OLDFRIEND
天都に入港したアルトオブリガードから下りて来たのは、白衣を着たマリーナ一人だけだった。
「護衛の一人もなしとは、信用されている、と思っていいのか」
それを迎えるのは、数名の部下を連れた古辺。
「馬鹿を言うな」
口の端を吊り上げてマリーナが親指をアルトオブリガードの甲板に向ける。そこには、ディズィが静かに佇んでいた。
だがその機体からは、途轍もないプレッシャーが感じられる。
少しでも下手な真似をすれば、ディズィが暴れ出す。そう考えただけで、古辺の背筋にじっとりとした汗が流れる。
「どうだ、変な真似なんて出来ないだろう?」
「確かにその通りだ……あの機体は、お前が造ったのか?」
ディズィを見上げて、古辺が尋ねた。
「当然だろうが。私のハンドメイドだよ。オマエら軍の機体なんかとは比べ物にならない性能さ」
「そのようだな」
頷いて、古辺がディズィから視線を外す。
「話し合いの場を用意した。そちらに向かおう」
「嫌だね」
「……なんだと?」
マリーナが近くの機材に腰を下ろした、
「ここでいい。話なら、お前とアタシがいれば十分だ」
「そうはいかない。日本をはじめ、軍全体の問題でもあるのだ。それなりの人間を集めなければ……」
「後でオマエからお偉方に説明すればいいだろう。いつだって損な役割はお前の仕事なんだから」
「……変わらんな」
遠慮というものを知らない物言いに、古辺は溜息をついた。
「お前はいつもそうやって常識を無視する。今回もそうだ。いったいどういうつもりかは知らないが、これだけの問題を起こしたとなれば、軍もただでは黙っていないぞ」
「タダじゃなければいいんだろう?」
古辺は、すぐにマリーナが何かを企んでいることに感づいた。というよりは、マリーナ自身がわざと感づかせたのか。
そのマリーナの細い笑みは、彼女がなにかよくないことを考えている時の笑みだと、古辺はよく知っていた。
「さて、閑話は休題として、本題に入るとしよう」
マリーナが白衣のポケットから取り出したチップを古辺に放り渡す。
受け取って、古辺はそれを自分の携帯端末に差し込んだ。
映し出されたのは、大量の物資のリスト。
「それを全て用意しろ」
「断れば容赦しない、か……?」
「いいや、断らないさ」
マリーナが確信したように口の端を吊り上げる。
要求リストをスクロールさせていくと、ふと別のデータが移り込んだ。
「これは……」
「アタシがついこの間完成させた新型ソアレイと、加えて武装の設計図だ。根本の基本設計の段階から作り直したもので、既存のソアレイと比べて、性能はだいたい八割上ってとこだな」
データを見る限り、その機体の製作コストは馬鹿にならない。
「発明自慢か? なるほど、確かに随分な機体だが……コストが高いな」
「まあね。そこで、この話だ」
「なるほど……そういうことか」
古辺がチップを端末から取り出してマリーナに返そうとするが、彼女は片手でそれを制した。
「……いいのか?」
マリーナが鼻をならす。
「設計図だけじゃ、機体は作れても、それに追いつける動力は造れないよ。そっちの設計も分からない限りは、アタシの優位性はなんら揺るがない。ま、サービスって思ってくれればいいさ」
まるで、どんなに頑張っても自分以外ではその動力を開発することが出来ないと断言するような物言い。
それが自意識過剰ではなく、確かな事実であることを古辺はよく知っていた。軍の最初期にマリーナの専属テストパイロットとして混沌の戦場を生き抜いた彼だからこそ。
「つまり、物資と交換でこの機体を譲渡する、というわけか」
「察しが良くて助かる」
「何機だ?」
「そのリスト通りに譲ってくれれば百機、もしそれ以上に物資を用意してもらえるようなら、歩合で増やしていくよ」
「……あまりにこちらの支出が多くはないか?」
金銭価値にして、天都が支払う物資はマリーナ側から譲渡される機体の約三倍ほどにもなる。
取引にしては、あまりにも暴利だった。
単純な物品の比率で見れば、だが。
「そんなことはないだろう。確かにその場だけで見ればそうだが、譲渡した機体はどうしようとオマエ達の勝手。機体の解析研究次第では軍の力を十年分速く成長させることだって不可能じゃない。なら、安い買い物じゃないか」
もっとも、軍にそれだけの頭を持つ研究者がいればの話だがね。そうマリーナが付け加える。
古辺は答えに迷っていた。
彼一人で決定を下すには、いささか大きすぎる話だった。
「やはり、少し他の責任者とも話しておきたい」
「却下だな。ここで決めろ。会議とかってのは時間の無駄だよ。こういうのは、現場を知ってる政治屋が決めるのが一番正しいに決まってる」
「私は、政治屋ではないのだがな……あくまでも軍人だ」
「ああ、そうだったか。だけど、オマエの性分は絶対に政治家向きだとアタシは昔から言っているんだから、やっぱり政治屋だよ」
勝手な……。
呆れながらも、それ以上反論せずに、古辺は顎に手をあてた。
「ジジくさい癖だよな、その顎撫でるのって」
「うるさい」
初めて、古辺の表情に変化が生じた。
眉間に皺が寄っている。
どうやらジジくらいと言われたことがそれだけ堪えたらしい。
「外見が老けてるところを指摘されて不機嫌になるのも直ってないのか。成長のないやつだ」
「お前だけには言われたくなかったな、その台詞は。お前こそ、もう少し社会性を学んだらどうだ?」
「アタシは自分に出来ないことは努力しない主義なんでね」
おどけて手を振り、マリーナは膝を組み直した。
「で、答えを聞かせてくれないか?」
「……子供のころのお前は、随分と素直で可愛らしい女の子だったみたいじゃないか」
いきなり古辺が話題を変えた。
「――おい」
途端、彼女の表情が凍る。
一方で、古辺は鬼の首でもとったかのように口元を緩めていた。
「オマエ、それどういうことだ?」
「お前が蒸発した時は大変だったぞ。なにせ、当時の軍事はほぼお前の技術に支えられていたからな。軍は血眼になってお前を探した。もちろん、お前の部屋から様々な物品も押収されたわけだ。そこで見つかったビデオファイルの検証をしたのは私でな。ふ、部屋の始末をしなかったのは、失敗だったな?」
「テ、テメェ……まさか……み、見たのか!?」
マリーナの頬に朱が差す。
幼少の頃の自分というのは、どんな人間にとっても恥ずかしいもの。そして、自他共に認める天才であるマリーナにとっては、それが常人よりも強い傾向にあった。幼少の自分の純真さ――悪く言えば馬鹿さ加減――に、酷い拒否感があったのだ。
「いや、まさかお前が子供時代にあんなことをしていただなんて……ふっ」
「ぐ、っ……!」
砕けんばかりにマリーナが奥歯を噛み締める。
「あのデータはまだ保管庫の中にあるわけだが……もし時間が貰えるのであれば、そのデータや他に押収されたお前の所持品を持ち出してやってもいい」
「……この、腹黒が……っ!」
「誉め言葉として受け取っておこう」
マリーナの怒気を涼しい顔でいなし、古辺は機材に腰を下ろして挑発的に足を組んだ。奇しくもそれはマリーナと鏡映しの体勢だ。
「まあ、お前の意見に沿うように話が進められるよう私も努力するという約束はしておく。で、答えを聞かせてもらえるか?」
「――……クソッ、好きにしろ!」
「ふ……了解した」
心なしか、古辺の冷静な笑みにはマリーナをやりこめた歓喜がにじみ出ているようだった。
「どのくらい時間かけるつもりだ?」
「一週間あれば十分だろう」
「そんなにか……これだから無能な連中は嫌なんだ」
煙草を咥えて、それに火をつけたマリーナは座っている機材に思いきり踵を叩きつける。
「まあいい。一度決めたんだから一週間は待ってやるさ」
立ち上がり、アルトオブリガードに向かってマリーナは歩き出す。
どうやら話は終わり、ということらしい。
「待て」
その背中を古辺が引きとめた。
「一つだけ、これだけは教えてくれ」
「なんだ?」
「お前は、何者なんだ……マリー」
愛称を呼ばれて、マリーナは思わず目を丸め、しかしすぐに瞼を閉じて口元を歪ませた。
「今も昔も、変わらない。アタシはアタシで、天才で、研究者だよ。ただ、職場が軍より息をしやすい場所に変わっただけさ」