アツイナツ
「……死、ヌ……」
呻くように、今の僕の気分を表してみる。
これは別に、今の僕が槍で貫かれて胸から血ダクダク流して瀕死の状態であるとか、もしくはゾンビに首を噛まれたせいで、まさに今僕の身体がゾンビ化しているとか、そういう超常現象的な出来事が起こっている訳ではない。
窓から差し込む真夏の日差しをモロに身体に浴びて、天日干しされる干物の思いを味わいながら、扇子をパタパタとさせているのが僕、日向夏稔。
県内の高校に通う、青春真っ盛りでピッチピチの高校二年生だ。
「おい……手が、止まっておるぞ」
そして僕の隣で、僕の扇子に扇がれながらぐったりしている、白いワンピース姿のだらしない女の子、名前はイズという。
腰まで伸ばした、艶やかでサラッサラの黒髪、日焼けを知らない色白の肌、クリッとした大きな瞳、まぁ今は気だるそうに半眼で僕を見ているけど。
何しろ見た目が凄く幼くて、小学生か幼稚園児くらいなんだけど、知識も豊富で、口調がやけに古めかしい女の子。
どうでも良いことだけど、彼女は自分が神さまだと名乗っている。
自称神ってやつだ。
「イズ、暑いよ」
「妾だって暑いのじゃ」
口を尖らせながら、イズが言う。
現在は八月上旬。
夏真っ盛りだから、暑いのは仕方ないとは思うけど、ここ数日僕の住む県は、というか僕の住む戸坂市は、異常な程に気温が高い。この前なんか、確か最高気温が三八度を記録して、人間の平均体温超えるとかどういうことなのって思った覚えがある。
「神さまなら、この土地を涼しくしてよ」
「温湿度管理は、妾の管轄外じゃ」
「管轄外って……」
神さまの世界も、どの部署が何の仕事を担当するとか、厳格に決まっているのかもしれない。
つまり、イズの管轄外の仕事だと、何も出来ないということかな。
それじゃあ仕方ないよね。
そこで、僕はひとつ提案をしてみることにした。
「じゃあさ、土地を涼しく出来る神さま呼んでよ」
「だるい」
この神さまは何も出来ないということが分かった。
使えない神さまだなぁ。
イズが僕の部屋に住み着いてから、もう二ヶ月近くが経とうとしている。
何のために来たのか、いつまで居座るつもりなのか、問いただそうとしてものらりくらりとした態度で誤魔化すんだ。
イズが初めて僕の部屋を訪ねてきた時、ドアを開ければそこにはワンピース姿の可愛い少女が居て、
「妾をお前の部屋に住まわせろ。さもなくば世界が滅びるぞ」と言い出した。
あの時はさすがに身の危険を感じたので無視を決め込もうと、間に合ってますと告げ、ドアに鍵掛けて追い出したけど、しばらく経ってからドアの前でピーピー泣き喚き始めたせいで、可哀想になって入れてあげたんだ。
あとであれが嘘泣きだと知って、少しだけ後悔した。
そもそもイズは、何の神さまなのかすら教えてくれないし、そういえばここに来てから、神さまらしいこと何一つしてない気がする。
それでも僕がイズを神さまだと信じているのは、
「ほれ、せっせと扇ぐが良い。さもなくば世界が滅びるぞ」
この尊大な態度だ。
偉そうに、膨らみかけながらもささやかに自己主張する胸を、精一杯張ったイズは、早く扇げと言わんばかりに、顎で指図してくる。見ず知らずの人の部屋に居候している身だというのに、こんな尊大で傍若無人な人間が居てたまるかと、僕は思う。
「そうだ! 扇ぐの代わり番こにしよう」
僕がそう提案すると、
「よし、断る」
呆気なく拒否されてしまった。
本当、だらしない神さまだなぁ。
溜息をひとつ吐いて、それでも僕はイズに向けて扇子をパタパタさせ始める。
なんか涼しくなる方法ないかなぁ。
さっきから窓は開けてあるんだけど、風が入ってくる気配は全くない。
何故か知らないけどここ最近、扇風機も動いてくれないし、やはり涼しくなるためには自分で自分を扇ぐしかない。
でも自分で扇ごうとすると、イズが不機嫌になるから、それは出来ない。
そもそもこの扇子もイズが用意してくれたもので、もともと僕の部屋には扇子が無かったんだ。
僕の部屋にはセンスが無い……。
「っふ」
思わず笑ってしまった。
これは、是非イズに聞かせなければいけない。
そう思ってイズを見ると、僕に扇がれて心地良いのか惚けた顔で口を開けながら微睡んでいる。
「ねぇねぇ、聞いてよ」
僕が声を掛けてイズを揺らすと、彼女は明らかに不機嫌な顔で、面倒くさそうにコチラに目を向けた。
半眼で僕を睨みつけているイズ、何でそんなに不機嫌なのか考えてみたら、僕の扇子を扇ぐ手が止まっているからなのかなと思いついた。
そこで僕は彼女のご機嫌を取るため、扇ぐ手を強めて精一杯の風を送る。僕の繰り出す強風になびかれて、イズの長い髪が乱れに乱れ始める。
「……ちょ、強っ……」
イズは、その風に耐える様に顔を背けていた。
「聞いっ、てよっ、イズっ!」
「聞いてやるから、落ち着け。まず扇ぐのをやめろ」
「わかった」
素直に言うことを聞いて、扇ぐ手を止めると、イズは髪の毛を手櫛で整え始めた。そうして、迷惑そうな顔で、こちらを見つめ返してきた。
あれ、もしかして調子乗って扇ぎすぎたかな。
「で、何じゃ?」
「ふっふっふー……イズ。僕の部屋にはセンスが無い!」
僕は夏の暑さに負けることなく元気一杯にそう宣言した。
今の僕の顔は、自信満々の表情に違いない。
イズの反応を窺うと、キョトンとした顔で、こちらを不思議そうに眺めている。そして、
「…………あ、あぁ。そうじゃな」
納得された。
部屋の中に静寂が訪れた。
暑い部屋の中で見つめ合う二人。
時間が止まった様な錯覚を抱いた。
しばらくして、イズが口を開いた。
「それで?」
そうやって、疑問調で、僕に尋ねてきた。
「それで、とは?」
僕も、イズへと疑問調で尋ね返した。
「この部屋には扇子が無い、だから妾が貸してやったではないか。それで? お主は、その扇子に関して、何か不服があるのというのか? 文句を言うなら返すが良い。それ、特注だから案外高いんじゃぞ。もう少し扇いでもらったら、今度は妾がお主を扇いでやろうと思っておったのだが、もう良い。返せ、妾が、自分で、扇ぐっ」
冷ややかな目をしたイズは、その様な事を早口でまくし立ててから、僕の持つ扇子を取り上げようとしてくる。
おやおや?
おかしいぞ?
何が起こった?
何故彼女は怒った?
駄洒落に気付いてない?
僕は、彼女の手から逃れる様に、手を高い所に上げて扇子を取り上げられるのを阻止する。
「あの、イズ。今のは、扇ぐ方の扇子と、感覚を感じる方のセンスを掛けていて……駄洒落だったんだけどね」
自分の言い放った渾身の駄洒落の説明をしなければいけない瞬間というのは、いつだって切ないものだよ。すると扇子を引ったくろうとしていた可愛らしい小さな手は動きを止め、次いで気まずい沈黙が訪れた。
しばらくの間、無言の二人。
先に口を開いたのはイズだった。
「あー…………駄洒落で身も心も寒くなろうと、そういう魂胆だったのか」
「ま、まぁそんなところ、かな」
いや、そんなつもりはさらさらなかった。
もの凄く面白い駄洒落を思いついたから、誰かに言いたかっただけなんだけど。
「だが確かに、親切で貸してやった扇子に文句言われたのかと、妾の心は凍てつく思いだったぞ」
「……なんかごめん」
「ふん……こっちこそスマンかったのう」
最初からそれほど高くなかった二人のテンションも、今の出来事のせいで更に下降気味になる。
僕は、気まずい思いをさせたお詫び代わりに、またイズに向けて扇子をパタパタと扇ぎ始めた。
今度は、優しく扇いであげよう。
「ふみゅう」
気持ち良さそうに、それに応じるイズは、目を閉じて優しい風を楽しんでいる。
心地良さそうなイズの表情を眺めていられるなら、こうして扇ぎ続けるのも悪くはないと思う。
確かに暑さは感じるけど、最近は手の疲れもそれほど感じないからなぁ。
扇子を扇ぐレベルが上がったのかもしれない。
「やはり、お主の扇子捌きは見事じゃのう」
「それは、褒められてるのかな」
「勿論じゃ、誇って良い」
「どうも」
それにしても、さっきの不機嫌なイズはちょっとだけ怖くてゾクゾクっとした。
あ、ゾクゾクッというのは僕がドMでイズになじられて快感を感じたという意味ではなく、体感的に気温が二、三度低くなって背筋が凍りついたという意味合いだから、誤解しないでほしい。
「怪談だ。怪談話すれば良いんだ」
僕がそう提案してみると、イズも興味深そうに起き上がり、こちらへと顔を向けた。
「ほう……怪談とな」
そう、夏と言えば怪談話だ。
怖い話を聞いて、背筋がゾクゾクっとすれば、どれだけ暑い夏だろうと涼しい気分になれるに違いない。
「そうだなー。それじゃあ僕が知っている怪談をいくつか話すよ」
こうして僕は、手持ちの怪談話をお披露目することと相成った訳だ。
だけど、この作戦を決行してから三十分くらい経ったところで、僕は後悔することになる。
……。
…………。
………………。
「………………それはァ、お前だようッ!!!」
僕が怪談のオチの部分で大声を上げてイズを指差すと、
「ふーん?」
首を傾げるイズ。
「どう、どう? 怖かった?」
「ふぅむ? 今の話のどの辺りに怖い要素が内包されていたのか、教えてもらえると助かるのだが……」
「……あ、えぇと……今の話はね、殺したはずの人間が何故か目の前に居て……」
こうして、ひとつの怪談が終わる毎に、何が怖い部分かを教えてあげないとイズが理解してくれない。
そのせいで、僕は何遍も怪談のオチの説明を余儀なくされた。
このやり取りをかれこれ五、六回ほど繰り返している。
「のう……全く涼しくないのだが……」
「だねぇ」
むしろイズに理解してもらおうと、ムキになって説明するせいで尚更暑くなってきた気分だ。
「……ちょっと休憩しようか」
「んむ」
僕が背中から倒れ込むと、イズは僕から扇子を取り上げた。
やっと自分で扇ぐ気になったのかなと思っていると、何と、僕の方に向けて扇子をパタパタさせ始めたではないか。
「おおお。ありがとうー」
僕がお礼の言葉を述べると、
「ふん、たまには妾も扇いでみたかっただけじゃ」
イズは、恥ずかしそうにそっぽを向いてしまった。
それでも扇子を扇ぐ手は止めない辺り、健気だなぁ。
そうして、しばらくパタパタと扇子を上下させていた手が、不意に止まる。
「のう……」
普段の尊大な態度とは違って、珍しく控えめでオドオドしている声色で、イズが僕に声を掛けてきた。
「んー、何?」
そんなイズへと視線を向けると、
「いや……なんでも……」
そう言ってプイっと顔を背けて、僕から目線を外した。
「えー?」
彼女は何かを言い淀んでいるかのように、口元をムニャムニャさせて恥ずかしがっている。
これは、何を言おうとしているのか、凄く気になるところだ。
「何、今何か言おうとしたよね?」
イズの顔をのぞき込む様に、しつこく食い下がってみると、イズは観念したのか可愛らしく小さな唇を動かした。
「むぅ……いや、せっかくだから、その……妾もひとつ怪談話をしてやろうと思うて、な」
おお。
僕の怪談話を物凄くつまらなそうに聞いていたイズは、実のところ、自分で怪談を話す気満々だったらしい。
「わぁ! 神さまの怪談なんて聞いたことないよ、凄く楽しみだ!」
僕がイズに向けてそう言うと、彼女は途端にキラッキラと目を輝かせて、口元を嬉しそうにニンマリさせた。
「お……? おぉ? そ、そうか? よしよし。それでは話してやろう!」
なんて良い笑顔だ。
こんな笑顔、イズがこの部屋に居座り始めてから今まで見た覚えがないよ。
よほど話したかったに違いない。
「コホン。これは、妾の知り合いの話なんじゃが……」
イズが語り出した怪談話の内容はこうだった。
その鏡に姿を映された者は、死んでしまうという噂の呪われた鏡。
それを手に入れたある人間が、好奇心に耐えきれずに鏡を覗き込むと、そこにはおぞましい幽霊の姿が映り込んでいた。その人は、あまりに驚いてしまったせいでそのまま死んでしまったというお話だ。
「……どうじゃ、怖かったろう?」
何となく間が抜けた話だったとは思うけど、イズの語り口調がやけに技巧的で芝居がかっているせいで、僕も思わず身震いしてしまった。
「うぅ。イズは話し方が巧いなぁ、凄く怖かったよ」
「ふっふっふぅ……そうじゃろ、そうじゃろ」
イズも腕を組みながら満足そうに何度も何度も頷いている。
あまりに怖い話だったせいで、僕は尿意を催してしまった。
「ちょっと……お手洗いに行ってくる」
「行っトイレ、なんてな」
背筋に氷水を流し込まれたような寒い駄洒落を浴びせかけられた僕は、
「あ、ははは……」
乾いた笑いで肩を揺らして、それに軽く反応してみせる。
それにしても、こんな事言うなんて、イズはかなり機嫌が良くなったみたい。
イズの機嫌が良いのは何よりだ。
「ところでお主は、この世に幽霊みたいな存在が居ると信じているか?」
不意にイズが、そんな事を問い掛けてきた。
立ち止まり、振り返って、僕は答える。
「いや? 信じないよ。だって見たことないもの」
「ふーん……霊感は無かったのか?」
「全く無いね」
「ふむ。そうか」
「うん。そうだよ」
「ならばそこの鏡が、妾が今話した呪われた鏡だと言ったら、どうする?」
「そこの、鏡?」
イズの言うそこの鏡とは、手洗いの所に設置された鏡のことだろう。
いやそんな馬鹿な、この鏡は僕がこの部屋に住み始めた時からずっと使っている鏡だし。
僕は、その鏡を躊躇うことなく覗き込んだ。
鏡には、部屋の内装と、背後に居る白いワンピース姿の少女の姿しか映っていない。
「どうじゃ? 何も、映ってないか?」
「あはは……大丈夫だよ。何も映り込んで無いよ?」
良かった、やっぱり嘘だったんだ。
「本当に何も……?」
「うん。なーんにも」
大変暑い夏なので、皆様も熱中症などにはご注意を。