SETBACK
モニターには、第四形態の映像が映し出されている。
「アニルの第四形態は個体数こと少ないものの、かなりの戦闘能力を持っている。エデンでは、基本的にディズィがその動きを抑えて、他の火力の高い機体で倒すっていう構えで対応してたな」
煙草を咥えながら、マリーナがそう説明する。
「ディズィ単体でも勝てない、ということか?」
「いいや。時間をかければディズィが勝つだろうが……そもそも一対一で戦わなくちゃならないなんて決まりはないんだから、ディズィ一機で相手をするメリットがないだろう」
「それもそうか……」
頷くと、古辺はモニターをタッチして、次の映像に切り替える。
「第四形態についてはとりあえず置いておこう。それよりも、この第五形態、マザーとやらだが……」
「これはアタシらもよく分からん。最初に存在を確認してから、まだ六回しか戦ってないからな。死体も組織があちこち崩壊してて、調べるのがひどく困難だ。アタシも本気で調べたんだが……有益な情報は何一つ手に入らなかったな」
「そうか……」
古辺が重々しい表情を作る。
マザーの死骸は天都の研究機関に渡され解析の最中だが、マリーナに何も理解出来なかったというなら、恐らく他の誰にも期待は出来ないだろう。
「他に何か分かることはないのか?」
「それならいくつか。まあ推察ではあるが、アニルは第四形態から飛躍的に知能が高くなるようだ。少なくとも第四で人間レベル、第五でコンピューターレベルの情報処理能力はあると考えても間違いないな」
「……ふむ。では、アニルが急に統制されたのは……」
「マザーのせいだろうな。一体どんな意思疎通手段を持っているのかは、分からないが……あれが司令塔の役目を果たしてるのは確実だ」
マリーナがすっかり短くなった煙草を灰皿に押し付け、火を消す。
「とりあえず、次に第四、第五形態が襲撃してくるまでに、早急な体制の見直しが必要だな……」
「おいおい古辺。お前そんな余裕あるわけ……あ、やべ」
――不意に、マリーナが気まずそうに頬を掻いて、遠慮がちに口を開いた。
「そういや、もっと早く言わなくちゃいけないことを今思い出したんだがな……」
「なんだ、お前のそのらしからぬ様子は。なにか嫌な予感がするのだが……」
普段とは違うマリーナの態度に、古辺の本能が警鐘を鳴らした。
「第四形態のアニルを今回、逃がしたわけだがな」
「ディズィが交戦したというやつか」
「ああ。でな、さっき第四形態は知能が高いって言ったが、実は知能は高くても、連中、思考はひどく単純というか……そんな感じなんだ」
「……なにが言いたい?」
「あー。まあ、なんと言えばいいものか。……つまりな、あの逃げた第四形態、こっちに恨みを抱いて、多分すぐに大量のアニルを引き連れて報復に来るぞ……ってことなんだが」
「……」
古辺は、開いた口が塞がらなかった。
「わり、アタシらにとっちゃ当然のことだから、言い忘れてた」
笑って誤魔化そうとするマリーナに古辺は――。
「この阿呆が!」
マリーナが肩を縮めるほどの怒号が響く。
彼は慌てて上層部に連絡を取った。
†
ベッドに横たわる綾香は、眼を覚まさない。
強打した頭には包帯が巻かれ、左脚の骨にはひびが入っていた。
頭を強打しているせいで、予断は出来ない状況にある。
悠希は彼女のベッドの脇に座り、ずっと俯いていた。
それこそ、一晩中。
「寝ていないのか?」
果物の盛り合わせを片手に持った裕真が、病室に入って来る。
「……別に」
「なにが別になんだよ」
裕真は盛り合わせを置くと、窓枠に腰を下ろした。
眠り続ける綾香を見て、静かに聞いた。
「目、覚まさなかったのか」
小さく悠希が頷いた。
その様子に、裕真は腕を組んで微かに溜息をこぼす。
やれやれ、と。口の中でそう呟くと、彼は悠希に尋ねる。
「なにを落ちこんでいるんだ?」
「……うるさい」
悠希は弱々しくそう言った。
「はっ……」
裕真は冷たく笑う。
「……なにが、おかしいの」
「別に。笑えるから、笑ってやっただけさ」
裕真がそう答えた、瞬間。
「あんた――!」
悠希は椅子から飛びあがるように立ち上がって、裕真の胸座を掴んだ。
「綾香がこんなになってるのに、それをどうして笑えるのよ!」
彼の表情は全く動じない。ただ小馬鹿にするような視線を悠希に向けている。
「さて、な。それよりも、俺はお前に聞きたいね」
「……なによ」
「どうしてお前、そいつの為に落ち込むんだ?」
「そんなの――!」
「お前がこうなることを望んだようなものじゃないか」
裕真が言葉に割り込む。
「な……!」
その言葉に、悠希は言葉を失った。
そんなことを望むわけがない。
叫ぼうとするが、悠希の咽喉は硬直して、音を作れなかった。
「否定はするなよ? お前の復讐心が、そいつを傷つけたんだ」
「――っ!」
身体が冷水に沈められたかのような錯覚に悠希は襲われた。
「復讐心は敵を焼き払う為の炎だ。けれど……炎が何かを守ることはない。ただ望む望まないに関わらず、焦がすだけのものなんだよ」
裕真は自分の胸元にある悠希の手を払った。
あっけないほど簡単にその手は外れて、力なく落ちる。
「お前はアニルを倒す為に、その炎ばかりを求めて、求めすぎた。だから炎は敵だけじゃなく、お前の傍にいる人間をも巻き込んだ」
彼女の指先は、微かに震えていた。
「お前が炎を抑えず、出鱈目にまき散らかしたからなんだよ。そいつが今こうして寝込んでるのは」
崩れる様に、悠希は椅子に座りこんだ。
「彼女を傷つけたのはアニルだが……同時に、それはお前でもあるんだよ。月坂悠希」
「……やめて」
「なんだ、なにか言ったか? 聞こえないぞ」
裕真はさらに彼女を叱責する。
「滑稽だな。自分で傷つけた相手を、そんな風に心配するなんて。そんなのは、自作自演の自己満足じゃないか。ああ、本当に馬鹿げてるよな。お前、恥ずかしくないのか?」
「やめてって言ってるでしょう!」
悠希が叫ぶ。
病室の空気が震えた。
裕真は背中を丸めた彼女を無感情な瞳に収めて、嘲るように口を歪める。
「忘れるなよ、月坂。お前がどれだけ頑張ったかなんて知らない。だが結局、これまでのお前の全ては、そこに横たわってるたった一人の人間を傷つけたって結末を残しただけだ。とことん無意味じゃないか、なあ?」
悠希には何を言い返すことも出来ず、ただ、震える身体を自身で抱きしめていた。
「……まあいいさ。そうやってそこにずっと座っていればいい。その方が俺も安心できるよ。味方内にお前みたいなやつがいない方が、な」
吐き捨てて、裕真は病室を出ていった。
悠希は、自分の歯がぶつかり合う音を耳の奥で聞いていた。
眠る綾香の姿を見て、思考が混濁していく。
悠希はただ、両親の死の悲しみをアニルにぶつけていただけだ。
アニルを憎めば、殺せば、悲しみが誤魔化せたのだ。
だから一層強くアニルへの復讐をたぎらせ、何匹も……何十、何百、何千匹ものアニルを切り裂いてきた。
けれど、悠希は本当は、そんなことがしたいわけじゃなかった。
守れているつもりだった。
……大切な人を傷つけたいわけじゃなかったのだ。
桜や雪や……これまでの人生で出会った様々な人の顔が、彼女の脳裏をよぎった。
この先も自分は大切な人を傷つけるのだろうか。
そう思うと、どうしようもなく恐ろしくなる。
歯を噛みしめながら、悠希は骨の髄からくる震えに、自分の身体をさらに強く抱きしめた。