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うまれる

作者: こはる

これは、私の出産についての実体験です。


かなりの難産だったんだよ、と出産後、医師から告げられました。


ありのままをそのまま素直に書いていますので、途中不快な思いをすることがあるかもしれません。


気持ち悪くなるかもしれません。






妊娠、出産、育児・・・


これらは女性ならば、誰でも一度は憧れることであろう・・・




私も、いつだったか・・・


23,24歳の頃だったか・・・


ものすごく子供が欲しくて欲しくてたまらない時期があった。




そんな時


仲良良い親友が妊娠した。


私がものすごく子供が欲しいと思っていた時期に。




・・・正直、




嫉妬した。



とても信頼のおける、大切な友人。



「突然だけど、私、妊婦になりました!」


そんなメールだった。


ショックとか、おめでとう!とかじゃなく



「先越された・・・・」


そんなことを思いつつ、私はさらに子供が欲しくなったのを覚えている。



それから毎日、毎月、主人との夜の夫婦生活を頑張った。


頑張ったというと、なんか嫌らしいが


私なりに、なんとなくそんな雰囲気に持っていったりして


「子供が欲しい・・」そんな一心で頑張った。



でも、思うように赤ちゃんは来てはくれない。


毎月毎月、生理がくる度、どーんと落ち込んだ。



排卵期予測日が分かるサイトにも登録したし、危険日計算もして頑張った。


毎日・・・ とはいかないけれど、夜は一日おきくらいで頑張った月だってあった。



なんで?


なんで??


今月もダメだった・・・



そんなことを毎日毎晩考えながらあっという間に月日は過ぎていく。



半年くらい経った頃だったか・・


半年も経てば、当然友人の子供だって大きく成長している。


「お腹、だいぶ大きくなったよ」


「生まれる前に、一度会いたいな!」



そんなメールを友人から何回かもらったが


悔しくて会う気にもなれず、あたりさわりのない、精一杯のいつもの私を装い返信をしていた。



なんで私には子供が出来ないの?


そんな思いがグルグルと頭の中を駆け巡る・・・


妊娠検査薬は、もう何度も試している。



人間と言うのは不思議なもので、何かにひどくはまってしまうと


他の物事が、綺麗さっぱり見えなくなる。



その時の私は、きっと「妊娠したい」と言うこと以外に何も見えていなかっただろう。



妊娠検査薬にだって、どれくらいのお金をつぎ込んだのか分からない。


でも、そんなことはどうだって良かった。



そんな毎日を送っていると


そろそろ友人の出産が近づいてくる。



私は今まで頑張った、なんだか、少しづつ「妊娠」については諦めていた。


その頃の私の気持ちは、最初のような汚い心を持った自分から少しづつ変わっていて、友人の出産を楽しみにまで思えるようになっていた。



もういいや、いつか自然と赤ちゃんを授かる時がくるまで待とう・・


そんな風に思えるまで、気持ちは元に戻っていた。



そして、いよいよ出産・・・ という時期になっていた。


私は、いつもどうり仕事をしていた。



火曜日の夜19:30頃。


その時はやってきた。




「産まれました!」と、可愛いふにゃふにゃの赤ちゃんの写メ付メール。


わたしは、心の底から嬉しくてたまらない気持ちになった。


何度も何度も写メを見ては、涙をにじませていた。


おめでとう、とかなりの長文メールを送った。



真っ赤でふにゃふにゃの小さな赤ちゃん。


命の尊さ、重さを感じた。



あんなに乱暴に「子供が欲しい欲しい!」と思い詰めていた自分が馬鹿らしくなった。


出産ってこんなに命をかけて挑まなくちゃいけないんだ・・


簡単に子供が欲しいなんて言ってちゃ赤ちゃんに申し訳ない、素直に後悔した。



その時は、私はてっきり自然分娩で産んだのだとばかり思っていたが


その友人は子宮に良性ではあるが腫瘍があったため、帝王切開で出産をしたと


あとで知った。



大変だったんだな、ほんとに命をかけて産んだんだな・・


その友人を心から尊敬した。



それから時は経ち


私にも待ちに待った日が訪れた。


すごく突然に。



ホームヘルパーをしていた私は、いつものように仕事で買い物をしている時だった。


「あれ、生理かな?」なんとなくそんな気がしてトイレへ入ると


・・・なんだ、これ。



パンツには、出血とまではいかないが、織物に混じった血のようなものがついていた。


もうすぐ生理かな、くらいに思っていたが


ふと、「も、もしかして着床出血????」と思い


頼まれていた買い物がたまたま薬局だったということもあり、すぐさま検査薬を買い


そのトイレで試した。



結果は早く知りたかったが、仕事中でもあり、頼まれていた買い物中・・


時間をかけている暇はなかった。



お客様家へもどり、検査薬を鞄に入れたまま、仕事を続けた。


結果が気になって仕方なかったが、掃除やベットメイク、色々と仕事が残っていたので


もくもくと仕事をこなした。



そして仕事が終わり、鞄に入れておいた検査薬をそっと取り出した。


ゆっくりと、ドキドキしながら目の前に出して確認すると、検査窓にはくっきりと陽性マーク・・・



「に、に、妊娠してる・・・」思わずそう呟き、なぜか結果を写メしていた。


普通ならば主人にすぐ報告をするんだろうけど


私はこの前出産したばかりの友人へ写メをつけてメールをした。


多分、確かな言葉が欲しくてこの友人へメールをしたんだろう・・・



返事を待つ間、何度も何度も結果を見直し、穴が開くのではないかと


思うほど検査薬を見つめていた。



気がつくとドキドキしながら手に汗かいている私・・・


時間はまだ3分くらいしか経っていない。


すごく長く思えたが、すぐに友人より返事がきた。


「おめでとう!!! 妊娠だね!!! でも、病院でしっかり診てもらわなきゃね!」


そんなメールだった。


しばらくやりとりを続け、その日はもう仕事がなかったため私は帰宅した。



主人にはまだ黙っていようかな????


でも、早く言いたいな!


そんなことを考えながら帰宅をした。



家へ入ると、可愛い愛犬が出迎えてくれた。


愛犬を抱っこし、リビングへ座り、主人に電話をした。


黙っているつもりだったが、なんとも言えない興奮気味の私は


電話せずにはいられなかった。


事を全て話すと、主人はかなりあわてていた。


「ま、まじ?」と声を裏返し、喜んでくれた。



電話を終えると、なんだか急にすごい眠気に襲われた。


「妊娠するとほんとに眠いんだ~」なんてウキウキ気分の私はすぐに眠りについていた。



目覚めたのは、主人が帰宅した夜7時前だった・・・


「寝過ぎた!」と、夜ごはんの準備をしていないことを思い出し


すぐに準備に取り掛かったが、主人は夜ごはんの事も頭にないくらい赤い顔で静かに興奮していた。



「いや~、まじか~」「いや~~~」そんなことを繰り返している主人がなんだか可笑しかった。


夜ごはんの準備をしつつ、あの時の出血のようなものは


やはり着床出血だったのかな・・・と考えていた。



その時の時間が、なんだかすごくすごく幸せだった。


女の子かな、男の子かな、そんなことまで考えていた。



そして次の日、私は初めてズル休みをした。


理由は、産婦人科に行くため。


熱が出た、といって休んだ。



早く結果が知りたくて、開院後すぐに私は産婦人科へ向かったが


中にはもうかなりの人数のママさんや、妊娠したてであろう妊婦さんが居た。


大きなお腹の妊婦さんや、エコー写真を幸せそうに見つめる夫婦


沢山の人達が居た。



私もこんな風に大きなお腹になるのかな?


なんて考えてみたが、自分が大きなお腹を抱えて過ごす姿がいまいち想像できなかった。



受付を済まし、尿検査をして順番を待った。


まだかな、まだかな、と思っていると、優しそうな年配の看護婦さんに名前を呼ばれた。


ドキドキしつつ診察室へ向かう。



診察室へ入ると、どっしりとした体格の先生がいきなりこう言った。


「うん、妊娠してますね! おめでとうございます!」


「・・・は、い・・」


そんな気のない返事を返し、色々と説明を受けた。


今となっては、緊張しすぎて何を説明されたかは覚えていないが、多分これからの流れなどを


説明されたんだと思う。



説明が終わると、内診室へ入るよう言われた。


初めての体験で、ドキドキもピークへ達していた。


下着を脱ぎ、診察台へあがる。



新しい病院なので、内診室もすごく綺麗でクラシックの曲が流れていた。


名前を呼ばれ、ゆっくりと台が動き、足が開く。


カーテンがお腹あたりにかかっていて、向こうは全く見えないが、先生の影が見えていた。



「じゃ、機械入りますね~」という声と同時に機械が入ってくる。


痛くはないが、なんとなく違和感・・。



目の前にある患者専用のモニターに私の子宮の中が映し出された。


「これが赤ちゃんですね、まだ5週くらいかなー


もう少ししたら、心拍が確認できますよ」と言われた。


「・・・はあ・・」とまた気のない返事をしてしまった。



赤ちゃんが居る、という実感はあるものの、まだ現実なのか夢なのか


そんな気分だった。


エコー写真や、出産までの流れの書類、色々ともらって帰宅した。



運転はいつもより安全運転、なんだかフワフワした気持ちだった。


私は今1人じゃない、赤ちゃんと一緒なんだ。


そう思うと、なんだか強くなれた。



女性とは、守る物が出来た時、本当に、すごくすごく強くなれる。


心の底からそう感じた。



会社には、その日の事を全て話した。


所長は年配の女性で、私の話したことすべてに暖かく「おめでとう」と言ってくれた。


「初めが肝心だから、明日から仕事の内容を変えていきましょう」とすぐに動いてくれた。


とても有難かった。



母にも、義母にもその日のうちに連絡しした。


母はものすごく喜んでくれたが、義母は最初なぜかあまり歓迎してはくれなかったのを覚えている。



この日から、私自身はもちろんのこと、仕事や周りの環境が大きく変わっていった。


環境の変化の一つとして、この時住んでいた家の引っ越しから始まった。


その家はとても古く、隙間風はすごいし壁だってすごく薄い。


ドアのかぎは力いっぱい引っ張ればすぐに壊れて開いてしまいそうだしチャイム1つ付いていなかった。


そして一番の問題が、お風呂であった。



トイレとお風呂が向い合わせで繋がっていて、しかも大人一人が精一杯の浴槽のみがお風呂スペースなのだ。



だからお湯をためて入浴は絶対に出来ない。


浴槽内で洗って流すので、入浴が済んだら浴槽を跨いで隣接している台所で体を拭かなければならない。


部屋も一つしかないし、お腹が大きくなったら浴曹跨ぐなんて絶対に出来ないので、急いで引越し先を探した。



ペットが飼えて、家賃も手頃‥


いろいろと検索はしてみるものの、なかなか理想道理の物件なんてないのが現実。



引越し先が決まるまでいろいろと見て回ったが、結局一ヶ月くらいかかってしまった。


お金と仕事のスケジュールを考えて引越し日を決めるが、引越し出来そうな時期は私が妊娠8ヶ月の頃だった。


ちょっとしんどい時期ではあるが、一番忙しい主人の仕事のスケジュールを優先して引越し業者を頼んだり不動産との話し合いを進めた。



引越し業者には無理を承知でかなりの格安プランを頼んでみた。


あり得ないくらい格安なプランを相談したが、しぶしぶ了承をしてくれた。


おかけでかなり格安で引っ越すことができた。



引っ越しまでの数ヶ月、引っ越し先が職場から遠くなるため、私は長年勤めたヘルパー会社を退職したり、引越し荷物を作ったり、忙しくも楽しみながら日々を過ごした。



赤ちゃんは嬉しいことにどんどんと成長し、胎動も激しくなっていた。


我が子の胎動を感じながら荷物をまとめたり、主人のお弁当を作ったり、本当に幸せを感じていた。




そして、いよいよ引越しの日がやって来た。


天気も良く、早朝から弟に手伝いに来てもらい、引越しを行なった。



手際よく荷物を運んでもらい、三時間くらいで引越しは完了した。


お腹を心配して、義母や義妹も手伝いに来てくれた。



新しい家でみんなで片付けをしながら、一人これからの日々を想像したりしていた・・・



ここは主人の部屋にして、ここを私と子供の部屋にしよう‥ そんなことを考えていると、なんだかお腹が張っていた。


今日は疲れたね、と赤ちゃんに話しかけ、優しくお腹をさすった。




お腹をさすっていると、主人が帰宅した。


時刻は18時半を少し過ぎていたので、皆で夜ご飯を食べに行くことにした。



ちょっとずつ確実に変わっていく毎日は、とても早く流れていった。


新しい家は、前の家とは違い部屋は3LDKでお風呂もトイレも綺麗で別々、キッチンもとても使いやすい。


何より、隙間風がないということが最高だった。


暖かいお湯をためてお風呂に入るなんていつぶりだろう・・・ そんなことを主人と話したり、意味もなく和室と洋室を眺めてみたり、ほんとに幸せな毎日だった。


出産前に無事引っ越しも終わり、ベビー用品も色々と揃った。


あとは赤ちゃんが生まれてくるのを待つだけ、もう出産もそこまできていた。



予定日1週間前には実家に帰る予定であった私は、入院準備や家事、帰省中の主人のこと、いろいろとしんどいながらも、なんとかこなしていた。


お腹が張る日が増えてきて、出産も近いな・・、そう思っている頃、実家へ帰省する日がやってきた。


荷物は沢山、私の物と赤ちゃんの物。


想像のつかない出産を待ちながら、帰省中の車内で物思いにふけていた。



主人も色々と考えているのだろう・・・


車内は2人とも無言で静かだった。



運転する主人の背中を見つめていると、なんだか色々と語っているように思えた。



そんなことをぼーっと考えていると、実家へ着いた。


着いた途端、いよいよだな、そう感じていた。


・・・・その時はまだ、これからの出産がどんなに大変なものになるかなんて


誰も想像していなかった。




実家に帰ってからの日々は、なんだかとても落ち着いて過ごせたし、とても楽しかった。


私には二つ下の妹と八つ下の弟が居る。


そして小さな体でいつも頑張る母も居る。


父親は、自由を求めて突然失踪・・・


いつの間にか、父が着ていた洋服類が無くなっていたが、きっとこっそりと取りに来ていたのだろう。



予定日の一週間前から実家に帰った私は、陣痛が着た時の事や破水した時の事を母に質問しまくっていた。


手際の良い母は、陣痛が着た時はこうする! 破水したらとりあえず産婦人科へ電話! あとはこうして、ああして! と事細かにきびきびと教えてくれた。


用意周到、電話の横には産婦人科やタクシー会社、その他諸々の電話番号や、相手に伝えなければならないことを書いた紙が張り付けてあった。



ほんとに頼りになる母であるが、私もこんな風に子供に思われるような日がくるのだろうか・・・



だが、待てど暮らせど陣痛はやってこない。


超がつくほどの微弱陣痛なら帰省してから二日後くらいに時々あったが、本格的なものは一切やってこない。



帰省四日後だったか・・ 夜中に15分起きの少し強めの陣痛が二時間くらい続いた。


いよいよか?? なんて1人で焦っていたが、気がつくと朝がきて陣痛は治まっていた。



なんだか、ほんとに生まれるのかな・・ そんな気さえしていた。


そして予定日当日、この日は検診が入っていたので主人に迎えに来てもらい、検診へと向かった。


検診では、お腹の張りはまだまだかなあ・・といった感じで、赤ちゃんの頭もまだ下がってきていないことが分かった。


「うーん、まだこんなとこに居るねえ・・・」と、内診の際に先生は首をかしげていたのを覚えている。


とりあえず、まだ生まれませんね、という結果で検診は終わった。


でも入院準備は万端でね!と言われた。



準備はばっちりだが、肝心の主役がまだのんびりとしていては出産ははじまらない。


いつになるのやら・・・ という感じだった。


帰りの車内、何だか下着がぐっしょり濡れていることに気づく。


ドキッとしたが、破水ではない。


幸い、もうすぐ家に着くところだったので、車を降りる際主人にお尻辺りが濡れてないか見てもらったが、見たところは何もないと言われた。


家に帰り、母に「なんかパンツが濡れてる!」と慌てて報告し、すぐにトイレで確認した。


すると、ものすごい量の出血があった。


その出血を見た瞬間、なんだかものすごく怖くなり、手がカタカタと震えた。



「赤ちゃんから出血?」「それとも流産?」「何何何????」と、そんなことばかり頭の中を駆け巡る。


「とりあえず電話しんさい!」と母の声で我に返った私は、トイレに座ったまま産婦人科へ電話を入れた。


「ものすごい出血をしています、鮮血です・・」震えそうな声で電話をしていると、母と主人がすぐ出れるように色々と準備をしている声が聞こえた。


なんだか、そこにいるのに違う場所に居るような、変な感覚になった。


電話の向こうで看護婦さんは「お腹の具合を見たいから、すぐ来て下さい」と言っていたのが、その時の私には小さく聞こえた。


電話を切り、すぐに産婦人科へ引き返し入院階へ向かった。


出迎えてくれた看護婦さんがとても厳しそうな人で、なんとなく嫌だった。



事情を話すと赤ちゃんの心音を聞きたいたら分娩室へ、と言われ分娩室へ向かった。


すぐにお腹に聴診器のようなものを巻かれ、しばらく横になり心音を聞いていた。



「ドックン、ドックン、ドックン・・・」赤ちゃんはしっかりと呼吸をしていた。


20分くらいしてから、先生が分娩室へやってきた。


子宮口のひらきを確認して、心電図を診る。


「この出血は多分、検診の時に子宮口を広げるのに強めに広げたからだね、だから大丈夫だよ」


そう言われ、安心した。


赤ちゃんも元気だし、問題はないとのこと、この時の子宮口は2センチくらい。


子宮口10センチで出産だから、それまでまだまだ先のようだ。


でも、確実に出産は近づいていることがなんとなく分かっていた。



その後帰宅し、みんななんだか少しだけ張り詰めているように思えた。


出産が近いということは、みんなもやっぱり緊張しているんだな・・ そう感じた。



これから何があるか分からないので、ささっと夜ごはんとお風呂を済ませ、妹とテレビを見ていると


なんだかお腹がじくじくすると思ったが、またすぐに治まった。



「あの人最近よくテレビ出るよねー」なんて会話をしながらのんびりテレビを見るのも久しぶりだった。


一緒に携帯ゲームをしたりして楽しんだが、心のどこかですこしだけ緊張してるのも確かだった。



その日の夜中、また15分間隔の陣痛がやってきた。


この時は2時間では終わらない・・・


痛いなんてものではなくて、気を失うんじゃないかというような痛みがきていた。


はじまりは夜中1時、痛みに耐えつつ時間を見るとすでに3時、まだまだ堪えていると


なんと4時半、一瞬で時が過ぎた。


必死の思いで5時まで耐え


もう無理・・・ そう思い母を起こし、産婦人科へ電話した。


すぐに来て! と言われ、タクシーで向かった。


痛みは変わらず。



主人にも一応メールをし、タクシーの車内で「産む」という覚悟を決めていた。


なんだか、一気に出産への道が開かれた気がして、怖い・・・というか


どうしよう・・・ そんな感じで手が震えていた。



まだ外は薄暗く、遠くに朝日が出てくる明かりを見つけた。


その光を見つめながら、「怖いよ、怖いよ」そう心の中で繰り返してぎゅっと目をつむった。



早朝だったし、車もそう走っていなかったので病院までは15分くらいで着いた。


陣痛に耐えながら、ゆっくりとゆっくりとタクシーから降りた。



一階は診察階、二階が入院・出産階。


エレベーターで二階へ上がるとすぐにナースステーションから看護婦さんが出てきてこういった。


「今は何分間隔で陣痛きてる?」


私は「多分10分くらい・・・」と答えると、分娩待機室へ通された。


普通ならば10秒くらいで着く場所も、この時は何分かけたであろう・・・


かなり遠い道のりに思えた。



分娩待機室のベットで横になると、目の前に時計が置かれていて時刻は6時半前を指していた。


着いてしばらくすると、なぜか10分間隔だった陣痛は15分間隔になり少しだけ和らいだ気がしていた。


「また治まるのかな・・?」そう思いながら横になっていると、母が体調を尋ねてきた。


「あんた、痛くないの?」


私は「なんか和らいだ気がする・・・」と素直に答えた。


すると母は、「早すぎたかな・・・」と困った表情をして、勤め先の保育園へ電話をかけに待機室から出て行った。


ちょうどその時看護婦さんが入ってきて「どうですか?」と優しく訊ねてきた。


私は、母に行ったことと同じことを看護婦さんに伝えると


「今の貴方の状態は、予定日を一週間ちょっと過ぎているの。 だから、赤ちゃんが普通よりも長くお腹の中に居る。 帰って陣痛を待っても良いけれど、今日はこのまま入院して明日から陣痛促進剤を少しづつ使おうかと先生と話しているのよ」と言われた。


そうだ、私は予定日を一週間以上過ぎていて、しかも微弱陣痛も結構続いている・・・


そのことをすっかり忘れていたが、過ぎていてはどうなるのか、ということも分かっていなかった。



私の赤ちゃんは、実は10カ月検診で体重が3800を越していると先生に言われていた。


大き過ぎると、出産がとても大変であり、母体の体力が最後まで持たない恐れもあるらしい。


だから、正直なところ、これ以上はあまり待てない、そういうことなのだと思った。



なので、その場で看護婦さんに「お任せします、赤ちゃんが安全な方を選びます」


そう伝えた。



すると丁度母が待機室に戻ってきた。


看護婦さんが状況を母に説明しているが、私は一気に恐ろしくなり、産むのが恐怖になっていた。



出産とは、自然に陣痛が着て普通分娩で赤ちゃんを産むものだと思っていたけれど


皆が皆、自然分娩を選べるわけではないのだ。


帝王切開だってあるし、緊急的な手術になることだってある。


命を産むとは、そういうことだ。


決して簡単なものなんかではない。



「私はどうなるんだろう・・・」今すぐにでも大声で泣いてしまいたかった。


それくらい、混乱・・というか、興奮していたのだ。


いや、パニック寸前だったのかも。



「とりあえず、何も食べてないだろうから朝ご飯用意しましょうか?」


そう言われて、ハッと我に返り


「はい、お願いします・・・」消え入りそうな声で返事をし、母と朝食を待った。



朝食は、実に豪華だった。


朝からこんなに???というくらい立派で量も沢山あったので


見つからないように母にも手伝ってもらった。



しばらくして、入院部屋に案内された。


三階の304号室、部屋もほんとに豪華で、ホテルと間違えるような作りだった。


どの部屋も1人部屋で、広さもそこそこ。


思わず母と声を合わせて「うわ~」とあっけに取られてしまった。



荷物を整理し、母は言ったん家へ帰った。


私は、これから起こることがどんなものになるのか全く想像もつかなかったが


ただただ「怖い」、そればかり思っていた。



この日はそのまま入院になってしまったのでお昼御飯まではすることもなく、暇になった。


少しでも陣痛がくるように、廊下を歩いたり運動をした。


廊下を歩きながら病院を見渡すが、ほんとに立派な作りであった。



ロビーにはグランドピアノ、窓は壁一面を使っていて日の光が入りすぎているくらいであったが


その時の私はそんな豪華さを味わう心の余裕もなくひたすら痛みに耐えつつ運動をした。



お昼を食べて、三時前だったか・・・


主人と母が来てくれて、荷物や着替えをクローゼットに詰めてくれた。


少し話をし、一時間くらいで2人は帰宅した。



あとで聞いた話だが、主人は私が入院したその日から夜は一睡もせず起きていて


いつ連絡が着ても良いように仕事の服を着たまま何日も過ごしてくれていたらしい。



夜ごはんは6時半だった、食べ終わっても7時過ぎだし、寝るには早いし・・・


ほんとに暇を持て余していた。



陣痛は相変わらず15分おきくらいに来るが、本格的なものではなかったので


なんとか過ごせていた。



8時頃だったか・・・


ドアがコンコン!と音を鳴らし、先生が入ってきた。


「どんなー?」と、様子を診に来てくれた。


陣痛の間隔を説明すると、先生は「まだまだだね~、本格的な陣痛きたら喋ってられないよ~」


と、なんとも明るく吹き飛ばして去って行った。



「私は笑えないくらい痛いのにー」と思いつつ、それからもひたすら痛みに耐えた。


9時過ぎ、横になろうとベットに腰かけ電気を少し暗くしてぼーっとしていると今度は


看護婦さんがお腹に当てて赤ちゃんの心音を聞く機械を持ってきた。


「赤ちゃんの音聞かせてね」としばらく赤ちゃんの心音を聞いていた。


「うん、元気だね! 明日には生まれるといいね」と笑って、次は4時間後にくると言い残し部屋を去った。


「明日には生まれるかな・・・」そう呟き、明日に備えて寝る事にして電気を消した。


陣痛はまだまだ本格的ではないものの、微弱が続いていたが無理やり目をつむり朝を迎えた。



翌日、朝ご飯は7時半に運ばれた。


とても美味しそうな手作りパンやスープ、本格的な料理が並べられた。


お腹がすいてたので、一気に平らげてしまったが、まだまだ余裕で食べられるほどだった。



その時の陣痛はというと、微弱陣痛は気になるかならない程度にまで治まってしまっていた。


いつになったら本格的な陣痛になるのだろう・・・


ほんとに生まれるのだろうか・・・


そう思うまでになっていた。



そうこうしてると、ドアがノックされ、先生と看護婦さん2人が往診だと入ってきた。


微弱陣痛が少し治まってきたことを伝えながら、血圧や体温を測ってもらった。


すると先生が「今日は、もうすぐしたら陣痛促進剤の点滴をしたいと思います。微弱陣痛が続きすぎてるから、赤ちゃんもそろそろしんどいと思う」


そう言われた。


促進剤・・?


それって陣痛を強める点滴だよね?


そう思うと、心の底から本当に怖くなってしまった。


この痛みを更に強めるなんて想像のつかない恐怖であったが、赤ちゃんの為・・仕方なかった。



看護婦さん達が部屋から出て行き、しばらくしてナースコールで呼び出しがあった。


ほんとは点滴なんてしたくなかったが、ダラダラしてる暇もないので鍵を持ちナースステーションへ向かった。



するとそのまま分娩待機室に通され、看護婦さんから点滴の説明があった。


「この点滴は、今きている陣痛を少しづつ強める点滴です。 一時間ごとに様子を見ながらレベルをあげて行きます。 しんどいけど頑張ろうね」



看護婦さんは優しくそういった。


いよいよか・・・・


静かに覚悟を決め、腕を出した。


少しづつ点滴が入ってくる。


怖かったが、絶対に頑張ると誓った。


元気な赤ちゃんに早く会いたかった。



普段何があっても薬を飲まない私だからか、点滴はすぐに効いてきた。


いきなりではないが、徐々に痛みは強まってきた。


携帯を持つことは出来ていたので、横になったまま母と主人に状況をメールした。


昼前から痛みはピークだったが、まだまだ痛くなる途中段階であった。


昼過ぎに主人と母が来てくれる予定であったので、早く来てほしいと思いながら痛みに耐えた。


痛みはものすごかった。


目をギュッとつむっても息を大きく吸っても激痛というか、痛みの域を超えたその重い陣痛は止まることはない。



陣痛と陣痛の間で必死に息をした。


陣痛がくると痛くて息もできなかった。


母と主人が到着するまで、1人急患で入ってきてそのまま分娩室へ入って行った。


「いたーーーーーーい!!!! 助けてーーーーー!!!」


今までに聞いたことのない叫び声ですぐに出産を迎えそうな様子であることが分かった。


20分くらいしたころだろうか・・・


「おぎゃあ! おぎゃあ!」と、元気な産声が聞こえた。


それと同時に看護婦さん達の拍手が聞こえた。


「おめでとー! よく頑張ったね~!」と言っているようだった。



「生まれたんだ・・・」そう思うとなんだか悔しくなってきた。


私はこんなに痛みに耐えているのに、あの人は元気な赤ちゃんが産めるなんて・・・



痛みはすごく激しくて、苦しくて、もうどうにかなってしまいそうだったのに


涙がじわじわとあふれていた。



痛みも心も本当におかしくなりそうだった。


私は大丈夫、もうすぐ赤ちゃんに会える! 強く強くそう繰り返したが、やっぱり涙はあふれてくる。



でも、頑張るしかない、そう思いながら陣痛に耐えた。


お昼を過ぎて1時になりかけた頃、母と主人がやってきて看護婦さんに状況を聞いていた。


何を聞いているのか分からないくらい、分からないというか聞こえないくらい痛くて痛くて


目も開けられなかった。



なんだか背中が少し気持ちいいな・・・ と思って後ろを見ると母が背中をさすってくれていた。


でも正直そんな事をされても全然痛みは治まらない。



気を失いかけた。


「ちょっとごめんなさいねー、子宮口確認させてもらっていですか?」と看護婦さんが入ってきて、私はハっと現実に戻る。



母と主人は部屋の外で出た。


「消毒するから下着下げますね」と下着を下げられ消毒をされ看護婦さんの手がゆっくりと入り、子宮口を確認する。


「うーん、まだ2,3センチね・・・」


そう言って、下着をあげた。



母と主人を部屋へ呼び子宮口の開きを報告してくれた。


そして、まだ開きがいまいちなのでレベルをあげますね、と点滴のレベルをあげられた。



もう限界だった、これ以上痛くなるのかと思うと耐えられなかった。


そんなことを言っても痛みは増すばかり・・・



すると突然、喋ることもできないくらいの陣痛がきた。


レベルをあげてすぐだった、痛みは急に強まった。



さっきとは変わりものにならないくらいの陣痛・・・


もう生まれるんじゃないの???


そう叫びたいくらいだった。



その頃には、黙って耐えるのも限界で声になるかならないかという声で「痛い・・ 痛い・・」

と蚊の鳴くような声で唸っていた。


主人も母も、陣痛が強まったことにすぐに気付いていた。


主人が強く背中をさすってくれたが、これも全く意味がなかった。


思わず主人に強く当たってしまう。


「そんなんじゃ全然効かないから!」と怒鳴ってしまった。



怒鳴るつもりはなくても、自分をコントロールできなかった。


どんどんと痛みは増していく・・・


あっと言う間に一時間経過して、また先程と同じ看護婦さんが入ってきて私の顔を覗き


「だいぶ強まった見たいね、ちょっと子宮口確認するからね」と言った。



看護婦さんは子宮口を確認するとこう言った。


「7センチまできてる、もうすぐだね」といった。



まだ7センチ・・・


まだ続くのか・・・


もう無理・・・



正直その時の私は、半分諦めていた。


赤ちゃんに本当に申し訳ない、馬鹿なことを思っていた。



再び痛みのレベルをあげられ、看護婦さんはナースステーションへ戻って行った。


母は「もうすぐよ、頑張り」と励ましてくれる。



すごく重みのある言い方であった。


その時、母の中にある強さと暖かさのようなものを見た気がした。



その日はそれ以上レベルをあげられなかったが点滴は18時まで続いた。


ご飯も食べられず、点滴を続けていたので体力は限界を迎えそうだった。


点滴が終わると、すぐに栄養剤の点滴へ変わった。


「よく頑張ったね、もうすぐ赤ちゃんに会えるよ、頑張ろうね」と婦長さんがやってきた。


とても優しくて、でもしっかりとした感じの婦長さんは暖かい手で私の手を包んでくれた。


思わず涙が出そうだった。


母も主人も疲れているだろうに、栄養剤が終わるまでそばに居てくれた、有難かった。



栄養剤も終わり、主人と母が帰宅した。


私はそのまま看護婦さんと部屋へ戻った。


着替えを手伝ってもらい、体も拭いてもらった。



ここの看護婦さん達はみんな本当に優しくて、親身に話を聞いてくれた。



次の日も同じ点滴をするようだった。


それを考えると夜が憂鬱であったが、赤ちゃんの為に絶対頑張ると誓った。



するとまた急患さんの叫び声が病院に響き渡った。


「また急患さんだ・・・」そう思いながらぼーっとテレビを眺めていた。


少し時間がかかったみたいだったが、赤ちゃんの元気な産声も響いてきた。



生まれたんだね・・・ そう思うとまた涙はあふれる。


悔しくて泣いた。



子供のように大声を出して泣いてしまいたいくらいだった。


「どうして私は赤ちゃんが生まれないの?」そう思うと涙は次々とあふれてきた。


久しぶりにこんなに泣いた。



私がいけないの?


なんで生まれないの?


頭はそのことでいっぱいで、涙は止まることなく流れ続ける。



ベットに丸まり、泣きながら朝を迎えた。


ふと気がつくと7時前、すごく憂鬱だった。



昨日から何も食べてない・・・ お腹空いたなあ・・・


そう思っていると、ナースコールが鳴った。


「おはようございます、点滴を開始したいので分娩室まで来てくれますか?」


そう言われた。



本当に行きたくなかったが、赤ちゃんは頑張ってるんだもん私も頑張らなきゃ・・・


とフラフラの体を起こし、ゆっくりとお腹をさすりながら分娩室まで歩いた。



その時ふと思った・・


今日は分娩室なんだ・・・ と。



なぜ分娩室に通されるかは、すぐに分かった。


分娩室の分娩台へ上がり、血圧や子宮口のひらきを確認する。


「子宮口は6センチくらいですね、今日も頑張りますよ。」と看護婦さんが言った途端


先生が入ってきて、子宮口を確認された。


「まだ狭いねー、ちょっと広げるね」


そう言うと同時にそのまま子宮口を広げ始める。


これがものすごく痛かった。



陣痛の最中に無理やりに子宮口を広げる、これはなかなか生まれない妊婦さんは


ほとんど経験するらしいが、私は耐えられなかった・・・。



そしてそのまま先生はこう続けた。


「もうずっと微弱陣痛が続いてるからね、赤ちゃんはだいぶ限界がきてるよ、今日絶対産むからね」


今日絶対産む?


そんなこと言われたって産むタイミングも何も陣痛が強まらないのに先生は何を言ってるんだと思ったが、昨日一日流し続けた点滴もあり赤ちゃんは本当にしんどい状態で居たのだ。



点滴の前に、昨日はしなかった浣腸をされた。


いつ産まれて踏ん張ることがあっても良いように、便をあらかじめ出しておく。


ご飯も食べれず、それなのに便まで出されて・・・


体は本当にフラフラだった。


こんなんじゃ陣痛きても踏ん張れないよ・・・



すっからかんの体に再び点滴が入る。


時刻は八時過ぎ。


主人はお昼を過ぎなきゃ来れないし、それまでに産めるかな?


赤ちゃん見せてあげたいな、そう思って頑張った。



陣痛は昨日のように強まりはするものの、やはり本格的な陣痛まではまだまだであった。


お昼前までにレベルを3つくらい上げられた。


再び目も開けられないような陣痛がきたが、まだ生まれそうな感じはない。



ここまでくると、何が痛くて何が痛くないのかさえも分からなくなってくる。


限界はとっくに超えていたが、とにかく耐えた。


生まれそうになるまでとにかく頑張った。



昨日は横になったまま点滴をしたが、今日は座った状態で前にもたれかかりながらの点滴だった。


便意のようなものが陣痛とともに来たらそれは赤ちゃんの頭が出てきている印らしく


便意が来たらすぐに知らせてね、と言われた。



昼前、なんだか軽い便意のようなものがあったが、まだ子宮口は完ぺきではなかった。


そうこうしていると主人はやってきて、また背中をさすってくれた。


時刻は1時、主人と同時に先生が来た。



入るなり先生は、「もう点滴を限界まで流してますが、あと一時間で生まれなかったら破水させます」


と言った。


私にではなく、主人に確認するように言った。


「ここまで来ると、母体もですが子供の用水がかなり濁っていると思う、だから破水させて様子を見ますが、普通ならそこで一気に生まれるはずです。」


とのことだった。


破水させるとかもう恐怖そのものではあったが、その時の私は赤ちゃんが助かるなら何でもいい、そう先生に告げた。



主人も先生にお任せしますと言って頭を下げた。


先生は、赤ちゃんの事をすごく考えてくれていることが表情から伝わってくる。


看護婦さんも、みんな本当に暖かさで包み込んでくれて、私を励ましてくれる。



頑張るよ、そう心で呟きながら主人を強く見つめた。


主人はうなずいた。



一時間後、先生はハサミを持ってやってくる。


赤ちゃんはまだ降りてこない。



羊膜をひっぱり、股にハサミを入れる。


すると、生温かい水がどばーーーっと出てきた。


「これで陣痛が一気に来るはず、あと二時間、それしか待ちません、それを越したら緊急手術になるけど、頑張るんだよ」


先生は悩みに悩んでの決断を下した。


二時間・・・


その時、時刻は2時半を指していた。


羊水のないお腹の中に居る赤ちゃんは、すでに苦しいはずだ。


二時間の間に自然に出してあげたいが、どうなるのか・・・



陣痛は強く来ていた。


指一本動かすのも精一杯の激しい陣痛・・・


主人は休むことなく背中をさすってくれた。



痛い、痛い、痛い・・・ 小さな声で繰り返す私の横で、主人は何を思っていただろう・・・



分娩室で繰り返される私の声は、二時間ずっと繰り返された・・・


先生の言っていた二時間、それはもう目の前まで来ていた。


もう手術だな・・・ そう覚悟した。



その時、先生はやってきた。


「もうこれ以上は赤ちゃんが危険なので、手術をすることにします。」


そう告げる先生は、私の顔をしっかりと見つめた。


私は、今にも消えてしまいそうな声で「お願いします・・」そう伝えた。



主人を連れて先生は部屋を出て行き、看護婦さんが4人くらい入ってきた。


私は泣いた。


すると看護婦さん達は、私の涙で濡れた手を握り背中をさすってくれた。


「心配せんでいいよ、あとは私らに任せんさい。」


「絶対元気な赤ちゃん見せてあげるから、涙拭いて」


優しい笑顔でみんなが私を励ましてくれた。


私は、涙をぼろぼろ流しながら「すみません、お願いします・・」と伝えた。


「泣くこと無いよ、貴方が頑張ってるのは、私たちみんなちゃんと見てるから、大丈夫! 何も心配せんでいい」婦長さんは頭をなでてくれた。


本当に心強く、暖かく感じた。



だけど私の心の中では


「ちゃんと産んであげられなくてごめん。


お母さん、こんなに弱いんだ。


貴方は準備も出来ていないのにもうすぐ外に取り上げられるんだね、ごめんね。


ごめんね・・・」


・・そう繰り返されていた。



分娩停止・緊急帝王切開


手術の準備は着々と進む。


下の毛をそられ、尿管を通された。


尿管を通す作業がものすごく痛かった。



先生と、もう一人助手の先生が飛んできて、準備はものの30分で終わっていた。


「大丈夫、もうすぐ会えるからね」先生は私にそう言い、看護婦さん達に手術開始を告げた。


「お願いします」私は全てを任せた。



ずっと私の手を握ってくれている看護婦さんが「手を離さないからね、頑張るよ」そう言ってくれた。


横向きになり、背中に下半身麻酔の注射を打たれる。


骨と骨の間に針を指すのだが、痛すぎて私が動いてしまい、何度かやりなおした。


3回くらい打ち直したが麻酔はうまくいった。


筋肉注射も肩に打たれたが、麻酔注射に比べれば何ともなかった。


痛みには慣れてきたように思えた。



そして仰向けになり、目の前に厚紙のようなもので壁を作られた。


優しいグリーンをした厚紙で、目隠しになるのだろう。



先生達が指示を出しあい、手術が進んでいた。


陣痛はすっかり分からないくらい麻酔が効いていて、すでにお腹を開いているようだった。


なぜかゲップがよく出た、それと同時に疲れが出たのか、やっと痛みから解放されたからか


すごく眠くなった。



手術開始から20分くらい経った頃だったか・・・


ウトウトしかけている時、先生の声で眠気が吹き飛ぶ。


「もうすぐ会えるよー」


「よし・・・出たよー!!!」



その瞬間、紫色をした小さな小さな赤ちゃんが取り上げられた。


しっかりと体を丸めたまま取り出され、すぐに産声を上げた。


「おぎゃあ! おぎゃあ! おぎゃあ!」しっかりと息をしたその瞬間赤ちゃんの色が肌色に変わり


タオルに巻かれ処置室へ連れて行かれた。



涙が止まらなかった。


やっと会えた、やっと会えた、私の赤ちゃん。


よく頑張ったね、ありがとう!!!


赤ちゃん、赤ちゃん・・・


朦朧とする意識の中、心の中でそう叫んだ。


声が出ない。


涙は枯れる事を知らない、次々とあふれてくる。


熱い涙だった。



処置されているところが分娩室モニターに映し出される。


元気な産声でしっかりと息をしている。


「元気な女の子だね! これは大きかったね~!」


先生はまっすぐに私の目をみて言ってくれた。



時刻は17:59 


3400グラムの元気な女の子が産声を上げた。



涙がぼろぼろと流れ続ける。


私はモニターの赤ちゃんから一瞬も目を離さなかった。



綺麗に処置された私の赤ちゃんが、看護婦さんに抱かれて私の元へやってきた。


おでこを合わせてくれた。



暖かくて、小さくて、強くて、逞しくて・・・


命の重さを感じた。


小さなしわしわのおでこ、フヤフヤの手、丸い赤い顔、真っ黒な綺麗な瞳・・・


小さな小さな命は、しっかりと私の前にいた。



その頃、主人と母と妹がすでに駆け付けてくれていたようで、看護婦さんが赤ちゃんを連れて会いに行っていた。


私は、お腹を閉じる処置をしていた。


産まれたんだ・・・


そう思うと途端に眠くなり再びウトウトしていると手術は終わった。



よく頑張ったね、みんなが言ってくれた。


私は微笑むくらいしかでいなかったが、心の底からみんなに感謝した。



動かない身体が不思議な感覚だった。


手際良く着替えをさせられ、コロの付いた移動式ベットへ移され母達の元へ動かされた。


母と妹と、主人も居てくれ、とても安心した顔をして「お疲れ様」と言ってくれた。



部屋へ戻ると、リクライニング式ベットに変わっていた。


ベットに移され、まだ麻酔の効いている足にクッションのような機械が取り付けられた。


足の血流を促すため、マッサージ機能のついたクッションが足を絞めたり弛めたりしていた。



暖房はガンガンに効いているのに、なぜか震えるくらい寒気がきて、震えだす私を見て看護婦さん達は毛布を取りに走った。



その間、部屋に家族だけになった私たちは、安心したね、良かったね、と話していた。


妹は「お腹痛いの? 麻酔効いてる?」と体の事を心配してくれた。


主人は夜勤であるが、寝ずに仕事に行くと言いずっと残ってくれていた。



赤ちゃんが気になるようで、主人はソワソワしながらナースステーションに向ったが、母と妹は部屋に残っていた。


母は少しやつれたような感じだった、心配かけたな・・・ そう思うと、母の気持ちが痛いほど伝わってくるようだった。


妹は赤ちゃんの写メを沢山見せてくれて「これが初写メ! で、これがベストショット!」と、いつの間に撮ったのかかなりの枚数がデータフォルダに入っていた。


主人も赤ちゃんの写メを数枚撮っていた。


そしてすぐに待ちうけにして、みんなは帰り仕度をはじめた。


「今日はゆっくり眠りなさい、疲れたでしょ」と、私を気遣いみんな帰宅した。



しばらくして、赤ちゃんを抱いて看護婦さんが来てくれた。


私の横に寝かされた赤ちゃんは、口や指を動かししっかりと息をしている。


本当に愛おしかった。



少しこのままで居ても大丈夫だよ、と看護婦さん達は私と赤ちゃんを二人にしてくれた。


まだ麻酔のかかった体をなんとか動かし、携帯で私と赤ちゃんの写真を撮った。


赤ちゃんは可愛く指を動かしている。



私の指を赤ちゃんの手に握らせるように入れてみた。


すると、しっかりと握ってくれて離さない。



思わず涙が出た。


今日で何回泣いただろう・・・


でも、また涙があふれては流れて行く。



元気に生きていることが嬉しくて泣いてしまった。


幸せだった。



我が子の命の重みと愛おしさで胸がいっぱいだった。


生きる事も、死ぬ事も、人間はいつも隣合わせ。


だから、毎日を一生懸命大切に生きていかなければならない。





看護婦さんが戻ってきて、赤ちゃんを抱いてこう言った。


「ちょっと、おっぱい吸わしてみようか」


と、胸を開けて赤ちゃんを乗せた。



すると、びっくりすることに赤ちゃんはおっぱいをしっかりと吸っていた。


母乳はまだ出ないものの、吸われることでおっぱいが刺激を受けてミルクが出るようになるらしい。



人間の体は不思議だ。


産まれてすぐおっぱいが吸えて、母親は母乳も出てくる。


生きていくために、自然と不思議な力が湧きでてくるのだ。



今日はこのまま寝る事になった。


だが、体から出ている数本の管や機械音で興奮してなかなか寝付けず、とりあえず無事出産が終わったことを親友達にメールした。


すると、すぐに返信が来て「涙が出ました、本当におめでとう」とくれた。



眠りたいのは山々だが、麻酔が切れてきて段々と足の感覚が戻り


お腹の傷跡が痛みだす。


眠るどころではなかった。



背中に管は通っているし、尿管がついていて動けない。


おまけに手術後ということもあり、急に高熱が出ていた。


39度まで熱は上がった。



看護婦さんがマメに様子を診に来て痛み止めの薬を入れてくれた。


だが4時間おきでないと痛み止めも入れられないのであまり効果がない。


痛みを感じながら朝は来た。


熱は下がってきたが、身動きの取れない体は言うことを聞いてくれない。



ご飯はまだ食べられず、もう3日何も食べられない日が続いた。


お腹は空いているが、意外と元気な自分にビックリした。



主人からは「よく頑張った、ありがとう」とメールが来ていた。


主人も寝てないのに、嬉しかった。


母からもメールが入っていて、義母からもメールが来ていた。



私はみんなの力を借りて、今こうして無事出産を終えられた・・・


本当に全ての人達に感謝した。


ありがとう、ありがとう・・


何度言っても足りないくらいの感謝。





朝8時半、先生と看護婦さんが往診に来た。


先生は、よく頑張ったね、と言ってくれた。


まだまだ点滴や管は外せないが、少しづつ取っていきますよ、とのことだ。


そう、今私には術後すぐのため背中から管が一本、尿管、点滴、三本も管がついている。


身動きは取れないし、お腹は痛むし・・・


でも、これも数日の事・・・ 頑張ろう。




先生はお腹の傷を診て、血圧を測った。


少し体温が高いが、術後の不安定な体調からきているらしいので気にしないで良いとのことだった。



今日の予定は歩行練習らしい。


術後にずっと動かないで居ると、内臓がくっついてしまうことから、積極的に動くことを勧められた。



歩行練習はお昼からのようなので、それまでは自由となったが


少しでも赤ちゃんに会いたかったので看護婦さんにお願いして見たら


「少しだけ連れてこようね、ちょっと待っててね」と案外すんなりとOKしてくれた。



尿管さえ取れれば、少しは楽になるのになあ・・・


そう思いながら、赤ちゃんを待った。



コンコン・・


ドアがノックされ、赤ちゃんと看護婦さんがやってきた。



ゆっくりと体を起してもらい、ベットから足を出し座ってみた。


かなりお腹が痛んだが、なんとか座ることができた。




「寝てるみたいよ、また後きますね」


そう言って看護婦さんは戻って行った。



痛まないよう少しづつ角度を変えながら赤ちゃんを覗いた。


移動式のケースの中で赤ちゃんはスヤスヤ寝ている。


小さな寝息を立てて・・・



何よりも愛おしい。



心の底からそう思った。


昨日までこのお腹に居たのになあ・・・


昨日の今頃は陣痛で苦しんでたんだよな・・・



そう思うと、ほんとうに出産したのかどうなのか分からない不思議な感覚であったが


目の前でしっかりと息をしている我が子を見て


「私が産んだんだ・・・」


夢じゃなく、この幸せな現実に体が包まれた。



少し物音をたてても、写メを撮る音がしても赤ちゃんは起きること無くスヤスヤと眠り続ける。



1時間くらい経った頃だったか、看護婦さんが来てこう言った。


「もうすぐお昼になって歩行練習が始まるから、背中の管と尿管を取りますね、尿管を取ると尿意が戻りますから尿意が着た時はすぐに呼んでください」


とのことだった。



不思議なことに、尿管をつけていると全く持って尿意がなく、いつの間にか尿が尿管を通って


管の先に着いているパックに尿がたまっている。


背中の管は痛むこと無く簡単に取れた。


そして仰向けになり、下着を下げてもらい尿管をはずす。


これもまた激痛まではいかなかったものの、目をつむるほど痛かった。



「痛かったね~、お疲れ様!」


そう言って看護婦さんは先程の同じ説明に念を押して片づけを始めた。


あとは腕の点滴のみとなり、尿管と背中の管が外れただけでもかなり楽になった気がした。


すると、赤ちゃんが泣きだした。



おぎゃあ! おぎゃあ!


と泣くのかと思っていたので、赤ちゃんの泣き声を聞いてビックリした。


その鳴き声とは


「みゃあ! みゃあ!」


と、まるで子猫が泣いているかのような泣き方だった。



泣き出してしまったので、そのままおっぱいをあげてみることにした。


看護婦さんは横に座ってくれて、おっぱいのあげ方を教えてくれた。


最初は赤ちゃんの位置にぎこちなかったがなんとか、おっぱいを吸わせることに成功した。



だけどやっぱりまだ出ていない。


でも、吸わせて刺激を与えることに意味があるので、頑張って吸わせてみた。


左右両方で何度か試すと、看護婦さんがミルクを持ってきてくれた。


ミルクが要るときはナースコールで呼べばいつでも持ってきてくれるようだ。



まだまだ初めなので、40mℓほど飲ませる。


ゆっくりと、ゆっくりと「ゴキュ、ゴキュ」と小さな音を立てて飲んでいる。



小さな背中がミルクを飲むごとに可愛く動く。



細い髪の毛、プクプクのほっぺ、小さすぎる足・・


全てが本当に可愛くて、少し握るだけで壊れてしまいそう。



だから私がしっかり守ってあげなくちゃ。



貴方は私の全て。



ミルクをあげながら色んな事を考えた。



ミルクをあげて、ゲップをさせると、またすぐに赤ちゃんは眠ってしまった。


しばらく抱っこしていたいが、お腹の傷が痛みだしたので


保育ケースへ赤ちゃんを寝かし、看護婦さんと赤ちゃんはナースステーションへ戻って行った。



時計を見ると、時刻はもう少しでお昼というところだった。


お昼はまだ食べてはいけないとのことだったのだが、すごくお腹がすいていた。


「母にメールして、おにぎりでも買って来てもらおうかな・・・」


本気で悩んだが、食べてお腹が痛んでも怖かったのでおにぎりは諦めた。



お昼、少し過ぎたところで歩行練習の為先ほどとは違う看護婦さんが来た。


「ついでに着替えも持ってきたから、体拭いて着替えましょう!」


その看護婦さんはすごく元気な人だった。


熱いタオルで汗まみれの体を拭いてもらうため着ていた物を脱ぐと


背中に黄色い汁のようなものがビチャビチャとついていて、背中の管のところから何か汁が出ていたようだった。


隅から隅まで綺麗にしてもらう。


もう何日もお風呂に入れてなかったので、すごくさっぱりした。


ついでに顔もゴシゴシと拭いてもらった。



さっぱりしたところで、歩行練習を開始した。


起き上がるだけでも激痛だが、ベットから足をおろして座ることもかなりの激痛だった。


起きて座るだけで5分かかった、そしてそこから立ち上がるだけでも同じくらいの時間がかかった。



立ち上がろうとする時、主人がやってきて看護婦さんから歩行練習の事を聞いて窓際の椅子で座って待っていた。


立ち上がるまでに10分、これではトイレなんて到底間に合わないと思った。


一歩踏み出して、また一歩踏み出す。


歩くのも一苦労だった。



力がうまく入らず、なかなか思うように足も上がらない。


そんなこんなでトイレまで行くのに15分はかかってしまった。



歩行練習はそれで終わった。


ちょうどお腹も痛み出し、看護婦さんは「トイレに行きたくなったらすぐ呼んでね」


と念を押して帰って行った。



主人はいきなり「赤ちゃんは? 元気してるの?」


そればかり聞いてきた。


昨日から赤ちゃんの写メを穴があくほど何度も何度も見ていたらしい。



ふと主人の荷物に目をやると、コンビニの袋に「女性自身」の雑誌が入っていた。


「何それ?」


そう聞くと主人はニヤニヤと笑ってこう言った。


「入院と言えばこれでしょー?」


と女性自身をベットに置いた。



まあ、なんというか主人はいつも大事なところでこうやって笑わせてくれる。


「ちゃんと食べてる?」


「お金足りてる?」


いろいろと質問すると、主人は


「全部問題なし、好きなことやれて快適~」と言って笑いながらテレビのチャンネルを変えていた。



30分くらい経って、主人は洗濯物溜まってるから帰るね、と帰り仕度をはじめた。


しっかりと赤ちゃんも見て帰るらしく、新生児室のあるナースステーションへ向かって部屋を出た。



再び暇になった私は、携帯で撮った私と赤ちゃんの初写メを眺めていた。


丸くて可愛い顔を、画面の上からゆっくりなぞった。



外から日の光が差し込む。


今日の天気は快晴、ベットに座ってゆっくりと日差しを眺め出産のことを思い出していた。


頑張れば出来ないことはないな、ということを私自信身をもって自分に証明できた気がした。



もう何も怖くない。



そう思えた。



夕方までは、本当にゆっくりと過ごした。


数回尿意をもよおし、やはり15分かけてトイレへ行った意外、ベットの上で過ごした。


17時くらいに看護婦さんが様子を見に来て


「夜ごはん食べれますよ、よかったね~」


と言ってくれた。


私は思わず「ああ~~~、お腹空いてました~~~」


と崩れ落ちたように声を出した。



18時、ご飯の時間を待った。


やっとご飯が来て、ゆっくりと机へ向かった。



個室で良かった・・・


そう思いながら点滴の台を動かし、メニューを見ると


お肉の柔らかいステーキや、あえ物、スープが並んでいて


お粥から美味しそうな湯気が経っていた。




私は思わずすごいスピードで食べ始めたら、なんだか腸が痛み始めた。


最初は我慢できたのだが、食べ終わる頃には座っていられないほどまで痛み始めた。


うずくまりながら床へ座ると、ナースコールまで手が届かないことに気づき


ナースコール付のトイレが真横だったので這いながらトイレへ入った。


だが、トイレへ入りナースコールの前まで来るとついに力尽き


痛みでうずくまったまま気を失ってしまった。



そのトイレは勝手にドアが閉まるようになっていて、うずくまった後


バタン・・とドアが閉まった。


なので、食事を下げに来た配ぜん係の人に発見されずにしばらく気を失っていた。



誰かの声で気がつくと、ナースコールに出ない私を心配して看護婦さんが飛んできたようだった。


看護婦さんに支えてもらいながらゆっくりベットへ戻ると先生がやって来た。


「急いで食べたでしょ?」


先生は言った。



なんで分かるの?と思いながら「はい・・」と答えると


急いで食べたから、腸がびっくりして痛みだしたんだと思う。とのことだった。



キリキリと痛むのはその証拠らしく、ゆっくり休んで痛みが無くなるのを待つことにした。


その後しばらくはこまめに様子を診に看護婦さんが入ってきたが2時間くらいでなんとか治まっていた。



お腹の痛みから解放されると、「もっとゆっくり食べて味わえばよかった・・」と久しぶりの食事を後悔した。



その日はそのまま眠ることにして、リモコンと携帯を持ってベットに入った。


明日からは赤ちゃんとの母子同室が始まる。


ゆっくり眠れるのは今日が最後だった。



電気を消して、テレビを観ながらぼーっとしているとすぐに眠くなってくる・・


ウトウトしながらテレビの音で目が覚める。


テレビを消して、ぐっすりと眠った。




朝7時、ナースコールで目が覚めた。




母子同室のお知らせがあるので往診後ナースステーションまで来てくださいとのことだった。


往診ではやっと点滴が外され何時間かぶりに自由に慣れた。



まだ痛む傷をかばいながらナースステーションへと向い、新生児室のガラスから赤ちゃんの様子を見てみた。


私の赤ちゃん、まだ眠ってる。


手をぎゅっと丸めて眠っていた。



授乳室へ呼ばれ、同室に当たっての注意を聞いた。


三時間おきの授乳と呼吸確認、色々と注意をうけて部屋へ戻ると朝ご飯が用意されていた。


お粥とスクランブルエッグにウインナーのソテー、そしてコーンスープ。


どれも本当に美味しくて、特にコーンスープは絶品だった。



昨日の夜ごはんの失敗もあるので、今回はゆっくりと味わって食べた。


少し痛みはしたが、昨日ほどの痛みではなくしばらくすると痛みは消えた。


食べ終わるとすぐに赤ちゃんの顔を覗く。


可愛い顔をしてぐっすりと眠っている。



テレビの音をギリギリまで小さくして、なんとなくテレビを眺めていると携帯にメールが入った。


主人からで「赤ちゃんの写メ送ってください♬」とのことだったので


起こさないように何枚か撮って主人に送った。


その日は、母と主人がお昼過ぎに来る予定だったので、のそのそと部屋を片付けたりしていると


赤ちゃんが泣きだした。


保育ケースに入っている育児日誌を見ると、ちょうど授乳の時間だったのでオムツを交換してから授乳室へ向かった。



オムツを開けると可愛い小さなお尻、おしっこがちょろっと出ていた。


授乳室には私のほかに2名ほど授乳している人が居た。


軽く頭を下げ、椅子に座りおっぱいを出す。


すると、ちょうど看護婦さんが見に来てくれたので、仕方を見てもらいながら授乳をした。


小指を立てておっぱいを飲む赤ちゃん。


眠ったままおっぱいを飲む赤ちゃん・・


みんな可愛い小さな赤ちゃんを抱いて一生懸命授乳をしていた。


大変そうだったが、みんな優しい幸せそうな顔をしていた。



まだまだ慣れない授乳で大変だったがなんとか吸わせることはできた。


だがまだ母乳が出ないので、ミルクを足してもらった。


ゴクゴク・・  ゴクゴク・・・



小さな肩を一生懸命動かしミルクを飲む。


いっぱい飲んで、大きくなってね・・


みんなそんなことを思いながらミルクをあげているように見えた。



ゲップを出して、また部屋に戻った。


窓からさす日の光の中で、赤ちゃんと二人・・


本当に幸せな時間だった。



スヤスヤと眠る顔は何時間見ていても全く飽きない程だ。


来年にはもう歩いてるんだろうか?


どんな女の子になるのだろうか?



楽しみはいくつもいくつも膨らんでいた。


育児日誌にミルクとオムツをあげたことを書き忘れていたのを思い出し


急いで書き足した。


すると、昨夜赤ちゃんはものすごい大量のうんちをしていることを知った。


今日はウンチが出るのかな?



そう思いながら日誌を眺めていると


「ぶちゅちゅちゅちゅー」と赤ちゃんのお尻から鈍い音がした。



・・まさか?・・・


と思いお尻に鼻を近づけると、臭くはないがうんちであろう匂いがしていた。


すごい偶然!と思ったが、初めてのうんちのおむつ交換・・・



やり方が分からずちょっと焦ったが、とりあえずお尻ふきを5枚くらい出してからオムツを開いた。


たっぷりと、泥状の無臭に近いウンチがたっぷりと出ていて


今にもオムツからこぼれそうだった。



なんとか必死にお尻ふきで綺麗に拭きあげて交換を終えようとしたその時


ぴゅるるるる~ っとおしっこが飛び出し、慌てて手で押さえてしまった。


手で押さえてしまったので、赤ちゃんの着物が濡れ、新しいオムツも無駄になってしまった。



やれやれ・・・


気づけば額からは汗が出ていた。


今になって思えば、そんなに焦ることはないのだが、その時の私はただただ必死にオムツ交換をしていた。


慣れない着物の交換とおむつの交換を終え、ベットに座り込んだ。


気づくと動きすぎたのか手術跡がキリキリと痛む。



ベットに横になり、しばらくそのままぼーっとしてお腹を休ませた。


お腹は今、縫った上からホッチキスのようなもので傷が開かないように塞いである。


考えただけでもちょっと怖いのだが、糸で縫うよりもそっちの方が跡が残りにくいのだそうだ。



休んでいると、お昼が近づきご飯が運ばれてくる音がした。


「失礼しますねー」と配ぜん係の人が美味しそうな昼食を運んでくれた。


メニューは魚のソテーに玉子スープ、あとは洋風の茶わん蒸しのようなものがあって


まだお粥が続いていた。



「早く白飯が食べたいな~」そう思いつつ、赤ちゃんを起こさないように静かにゆっくりと食事を始めた。


それと同時に携帯へメールが入ったが、携帯を置いているベットまで動くのにお腹が痛むので食べてから確認しよう、と先に食事を進めていた。


ソテーを食べて、お粥を口に運ぶ時、ドアのノックの音がした。


痛むお腹を押さえつつドアを開けると、母と主人が来ていた。



「早かったねー」と言いつつ部屋へ招くと、母は沢山の着替えとナプキンを持ってきてくれていた。


術後はしばらく出血が続くのでナプキンは必須だった。


食事をしている間、母と主人は赤ちゃんの写真を撮ったり寝ているにもかかわらず抱っこしたりしていたが、赤ちゃんは全く起きなかった。


母は、「可愛い、可愛い」を繰り返していた。


「すごい豪華じゃん!」と昼食を見て主人が声をあげると、母も「ほんとだ~」と初めて食事に気付いたようだった。



主人と母とで交代で赤ちゃんと抱っこしていた。


この日は二時間くらい居て母達は帰宅した。



母達が帰って少し経つと、赤ちゃんがまた泣きだした。


授乳にちょうどいいくらいの時間だったので、再び授乳室へ向かい授乳とミルクを済ませた。


おしっこは出ていなかった。



部屋からナースステーションまでの廊下は絨毯が敷かれていて、壁一面がガラス窓になっていたので

とても日当たりが良く暖かかった。


この日も天気はよく、雲ひとつなかった。


その日は一日授乳とおむつ交換を繰り返し夜を迎えた。


初めての2人の夜。



夕食を済ませると早めに2人並んでベットに入った。


三時間おきに授乳しなければいけなかったので、三時間ごとにタイマーをセットし


可愛い小さな顔の横で寝息を感じながらずーっと赤ちゃんの顔を眺めていた。


夜泣きはどうかな?


ちゃんと寝れるかな?



そう考えながら眠りに着いた。


一時間くらい経った頃、赤ちゃんの夜泣きが始まった。


すごく大きな声を出し泣きだす、オムツを替えておっぱいを吸わせる。


そして足りない分はミルクを足してもらう・・・


それは一時間ごとに繰り返された。



想像以上の夜泣きから始まった母子同室は、一睡もできないまま時間だけが過ぎて行く。


ついに夜中の三時頃になると、私の体も疲れと眠気のピークを迎え抱っこしておっぱいを吸わせたまま

眠ってしまったりしていた。


一晩中座ったまま時間だけが過ぎ、朝を迎えると体がすごく重かった。



なんだか、何が起こっていたのか分からない意識の中赤ちゃんを保育ケースへ寝かせると


赤ちゃんは何事もなかったかのように泣き疲れたのか、お腹いっぱいなのかグーグー眠った。



その寝顔を見れば疲れなんてへっちゃら・・・


とは思ったのだが、体は正直な物でへとへとでぐったりとしていた。


7時半頃、「赤ちゃんの朝の検診をしますのでナースステーションまで来てください」とナースコールが入った。



目をこすりながら廊下へ出ると、同じように目の下にクマを作ったママさん達がのろのろとナースステーションに向かっている。


みんな同じかー・・ そんなことを考えつつ私もノロノロとナースステーションへ向かった。


看護婦さんへ赤ちゃんをお任せし、朝食を取りに部屋へ戻った。


テレビをつけ、ゆっくりと朝食を取った。


美味しい手作りパンが有難かったが、眠気に勝てず味わうのもほどほどになんとか完食して往診までの約一時間を睡眠に使った。


往診までの時間はあっという間だった。


先生たちが入ってきて傷跡を見せると「だいぶいいみたいだね、今日からお風呂に入りましょうか」と入浴の許可が出た。


念の為、傷跡の上から巨大な絆創膏みたいなものを張られた。


入浴は、シャワー個室が二つだが、空いていればいつでも入って良いそうなので


午後から義母達がくることになっていたし、午前中の間に入らせてもらうことにした。



ナースステーションへ赤ちゃんを預けシャワー室へ入ると、沢山のライトのついた豪華な化粧台があった。


まだ床が濡れてなかったので、シャワーではあったが一番風呂に入れた。



その時、初めて鏡に映った自分の傷跡を見る事が出来た。


その傷跡は生々しく、絆創膏の上からでもしっかりと跡が確認できた。


それにお腹はまだ出ている・・・


なんというか、妊娠7ヶ月くらいの膨らんだお腹をしていたが、これは自然に治るのを待つしかないらしい。



何日ぶりのお風呂だろう・・・ そう思いつつシャワーを浴びて、頭をゴシゴシと洗った。


頭を洗い終わると気分もスッキリ、久しぶりに髪の毛がふわふわになった。


気づけば髪の毛は汗で油まみれの汚い頭になっていたのだから、久しぶりのフワフワ感はたまらなかった。


ドライヤーで髪を乾かし、化粧水をつけ乳液をつける。


傷の痛みさえ気にしなければ、顔もさっぱり、頭もさっぱり、気分もさっぱり、全て完ぺきだった。



入浴を終え、赤ちゃんをナースステーションへ迎えに行くと、1人の急患さんがうずくまりながら来ていた。


旦那さんらしき人に背中をさすってもらいながら、「痛い・・・ 痛い・・・」と言っている、私は「頑張れ、もうすぐ生まれるよ」心の中でそうつぶやいた。


保育ケースで赤ちゃんはぐっすりと眠っていた。


ミルクをもらってすぐのようで、しばらくはゆっくり眠るだろう・・・ そう思いながら部屋へ帰った。


時間は昼過ぎで、ちょうど昼食が並べられた後だった。


あと少しでお義母さん達がくるから今のうちに食べてしまおう・・・と、急ぎめで、でも気持ちゆっくりと味わってご飯を食べた。


もう腸が痛むのは嫌だったから。



この日の昼食は和食で、お魚に煮物にお味噌汁だったのでなんだか足りない感じがしたが、三時のデザートを楽しみに待つことにして、お義母さん達の到着を待った。


赤ちゃんはぐっすりと眠っている。


日誌を見ると、夜中からウンチが出ていないことに気付いた。



次の授乳時に看護婦さんに相談しよう・・


そう思った時、ドアがノックされお義母さんと義妹ちゃんとお義父さんがやってきた。


心配をおかけしたことや、無事出産出来たことの感謝を伝え部屋へ招いた。


お義母さん達は部屋へ入るなり赤ちゃんに近づき「可愛いねえ、可愛いねえ」そう繰り返していた。



感染を防ぐため手を消毒してもらい、赤ちゃんを抱っこしてもらった。


小さな赤ちゃんを大事に大事に抱く姿は、なんとも微笑ましかった。



お義父さんは、「(小さくて)怖いから・・・」と少し離れたところで写真係に徹していた。


みんな出産を待ってくれていたんだな・・・ということがすごく伝わってきて


胸がギュッとなった。



お義母さん達は、私の体を気遣い「また来るね、体調に気をつけてね」と30分くらいで帰って行った。


再び時間が空いてしまったが、入れ違いくらいに主人がやってきた。


仕事終わりでそのまま来ていたので念入りに手を洗っていた。


大切な宝物に触れるように、そっとゆっくりと赤ちゃんを抱き上げて顔を見つめる。



まだはっきりとしない赤ちゃんの顔をみては「この目は俺似かな?」と真剣に見つめていた。


抱っこの角度や、向き、ありとあらゆることを「角度大丈夫?」「抱き方あってる?」と私に確認してくる。


「全部大丈夫だから」そう言うが「そう?」と赤ちゃんの角度をまだ気にしていた。


主人は一時間くらい抱っこしていた。


そのあと保育ケースに寝かせ、少し話して赤ちゃんとの別れを名残惜しそうに帰って行った。



今日はいっぱい抱っこされて疲れたかな?と赤ちゃんに話しかける。


ぐっすり眠った我が子はまだ起きる気配はない。



出産を終えて、色々と大変なことばかりではあるが優しい時間が流れて行く。


時々、幸せな自分がすごく怖くなって泣きたくなる。



夕食を終え、授乳もひと段落し夜がやってきた。


今日は寝てくれますように・・・・


そう言いながら赤ちゃんをベットに寝かせ明かりを小さくしてテレビを眺めていた。



授乳時に看護婦さんに相談しなきゃいけなかったことを忘れているのに気付き、日誌に排便について書きこんだ。


一日トータルで授乳は8~10回くらい。


途中、なれない授乳で乳首が切れて血が出たり、乳首がひりひりと痛んだりした。



それも合わせて明日は色々と相談しよう・・


そう考えていると、いつの間にか1時間くらい眠っていた。


赤ちゃんの泣き声で目を覚まし、授乳をしてミルクを与えた。


オムツ交換も少しづつ慣れてきて、昨日よりは上手になった気がしていた。



お腹は満腹なはずだが、やはり夜泣きが始まってしまった・・・


ものすごい勢いでワンワン泣くが、今日は昨日ほど焦って抱っこしたりはしなかった。


抱っこして、痛むお腹の傷をかばいながらゆっくりと立ち上がりゆらゆらと体を優しく揺らす。



これで泣きやむことではないのだが、しばらくそれを続けてみた。


それでも泣きやまない赤ちゃんを今度はベットに寝かしてみる。


添い寝して、なんとなく思いつきで子守歌を歌う。


思いついた歌は「マユミ―ヌさんの唄う、ほしのかずだけ」という歌。


歌いだして少しすると、驚くことにあんだけ泣きわめいていた赤ちゃんがぴたりと泣きやみ


スヤスヤと眠り始めた。


「すごーい、ほんとに寝るんだ・・・」と感心しながら歌を続けると、赤ちゃんは更に深い眠りへ入った。


「あー。今日は楽かも・・・」


そう思いつつ目覚めたのは4時間後だった。



奇跡的に4時間も寝れたことに素直に嬉しく思ったが、ここの病院は3時間ごとに授乳をしなければならない決まりであったため、日誌にはこっそりと授乳したことにして書き込みをした。


嘘はつきたくなかったが、ぐっすり眠ってる我が子を起こしたくなかたのだ。



その2時間後位に赤ちゃんは泣き始めたが、授乳をしてミルクをあげると再び眠ったので


私も一緒にぐっすりと朝を迎える事が出来た。



昨日の夜泣きとは全く違い、その日はとてもいい目覚めだった。


この日もナースコールで赤ちゃんの朝検診の為7時頃呼び出されたが、廊下にはやはり目の下にクマを作ったママ達がのそのそとナースステーションへ向かっていた。



赤ちゃんを預けて部屋へ戻り、朝食をとる。


今日は調乳指導や、沐浴指導などがありゆっくりはしていられなかった。


それに午後からは親友達がお見舞いに来る予定もあったので少し忙しい一日だった。



調乳指導は1時間くらいで終わった。


ミルクの作り方にミルクの応用方法、色々と教わり勉強になった。


それは午前中に済んでいたので、すぐに昼食をとり授乳をしてミルクをあげて沐浴指導になった。


沐浴指導は、私ともう二人ママさんが来ていてモデルは私の赤ちゃんだった。


赤い顔をして看護婦さんに体を洗ってもらう。


看護婦さんはやり方を説明しながら簡単そうに赤ちゃんを洗っていた。



途中私に交代をしたが、いくら小さな赤ちゃんとは言え片手で赤ちゃんを抱えもう片手で体を洗うのは本当に難しかったし、手が震えるほどしんどかった。


疲れきって沐浴指導を終えると、水分補給の為再び授乳をした。


この時初めて少し母乳が出た。


ほんとにほんの少しの母乳ではあったが、涙が出るほど嬉しい事だった。


これからも沢山授乳をして沢山母乳をあげよう、そう思うと更に赤ちゃんが愛おしく思えた。



部屋へ戻ると時刻はもうすぐ2時。


そろそろ親友達がくる頃だった。


久しぶりに親友達に会えるので、私もすごく楽しみだった。



スヤスヤと眠る赤ちゃんを見ていると、ドアのノックとともに「来たよ~」と親友達の声がした。


久しぶりに会う親友たちは私の顔を見るなり「おめでとう!!! 頑張ったねー!!!」と言ってくれた。


そして手を洗い、赤ちゃんをゆっくりと順番に抱っこしていた。


新生児に会うこともなかなかないし、みんな小さな手や足に感動していた。



親友は3人来て、そのうちの一人は去年出産を終えたばかりでその時産まれた可愛い男の子とご主人も来ていた。


一年もたてば、その男の子も大きく逞しくなっていた。


小さな赤ちゃんを不思議そうに見つめてはお母さんに甘えていた。



みんなはコンビニで買ったスィ-ツを沢山差し入れしてくれて、1時間くらいで帰って行った。


県外からわざわざ来てくれている親友も居たので本当に有難く思った。



親友達が帰った後すぐにデザートの手作りイチゴケーキが運ばれてきた。


手作りともあってこのケーキも本当に美味しかったが、食べ終わる頃にはなんだか眠くなっていた。



「今日は色々と指導もあって忙しかったな・・・」


そんなことを考えつつ、夕方も近いし入浴に行くことにして赤ちゃんをナースステーションへ預けた。



入浴を済まし赤ちゃんと部屋へ戻ると主人からメールが来ていた。


この日は指導や親友達の面会で忙しかったので気を使って赤ちゃんに会いに来るのを我慢していた。


なのでメールには「赤ちゃんの写メ沢山頂戴!♬」と書いてあった。



ご希望どうり沢山写メを撮って主人に送信すると


「やっぱり可愛いのお♬」とすぐに返信が来た。



赤ちゃんも泣きだしオムツの交換もあったので、そのまま主人への返信はせずに授乳をミルクをあげた。


その日はそれから数回授乳とおむつ交換をして、ベットへ入った。



入るとすぐに夜泣きが始まるが、子守唄をすれば大丈夫!そう思い昨日のように歌ってみるも


今日は昨日のようにはうまくいかなかった。



泣きわめき、何をしても夜泣きは治まらなかった。


夜泣きはノンストップで吸う時間続いた。


廊下からは同じような夜泣きの声が沢山していた。


みんな頑張ってるなあ・・・ そう思うも、私の赤ちゃんもものすごいで泣きわめいていた。



何回か授乳とミルクで静かにはなるが、初日よりもひどい夜泣きであった。


深夜3時頃・・・


ついに自分の感情がコントロールできなくなり、オムツ交換をしようとオムツを手に取った瞬間オムツケースごと倒してしまう、すると急にボロボロと涙がでてしまった。


本当は声を出してワンワン泣いてしまいたかったが、声を殺して思い切り泣いた。


赤ちゃんはそんなことはお構いなしで泣き続ける。



閉まりきった個室の暗い部屋で数時間も泣きわめき続けられるせいで、感情が爆発してしまったのだ。


赤ちゃんを保育ケースへ寝かせ、枕を自分の顔に押し当て思い切り涙が枯れるまで泣いた。


赤ちゃんはいつの間にか眠ってしまったが私はそのまま一睡もせず泣きながら朝を迎えた。



ナースステーションへ朝検診の為赤ちゃんを連れていき、部屋に戻りゆっくりと、無のままの心で朝食を終える。


こんなことで泣いてちゃいけない・・ そう思うも何かが限界を迎えていたのだ。


その日の往診ではお腹の傷のホッチキスのような留め金具を半分取る治療が待っていた。


痛いのを覚悟で先生を待っていた。



朝食も終え、ベットで先生を待ちながら自分の情けなさをずっと悔やんでいた。


あんなことで泣く自分が情けなかったが、あの時は何かが自分の中で大きな音をあげて崩れてしまった。



赤ちゃんだって、まだ産まれたばかり・・


うまく眠れなくて泣いてしまうのは仕方のないこと。



もう、同じことで泣くのは絶対にしないと心に決めた。



そんなことを考えていると先生はやってきた。


「調子はどう?」と私の顔を覗く。


「変わりありません」と答えると、だいぶ寝不足だねーと目のしたのクマを見て言われた。



留め金具を取る作業は、注射より少しいくないくらいの痛さだった。


場所によってはズキっと痛んだが、なんとは半分取り終えた。


残りはまた明日外すらしい、一気に全部ととってもいいのにな・・・そう思った。



その日も一日授乳とミルクとおむつ交換で夜を迎えた。


正直なところ、昨日のようにまた泣いてしまうんじゃないかと怖かったが、その日はベットですでにスヤスヤと赤ちゃんは寝息を立てていた。


昨日の事だが、夜中に泣きわめく子供と二人きりで朝を迎える、それだけのことで、それは誰でもが経験する当たり前のことではあったのだが、なんだか暗い部屋でただ一人取り残されたんじゃないかという錯覚に陥るような感覚だった。


「明日も元気に頑張れますように・・・」心の中でそう呟き、赤ちゃんが寝ている間に私も寝る事にして電気を消した。


一時間半後・・・


再び火がついたように夜泣きが始まったが、焦ることなく、どんと構えて授乳とおむつ交換を繰り返し朝を迎えた。


もう泣くことはない、考え方を変えてもっと穏やかに、暖かい母親らしく・・・



次の日も寝不足ではあったが、気分は落ち着いていた。


いつものようにナースステーションへ赤ちゃんを預け往診を済ませ、そして食事も済ませる。



一日はまた、変わりなく終わりを迎え、そしてなんと明日は退院と言うとこまで来ていた。


入院最終日は、色々と考えていた。



思えば長い出産であった・・・


なかなか生まれない陣痛続きの出産で、緊急帝王切開となったが


無事、可愛い宝物に会うことができた。


そして、沢山の人から愛や温もり、そして涙、言葉では言い表すことのできない「宝物」を貰った。



みんなに感謝した。



こんなに出産が大変なものだとは想像もつかなかったけど、素晴らしい経験だった。


命を産む、命をかける、ボロボロになった私の体はいつも娘の笑顔で元気に回復している。



横で眠る娘の頭を優しく撫で、電気を消した。


娘の寝息のかかる距離で幸せをかみしめて朝を迎えた。



この日の往診は、いつもより多くの看護婦さんが先生とともに入ってきた。


沢山の書類と紙袋、そして産声を入れた絵本を持ってきた。



「今日で退院ですね、お疲れ様、これからが大変ですよ~」とみんなが私を囲んで言ってくれた。


絵本を開き、産声を聞かせてくれた瞬間、私は泣きそうになった・・


みんな優しい笑顔で退院を祝ってくれて、背中をさすってくれる。



いつもの往診を済ませ、看護婦さん達は手を振って戻って行った。


しばらく産声を聞きながら朝食を待った。


テレビを消して、産声を聞きながら出産時を思い出し、1人静かに涙した。


涙はとても暖かく、顔全体まで熱くなった。



午前中の退院だったため、ここでの食事もこれが最後・・


ゆっくりと味わって食べた。


母の持ってきてくれた着替えに着替え、久しぶりに少しお化粧もした。


そして、妹の退院祝いの可愛い靴に足を入れてみた。



実家の洗剤の香りがなんだか懐かしく、新しい靴で部屋を歩く。


早く迎えに来ないかな、窓の外を見ながら主人を待った。



今日からは実家でしばらく過ごす。


帝王切開の傷もまだまだ痛み、出血も続いているので少し甘えちゃおう・・・



そんなことを考えつつ、窓の外を眺めていた。


赤ちゃんは退院前の入浴や検査で忙しそうだった。



妹と母から、「待ってるよ~」と赤ちゃんの到着を心待ちにするメールが入る。


これからが本当に大変だ、育児は育自、赤ちゃんに、ママを育ててもらいながら


素敵なお母さんになります。



2011、2/3、17:59


3400グラムの元気な女の子が誕生。


名前は「心暖」こはる。



心暖かな素敵な女性になってね、そして貴方の周りに居る全ての人の心も暖かく出来る優しい女性になってね。


貴方は私たちの宝です。


一生をかけて貴方を守ります。



どんなに泣こうと、どんなに怒ろうと、私は貴方のそばから絶対に離れません。


そして貴方がにっこり笑う時、思いっきり笑う時、いつもそばに居たいです。



貴方を愛しています。


ママ、パパより。




































































































最後までお読みくださりありがとうございました。

初めて書き終えた作品で、読みにくい部分だらけだったと思います。

また少しづつ作品を増やしていきたいと思っています。

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[良い点] 出産という女性だけに赦された荘厳なドラマを読ませていただき、まだ若かった妻の胸中に思いを馳せることができました。 この地球は女性の星なんです。男は付け足しなんです。 ちなみに、当家はカカア…
[良い点] ざやゎ [気になる点] ギャーとかうわー痛いとか悲鳴がないから悲鳴が欲しい [一言] もっと面白くした方がいい
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