第3章 はじめてのクエスト
街を出て三十分ほど歩くと、森の入り口に着いた。
鬱蒼とした広葉樹の森。木漏れ日が地面に斑模様を描いている。空気が湿っぽくて、苔と土の匂いがする。
「いいか、兄ちゃん。森に入ったら三つ守れ」
ゴードンが太い指を三本立てた。
「一、単独行動するな。二、知らない植物に触るな。三、変な音がしたら走るな。走ると逆に狙われる。静かに俺の後ろに来い」
「了解」
『有益な助言ですね。記録しました』
イオが感心している。お前、寝てる間に23人からリサーチしたんじゃなかったのか。
『文献情報と実践者の経験則は性質が異なります。ゴードンさんのような現場の知見は非常に価値があります』
正論だ。反論できない。
森の中を進みながら、ゴードンは次々と教えてくれた。毒のある植物の見分け方。魔物の痕跡の読み方。風向きから天候の変化を予測する方法。
「この赤い実は食うなよ。腹壊すどころじゃすまねぇ。丸一日幻覚見ることになる」
「怖っ」
「逆に、こっちの青い花——蒼星草は万能薬に近い。これが今日の採取対象だ」
『蒼星草。昨夜の情報収集と一致します。解毒効果の他にも、鎮痛・消炎作用があるとのことでした』
やっぱりリサーチ済みだった。
ゴードンは教え上手だった。元Cランクの実力に裏打ちされた知識を、噛み砕いて伝えてくれる。押しつけがましくなく、でも要点は外さない。いい教師だ。
「兄ちゃん、飲み込み早いな。冒険者向いてるかもしれねぇぞ」
「いやぁ、どうですかね」
飲み込みが早いのは、たぶん俺じゃなくてイオのおかげだ。ゴードンの説明をイオが即座に体系化して、脳内に整理された知識として提示してくれる。俺はそれを読んでいるだけだ。
……若干罪悪感がある。
蒼星草は森の奥、小川の近くに群生していた。青い星形の花弁が水辺に揺れている。確かに綺麗だ。
「よし、ここだ。根ごと抜くんじゃねぇぞ。茎の途中から摘め。そうしないと来年生えてこなくなる」
持続可能な採取。SDGsは異世界でも大事らしい。
黙々と蒼星草を摘んでいると、ゴードンが急に手を止めた。
「——静かにしろ」
声が変わった。さっきまでの気のいいおっちゃんではない。歴戦の冒険者の声だ。
「……何かいる」
風が止まった。鳥の声が消えた。森が静寂に沈んでいる。
『警告:周辺の生体反応に異常を検知しました。体温が周囲の生物と異なる個体が複数、接近中です。方角は——東、北東、北。三方向』
三方向?
「ゴードンさん、東と北と北東から何か来てます」
「——わかってる。囲まれかけてやがる」
ゴードンが長剣を抜いた。
「兄ちゃん、俺の後ろに来い。絶対に離れるな」
茂みが揺れた。
現れたのは——灰色の体毛に覆われた、狼のような魔物。ただし、狼よりも二回りほど大きい。目が赤く光っている。涎が糸を引いている。
一匹、二匹——五匹。
「灰狼か。……この辺りに出るのは珍しいんだがな」
ゴードンの声には焦燥が滲んでいた。
「一匹二匹なら問題ねぇが、五匹の群れは流石にまずい。しかも囲まれてる」
『灰狼。昨夜の情報収集には含まれていない魔物です。視覚情報から推定:体重約120キロ、咬合力は推定500キロ以上。単独でも一般成人には対処困難です』
怖い情報を淡々と報告するのやめてくれないか。
ゴードンが構えた。歴戦の冒険者の目をしている。
「兄ちゃん、聞け。俺が二匹引きつける。その隙に走れ。来た道を戻って、街に——」
「逃げちゃ駄目なんじゃなかったんですか」
「状況が変わった。初心者連れてる時の鉄則だ。守れねぇと思ったら逃がす。英雄になろうとすんな」
ゴードンの判断は正しいのだろう。元Cランクの経験が告げている。五匹は無理だ、と。
灰狼が一歩詰めてきた。唸り声が低く響く。
「——行け!」
ゴードンが叫んで、前に飛び出した。長剣が弧を描き、先頭の一匹の鼻先を掠める。灰狼が怯んだ隙に、もう一匹の注意を引く。
だが、残りの三匹は——俺を見ていた。
逃げろ、と頭が言っている。
足は、動かなかった。
『——提案があります』
イオの声が、脳内に響いた。




