AIREARTH
気付けば、見覚えのない白い天井。
はっきりとしない意識の中、裕真は身体を起こそうとして、激しい頭痛に襲われた。
「っ、ぁ……!」
視界が霞むほどの痛みに顔面を抑え、指と指の隙間から周囲を見回す。
すぐに、そこが病院であるのは察しがついた。
「ここ、は……どうして俺は……」
しかし、自分が何故病院のベッドに寝ているのか、記憶が繋がらない。
「ん……気付いたか、裕真」
マリーナが病室に入って来た。
「マリーナさん……」
「なにがなんだか分からない、って顔だな」
椅子に腰をおろして、マリーナは煙草を一ダース、裕真に押し付ける。
「……なんですか、これ?」
「そんなの、お見舞いの品に決まっているだろう。……なんだその顔は」
「いえ……なんでもありません」
マリーナのお見舞いの品は煙草が標準なのだろうか。
呆れかえって、裕真はそれを指摘する気すらしなかった。
煙草を嗜む趣味はないので、彼は黙ってそれを脇のテーブルに置く。
「……オマエ、スペーサーが第四形態を全部始末したのと同時に気絶したんだよ」
マリーナがそう切り出した。
言われて、裕真はすぐにあの戦いの、終結の瞬間へと記憶を遡らせた。
第四形態の最後の一匹がビームカノンで吹き飛ぶ光景が脳裏にははっきりと焼きついている。
「気絶、ですか……?」
「ああ」
「どうして……」
「おおよその予測はつく」
マリーナは煙草を取り出そうとして、しかし流石に病院でそれはまずいと思ったのか。すぐに煙草をしまい直す。
代わりにシガレットチョコを取り出して咥え、マリーナは答えた。
「あくまで確証はないから、話半分に聞いておけ。あの時のスペーサーの状態は異常だった。ティアマト・エネルギー濃度も九十七なんてデタラメな数字を弾き出したし、スキルの重複発動なんてイレギュラーまで発生させた。それは多分、オマエと月坂の相性が抜群によかったからだとか、そういうことなんだろう」
「俺とあいつが?」
言われてもとてもじゃないが信じられないことだった。
裕真としては、悠希は手のかかる子供のようなものだ。ようやく少しは大人になったようだが、それでも認識に大きな違いはない。
「そう毛嫌いするな」
「別に嫌ってるわけじゃないですけどね」
むしろ、好感度で言えば裕真は悠希のことをそれなりに好ましく思っていた。
悠希の守りたいという意思は、とても高潔で大切なものだということはよく分かっていた。
それだけじゃなく、彼女の自分の感情に素直なところ――言い方は悪いが、愚直なところも嫌いではない。
「ま、それはともかく話を続けるぞ。二人の相性がいいってところまでは話したな?」
裕真が頷く。
「相性と言っても、スキルが同じ次元干渉系だからか、性格の問題か、遺伝子に特殊な因果関係でもあるのか、そこは不明だが……とにかくその相性が適合したお陰で、オマエと月坂は同時にスキルを発動させられたのではないか、とアタシは考えている」
「でも、だからってどうして俺が気絶しなくちゃいけないんですか。それに、酷い頭痛もしますし……」
「頭痛? 初耳だな……ふむ」
少しの間、マリーナが一人考え込む。
「マリーナさん?」
「……ああ。悪い、話の途中だったな」
マリーナが顔を上げた。
「しかしその頭痛というのも含めて、この仮定は成り立つな」
どうやら考えていたのは、裕真の頭痛がどんなものかについてらしい。
「どういうことなんですか?」
「あの時、スキル保有者は二人いた。だが、当然スペーサーを操縦していたのは月坂であり、あらゆる主体が月坂になるわけだが……ここでオマエ、スキルを発動する為に、まず月坂に自分を合わせたんじゃないか? 波長を合わせるとか、そんなイメージで」
「俺が月坂に……って、そんなこと」
「最後まで聞け。オマエと月坂は別の人間で、あらゆる面で別物だ。それを合わせるのだから、当然無茶が出る。その無茶を無理矢理に行ったツケが、気絶を始めとしたオマエの状態なんじゃないか? ま、今少しだけお前と話したことから推察するに、十中八九オマエはそれを無意識でやってたんだろうが」
どうしてか、なるほど、と納得する自分が自分の中にいることに裕真は気付く。
けれど、やはり実感はまるでわかなかった。
「けど、ありえるんですか。そんなことが」
「わからん。どれもこれも、今のところはアタシの推測……妄想だ」
「妄想って……そんなにべもないない言い方……」
「証拠のない論なんて妄想に他ならないだろうに」
シガレットチョコを唇で上下に振って、マリーナはふとドアの方を見た。
「来客のようだな」
ドアが開いた。
裕真がそちらを見ると、病室の入り口に制服姿の悠希が立っていた。
「……起きたんだ?」
「まあな……っていうか、俺ってどんくらい気絶してたんだ?」
ふと気になって尋ねると、マリーナが横から端末を差しだしてきた。そのモニターには日付が表示されている。
「……は?」
裕真は自分の目を疑った。
「えっと……おかしくないですか。三日、経ってますよ?」
日付は、裕真が最後に見た時の数字から三日経過したものに変わっていた。
「ああ、だろうな」
それはつまり……。
「俺……三日も気絶してたのか……」
そんなに長い間意識を失っていたとは考えておらず、裕真はひどく驚いた。
そして、とあることに気付く。
「あれ。でも、それじゃあ俺達はもうとっくにエデンに帰る筈じゃ……」
天都への滞在は一週間の筈。
あれから三日経ったというなら、とうにその期限は過ぎていた。
「アルトオブリガードがあの状態で無事にエデンまでいけると思うか?」
「……あ」
戦闘によるアルトオブリガードの損傷は酷いものだった。
兵装類は無茶な使用でほとんどが自壊してしまったし、動力系はスペーサーとの直結で大分無理をさせたために機能の多くが低下している。
「アルトオブリガードへの応急処置が終わるまで……あともう一週間は天都での生活だよ」
「そうですか……」
「早く帰ればいいのに」
ふと、悠希が呟く。
マリーナの口元が歪んだ。
「また心にもないことを。裕真が気絶した時は泣きそうな声で助けを呼んでいた癖に」
「なんのことかしらっ! へんな嘘言わないでくれる!?」
途端、顔を赤くして、悠希は勢いよくサイドテーブルにお見舞いの品らしきものを置いた。もちろんそれは煙草などではなく、クッキーか何かの入った缶のようだ。
中身、砕けてなければいいんだけどなあ。
裕真は呑気にそんなことを考える。
「安心しろ。そう言い逃れ出来ないようにあの時の音声データはきちんと録音して――」
「うっさいわね! なにそんな無駄なことしてんのよ! それより仕事しなさいよ、仕事を!」
「仕事と言われても……教員はもう辞めたし、エデン方面でも交渉は万事順調に終了したからなあ……なにをしろと?」
「知らないわよ!」
その言い争いの中で出た発言に、裕真が疑問を口にした。
「あれ、教員辞めたんですか?」
「ああ。お前ももう学園の生徒じゃなくなったからな」
「……そうですか」
別れの挨拶もクラスメイトには出来なかった。
そのことに少しだけ後味の悪さを感じる。
「ま、しばらくは滞在するわけだから、別れの挨拶くらいは出来るさ」
「あ……そういや、そうでしたね」
「お。なんか集まってるな」
そこに、新たな人物が病室に入って来た。
松葉杖をついた綾香だ。
「ちょ、綾香! なにしてんのよ!」
悠希が慌てて綾香に駆け寄る。
「なにって、お見舞い?」
「綾香も怪我人だから! 人の見舞いの前に安静にしてなさいよ!」
「そうはいかないだろう。悠希のパートナーの見舞いくらい姉貴分としては――」
「誰がパートナーよ」
「え……?」
大げさに驚いた様子で、綾香が悠希と裕真を交互に見やった。
「気絶した直衛抱いて泣きそうな声で悠希が助けを求めてたって聞いたから、私はついてっきり……」
「そこの馬鹿博士の入れ知恵か!」
「なんのことかな。私は天才だ」
二本目のシガレットチョコを咥え、マリーナは明後日の方向に視線を向けていた。
「いや、私は嬉しいよ。悠希もいろいろ成長してるんだな」
嬉しそうに綾香が悠希の頭を撫でる。
悠希はその手をすぐに振り払い、頬を引き攣らせる。
「絶対になにか勘違いしてるわよね?」
「よかったじゃないか、裕真。姉貴分とやら公認だぞ」
「なにがですか……」
裕真は溜息をついて、騒ぐ三人に向かって言った。
「ていうか、ここ病院なんだから少しは静かにしないと――」
看護婦が部屋に入ってきて静かにしなさいと怒声をあげたのは、裕真の言葉が終わる直前のことだった。
「注意が遅い」
「手遅れじゃない」
「とろい奴だな」
「なんで俺が責められるんだ?」
一層深い溜息を、裕真が零す。
「天都に来てから、ろくなことがない……」
まあ、来てよかったとは思うけれど。
その一言は、決して裕真の口から出ることはない。
――ねえ、直衛。
小さく、悠希が裕真に囁く。
――なんだ?
――ありがとう。
すると彼は惚けたように……。
――なんの礼だ、そりゃ。
そんな裕真に、悠希はそっと微笑んだ。