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短編ホラー

掩耳

作者: 壱原 一
掲載日:2026/07/15

幼少の一時期、外国で暮らしていました。父母がる思想家の先生に感銘を受け、先生が当国で起こした集団へ自分を連れて加わったからです。


集団は、大袈裟なものでなく、理性と道徳と互いを尊重して暮らしましょうと言う趣旨でした。今にして振り返ってみると、加わっていた大人は、温和で繊細な人ばかりでした。


よって集団は安穏あんのんと牧歌的でしたが、地元住民からそれとなく遠巻きにされていました。


何やら高尚な志を掲げている人達らしいからと、近隣の貧窮する人達が、恵みを求めてって来て、居着くなりしていた為でした。


とは言えそんな事は何処どこ吹く風で、自分たち集団の子供と、集団の周りに来た子供と、元から辺りに居た子供とは、互いの家にこそ踏み込まずとも、一まとまりに遊びました。


集団近くの緑地や、周りの寂れた路地や空き地で、人種や言語ほかをごちゃ混ぜに、掛け声や身振りを補助として、かくれんぼや鬼ごっこなぞの、概ね普遍的な外遊びに興じていました。


*


そうして遊んでいる内に、自分は年頃の近い子と取り分け親しくなりました。


その子はお□さんと2人家族で、当のお□さんの意向により、定住せず、車で旅をしているそうでした。


お□さんは恐らく禿頭とくとうに、いつも濃い色の布を巻いた、両目が灰色の人でした。


2人は彼等の母国語と、母国語風になまる英語と、世界で彼等だけと言う、特別な言語を用いていました。


特別な言語は、いてたとえるなら、早口のホーミー(モンゴルの歌唱法。喉歌のどうた。高音と低音を同時に出す)と言った感じです。


お□さんやその子の作でなく、お□さんがその子を授かった時、お□さんにその子を授けてくれた、お△さんが居た所で用いられる1つとの事でした。


その子と体が近付くと、その子自身の体のにおいと、乾いた植物のにおいが混ざった、いつまでも嗅ぎ慣れないにおいがしました。


そのにおいは、自分に、その子と自分とを構成する、根本的な要素の違いを厳然と直感させました。


同時にまた、斯様かように根本から違っても、これほど気が合い、親しく過ごせ得るのだと、幼いなりの格別の友愛を抱かせもしました。


それであるから、ある暑い日、路地で遊んでいる時に、「うちの車へ涼みに行こう」とその子から誘われても、自分は断りませんでした。


集団の子と、周りの子と、元から居た子の間では、互いの家へ踏み入らない不文律を分かっていましたが、ことその子の誘いには、応じたかったからでした。


*


車は平たい見た目の5人乗りで、路地裏に停めてありました。


お□さんが運転席に居て、近くの店のパートタイムを終えた所だそうでした。快く自分を迎え入れ、良く冷えたペットボトルのグレープフルーツジュースをれました。


酸味と苦味が火照りに沁みる冷たいジュースを飲みながら、運転席のお□さんと、助手席にお邪魔した自分とで後部座席を振り返り、後部座席のその子と3人でにぎやかにお喋りしました。


後部座席はその子の分の空間がぽっかりく他は、寝袋やら釣り道具やら色んな荷物が満載でした。


合間合間を縫うように、様々な植物の束が吊るしてあって、その子と同じにおいを漂わせていました。


この訪問を皮切りに、折に触れ車内でその子とお□さんと喋るようになり、車で旅をしているとか、特別な言語とかを聞いたのは、暑さが大分おとろえた頃です。


途中、買い物へ行くついでと車で集団へ送ってもらい、父母とその子とお□さんとが顔見知りにもなりました。


旅とか、特別な言語とか、車を訪れているとかを、自分は父母に言いませんでした。


その子もお□さんも言わず、他に誰が言いもしなかったので、理性と道徳と互いを尊重しようと励む父母は、その子とお□さんに友好的でした。


もし誰かから聞いていたら、必ずしも友好的とは限らなかったと思います。


それで引き続き言わないまま、鮮やかな紅葉の時季を迎え、自分はその子とお□さんと、車で近場の凧あげのお祭りを見に行って良いか父母に尋ねました。


父母は掲示板のチラシを見て、会場と、帰る時間を確認し、朝にお小遣いを持たせて、どうぞよろしくお願いしますと自分を送り出してくれました。


*


赤や黄の紅葉の山間の、広々とした緑の丘から、真っ青な空へ色とりどりに泳ぐ凧の群れはれは見事でした。


車を高台に停めて、中から椅子やシートを出し、出店で買ったコーンドッグ(アメリカンドッグ)と、車内で貰った冷たいグレープフルーツジュースをお供に、その子とお□さんと自分で、のんびり凧を眺めました。


会場の指笛や歓声が、爽やかな風に棚引き、共に揺らめく凧の遥か先で、わしたかめいた鳥の影が、ほんの小さく回っていました。


行きの興奮がなだめられ、小腹も満たされたからでしょう。


自分がどうにも眠くなり、うつらうつらし始めると、傍らでひそひそ忍ばせた早いホーミーが聞こえました。


たくましく太くじりじりする、厚い低音のうねりの中に、激しくみわみわと震える細い高音が包まれた、寝惚け半分の頭の芯を、心地良い振動で痺れさせる、伸びやかな聞き心地の言語です。


密やかに行き交うホーミーは、自分が寝入ってしまうまで、こそこそさやさや続きました。


間も無く寝入ってしまった後も、蕩揺とうよう感を伴って、延々と続いているようでした。


*


起きるとぐわんと眩暈めまいがして、貧血の如く視界が暗く、明るさが戻らないと思ったら、日暮れの助手席に居ました。


乾いた植物のにおいの中、頭ひとつ分あけた斜め上から、お□さんがうつむきに覆い被さり、此方こちらの両耳を塞いでいました。


ぽかっと半端に口を開け、灰色の目を開いたまま、ちっとも動きませんでした。


*


驚いて息を呑むと同時、身がすくみ胃がり上がり、鈍く痛んだ喉の奥に、貰ったグレープフルーツジュースの酸味と苦味が滲みました。


その香味を掻き消すように、目の前いちめんのお□さんから、車の中やその子と同じ、乾いた植物のにおいを、一際つよく感じました。


お□さんの口の周りには、蛋白質感のある硬そうな薄黄色の小さな泡が溜まっていました。


割れて円い跡が残っていたり、表面が乾いていそうに見えたりして、それなりに長い間、こうして居たと分かりました。


お□さんの頭に巻いた布が、天井のハンドルに結ばれ、落ちて来ないようになっていました。


自分はシートベルト以外、何も拘束されていませんでしたが、くまなく抑え付けられている風に硬直して動けませんでした。


頭の両側面に接し、ぴったり耳を塞ぐ手から、少しかさつく厚めの皮膚に、ぬるく柔らかい中身が詰まり、間の骨組みに支えられ、しんと静止しているのが、ひしひし感じられました。


以前、雷が怖かった時、父にそうされた事がありました。


無遠慮に当てられた父の手が、此方の両耳に張り付くと、熱いくらいの体温と、呼吸に浮沈ふちんする身動みじろぎと、遠い地鳴りを聞くような、こもった、ない低音が、揺るぎなく自分を包み込み、ほっと上から押さえたものでした。


腕や手の筋肉が動いたり、血管を血が流れたりしている音だよと、その時おそわったのでした。


それが何も聞こえませんでした。


触れ心地がだらんとしていました。


暗がりで見詰め合うお□さんの顔は、刻々と深まる影の所為せいか、徐々に此方へ下りて来て、中へのめり込むようでした。


ぐに避けたい恐慌と、叶わず動けない焦りから、水面で空気を貪るような、はあはあ荒い息が溢れ、お□さんの両手で塞がれ、籠った両耳の内側で、その音と早まる心音だけが、みっしりひしめいていました。


呼吸で浮き沈みし始めると、耳を塞ぐ重い手の上辺、自分の蟀谷こめかみの辺りに、自分と同じ程の寸法の、そろえた指の感触がかすめ、だらんと温く張り付く手を、その子が後部座席から、押さえていると分かりました。


とにかく手をどけてほしくて、はやりに益々息が上がり、きっと、此方が起きたと分かり、その子の手がぴくっと動いて、張り付いていた温い手が、ぐにゃりとのめり込みました。


指先が蟀谷をなぞって、掌が耳や頬にへばりました。


以前すがった父の手の、熱と、身動ぎと、音がひしゃげ、揺るぎなく包まれた自分ごと、潰されたように感じました。


それでもう本当に駄目になって、言葉に当てはめる前の、衝動とか想念とかが、一挙に噴き出て暴れました。


動けず、声も出せず、排出し得ない混乱が、あっと言う間に満杯で、弾け飛びそうになった時、


しゃっくりか嘔吐えずく寸前のように、喉の奥がぐわっと開き、舌の根が底へ底へ下がって、両端が高々と突き上がりました。


先は平たく、少し浮いて、口は「え」に近かったと思います。


死んだ人の手に塞がれて、他に音のしない耳の中で、自分の呼吸と、心音と、早いホーミーを聞きました。


*


同じになっていると感じました。


されてしまったとおののきました。


2人が話すのを聞いても、意味はみ取れませんでしたし、して話し方なぞは、露ほども知りませんでした。


けれど手をどけてと意図し、伝えようとしたら言ってしまい、頭に誰か居るような、骨に何か染みているような、とてもままならず好き勝手された堪え難い不快感があり、


勢いドアへ突っ込んで、我武者羅に指で掻きむしり、突き指や挫滅ざめつ創を負いながら、車外へまろび出ていました。


本当にどけてと言ったのか、言ったからどけてくれたのか、自分で振り解いたのか分かりません。


その時は狼狽ろうばいし切っていて、他の言語が話せなくなっていたら如何どうしようと追い詰められ、わめいたら「わあ」と言えました。


心から安堵して泣き叫び、全力で父母を呼びました。


その子が車を降りて来て、此方の手を取って引き寄せ、口を塞いでくるのに抗って、騒いで揉み合っている内に、凧あげの数名が駆け付けて、警察を呼んでくれました。


*


お□さんは病死だったそうです。


お□さんは死んでしまうけど、お□さんが死んでしまう時、特別な言語で話し合える、格別の絆で結ばれた、旅の道連れを授けてくれるはずだった。


お△さんも、死んでしまう時、お□さんにそうしてあげたから。


その子が語った所では、そう言う話だったそうです。


此方と同じように授けられ、以来、連れ回されていたその子は、元居た家庭に戻れるよう、家族が探されるそうでしたが、戻れたかまでは知りません。


いつまた特別な言語を不本意に言ってしまうかと、めっきり寡黙になった自分を、父母がいたく憂慮して、自分を連れ帰国したからです。


それから今に至るまで、自分はずっと国内で、数多あまたの片言の外国語を、すっかり忘れてしまいました。


しかし特別な言語もまた、不本意に言っていないので、それが何よりと思っています。


その後、父母は離婚して、自分を育ててくれた○が、過日、息を引き取りました。


遺品のアルバムを見ていたら、当時、集団で撮られた日常場面の写真の隅に、肩を寄せ合って屈んでいる、その子と自分が写っていて、懐かしく思い出した次第です。


引き離された此方に腕を伸べ、背後で車を覗く人達を威嚇し、悲愴と切望に顔を歪め、じりじり、みわみわ呼ぶ声に、


授けられてさえいなければ、自ら望んで応じられれば、どれほど良かった事でしょう。


そんな感傷に囚われて、そぞろに寝付けない夜は、ゆっくりホーミーに聞き入ります。


伸びやかに心地良く寝られるので、寝入ってもずっと聞き入っています。



終.

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