
「負けを察してヤケになったか? 道化」
「まさか! おれの愛国心をみくびってもらっちゃあ困る。あんたの言う通りおれは屑だ。だから、今度は屑の立場で屑掃除をしようと思う」
「……貴様が言うと白々しいな」
愛国心などと。
これほど軽い愛国心もあるまいと、セライヴァが溜め息をつく。
「貴様にとっては、国もただの踏み台だろう?」
「くくく、その辺りは好きに想像してくれや。だけど掃除は本当だぜ、おれは正直でね」
他国の、鋼屑の処分を行う組織を作る。
それは掃除に他ならないのだから、看板にも偽りなしだ。
「表向きは償いとしてな、きったねえ肥溜めに群がる虫ケラになってやる。だけどそこに大量の金が埋まっているのを知るのもまた、おれだけだ」
「はっ、屑の始末料まで受け取ってか?」
ウォルゼーが持つ地図、諸国の部分に書き足された数字を見て、セライヴァが嘲笑を向ける。
不本意ながら、その数が収入の算段だと判るぐらいには、この道化を理解できるようになっていた。
「もちろんさ。おれは『面倒なもの』を片付けてやるんだぜ?」
自分の身の回りさえ綺麗ならいい――
そう言う連中は、最終的に金を積んででも、製造の時に出る屑をどこかに押し付けたがる。
ウォルゼーいわく、標的に定めるのは、そうした雰囲気のある潔癖な国々。
面倒な屑を格安で引き受けますと、哀れっぽく惨めに頼んでやろうと言うものだった。
「屑集めが金になるのはな、屑を嫌がる人口に比例して、押し付け料が上がるからだ。連中が自分で屑を始末してりゃ、おれみてえな『屑たかり』の国庫を肥やす事もねえ。屑の始末量を釣り上げてんのは、自分達の手を汚したくねえって連中そのものなんだよ。自分の庭で始末しちまえば、元乞食に金払う必要もねえだろうに」
「だから、くだらん噂を流したのか」
鋼屑を扱う者が、次々と怪死を遂げているという噂。
実際に大して死んではいないのだが、廃棄物の処理の現場に足を運びたがる者がいない以上、噂はもはや真実とみなされている――
「まあな、屑がおっかねえもんだと思えば、何とか他で始末してもらおうとするバカがどんどん金を積むだろ? それで、何にもしなくても始末量が上がってくって寸法さ。汗水たらして働くよりラクだぜ、始末量が天井知らずになるのを待ってその屑を始末すりゃあいい。それまでは、その屑がどれだけ危ねえもんか、ひたすら噂流してりゃあいいだけだしな。口先だけで済む」
「……下衆が」
「知ってるよ。まあ、おれは金と材料が手に入るから文句ねえがな。予定よりも軍備が遅れる事にゃ、この際だ、目をつむるさ」
そんな事を言い出すウォルゼーの表情は明るく、落ち込みが失せたいつもの調子。
それがまた腹立たしくて、セライヴァは呆れたようにため息をついた。
「全く……王の言葉とは思えんな」
偽とは言え、玉座にいる者だろうに。
「貴様のような屑が王族を名乗っていると思うと、実に気分が悪くなる」
「そうかい、けど屑に選択肢なんて最初からねえんだよ。おれは金の冠を手にした物乞いだぜ、残飯食うのなんて慣れてんのさ」
その残飯を食う感覚で、鋼の屑を集めようと思っただけ。
つまり、人が不要としたものを使う事を、後ろめたく思う理由もないのだ。
「屑請いってのも悪くねえなあ」
屑は、どのみち他国に帰しても屑にしかならない。
そこから鋼を取り出す技術があるからこそ、集める価値があるのだ。
「どこの狸野郎か知らねえが、おれと姫さんの国を出し抜けると思うなよ」
――万策尽きるにはまだ早い。
滑らせていた手札に一発切り込まれても、逆転の手段はまだ残されている。
そう言いながらにやにやと笑うその顔は、見えぬ敵を前に喜々とする獣の様相。
その態度にうんざりして腕を組んだセライヴァに、ウォルゼーがふと顔を向けた。
「気にいらねえか?」
「ああ。貴様の存在からして全くもって気にいらん」
「そりゃどうも。ま、あんたも災難だなあ、大嫌いな野郎の相談相手なんぞやらされて」
「……」
誰のせいだと思っている。
そんな視線を叩きつけ、セライヴァが無言で舌打ちを鳴らした。