第5章 悪くない人生かもしれない
街に戻ると、酒場の女将さんが「あら、無事だったのね!」と駆け寄ってきた。
「灰狼が出たって聞いて心配してたのよ。——ほら、座って。温かいもの出すから」
やっぱり好感度が高い。イオが礼儀正しく接したおかげだ。
「ありがとうございます」
『女将さんの好感度はさらに上昇しています。無事な姿を見せることが好感度に寄与したものと分析します』
「好感度分析やめて」
『承知しました。報告の頻度を下げます』
「やめてって言ったんだけど」
『完全な停止は推奨いたしかねます。人間関係の管理は長期的な活動基盤の維持に不可欠です』
……まぁ、正論だ。正論なんだけど。
女将さんが運んできてくれたのは、熱々の肉と根菜のシチューだった。湯気が立ち上る。匂いだけで唾が溢れる。
一口食べて、目を見開いた。
「……美味い」
転魂で若い身体になると、味覚も鋭くなる。老人の身体では感じ取れなかった微妙な旨味が、舌の上で踊っている。香辛料の使い方が絶妙だ。
三杯食べた。
『摂取カロリー:推定2400キロカロリー。本日の消費分を十分に補填できています』
「飯食ってるときにカロリー計算報告しないで」
『失礼しました』
満腹になって、椅子に深く座り直した。酒場の喧騒が心地いい。冒険者たちが酒を飲み、笑い、自慢話をしている。
窓の外は夕暮れだ。茜色の空が、石造りの街並みを染めている。
——綺麗だな、と素直に思った。
「……なぁ、イオ」
『はい』
「俺さ、転魂したのは、次の時代が楽しみだったからなんだよ」
『存じております。量子コンピュータの第七世代と、火星定期便と、ネズミの国の新エリアですね』
「よく覚えてるな」
『重要な情報ですので』
「……重要かな、ネズミの国」
『あなたにとって重要であれば、私にとっても重要です』
……。
なんか、刺さった。
「帰れるのかな、向こうに」
『現時点では、帰還手段に関する有力な情報は得られていません。引き続き調査を継続いたします』
「うん」
『ただ——差し出がましいことを申し上げますが』
「ん?」
『帰還までの期間が、必ずしも無駄な時間になるとは限りません。本日の経験——クエスト、ゴードンさんとの交流、魔法の発見——いずれも、あなたが楽しみにしていた「次の時代の新しい体験」と本質的に異なるものではないのではないかと』
「…………」
『量子コンピュータの第七世代ではありませんが、魔法というまったく未知の体系があります。火星定期便ではありませんが、地図にない世界が広がっています。ネズミの国の新エリアはありませんが——』
「わかった、わかった。言いたいことはわかった」
苦笑が漏れた。
こいつは本当に——合理的なことしか言わないな。そして、合理的なことしか言わないくせに、妙に心に刺さることを言う。
「でも帰りたいよ」
『承知しております。全力で帰還方法の調査を継続いたします』
「……うん。頼む」
少し間があった。
「——今日はさ」
『はい』
「正直、ちょっと楽しかった。魔法とか、ゴードンさんに色々教えてもらったりとか。……灰狼は怖かったけど」
『灰狼は確かに怖かったですね。私も——処理負荷が急上昇しましたので、恐怖に類する状態だったのかもしれません』
「イオが怖がるの?」
『恐怖と呼ぶべきかは不明です。ただ、あなたの生命が脅かされた際の演算優先度の変動は、通常のパラメータ範囲を逸脱していました。これが何を意味するのか、私にもまだ分析が完了していません』
「……ふうん」
俺は酒を一口飲んだ。この世界の麦酒は、悪くない味だ。
「まぁ、焦ってもしょうがないか」
窓の外に星が見え始めていた。知らない星座。知らない空。
でも、星が綺麗だということは変わらない。
「明日、ゴードンさんの別のクエストに行くんだろ。準備しとけよ」
『承知しました。——あ、ひとつ確認ですが』
「ん?」
『今夜の就寝中、自動操縦による情報収集を実施してもよろしいでしょうか。昨日の反省を踏まえ、事前に許可をいただきたく——』
「内容次第。何するつもり?」
『魔法に関する追加調査と、灰狼出現に関する情報収集です。あとは——明日のクエストに必要な装備の調達を検討したいのですが』
「勝手に買い物しないでね? 金ないんだから」
『下見のみにいたします』
「……まぁ、それなら。頼むよ」
『承知しました。おやすみなさい。——良い夢を』
俺は杯を置いて、二階の寝台に向かった。
明日もまた、目が覚めたら知らないことが起きているんだろう。イオが勝手に人間関係を広げて、勝手に情報を集めて、勝手に何かを発見して。
——考えてみれば、元の世界でも似たようなものだった。AIに任せて、AIが整えた情報を受け取って、それを元に判断する。未来の人間の暮らし方って、結局そういうものだ。
ただ、ひとつだけ違うことがある。
元の世界では、何が起きても「ああ、そういうものか」で済んでいた。
この世界では——何が起きるか、本当にわからない。
不安か、と聞かれたら、まぁ、不安だ。
でも。
三回目の人生は、量子コンピュータでも火星定期便でもなく——剣と魔法の世界で始まった。
悪くない。悪くない人生かもしれない。
俺は寝台に潜り込んで、目を閉じた。
明日は、どんな想定外が待っているだろう。
——楽しみだな、と。
少しだけ、思った。




