ENCOUNTER
黒い宇宙が広がっていた。
悠希は暗闇に浮かんで、ぼんやりとそれを眺めていた。
正確には、悠希が浮かんでいるわけではない。
彼女が搭乗している白銀のソアレイ〝スペーサー〟が宇宙空間に浮かんでいるのだ。
悠希はその機体の視界を、電気信号による感覚共有によって、受け取っているにすぎない。
彼女自身の視覚が認識しているコックピット内の光景に重ね合わせられるように、機体外部から取り込まれる上下左右三六〇度の光景が脳に叩き込まれる。
ソアレイに搭乗した経験が浅ければ、激しい頭痛と吐き気や混乱で、身動きすることすらままならない――どころか情報量の多さから気絶するほどのものだろうが、悠希はそれにもすっかり慣れて、今ではその不自然な視覚を、ひどく自然に受け止めることが出来ていた。
――ゆっくりと、深呼吸。
コックピットにいくつもの仮想モニターが浮かび上がる、
そこに流れてくる情報群を読み取って、それを頭の中で一瞬で整理する。
戦場の状況。
自分の役割。
作戦の流れ。
それらをしっかりと頭に叩き込む。
それから、感触を確かめるように機体の拳を握っては開いた。もちろん、コックピット内の悠希の身体はぴくりとも動いていない。
自分の手を動かすかのように、スペーサーは悠希の意のままに動く。
これもまた、ソアレイの搭乗に慣れていなければ機体の動きに身体の動きがつられてしまったりする。
スペーサーの動作を、一から十まで綿密に確認していく。
腕部。
鋭い爪がついた手は左右それぞれにロングブレードを持ち、流線型を描く下膊部とその肘辺りからは、鋭いブレードが突き出すように生えていた。
上膊部も異常はなく、ショートブレードが納められた肩も良好な状態。
脚部。
脚は爪先にあたる先端部がブレードになっており、それが膝まで続き、そこで突き出すような形になっている。
大腿部にはナイフが左右に一本ずつ収納されており、いつでも取り出せるようになっている。
さらに腰には左右にミドルブレードとロングブレードが一組ずつ――つまり計四本のブレードが差してある。
関節部は滑らかな動き。
動力部や制御系統もきっちりと整備されていた。
カメラは悠希が今もこうして感覚共有している通り、無事に稼働している。
オールグリーン。
確認を終えて、スペーサーがブレードを握る手に力を込める。
――数は約三百。第一形態から第三形態の混成。スペーサーは先行し、それを撹乱する。
仮想モニターを通して伝わってきた指令は要約すればそれだけだ。
その時、新たに現れた仮想モニターに映像が映し出された。
宇宙に浮かぶ、巨大な影。
それは小さな影が一つ一つ集まって出来た、巨大な影だ。
そして、その正体こそ……アニル。
その外見は、まさに異形。各個がそれぞれ微妙に違う形をしてはいるものの、そのほとんどが蟲と形容すべき形状をしていた。外殻に覆われた体は光沢をもち、羽を高速で振動させ、その羽から特殊な重力を発生させながら、こちらに向かってくる。
その光景に、悠希は吐き気を覚えた。
――蟲が。気持ち悪い。
言い知れない悪寒が彼女の身体中を巡った。
恐ろしいわけでも、不気味なわけでもない。
純粋な、嫌悪感だ。
それを振り払うように……スペーサーが駆動音を唸らせた。
機体から、銀色の光が溢れだす。
ティアマト・エネルギー運用に際する発光現象だ。
それは四次元空間から取り出せる高次エネルギー。もちろん、出力に制限はあるものの、動力中枢であるアプス・コアさえ無事な限り、半永久的にその供給は続く。
加えて、このエネルギーには一つの特性がある。
特定の人間の身体を介することで、その個々人によって異なる特殊な現象を発動させるのだ。
それは〝スキル″と呼ばれている。
機体から多量に溢れる銀色の光は、そのスキル発動の予兆。
悠希の脳を、情報の嵐が包み込む。
彼女のスキルは、四次元世界を媒介とした移動。三次元とは異なる四次元に機体を放り込み、そこであらゆる物理法則を無視して座標を動かし、そこからまた三次元に戻って来るというもの。
時間にすれば、それは一瞬のことで、彼女自身ですらほとんど認識出来ないほどだ。というより、実際に全くと言っていいほどに認識出来ていない。
悠希はこれらの動作を、ほぼ無自覚に、無意識に行っているからだ。原理も何も知らないのにも関わらず。
とりあえず、彼女のスキルを端的に言うと、どういうことか。
銀の光が散る。
微かなノイズ。
次の瞬間。
悠希は――スペーサーは、アニルの群れの真ん中に存在していた。
瞬間転位。
それこそが、彼女が持つスキルの名であり、その能力を的確に示した呼称だ。
距離を無にする能力。
それこそ、悠希が最強と呼ばれる所以であり、従来の機体と比べると異質なほどにスペーサーが近距離に特化している理由である。
あまりに強力で、桁違いな、無慈悲の力。
アニルの群れの真ん中に転位した悠希は、まず目の前にいた、こちらに背中を向けているアニルの身体をロングブレードで両断する。切断面は鉱物じみた鈍い光沢を放っていて、血液などは出ない。
感覚共有に触覚の共有が含まれていなくてよかった、と彼女は思う。
もしもそんなものまで共有されていたら、アニルを切った感触を実際に感じるところだ。
そんなのは絶対に御免だった。
蟲を斬る感触なんて。
そんなことを考えながら、悠希は背後で腕を振り上げるアニルの顔面に振り向きざまにブレードを突き立てる。
びくり、とアニルの巨体が一度痙攣するように動き、そして沈黙。
彼女はブレードを引き抜くと、再びスキルを発動させた。
転位するのは、他より二回りほど巨大なアニルの背後。
第三形態のアニルだ。
アニルは生まれた直後の幼生から短期間で第一形態に変体し、そこから数ヶ月で第二形態、第三形態と大きく成長していく。
普通その第三形態は簡単には斃せるものではないのだが、最強たる悠希の前ではそんな常識は通用しない。
転位と同時にブレードを第三形態の頸部――甲殻と甲殻の隙間を狙うように振るい、そこを切断。アニルの巨体が活動を停止する。
そうして転位。
斬撃、転位、斬撃、転位、斬撃、転位、斬撃、転位、斬撃、転位、斬撃、転位――……!
ひたすらにそれを繰り返す。
無数のアニルを斃すうちに、ブレードに灰色の気味の悪い光沢を持つ肉片がこびりつく。
虚空で剣を払い、その肉片を振り飛ばした。
一方的な暴力。
悠希のスキルは、よくそんなふうに形容される。
彼女自身、その通りだと思っている。
瞬間転位というスキルは、あまりに反則だから。
だが、それでいい。
それがいいのだ。
何故なら、この力があれば彼女は……戦えるから。
次々にアニルの死骸を積み上げる。
アニルの群れは、混乱し、散り散りになっていた。
もともとさして知能が高い生物ではない。集まったところをつつけば崩れるのは当然のこと。
そこに、ようやく軍のソアレイ部隊がやってきた。
悠希が全体の二割ほどのアニルを始末してしまった頃に、やっと、だ。
まったく、とろくさい。
溜息をついて、悠希はスペーサーをひとまず停めて、休ませる。
あとは、軍の仕事だ。悠希の残りの役目は、アニルを撹乱させるところまで。この時点でも大分サービスをきかせている。
まあ、いつものことなのだが……。
不意にスペーサーの脇を通り過ぎようとしたアニルを、悠希は無造作に切り払った。
残骸が宙を舞う。
……さて。私は、戻ろうかしらね。
悠希がスキルを発動させて天都へと帰還しようとした――その瞬間。
スペーサーのコックピットに、緊急事態を知らせる赤い仮想モニターが出現した。
――え?
闇をアニルごと切り裂く幾条もの銀色。
粒子砲の輝きだ。
咄嗟に、悠希はそれが放たれた方向に視線を向けた。
そこにあったのは……巨大。
巨大な……航空戦艦だった。
なに、これ……。
仮想モニターに、データーベース上に該当艦無し、という文字が表示される。
所属不明の未確認戦艦が、どうしてこんなところにあるのか。
天都の観測に引っかかることもなく、スペーサーのレーダーが反応することもなく、悠希が今の今まで視認すら出来ていなかった。
まるで幽霊かなにかのように、その戦艦は突如として姿を現したのだ。
『――ご機嫌どうかな、諸君。こちらは無国籍エレアス、エデン所属の駆逐艦〝アルトオブリガード〟だ』
突如、音声のみの通信チャンネルが開かれ、女性の声が聞こえた。
恐らくは、あの戦艦から発信されているものだろう。
……エデン?
その名前を、悠希は聞いた覚えがあった。
どこの国家にも属さない、ある大富豪が個人で建造したソアレイ。
しかしそれは……。
『ただの噂じゃ、なかったの?』
コックピットの中、悠希が呟く。
エレアスを建造するには莫大な資金が必要になる。いくら大富豪とはいえ、個人で払えるような額ではない。
それに加え、エデンなどというエレアスの実在は、これまで一度も確認されたことがなかった。
どこにでもあるような、都市伝説じみた噂。
悠希は、てっきりそう思っていた。
しかし目の前に、その噂のエレアスに所属するという謎の戦艦が現れた。
困惑する悠希の視線の先で、戦艦――アルトオブリガードに動きがあった。