閑話 対立
ラムーグの国土は狭い。加えて大半が山岳地帯である為、利用できる土地はもっと狭い。
夏は短く、冬は長く、近隣に海はない。日照に恵まれた冷涼な地、と言う部分では暑さに苦労しない国だったが、山肌に雨雲がさえぎられるせいで、低地では水の害に悩まされ、高地では水不足に悩まされると言う環境である。
さらに山の恵みとは名ばかりで、大衆の胃袋を満たすに足りる食料が、山から年間通して取れるわけでもない。その山を切り開いて作った畑で育つのは葡萄と山麦だけであり、後は狩人達が獲った獣の肉や放牧で養われた家畜の肉が、庶民の食事の中心を成している。
もっとも、城下を含め、治水の届いた地域には行商による物資が集中し、それゆえに過疎と過密の差が地域によって大きく異なっているのもまた、この小さな国の特徴だった。
そんな状況にも関わらず、国として成り立っていたのは、そこに一つの信仰があったからだ。
ニーダルダントと呼ばれる宗教がそれに当たる。
信者から捧げられた物資を携え、ノヤと呼ばれる巡礼者が地方へとそれを配る事で、神の慈悲の代行をすると言うもの。
このノヤの横領や淫猥の罪は古くより囁かれている所ではあったが、彼らは情報の運び手でもあり、遠い地方の様子を知れない僻地の民にとっては、無くてはならない存在だった。
ノヤ達は地方を巡り終えると、今度は各国の城下町で、地方の様子を信者達に語るのだ。
地方の同胞がどれほど苦労していて、どれほど、物資を喜んだかを。
「なーにが神の恵みだ」
自室の机の上に投げ出した足を、ゆるく組んでウォルゼーが笑う。
外からは今まさに、城近くの広場で成果を熱演するノヤ達が、信者達に歓迎される様子が賑わいとなって聞こえて来ている。
本物の王子は敬虔な信者だったが、ウォルゼーは違う。ニーダルダントの教えに、涙するような性格ではない。
「たかが物を回すぐれえ、国の駒にだってできるってのによ」
そうのたまうウォルゼーは当然のように、不祥事を起こしたノヤを先日投獄したばかり。もちろん、罰が当たる、呪われるとノヤ達に罵倒されたが、それに耳を貸すようなウォルゼーではなかった。
ノヤを投獄したのは、なにも昨日が始めてではないし、これからも投獄する気だ。
そんな事をする一方で、ノヤ達の『恵みに預かれなかった人々』を一同に集め、国の名の元に食料を配布すると言う事もウォルゼーは行って来ていた。
「神の名の元、ねえ。まあ横領でも何でもするがいいさ、おれは何にも困らねえって言うか、むしろ資材が増やせてラクできるしな」
その言葉通り、国が配る「恵み」は、そうしたノヤ達から捻り上げた供物や資金そのもの。
かくして、ニーダルダントとウォルゼーの対立は、年を追うごとにその溝を深めて行った。
表面上は、悪魔にも等しい王妃がノヤを迫害し、聖王ウォルゼーが、そんな王妃の目を盗んで民に恵みをもたらしている――
そう国民が錯覚する方向に、事を引っ張って行っただけなのだが。
「一銭も使わずに、王の恵みなどと良く言える。なにがニーダルダントの敬虔な信者だ、道化の三文芝居だろうが」
「いいじゃねえか、悪事をバラされたくなけりゃ、賄賂を納めろって暗にニーダルダントに示しただけだぜ? 連中が神を騙って民から騙し取った物をおれがまた奪い取って、ノヤの代わりに、横領もせずに一つ残らず配ってやってるだけだ。ちゃあんと教義通りだろう?」
「……」
「まあ、おれに嫌味言う暇があったら行ってやんなよ。アンタの稽古を楽しみにしてる私兵共が、恋焦がれて死んじまうぜ」
そろそろ時間だと笑うウォルゼーに、セライヴァが肩を竦める。
見れば、新たにウォルゼーが抜擢した数人を含め、教育対象になった若者が中庭に集まり出す所だった。
セライヴァも、ギュンタムも、訓練に手心を一切加えない。
それにも関わらず慕う兵が多いのは、厳しくとも無意味な事を一切させない、二人の性格によるところが大きいのだろう。
「この前の新兵なんて、『お目にかかれただけで光栄です』と後で泣いていやがったしな」
「私は、壇上に花を咲かせる歌姫ではない。……そやつの正気を疑うよ」
全く理由が解らないとばかりに、セライヴァが首を傾げながら部屋を出て行く。
その背中が見えなくなってから、ウォルゼーが面白そうに喉を鳴らした。
「可憐な花より、棘のある薔薇がいいって奴も中にはいるのさ。まあ……知らねえ方がいい」