WEAKNESS
学校に編入して四日目。休日を一日挟んだことを差し引いても三日。
裕真は、それなりにクラスに馴染むことに成功していた。
素性は隠したままだが、彼は意外にも人を引き寄せる。なんと言えばいいのか、面倒見がいいというか、お節介というか……変な言い方をすれば、クラス委員気質なのだ。性格はぶっきらぼうなのだが、そのギャップがクラスメイトに思いのほか好評らしい。
「直衛、今日の放課後って暇か?」
「君の歓迎パーティーをしようか、って話になったんだけどさ、どうかな?」
「ん……?」
朝に自分で用意した弁当箱をつついている裕真に話しかけてきたのは、沖田と白井だった。クラスのトラブルメーカ、もといムードメーカーの二人である。
「あー……悪い。それ、ちょっと遠慮させてもらっていいか」
裕真は申し訳なさそうな顔をしながら、手短に誘いを断った。
「なんだ、なんか用事でもあるのか?」
「いや……そういうわけじゃないんだけどな」
どう言ったものか、と裕真は思考を巡らせた。
彼にとっては、ここは仮住まいだ。
あと三日程で去る予定になっている。
どうせ歓迎会などされても、すぐに裕真はこの学園どころか天都を出ていくのに、わざわざそんなことをさせるのは少し申し訳なく感じられたのだ。
「ほら、俺って来る時も急な転校だったろ? それって親の仕事について回ってるからでさ。どうせまたすぐに転校することになると思うんだよ。だから歓迎会なんて別に……」
「いやいや、それがどうして歓迎会を断る理由になるんだよ」
何言ってるんだ、こいつ。と言わんばかりの沖田の顔。
「別にいいじゃんか。例え明日転校だろうと、歓迎しちゃいけないってことはないだろう?」
「そうだよ、直衛君」
そう言う二人に、裕真は頬を掻いた。
随分と人のいい奴らだ。
彼は少し考えてから、まあ息抜き程度にはいいか、と思い、頷こうとした時。
「それに、歓迎会を開かないと女子を集められないじゃない」
白井が、そう漏らした。
……ああ。
裕真は、なんとなく納得した。
白井は背丈はそれほど高くもなく、おとなしい顔つきの、どこか母性本能をくすぐる様な、いかにも草食系男子という感じの男子なのだが……その実、とんでもない色欲魔というのは転校してきたばかりの裕真でも気付いていた。
というか転校初日に好みのバストサイズについて聞いてきた段階で、気付かないわけがない。
「お、おい馬鹿、白井。今それをばらすことはねえだろう!」
「え……あ。いやっ! な、なにも言ってないよ、直衛君! 僕は決して女子云々なんてことは言ってないよ? 純粋にね、直衛君を歓迎したいなー、って」
沖田の言葉にはっとして、慌てて白井が弁明する。
「つまり、俺は女子にお近づきになるためのダシにされるわけか」
意地の悪い笑みが裕真の口元に浮かぶ。
「うぐ……」
「い、いや。でもな、直衛。きちんとお前を歓迎するつもりなんだぞ?」
「そうだよ。うん、凄い歓迎会にしてみせるからね?」
「じゃ、男子だけで歓迎会してくれ、って言ったらどうする?」
これまた、意地の悪い問いかけだった。
「……えー」
「……じゃ、やんなくてよくない?」
あからさまに二人の態度が変わる。
「正直な奴らだな、おい」
いっそ感心したような顔で、裕真は頬杖をついた。
「……まあ、少しくらいなら付き合ってやるよ」
「え……?」
「だから、歓迎会でもなんでも好きにしろって言ってるんだよ」
「いい、の?」
白井がおずおずと裕真に窺いを立てる。
「少しは楽しませろよ」
裕真の言葉に、二人のテンションが一気に上がる。
「よっしゃ!」
「やったね!」
「……はぁ」
ハイタッチを交わす二人からは見えないように、裕真は溜息を吐きだす。
ふと、視線を感じた。
そちらを見ると、悠希と目が合う。
鋭い目つきだった。
裕真としては、なんで自分がそんな目で見られなくてはいけないのか、そんな心当たりは――いくつかあるが。
どうしたものか、と。とりあえず裕真は軽く手を挙げて挨拶らしいボディランゲージをしてみた。
すると悠希の目がさらに細められ、彼女は鼻を一つ鳴らすと、教室を出て行ってしまう。
彼女は気に入らなかったのかもしれない。自分が強くなる為に努力しているのに、なぜこうも平然と学園生活を満喫している裕真が自分よりも強いのかが。
悠希が出て行った教室のドアを少し眺め、裕真は少し考えてから、食べ終わった弁当の蓋をしめて、それを鞄の中にしまった。
「ん、どこか行くのか? これから歓迎会の細かいところについて話し合おうと思ってたんだが」
「俺は少し用事があるから、お前らで決めておいてくれ」
「そっか、じゃあまた後でね」
「歓迎会には期待しててくれよ?」
「ならたっぷり期待しておくとするさ」
沖田と白井にそう告げて、裕真は悠希の後を追って廊下に出た。
左右を確認して、目的の背中が階段の方に消えたのを見る。
その後を追いかける。彼女は屋上に向かったらしい。
裕真は階段を上ると、屋上のドアを開けた。
風が吹き込む。
屋上は閑散としていた。人の出入りが少ないのだろう。
そんな空間の真ん中に、悠希の姿を見つける。
彼女は屋上のドアが開いた音で裕真の存在に気がついて、嫌悪感を隠そうともせずに表情に出した。
「……なによ、あんた。ストーカー?」
「ストーカって……」
開口一番にそれか、と裕真は困眉をひそめた。
「お前が俺のこと見てたから、なにか用事かと思ったんだが、違ったか?」
「なんで私があんたなんかに用事があるの?」
決闘の申し込みとか。などという言葉が口から滑り出そうになって、裕真は慌てて唇を固く閉じた。
ここでそんな悪ふざけを言えば、空気がさらに険悪になることは目に見えている。
「邪魔だから、どっか行って」
「辛辣だな」
なにか用事かと思った、という裕真の言葉は、ただの方便だ。
実のところ、彼が悠希を追いかけたのに、あまり理由はない。
ただ、なんとなく話しておいた方がいいかもしれない、という考えだけがあった。
いくらなんでも、悠希は様子はあまりにも危なっかしく、このまま放ってはおくことはどうしても出来なかったのだ。
「なんでお前はこんなところにいるんだ?」
見たところ手ぶらで、昼食を静かに食べたい、というわけではなさそうだった。
「私の勝手でしょう。それよりも、さっさと消えなさいよ」
「お前がここにいるのが勝手だって言うなら、俺がここにいるのも勝手だよな。消えろだなんて言われる筋合いはないよ」
「……」
悠希の表情が不快の色に染まる。
いやはや嫌われたものだ。裕真は内心で苦笑した。
近くにあったベンチに腰を下ろす。
「お前もどっか座ったらどうだ?」
「……ふん」
裕真の言葉を無視して、悠希は彼に背中を向ける。
「やれやれ」
それきり、しばらく沈黙が続いた。
裕真はぼんやりと悠希の横顔を眺める。
彼女は裕真の視線などまるで気にしない様子で、ぼんやりと空を見上げていた。天蓋に映し出された人工の空には、いくつもの雲が現れては消えていく。
どことなく、空気は穏やかになっていく。
今なら、ちょっとした質問くらい聞いてもらえるかも知れない。
裕真は思い切って、気になっていたことを尋ねてみることにした、
「どうしてそんなにクラスメイトと距離を取るんだ?」
「……いきなりなによ」
迷惑極まりない、といった感じで悠希は裕真を睨んだ。
「いや。別になんとなく気になっただけだから、答えなくてもいいけどな」
悠希はクラスでは……というよりも学校では、かなり浮いている。
周囲に人を寄せつけない刺々しい雰囲気に、頻繁に欠席、遅刻、早退を繰り返すというのが関係しているのだ。
後者は軍関係のことで仕方ないし、秘密にされている情報なので下手に弁明出来ないのも分かる。
裕真としては別に悪いことをしているわけではないし普通に情報を公開してしまえばいいと思うのだが、そこは高校生を最前線で戦わせているなどと世間に知られたくないという軍のプライドや悠希自身の意思もあるので、口には出さない。
だが、前者。雰囲気については、悠希次第だろう。
せめてもう少し棘をなくせば、友人の一人や二人、出来るのではないだろうか。
それをしないのは、一体どういう理由なのか。
「……嫌いだからよ」
まさか返ってくると思っていなかった返答に、裕真が目を丸くした。
「嫌いだからって……なんで嫌いなんだ?」
調子に乗って、続けて質問をしてみる。
「弱いから。どうしようもないくらいに、弱いから。アニルが何かの間違いで天都を破壊してしまったら、あっさりと無抵抗で死ぬくらいに弱いから。だから嫌い……弱い人間は、嫌い」
「その天都を守るのがお前の仕事だろうに」
「口を挟むなら、聞かなければいいじゃない」
「こりゃ失礼」
降参するようなポーズをとって、裕真は口元に笑みを浮かべていた。
「なにがおかしいの?」
悠希が裕真を睨めつけた。
「ん,いや……お前は弱虫だな、と思ってさ」
「弱虫、ですって……?」
「ああ」
彼女が何か言い返そうとして、それより早く裕真は言った。
「弱いから嫌いって……違うだろ。お前、本当は単に親しくなった人間が死ぬのが怖いだけじゃないか」
「――っ」
「あれだろ。もし誰か親しい人間が自分の傍からいなくなったら、とかさ。そんなことが不安なんだろう?」
悠希が動揺を見せる。
裕真の、言うとおりだった。指摘されて、悠希自身も今更にそのことに思い至った。
子供の頃、両親が突然いなくなって。それ以来、彼女は恐れていたのだ。
誰かが近づくと吐き気がした。無性に暴れたい気分になった。だから、他人との距離をとろうと思った。
でも、それは……両親を失った時のように、親しくなった人を失うのを恐れていたからだった。
ならば親しい人など作らなければいいと、彼女はどこかでそう思っていたのだ。
さらに一歩、二歩と彼女は後ろに退く。
――私は、弱虫なのだ。
また、自分の弱さが一つ露呈した。
彼女にとってそれは、何よりも重い事実だった。
胸の奥が凍りつくような錯覚。
気付けば、悠希は地面を蹴っていた。
「まあ、そういう不安は誰にでもある。もちろん俺にだってな。要はその不安にどう打ち勝つかだけど、あまり深く考えなくても案外すぐに答えは出るさ。それに、そういう気弱なところがあった方が可愛げが――」
ばたん、と。
屋上のドアが閉まる音。
「……あれ?」
きょとん、と。裕真が屋上を見回す。
そうしてようやく悠希が屋上から走り去ったのだと気付く。
だが、裕真にはどうして悠希がいきなり去ったのか、理由が分からなかった。
「――……俺、なんか怒らせるようなこと言ったか?」
裕真は一人、首を傾げた。