民の二 離反(1)
レブリック邸。
癖のある茶髪と黒のぎょろ目が特徴的な男、世で言う「領主」レブリックが全権を握る郊外の豪邸。
緑の生け垣で整然と仕切られたその場所は、統治が行き届いた閑静な農場の、
「に、鶏が! 鶏が外に! にわとりっ……」
……閑静な農場のはず、だった。
転ぶような足取りで部屋に飛び込んで来た配下を、レブリックがじろりと睨みつける。
その顔は怒りに満ち、今にも蒸気を吹き上げんばかりの勢いだった。
外から聞こえるけたたましい鶏の雄叫び、馬のいななき、そして駆け回る牛の声。
レブリックと配下が言葉を交わしている執務室にまで、その混乱が伝わって来る。
執務室は豪華で、立派な壁掛けや、深みのある家具が絶妙のバランスで配置されている。
どっしりとした構えのその部屋だけは、重鎮にふさわしい作りをしていたが、
「れ、レブリック様ぁ!」
裏返った配下の情けない声と、それを叱りつけるレブリックのしゃがれ声に、落ち着きらしいものは全くなかった。
「ええいやっかましい! 今はそれどころじゃないんだ!」
「ですが鶏が逃げ……え、牛も? ちょ、ちょっと誰か柵を! いや罠をーっ!」
最後まで言い終わらぬうちに報告を受けた配下が、また慌てて外へ駆け出して行く。
それを見送り、レブリックは憤怒の形相で窓から外を睨みつけた。
眼下に広がる、緑豊かな領地は自分のもの。
農民に貸し与え、作物を作らせ家畜を育てさせ、それらを搾取して資金を得て来た金のなる大地。
ところが、そこの農民達が突然、作業を放棄したのだ。
示し合わせたように、ある日を境に次々と。
「くそ、くそ! 何が新法だ、何が新王だ!」
勢い任せに握りつぶした紙が、ぐしゃりと耳ざわりな音を立てる。
それを手荒く広げてぎょろ目を見開き、レブリックは頬をひきつらせた。
「シャン、マイニー、ベルッセ、バートゥ、アロウド……」
つらつらと並べる名前は、全て荘園を捨てた者。
早い段階で姿を消したシャンやマイニー、そして、それに続くように帰郷を宣言した者達の名が、その一枚に並んでいる。
「くそっ!」
再び紙を握りつぶし、足音も荒く部屋を歩き回る。
そうして深く息を吸い込んで、レブリックは農民を統括する者の顔を思い出した。
リッヒ。ただのリッヒ。
農民の一人であり、同時に農民達を取り纏める親父である。
「……よし」
怒りに煮えたぎる頭を落ち着けようと、深呼吸をしながら目を閉じる。
その事で何とか冷静さを取り戻し、レブリックは大声を張り上げた。
「誰か、リッヒを呼べ!」
「お呼び?」
真後ろ。
「――っ!」
間髪入れずに降って来たリッヒの声に、レブリックが息を飲む。
「……は、は、早いな」
到着が。そう言いながら背後を振り返り、レブリックは咳払いをして威厳を取りつくろった。
そこにいたのは、癖のある笑みを浮かべたハゲ親父。つまり、リッヒ。
呼ばれる事を理解していたかのような登場は、手際が良いと言えばそうなるのだが。
「リッヒ、わしの言いたい事は理解しているな?」
「ええ、まあ」
チラリとレブリックの手にある紙を眺め、リッヒが一歩だけ後ろに下がった。
「みんなが逃げたがっている、だからどうにかしろ。でしょう?」
「そうだ」
「で、その理由に心当たりは?」
「そんなのはどうでもいい! お前はここの連中を黙って束ねていればいいんだ!」
「……ま、そう言うと思いましたよ」
軽く応じて、リッヒが肩をすくめる。
そしてすたすたと扉の方へ近付き、ぴたりとそこで足を止め、
「だけど今回ばっかりは聞けやせんぜ、旦那」
振り返るや否やそう言った。
「は……?」
聞き返すレブリックの声が、ぽつんと宙に取り残される。
直後、ばたん! と部屋の入り口の扉が乱暴に開かれた。