第四話・聖女(仮)様の真実に関する考察
隠密活動『水無月』としての役目を完遂した後、夜明け前の静寂を利用しミナは密かに自室へと帰還した。
予定とは番う結果にはなったが、騎士カイルにはなぜか頼っても良いかと思ったのだ。それはミナ自身にも分からぬ理由でもあった。
誰にも頼るつもりはなかった。だが、あの場で思ってしまったのだ。
彼の正義に任せれば、面白い結末が見えるかもしれないと……、私の計画以上に膿を一掃できるのかもと。何より、可愛い弟アルの心労を考え、連日魔力を開放しているナミは、疲弊していたのだ。
魔力制御の開放による極度の疲労により、肉体的運動機能の低下が顕著であった。休息が必要であった。
しかし、ナミに休息が許されることはなかった。
弟アルが深刻な様子でそのドアを叩いていたからだ。
ナミは少しだけ緊張し、そして少しだけ高揚し、最愛の弟を室内に招き入れていた。
当主代理であるアルは、ミナの面前に跪座の姿勢を取る。それだけで、ナミの心は張り裂けそうに痛みを感じていた。
アルは泣きそうな表情浮かべながら震える声を絞り出す。
自身が犯した罪の告白。
公爵派との間で締結された契約書の内容の一切を告白した。
その表情には第三者からの背信行為に対する激憤は見受けられず、むしろ、初めて悪意に直面した者の後悔の念と「自己の責務」に対する強烈な自責の念が具現化されていた。
この純粋なる精神性が汚染される可能性に対し、ミナはあらためて公爵派の物に対し激しい憎悪を感じていた。だがその表情は穏やかな凪を装っていた。
ミナは姉としてアルを優しく抱擁し、その場で立つことを促した。
「当主代理アル殿。当該署名は誤謬として断定されるべき行為ではない!領民保護のため、心を尽くして最善の行動が企図された。そこには自己の欲望または虚偽は一切介在しなかったはず、そうでしょ?」
「その通りでございます。しかしながら……、警戒心を欠き、盲目的に信用してしまいました。私の、ぐ……、ふでぎわで……」
涙声で言葉に詰まるアルの手を優しく包み込むミナ。
「それこそが、その思いこそが、腐敗の蔓延する貴族社会において、貴方が最も大事にすべき、誰にも負けない……、アルが保有する純粋なる能力と言える力!」
「ですが……」
「いいから聞きなさい!人を信じる真心によって実行されたその判断は、何者からも非難を受けることのない、真の為政者として理想となるべき姿よ!大いに反省し、そして誇りなさい……、アル!」
ミナはアル頭を軽く撫で、ゆっくりと話を続けた。
アルの署名によって成立した契約書が、公爵の「不正」という闇を暴露するための決定的な証拠として機能することを、論理的かつ詳細に説明した。
「当主代理アル殿が信じた誠実さゆえに署名されたその契約書は、彼らの悪意を凝縮した重要な証拠となる。アルの署名は、彼らを社会的地位から駆逐するための、唯一無二の決定的な証拠として機能することになった」
アルが流していた涙は徐々に乾き、ミナの説明のしっかりと理解した。
ミナの眼差しには、不安や憎悪の感情は皆無であり、あるのは弟への絶対的な信頼と、彼を守護し抜くという不屈の決意のみであった。
アルは表情を引き締めた、その心中には強固な清純なる光が復帰していた。
「姉上。当該契約を彼らに対する反撃の烽火へと変革させることに尽力いたします!自己の後悔は、自己の言動によって贖罪されるべきものとして、しっかりとその役目を果たします!」
アルの男らしさを感じる真剣な表情を見つめるミナ。
「でも姉上、今夜は無理をされたでしょう?顔色が悪いです。私が言うのもなんですが、早くお眠りになってください。後は私が、ちゃんとやり遂げてみせますから……」
笑顔を見せたアルに手を引かれ、布団へもぐりこむミナ。
(それにしてもアルのさっきの言葉、無理をって……、まさかね?)
あるの言葉に違和感を感じたものの、その真実へはたどり着かなかったナミは、疲れた体を横たえ、深い眠りへと沈んでいった。
「姉上、カイル殿より助力も頂いた。私が、必ず姉上の納得できる成果を上げてみせます!」
自室で決意を露わにするアル。
アルは姉には内緒で騎士カイルに今回の事を相談していた。
カイルの情報源は公爵ではなく、アルからの情報であった。今回もカイルから『水無月』という盗賊まがいから託された侯爵の不正の証拠を保管しているとの連絡を上kていた。
それを知りながら、自身の罪を姉に懺悔したのだ。
アルは以前からミナのあの隠密活動については薄々勘づいていた。アルは姉の秘密の活動をしってしまった事を、今は告げるべきではないと判断し、口をつぐんでいた。自身の為に身を削る姉を誇りに思いながら。
それ故に懺悔である。
私は何も知らない。そして愚かな弟として叱責される覚悟で。
予想外の優しい言葉を姉から投げかけられ戸惑ってしまったが、アルの中で今後どのようにふるまうかは初めから決まっていた。
いずれ領主としての責を負う者としての当然持つべき覚悟として、自身の罪を心に深く刻み、その無知が招いた目の前の事態を終息すべく、その役目を全うすることこそが初手だと……。、
こうしてアルは何度も思考が堂々巡りし、眠れう夜を過ごすのだ。。
◆◇◆◇◆
数日後。
王都の最高法廷。
アルバート公爵によるエバンス領の権利譲渡要求に係る審理は、公爵派の貴族たちによる嘲笑と自信に満ちた雰囲気の中で開始された。
公爵側の弁護士はアルが署名した契約書を根拠として提示し、エバンス子爵家の没落を確信している状態であった。
公爵による勝利の確信が最高潮に達し、法廷内に完全なる静寂が支配したその瞬間、重厚なる法廷扉が激しく開放された。輝く甲冑を纏い、威厳に満ちた姿の騎士カイルが、その場に顕現した。
「待機されたし!当該審理はアルバート公爵殿下による公然たる不正及び背信行為によって遂行されていることをここに告発する!」
騎士カイルは公爵派貴族らの顔色の変化を顧みることなく、秘密工作員『水無月』より委託された書類一式を収めた箱を壇上に静置した。
彼は公爵派閥の不正な取引記録及び、アルを罠に嵌めるための悪質な契約条項を具体的に読み上げた。その告発内容は具体的かつ動かぬ証拠に基づいていた。
ここにきて初めて、公爵は自身が持つ書類の数々が複製、もしくはカイルによって模写された書類であることを知る。
更にカイルは、『水無月』が残した痕跡と自己の調査結果を統合し、公爵が採掘業者を買収し採掘物の横流しにより、領民を意図的に窮地に追い込んでいた事実を、「騎士の名誉にかけて」と告発した。
公爵は激昂しカイルを罵倒する行為に及んだが、既に法廷内の情勢は逆転していた。カイルの背後には彼が事前に説得した公爵派に反する複数の有力貴族たちが配置されており、彼らは『水無月』が事前にリークした情報により、公爵への不信感を募らせこの場に足を運んだのだ。
次いで当主代理アルが壇上へと歩み出た。
その風貌からは以前のような未熟さは見て取れない。
「私儀は実姉より指導を受けました。領主の責務とは、『権威の誇示』ではなく、清廉なる精神をもって『領民を庇護』することであると。この契約書は、自己の未熟であるの証左であります……。
しかしながら、この後悔を乗り越え、法と正義を盾に、当該領土及び領民を、悪意に対して負けない毅然たる態度で守護いたします!」
アルの純粋かつ誠実な、そして強い意志を秘めた言辞は、傍聴者及び判事の心に深く訴えかけ、法廷の空気は劇的に一変した。
ミナの……、『水無月』の周到な反撃、そしてカイルの正義感が相乗的に作用し、悪意の根幹たる公爵の威信は完全に崩壊した。
当該審理の結果、エバンス家による完全勝利が確立された。
アルバート公爵は不正行為の事実が公に証明された結果、全ての地位を剥奪され公的な領域より駆逐された。
セシル侯爵夫人を筆頭とする派閥の寄子貴族らも、次々と不正が露見しその地位を失った。
彼らに内在していた悪意は、ミナによって仕掛けられた反撃により自壊し、社会から完全に排除されるに至った。
勝利の裏で、ミナは書斎にて静謐な微笑を湛えていた。
(勝利の達成に際し、私は何者にも危害を加えていない。単に彼らの背信行為と悪意が自己の破滅を招くという、当然帰結する結論を演出したに過ぎない……。故に……、この手は清廉なる状態を保っている!)
ミナは『聖女(仮)様』という評価を最後まで意図的に維持した。彼女は審理に出廷せず公的な場に姿を現すことはなかったため、功績は全てアル及び騎士カイルの手柄として帰属し、彼らの英雄譚として語り継がれた。
ミナの真の目的は自己が英雄となることではなく、最愛の弟、アルを世の「希望の光」として確立させることであった。
勝者たる者は要求事項を有さない。
なぜなら、ミナの唯一の希求は「アル・エバンスの純粋なる存在が保護される」という一点に集約されていたためである。その唯一の願いが成就した今、彼女は名誉も地位も、本当に何も必要としなかった。
彼女が世間に向けて実行した「虚偽」は、極めて尊い愛の献身として認識されるべきである。だがミナはそれをしなかった。
ミナの本性を知る者はいない。
なぜなら、すでにそれらは貴族社会においてなんの影響力も有していない者たちのみなのだから……。
◆◇◆◇◆
三年間の歳月が経過した。
当主アル・エバンスは温厚かつ誠実な名領主として、領民より多大なる信頼が寄せられる存在へと昇華していた。
彼は過去の後悔を教訓として活用し、領民の意見を真摯に聴取する賢明なる統治者として成長を遂げた。
エバンス領は魔鉱石の輸出も順調に回復し、王国有数の豊かな領地としてかつての輝きを取り戻していた。そもそも三年前のあの日まで、公爵派により搾取されていたのだから当然のことであろう。
騎士カイルは、エバンス領の警護隊長職に就任し、当主アルの補佐を確固たるものとしていた。
彼はミナが隠密『水無月』であるとの確信を有しているものの、その事実の開示は厳に抑制されていた。
彼は時折、ミナの優雅な微笑の奥に『水無月』の冷徹な知性と、絶対的に負けない強さを認め、静かに敬意を表していた。
カイルはミナの虚偽が、エバンス家を守る為のみにおいて重ねられているのだと理解していた。
ミナは今も表向きは「病弱な令嬢」として読書及び薬草研究に従事している。
その一部で、彼女の存在はエバンス領の「清廉なる守護者」として伝説的に語り継がれている。
「姉上!港湾の拡張計画、領民の総意を得て賛成されました! 姉上の指導の通り、真摯に説明すれば、必ず意思疎通が図られるものですね!」
アルが帰宅し喜びを伴う報告を行う。
その瞳は三年を経た今も、過去の後悔に打ち勝った清らかな光を湛えていた。
ミナは手元の書物を閉じ優しく弟の肩に触れた。
「ええ、当主アル。貴方は真に立派な領主となられた。貴方の純粋性こそが、この領地を照らす光源であると、私は誇らしく思います」
夜間、アルが就寝した後、ミナは自室の秘密通路にて密かに黒装束と漆黒の仮面を身につけた。
アルの純粋なる精神と、領地の平穏。
それらが彼女の存在意義の全てであった。
彼女の戦いは終結しない……。なぜなら、アルの清廉さを守護するためには、この世に悪意が存在する限り、『水無月』はその活動を継続せねばならないのだ。
ミナは窓外の満月を仰ぎ見て静謐な笑みを浮かべた。月光は彼女の着用する仮面と、その深奥に秘匿された情熱的な献身とを淡く照らし出していた。
勝者たる者は要求事項を有さない……。
全てを駆逐する聖女(仮)による、虚偽……、愛に基づく自己犠牲に満たされた物語は、今後も静穏裡に、しかしながら揺るぎなき影響力をもって継続されるのである。
勝者は何も望まない(愛ゆえに)。全てを駆逐する聖女(水無月)様。
終
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