OPENING
そういえばこのヒロインも悠希だ。。
学校に向かう準備をしていると、モバイルフォンが電話の着信音を鳴り響かせた。
手にとって、相手を確認。
そして、電話に出ることなく、着信を切断する。
電話に出るまでもない。
相手が相手だ。連絡の内容なんて分かり切っていた。
悠希は学校指定のブレザージャケットをベッドの上に脱ぎ捨てると、代わりに黒いロングコートを羽織った。
そのまま、モバイルフォンといくつかの私物だけをポケットにしまいこんで、自室を出る。
部屋のドアを開けると、悠希の目の間に小さな人影が飛び込んできた。
「あ、お姉ちゃん」
悠希の従姉妹の少女。
その小さな目が、彼女を見上げる。
「……おはよう」
小さく、悠希が朝の挨拶を口にする。
「うん、おはよう!」
とても友好的とは言えない悠希の挨拶に、けれどその少女は溢れんばかりの笑顔で応えた。
朝からよくそんな風に笑えるものだ、と感心する。
――ただ、私が笑わないだけかもしれないけれど。
まあそんなことはどうでもいい、と悠希はその思考をあっさりと放棄した。
「お姉ちゃん、一緒に朝ご飯食べよ?」
少女にお姉ちゃんと呼ばれ、悠希はなんとなく視線を逸らしてしまう。
「悪いわね。用事があるの」
言って、悠希はその小さな身体の脇を足早に通り過ぎる。
「あ……」
なにか背後で微かな声が聞こえたけれど、彼女は振り返らない。
振り返っても、何を言えばいいのかも分からないから。
リビングに入ると、悠希はテーブルに朝食を並べている叔母の桜を見つけた。
「おはようございます、桜さん」
「あら。おはよう」
桜が悠希を見て……軽く首を傾げた。
「その格好……また、なのかしら?」
「……はい」
のんびりとした、けれどどこか少し困ったような桜の声に、悠希が小さく頷く。
「朝食を食べる時間はある?」
「いえ。すみません、用意してもらったのに……」
気まずそうに首を横に振るう悠希に桜がそっと歩み寄り、彼女の頬に手を添えた。
「いいのよ。そんなことは」
頬から伝わる優しい温もりに、悠希は後ろめたさ覚える。
「それよりも、気を付けてね。怪我なんてしないでちょうだい?」
「それは、もちろんです」
ただでさえ既に大きな心配をさせているのに、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
とにかく無事に過ごす。
それは、悠希が自分に課した決めごと。
両親を亡くした悠希を引き取って育ててくれた叔母に恩どころか、仇ばかり返している彼女の、最低限の決めごと。
せめて、この最低限のラインは越えないでいたいと彼女は思う。
「それじゃあ、本当に、気を付けて行ってらっしゃい」
「はい……行ってきます」
そのまま悠希は身を翻して、玄関で靴を履いて、家を出る。
外に出て、視線を上げると、広い青空が視界に飛び込んできた。
けれどその青空の色や輝きは、全て人工の造りもの。
本物の空よりも、さらに高い所にある偽物の空だ。
しかし偽物でも、悠希からして見れば、それは本物と見分けがつかないくらいに精巧に出来ている。
悠希は本物の空というものを殆ど見たことがないので、単純にそのせいで見分けがつかないだけなのかもしれないが。
†
地球の外。暗い宇宙空間に浮かぶ巨大な完全循環型居住船――通称、エレアス。
全二四一隻あるエレアスの中でも三番目に巨大な、日本が製造したエレアス〝天都〟。
それが、悠希達の暮らす場所だった。
二十年前。つまり第四次元からティアマト・エネルギーと呼ばれる新たなエネルギーを搾取する技術が確立されてから五年後に、この〝天都〟は地上を飛び立った。
空の大地。
地球の人口増加に伴い、それによる居住空間の不足を補う為に作られたものこそがこれらエレアスである。
ティアマト・エネルギーの運用が始まり、それに伴って宙空居住区域建造による人口問題解消が提案、実現されたことで、当時はエレアス建造ラッシュが起こり、多くのエレアスが打ち上げられた。
人口増加による問題は、あっという間に解決を見せた。
だが人類と言うのは、強欲なもの。
エレアスによる人口問題が解決した後、人類はさらに火星の開拓計画を立てた。名目の上では、これから増えていく人類の為に先手として居住空間を増やしておく、などというものだったが、実際は富裕層に向けて売り出す別荘地作りだった。
様々な国や企業が、火星開拓に乗り出していた。
そんな欲が、何かの怒りに触れたのか。
その事件は、開拓の一年目に起きた。
火星のある地点で、巨大な地下空洞が発見された。
そこには、とある細菌が眠っていたのだ。
――火星に細菌の存在。
普通ならば世紀の大発見となるところだが、今回はそんな余裕のあることを言ってはいられなかった。
何故なら……そこで働いていた作業員二五一名が、全員その細菌に感染してしまったから。
作業員達にはすぐさま治療が施された……が、現代医学では、その細菌に対応することは、不可能だった。
細菌は体内で急速に増殖、感染から数日で感染者の細胞を取り込んで、体内にガン細胞のような形状で定着し、そこから僅かな時間で異常増殖。
そうして……一個体の生命体となる。
人間の腹を食い破って、それは這い出てきた。
端的に言って、その菌は人間を繁殖床として孵化する卵のようなものだったのだ。
それによって生まれる生物は、性質の悪いことに極めて強靭な肉体を持っていた。
作業員達から孵化した生命体は、火星に設置された簡易生活施設を瞬く間に支配し、そこで――交配を開始した。
細菌から孵化した生命体――これをアニルと後に呼称するようになる――には、人間と同じように生殖活動を行う機能が備わっていたのだ。それも、その繁殖速度は人間の比ではなく、一週間放置すれば、一組のアニルがネズミ算式に増加していくのである。
結果は言うまでもない。
火星は、一ヶ月もしないうちにアニルの星となった。火星は別荘地どころか、人類を脅かす生物種の母星に変貌したのだ。
バベルの塔は、その高さを求めた人の業に怒った神によって雷を落とされ崩されたという。
この時も、また同じ。
形は違えども、欲によって高みを求めた人類に、悲惨な災厄がもたらされたのだ。
悪いことはさらに続く。
アニルがただの生命体ならば、火星が支配されて終わりだ。
近づかなければ、地球やエレアスに害が及ぶことはない。
当時の政治家達もそう考え、火星を諦めることで事態に対処する方針を定めていた。
だが……そうして火星を捨て、火星で起きた悲劇の傷跡が徐々に人々の生活の中で薄らいでいった、ある日。
アニルが、宇宙空間を単独で飛行する姿が確認された。アニルは、宇宙空間での活動が可能だったのだ。
その後、すぐに事態は一変した。
地球の周囲に浮かぶいくつものエレアス。その中でも火星に近しいエレアスが、アニルの群れに襲撃されたのである。
突如としてアニルが襲撃行動に出たのは、アニルの個体数が一定以上の数を超えたから、という見解が一般的だが、真相は分からないし、確かめようもない。
ともかく、事態の中で複数のエレアスが落ちることになった。大小合わせて十六。眩暈がするほどの人間が宇宙に散り、地球の引力に引かれ大気圏で焼失した。しかも燃え尽きなかったエレアスの破片は地球に降り注ぎ、それも決して少なくない被害を出す。
アニルへの対処は世界的急務となった。
ティアマト・エネルギーの発見により物資やエネルギーなどの様々な問題が解決されていた人類が結束するのは、思った以上に簡単なことだった。
未知の敵が現れた、というのも大きな要因の一つだったのだろう。
結束した世界は対アニルの為の連合軍を設立し、各国の軍事力のほぼ全てをここに集結させた。
――そうして、今。
現在もまだ、人類とアニルの戦いは続いていた。
人類は高機動人型兵器ソアレイを開発し、アニルから地球を、エレアスを防衛している。