FIRE
「悠希!」
私服に着替えた悠希が飛び出すのを、しかし綾香は止められなかった。
「……」
綾香は廊下の角に悠希の背中が消えるのを見届けるしかない。
その姿が消えて、彼女は通路の壁にそっとよりかかった。
綾香にも、少しは理解出来る。
裕真の強さを目の当たりにして、綾香自身今も半ば呆然としているのだ。
これまで最強と呼ばれ続け、人一倍強さに固執する悠希であるから、そのショックは綾香の比ではあるまい。
「……悠希」
悠希は、綾香にとってまるで妹のような存在だった。
能力的には遥かに悠希の方が高くとも、綾香はその精神的な脆さを察していた。それを、どうにかしたいと思っていたのだ。
だが、現実にはこれだ。
綾香の言葉では、悠希を止めることすら出来ない。
いつも姉気取りの癖に、なんて様だ。小さく、彼女は自分を叱咤する。
ふと、そこに裕真が通りがかった。
彼は壁によりかかる綾香を一瞥すると、そのまま彼女の前を通り過ぎる。
「声の一つくらいかけてくれてもいいんじゃないのか?」
綾香の言葉に、その足が止まる。
「声をかけてほしいのか?」
「別に。私は、正直言えば、お前みたいなやつが嫌いだ」
裕真が片方の眉をあげた。
「なら無視すればいいだろ」
「いいから、少し話に付き合え」
「……まあ、いいけど」
軽い溜息を零して、裕真は綾香とは反対の壁によりかかる。
そして手に持っていたボトルから伸びるストローに口を付けた。
「……一応、分かってるんだ」
たっぷり間を置いてから、綾香が重い口を開く。
「なにを?」
「お前の言うことは間違ってない。復讐で戦えば、きっと痛い目を見るのは悠希自身なんだろうさ」
家族の仇討ち。
そう言えば聞こえはいいが、結局のところそれは、ただ憎しみで戦っているだけ。ただ自分を害したものを害したいという、暴力的なものでしかない。
そんな感情で戦えばいつか過ちを犯す。
綾香も多くの戦いを乗り越えて来た。だからこそ、それを知っていた。
「けれど、あいつには力がある。アニルなんかじゃ敵わない力が。だから別に今指摘する必要はないって……私は、あいつの傷に触れるのを避けていた」
裕真は黙って綾香の言葉を聞いていた。
「でも、お前の、悠希よりもずっと強い力を目の当たりにして……悠希の力が絶対のものなんかじゃないと気付いた……。やっぱり、私は悠希に言うべきだったのか? 復讐で戦うな、って」
「あのさ、あんた何か勘違いしてないか?」
どこか呆れたように、裕真は綾香に視線を向けた。
「え?」
「俺は別に復讐で戦うなとは言ってない。ただ、それだけで戦うなと言ったんだ」
「復讐だけで、戦うな?」
「そうだ。復讐って言うのは、火だ。敵を焼き払うには、その火がなくちゃどうにもならない」
裕真は、戦う人間の誰もが復讐心を抱いていると思っている。必要不可欠だとも。
それは、些細な復讐でも構わない。
アニルがいなければ火星にいけるのに、と。そんな願望だって、突き詰めてしてしまえば復讐になる。
「ただし、それと同じくらいに必要なのが、火をきちんと扱う為の意思、復讐に後先を見失うことのないように自分を制御する冷静さだ。それが足りないと、火は敵以外も焦がすことになる。……例えば、自分、とかな」
「随分、分かったように言うんだな。経験論か?」
「さあ、どうかな」
裕真が微かに苦笑した。
「でも、悠希の火は大きい。そして、彼女はまだ子供だ。復讐を抑えるだけの意思なんて……」
「それはあんたが心配することじゃなく、あいつ自身がどうにかすることだろう。第一、戦場に出た以上は大人も子供も関係ない……。あんたが心配するのはそんなことじゃなく、あいつにどうやったらそれを気付かせてやれるかってことじゃないのか?」
そう言うと、裕真は壁から背中を離して、歩きだしてしまう。
綾香が、その背中に質問を投げかける。
「……お前の火は、なんなんだ?」
歩みを止めることなく、振り返りすらせずに裕真は答えを口にした。
「あんな奴らがいなければ、もっと平和な世界だったんだろうな……って。そんな、誰もが思ってる当たり前のことさ」
裕真の姿が見えなくなる。
しばらくして、天井を見上げながら、綾香は口を開いた。
「だけど、当たり前のことだからこそ、忘れがちになるんじゃないか。凄いな……当たり前のことを当たり前に思えるなんて、きっと何よりも難しいのに」
†
「やっぱりオマエは人がいいよな。まったく、見かける人間全員の背中を押してたら、そのうちオマエの腕は折れるぞ?」
アルトオブリガードの艦内。マリーナは呼びだした裕真に、突然そう告げた。
「いきなりなんですか。別に、俺は誰の背中も押してませんよ。ただ、足手まといになられちゃ困るから助言の一つくらいしてやってるだけです」
「それが背中を押してるっていうんだよ。まったく、オマエという奴はいちいちアタシの言うことを否定するんじゃない」
紫煙を吐き出して、マリーナは手元のモニターを操作した。
裕真の前に新しいモニターが現れ、そこに様々な報告が表示される。
「とりあえず、これまでの成果だな。これは、世界各国から送られてきたご機嫌取りの数々だ。ふん、滑り出しは順調といったところか。どいつもこいつもこっちの技術を欲しがってきてる。この調子ならエデンの未来は明るいな」
「政治には興味ありませんよ。俺としてはエデンの物資問題が解決されれば満足です」
「アタシだってそうだ。これはエデンに送って、あちらの政治屋共に処理させるとしよう」
次いで、モニターに例の要求物資のリストが映る。
「今のところ、アタシらの要求は半分程度が受け入れられている。そこで、こちらから譲歩として、五機の〝ガーディアン″を天都側に一時貸与することにした。もちろん、整備はこっちで受け持つから、分解されて調べられることもない。これで実際に戦果を挙げて見せれば、もう少し要求を呑ませやすくなるだろう。ちなみに、貸与先の部隊はこっちから指定した。下手な部隊に配備されて満足に活用されないのは論外だからな」
聞いて、すぐに裕真はマリーナの意図を察した。
「ヴァーミリオン部隊ですか」
あの部隊は、丁度五人からなる少数精鋭部隊だ。
その能力も演習で十分に把握出来ている。
ヴァーミリオン部隊ならば、新型ソアレイ――ガーディアンを与えるのに不足はないだろう。
「本当は月坂にくれてやりたいんだがね。生憎と、ガーディアンはスキル使用を考慮した造りになっていない。改良する時間もないし、諦めるしかあるまい」
モニターが消える。
「あいつに余計に性質が悪くなられるのは勘弁してもらいたんで、ありがたい話ですね」
「それに、あと少し機体の性能が違えば、オマエでも彼女に勝てるかどうか分からないしな」
裕真が、心外だと言わんばかりの顔をする。
「別にそういうわけじゃありませんよ。ただ、変に助長されても困るだけです」
「強がりめ」
「そういうことじゃありませんって」
だが、なんだかんだと言いながらも、やはり裕真は内心で冷や汗を流していた。
マリーナの言う通りだった。
もしスペーサーの性能がガーディアンほどもあれば、きっとディズィに乗った裕真であっても簡単に勝てはしないだろう。
助長されても困る、というのも嘘ではない。
ディズィと互角、あるいはそれ以上に戦えたなら、きっと悠希は悩むのを止めるだろう。自分の強さに満足し、それを振るうばかりになるに違いない。
それでは困るのだ。
裕真としては、折角の機会だから、悠希には今回の敗北から、自分の戦いを考え直してもらいたかった。
「……まったく、本当に面倒見のよすぎる奴だよ、オマエは」
全てを見透かしたような口ぶりで、マリーナは煙草を灰皿に押し付ける。
「だから――」
「はいはい、足を引っ張られるのが嫌だから、だろ? 分かってるって」
「ならなんでそんなニヤニヤしてるんですか」
「おっと、こりゃ失礼」
指摘されて、マリーナが表情を戻す。
「ま、そういうわけで、オマエはこの先、あんまり前に出ないで最低限、天都を守る行動だけしてくれればいい。でないと、オマエがガーディアンの見せ場を奪いかねん」
「そんなヘマしないですけど……まあ、分かりました。俺としても楽が出来る分には大歓迎ですしね。最近は学校なんてところに、どっかの誰かのせいで行かなくちゃいけなくなって余計に疲れてるんです」
「……皮肉屋だよな、オマエ」
げんなりとした表情をマリーナが浮かべる。
「そういえば、学園と言えば、オマエはもうクラスに馴染んだか?」
「あー、まあ、そこそこですかね。雰囲気としてはエデンの教導とあんまり変わりませんよ」
「学業教育と軍事教育を並べるやつがいるか。確かに、同年代が集まるという点ではそうなのだろうが」
「そういうマリーナ先生はどうなんですか?」
わざわざ先生と付けて尋ねた裕真に、マリーナは苦い笑み。
「ま、分かっていたことだが、腫れもの扱いだよ。まったく悲しい。いっそアタシも学生として学校に行くべきだったか」
「歳を考えてください」
裕真が鼻で軽く笑う。流石のマリーナも、その態度にはいささか苛立ちを覚えたらしく、少しばかり目つきが鋭くなる。
「失礼な。古辺よりかはずっと若く見えるだろうが」
「古辺って……ああ、昔マリーナさんの専属テストパイロットだったっていう、あの人ですか。……単に、あの人が単に老けて見えるだけですから、それと比べたってどうしようもありませんよ」
裕真も天都に来た時に古辺の顔は見た。
一見すれば、マリーナと同い年にも関わらず、古辺の外見は五十代とすら見間違えてしまう。本来の年齢よりも二十以上も増して見えるのだから、余程だろう。
「なんなんだ、オマエ。少しは世辞の一つでも言ってみろ。まったく」
「そんな器用じゃありませんよ」
不機嫌そうなマリーナに、裕真は大げさに肩を竦める。
「……それもそうか」
あっさりと納得されて、自分で言っておきながら、裕真としては困った顔をするしかない。
「じゃあ、話はこれでお終いですか?」
「ん、ああ。そうだな……特別、話すことはこれ以上ない。なんなら昔の古辺の失敗談を聞かせてやってもいいが……」
「あまり興味がないので、死ぬほど暇になったら聞きますよ」
「……そうか。なら、もう用はないな。戻っていいぞ」
「お疲れさまでした」
軽く会釈して、裕真はマリーナの部屋を出る。
――ドアが閉まる直前。
「あまり入れ込むなよ。オマエも、巻き込まれて死ぬぞ」
廊下に出た裕真は、小さく笑った。
「……目の前に馬鹿がいたら、どうしても気になっちゃうんですよ」
これは、性分で、きっとこれから一生直ることはないだろう。
頬を掻いて、裕真は自室に向かって歩き出した。
学校で提出された課題を終わらせなくてはならなかった。