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明るい未来を手に入れるために

 孤児院に預けられてから一週間ほどが経過し、どこか虚ろな状態となってしまっていたフロレンティーナの心も、少しずつだが正気を取り戻しつつあった。


 孤児院での暮らしは恐ろしく慎ましやかだったから、貴族の優雅な暮らしに慣れていた彼女からしたら、とてもわびしく感じられた。


 食事もパンとスープ、それから少量の野菜中心で、腹一杯は食べられない。肉なんてもっての外。


 寝る場所も二段ベッド二つが一つの部屋に置かれて四人で寝るといった生活だったから、プライバシーも何もあったものではなく、とても窮屈に感じられた。


 それでも、この国は赤道に近い場所に存在するため、寒さに震えることはなかった。逆に暑さに悩まされることにはなったけれど、凍え死ぬことだけはなかったので、それだけは救いだった。


 孤児院を運営する院長先生の老婆や、職員、それから共に生活している子供たちも誰一人悪い人はいなかったから、人間関係に苦労することもなかったので、それも救いだったのかもしれない。


 だけれど、今後のことを考えると手放しで喜べるものではなかった。


 孤児院はあくまでも子供たちが住む場所だ。働ける年齢になったら出ていかなければならないし、身寄りもなく、わけもわからないこんな世界に一人放り出されたら、どうしていいかわからなくなってしまう。


 今はまだ五歳だし、院内で子供たちが行っている内職を通じて、一人で世渡りできるように多くの教養や技術を身に付ける時間はたっぷりある。


 なので、孤児院を卒業する十五歳になるまでに、ありとあらゆる技能を身に付ければなんとかなるかもしれないけれど、それまでの十年間をどう過ごせばいいのか。あるいは十五になったあと、どんな未来が待っているのか。それを思うと不安しかなかった。


 それに、当然この世界では前世での常識がまったく通用しないし、貴族の子供として生まれた関係上、貴族社会の常識や生活ぶりがある程度身についているから、庶民の暮らしに耐えられるかどうかもわからない。どう考えたって、不便で不快でひもじい生活を送る羽目になるのは目に見えている。


(お風呂だってこの世界にはないし、髪だって頻繁に洗えるわけじゃない)


 貴族もそうだが、庶民も基本的には水で濡らしたタオルで身体を拭くだけだ。シャワーなんてないし、頭から水をかけて洗い流すなんてこともない。


(水は貴重だし、話に聞く限りだと、前世の水と違って不純物も多いから普通に身体洗っちゃうと細菌や鉱物なんかの影響でかえって病気になるとか言われたし)


 今は亡き父や母、侍女たちからそのようなことを聞いたような気がする。だからもし、どうしても前世みたいな暮らしがしたいなら、煮沸せずともそのまま飲める水を魔法か魔導具で出すしかないそうだ。


(どうしよう……)


 フロレンティーナは他の孤児たちと一緒に食堂で粗末な朝食を口に運びながら、ひたすら憂鬱な気分に陥ってしまった。

 そんなとき、扉が開いて一人の巨漢が姿を現した。


「あら? ルキウスさん。おはようございます。今日もお早いですね」

「あぁ、おはようさん。ちょっくらギルドの仕事で野良作業手伝ったら、野菜分けてもらったんでな。ここの子供たちに食わせてやろうと思って、持ってきたんだよ」

「まぁ、そうだったのですね。本当にいつもいつもありがとうございます」


 ルキウスと呼ばれた大男と孤児院の若い女性職員がそんなことを話しながら、朗らかに笑い合っていた。


(あの人は……)


 そんな二人を見ていたフロレンティーナは「あっ」と、一週間前の出来事を思い出していた。


 ルキウス・ロマ・ジークヴァルト。三十五歳。


 牢の中に囚われていたときに、賊の親玉を瞬殺して彼女たちを助けてくれた命の恩人の冒険者だった。

 話に聞いた限りだと、彼は凡庸な男で、冒険者としても中の上といった感じのどこかうだつが上がらない下級冒険者という話だったが、とても人のできた人間なのだそうだ。


 あの盗賊退治の時には恐ろしく強く感じられたが、相手が弱かったのか、それともあのときだけアホみたいに強かったのかはわからないけれど、ランク自体も低いらしい。


 しかし、仕事ぶりは本当に真面目で、二十年近くこの世界で働き続けてこの街ではかなりの有名人とのことだった。

 悪い噂も聞かず、どこか抜けているところはあるものの、本当にいい人なのだとか。


 だからこうして、定期的に孤児院に顔を出しては援助までしてくれている。

 その日暮らしの生活を送っていることが多い冒険者であるにもかかわらず、だ。


(そんないい人、前世でもあまり見かけなかったのにね)


 あっちの世界だけでなく、この世界でもそうだ。みんな自分の生活で手一杯で、人のことまで気にする余裕なんかない。

 ましてやどこの馬の骨ともしれぬ孤児たちを支援してくれる人間など皆無に等しい。

 それなのにこうして足繁く通ってくれている。


(どうしてああいう人が、もっと裕福で幸せな生活をすることができないんだろう。善人で、努力している人が報われないなんておかしい)


 お人好しだからバカを見る。どこの世界でもよくあることだし、そういうことなのかもしれないけれど。

 フロレンティーナは自身の境遇と重ねてしまい、思わず溜息をついてしまった。

 そんな彼女に気付いたのかどうか。大男が「おや?」という顔をして近寄ってきた。


「君は確かあのときの……。その後、どうだい? ここでの生活は」


 ニコニコしながらそう声をかけてくれる彼に、フロレンティーナは意味もなく胸がじわっと熱くなってしまった。

 もしかしたら、両親と死に別れて初めて触れられた本物の優しさだったからかもしれない。


 おかしな出会い方をしたけど、それでも親の仇を取ってくれた人。そして、とてもいい人。

 フロレンティーナは泣きそうになる心をぐっと堪えて、久しぶりに笑顔を見せた。


「うん。新しい環境だからいろいろ大変だけど、みんないい人たちだからなんとかやっていけてます」

「そっか。ならよかった。あのとき、いろいろやらかしてしまったから一時はどうなることかと思ったけど、本当によかったよ。あ、その、君の境遇のことは残念だけど」

「いえ。気にしないでください。助けてもらえただけでも、ありがたいので」


 彼女はそこまで言って、背後の男にぺこりとお辞儀した。

 ずっと言えていなかった感謝の言葉を伝えられて、どこかすっきりしている自分がいた。


「そか。だったらいいんだけどな」


 大男もどこか照れたように鼻の頭を擦っている。

 フロレンティーナはそんな彼を眺めながら、この人に何かしてあげられることはないだろうかと思った。

 この純朴そうな男の面影が、どこか前世の父や今生での父と重なり合う部分がある。


 本来、生きたくても生きられなかったあの二人に向けるはずだった親孝行を、この人を通じてしてあげたい。勝手に父親の代役にしてしまうのは失礼なことだとは思うのだけれど、恩返しという形で二人分の孝行をしたい。

 そう考えたとき、ふと、彼女の脳裏に閃くものがあった。


(そうだ。私は前世の知識もあるし、あっちの世界で身に付けた舌先三寸の処世術もある。それを使って、なんとかこの人に幸福な人生を与えられないかしら?)


 それに、今後の自分の人生のことを考えたら、やっぱり誰かの庇護下に入った方がいいに決まってると、本能が告げていた。

 自分は女だ。

 最悪、どこかの家に嫁に行って旦那に食わせてもらうという手もある。

 だけれど、今は孤児だった。


 貴族としてそのまま生きていれば、いずれはどこかの貴族に嫁いで贅沢な暮らしができていたかもしれないけれど、今の自分にそれはない。


 孤児の自分に嫁のもらい手があるかもわからないし、もし変な人のところに嫁ぐことになったら最悪だ。


 かといって女一人で生きていくとなると、それなりの障害が待ち構えている。店を開いて商売やるにも開店資金と運転資金がいるし、職人として働く場合にも、センスがなければどうしようもない。だからといって、この大男みたいに冒険者になるにはあまりにも怖すぎた。


 なんの力も持たないか弱い自分に、魔獣や魔物と直接戦えるとは思えないし。

 だったら――


「あの……ルキウスさん……?」

「うん? どうした、改まって」

「はい。あの、実は……お願いしたいことがあるんです」

「お願い?」

「うん。ルキウスさん、結婚まだって聞きました。お子さんもいないって聞きました。無理なのはわかってるんですけど、私を養女にもらってくれませんか? 一生懸命、親孝行しますから」


 真剣な顔してそう告げた瞬間、ガヤガヤしていた子供たち含めて、その場にいたすべての者たちが一斉にフリーズした。

【次回予告】貴族として生きるよりも(前編)

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