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EVERLIGHT  作者: 三羽巽
第一章『絵本の世界と魔女の国』
7/16

第五幕『邂逅』

 見るも無惨な伝説に、ジンは思わず目を伏せた。エルシーの言葉通り、それは目にすれば明らかな話であった。



 ──こんなものが武器になり得るわけがない。



 それは、誰の目にも明白だった。もはや金属というよりは風化した砂岩に等しい見た目をしたそれは、信仰による付加価値さえなければコソ泥ですら目もくれないだろう。再び目を開いて期待外れなその棒切れを見遣ると、ジンはただひたすらに残念だと吐息を漏らした。



(こうなるとありがたみなどはないな)



 もはや一瞥(いちべつ)の価値もないな、とジンは思った。



「あたしも(おんな)じ反応だったなぁ」



 懐かしい、と言わんばかりに遠い目をする聖女にジンは口をつぐんだ。


 そうして室内をもう一度ぐるりと見渡す。切り出した石造りの聖堂は人の気配などはなく、地下特有のひんやりとした冷気が二人の火照った体を包んでいる。時折、結露した水滴が上から滴り、水溜まりに飛び込んではぴとぴとと音を立てている。



「模造剣らしきものが見当たらないが……」



 ジンはようやく息を整えたエルシーに本題を切り出した。



「えっと、聖剣の奥に棺があるの。そこにあると思うよ」


「よし、行くぞ」



 一呼吸挟んだエルシーにそう言われると、先立つものが欲しいジンは急ぎエルシーの手を取って棺へ歩み寄った。



「ふぇっ⁉︎」



 今のままでは露払いすら困難を極める。焦りは少女の気持ちだけを置き去りに聖堂の奥へと二人を運んでいく。道すがら「あぅ、あぅ」としどろもどろになっているエルシーとジン。二人は台座に足をかけ、その聖剣の向こう側を見た。



「これが……」



 棺は華美な装飾こそないものの、厳かな彫刻細工が成されていた。見事としか言いようのないそれは、一目に格式の高い者を祀ったものだと分かった。その石造りの棺の上蓋には、掘り出された女神象が剣を抱いていた。これだけ大気に湿り気があるというのに、その剣身には錆一つ見当たらず、鏡のように艶やかであった。



「……取るぞ」


「えと、あっ……はい」



 振り返ると赤く上気した顔にジンはまたか、と頬を緩めた。不思議と前のように悪い気はしなかった。



「あっ」



 ふっ、と。少し明滅したかと思えば、エルシーの短い悲鳴と共に光は消え失せ、聖堂内はとっぷりと闇に満たされた。蝋燭などという気の利いたものはなく、四方八方どこを見渡しても砂粒ほどの光も見当たらない。その完全なる深淵にエルシーの温かい声が響いた。



「ごめんね、すぐ点けるから」



 間もなく爪灯(ソアラ)と聞こえたかと思えば、視界に彩りが広がった。







 ────血のように不気味な赤が。




「なっ──⁉︎」



 急いで剣の柄を握ったジンだったがあまりに遅すぎた。この部屋になかった色を着たその女は、二メートルほどの細身の体だ。しかしそれはおよそ人とは思えない力で、剣を交えた事など物ともせず、ただの一撃でジンを壁まで運んだ。



「ジンくんッ‼︎」



 揺れる脳と頸椎に(いかづち)のような危険信号が発信され、意識を手放す寸前だったジンだったが、エルシーの呼びかけでなんとかその意識を繋ぎ止めた。だが突き抜けた衝撃は体の内部をズタズタに掻き回し、前触れもなく訪れた緊急事態に全細胞が快復に向けて何をすべきか迷惑していた。ジンはずるりと壁から抜け落ち、地面に着くと同時に、血反吐を吐いて気道を確保した。酸素を供給された事で一気に思考が明瞭になる。それと同時に突然全身の毛穴を無理矢理こじ開けられたような寒々しさに、ジンの体は総毛立った。


 先ほどの魔女とは一線を画すると一目見て分かった。

 それは、見た目にこそただの淑女である。ただその濡鴉(ぬらがらす)の髪に、月色の瞳。(あで)やかにして煌びやか。病的な白に色香の全てを手にしているその姿からジンが感じたのは、



(なんだ、こいつは……⁉︎)



 圧倒的恐怖。もし唇を緩衝させなければ歯の根は無様にカチカチと鳴り響いていただろう。一戦を交えたジンには分かった。先ほどの魔女とは比べる事すら烏滸(おこ)がましい、魂そのものから別次元の存在であった。なんなら、ジンの村を襲った魔女より恐らく高位だ。逆らう事すら無駄だと思わせる現人神(あらひとがみ)のような、圧倒的な存在だけがその華奢な身から放たれていた。



「──人よ」



 こぼれる。言葉が。こぼれる。(まなじり)から涙が。死に立ち向かうべくなんとか震え立たせた意思とは裏腹に、体はとうに生きる事を諦めていた。



「──友を」



 走馬灯の手配の前段階として、ひどくゆっくりと流れていた時間。その中でただの一度も注意を逸らしていないというのに、確かに唇から()ったはずの言葉はジンたちの耳で嚥下(えんげ)を許さず、代わりに高周波な耳鳴りがジンを襲った。脳全体を揺らして響くそのよく通る声は、ひどくノイズ混じりで人の身には余る声音だった。もはやジンにできる事と言えば地べたに這いつくばって震え、唇から言葉を読み解く事くらいだった。



「──救い」



 エルシーはその一言で倒れた。ただ意識は絶たせてもらえず、ただその存在感だけで喉を締められているのだと推測できた。ジンなど距離を取っているのに息を忘れていた。いや、そもそも息の仕方を忘れていた。ただ吐息と共に魂が漏れ出さないよう、息を止めるのだけが生の最適解であるとそう本能が訴えていた。



「──崇め」



 犬のような呼吸しかできなくなったジンに背を向けたその魔女は直立したままエルシーに手底(たなぞこ)を向けた。



「ぁ、ぅ……」


「──敬い」



 エルシーの口から吐息と共に白い(もや)のようなものが見えた。ジンはそれを見た事があった。魔女の捕食だ。魔女は人の魂を喰らい、その身の糧とする。中でも特に女の魂はよく馴染むらしく、(えつ)に入った魔女の顔を思い返したジンは、怒りで唇から血を滲ませた。



「ふざ……けるな……!」



 ザリザリと地面を引っ掻きながら、ジンは魔女へと少しずつ近付いた。こちらに気付いているような感覚がすると言うのに、人が虫を気にしないのと同じように、その魔女は無防備な背中だけを見せ続けた。



「かっ、あぅ……‼︎」


「──殺せ」



 エルシーがどんどんこぼれていく。涙が、胃液が、意識が、魂が。



 ──これ以上、奪われてたまるか。



 ジンは死力を尽くして立ち上がった。軋む骨の代わりに踏み潰した石飛礫(いしつぶて)が悲鳴を上げた。それでもなお魔女はこちらを向かない。単に気付いていないだけかもしれない。ただ間違いなく言える事があるすれば、そもそも脅威だと思っていない。それはそうだろう。ジンの手元にあるのは吹き飛ばされまいとした時に手にした聖剣のみで、それも風化していたが為によく焼けた焼き菓子のように接地面からぽっきりと折れていたのだから。



「──日輪が一つ」



 エルシーの腕が落ちた。間もなく命が一つ奪われる。



 ──ふざけるな。



 魔女は搾取する側で人間はされる側。それがこの世の不変な事実である。食物連鎖の頂点に逆らう事の愚かさは淘汰への最短の近道である。魔女に逆らってはいけない。無力な人が決めたこの世の理。



 ──そんな世界なら──。




 また一歩踏み出した。しかしあと一歩が届かない。しかしこれ以上近づく事は許されない。空気の層とも言える、威圧感。目には見えず触る事もできない壁がジンを静かに拒んでいた。



「オレがぶち壊してやるッ!」



 これで終わってもいい。さらに一歩踏み出し振りかぶった。臆病なまま生きるくらいなら、せめて一矢報いてやる。いや。何よりも、生きたいと願った少女を見捨てる事などジンには到底できやしなかった。


 声を大にしたというのに、魔女はそれでも振り向かない。振り上げた錆びた棒切れ。傍目に見れば恐れる必要がなかったのかもしれない。


 ──しかし、



「……ッ⁉︎」



 血が落ちた。魔女の纏う赤いドレスのような血が背から滴る。赤を裂き、白を裂き、肉を裂いた。ドロっと流れ出た血が服では止まりきらず、ポタポタと石床を叩いていた。


 額から浮いた汗が頬を一閃し、輪郭を伝って地面へ降った。その瞳に映るのは偏に語るには難しい感情が含まれていたが、ジンは初めて見た。


 ──魔女の戦慄する顔を。そして、



「これは……」



 振り下ろすまで確かに棒状の錆びた鉄の塊であったはずのそれは、切っ先に赤を滲ませ、銀色(しろがねいろ)に輝やいていた。ただそれも気にはかかったが、ジンが真に驚いたのはやはり魔女の反応だ。幼い頃見た魔女。見習いの魔女。絵本から剣を出した魔女。そしてこの濡鴉の魔女。その誰も彼もが他者に対する関心が無かった。視線が合うことがなかったからだ。その魔女が、今、こちらを見て狼狽(ろうばい)しているのだ。瞳の月は萎縮して小さく揺れていた。



「けほっ、こほっ」



 その魔女の傍にいたエルシーに息のある事を確認したジンは心中密かに胸を撫で下ろした。



何故(なぜ)、お前が──」



 魔女が全てを言い終えるよりも早く、ジンは一の足を踏み出していた。それはジンが駆け出したというよりも、まるで聖剣に導かれているような、不思議な感覚だった。



「ウォオオオッ!」



 しかし単調な攻撃は空を切る。鈍い風切り音だけを残した魔女ではあったが、ジンの目的はエルシーと魔女とを離す事であった。



「ジン、くん……?」


「立てるか?」



 うつらとした焦点の定まらない視線が確かに合った事を尻目に捉えたジンは、放心したように独り言を繰り返す魔女と再び相対(あいたい)した。



何故(なにゆえ)、私じゃない……どうして、こんな、私を拒むのだ。何故(なぜ)、何故、何故何故何故何故何故何故、何故」



 ぷつり。と壊れたテープが切れたように、天を仰いだ魔女はただ一言、



「──ああ、そうであれば」



 何かを悟ったかのような呟き。魔女は洪水のような吐息ではなく、紅茶を飲んで吐息するような、穏やかな声でそうこぼした。



「足に、力が……」



 一方で状況は良くはなかった。なんとか上体を起こす事はできているものの、腰が抜けているのか、エルシーは立つ事ができなかった。移動もままならないとすればそれは死を待つ被食動物となんら変わりがないと言えた。



「ジンくんだけでも、逃げて」



 そんな事、エルシーもよく分かっていたのだ。だからこそ、そんな戯言(たわごと)を口にしてしまう。しかしその顔にあるのが絶望ではなく足手纏いにはなりたくないという悔しさであるのなら、ジンもただ殊勝な事だと一笑に伏した。



「お前は、オレが守る。だから、余計な考えは捨てろ」


「ジンくん……」



 服の裾を握る手は震えていた。この少女を見捨てる事などジンにはできやしない。元よりそのつもりもない。だからこそただ対峙する敵に剣を向け、身構えた。



「──深淵に寄り添い、(つつし)み、(またた)き、漸開(ぜんかい)に世界の行く末までを見届ける者よ。其の眼下に(うごめ)く薄く(へだ)たれた運命(さだめ)に、玉鳴る間の調和を与えよ」



 魔女が言葉を発する度に、魔女の指の先から満ち欠けした小さな月が虚空に収まる。それは真円の弧を描きながらゆっくりと赤を取り囲み、やがてそれらはゆっくりと魔女の周囲を回りだした。



「イドゥリ・ファナク・ソウ・ラファ──」



 魔女の口が半月状に開き、ジンが「来る」と思った瞬間、



「──鏡月(ウァルプルギス)



 (ささや)くような言葉がこぼれた。それと同時に回っていた小さな月は曲線を結んで円となり、その鏡面に世界を反射した。そこに映るジンとエルシーは脳まで焦がさんとするほどの圧倒的な光に迫られ、とうとう敵を前にして目を開ける事ができなかった。



 腕で遮ってもなお余る眩惑(げんわく)の残像。目を開けば失明する。それだけが直感的に理解できた。……しかし、全てを焼き尽くさんとする鮮烈な光は次第に闇を招き入れ、やがて静かに夜と調和した。



「────生きて、いる……?」



 ジンは滲む視界に多少の違和感を覚えながらも、フラつく足で確かに地を踏み、裾を握るエルシーの無事も確認すると、靄がかる視界で赤い魔女を探した。


 妙な違和感だ。あれだけ大仰な光を放ったにも関わらず、命を奪う事も無ければ、二人にはかすり傷ひとつ無いのだから。



(一体なんの目的で──)



 歪んでいた視界が正常に戻った時、ジンは違和感の正体に気付いた。



「──あはァ、おっかえりィ!」



 視界の端に映った鈍色。襲いかかるそれに手にした剣を示し合わせれば、交差点に火花が散った。



「ここは……!」



 明瞭になる視界。見覚えのある場所に、聞き覚えのある声。忘れもしない。苦渋と辛酸を舐めさせられたあの場所──大聖堂だ。



(どういう事だ……?)



 ジンたちは確かに地下へと潜ったはずだ。奈落へ続くような螺旋を降り、聖剣を手にし、赤き魔女へと一矢報いて、それから──。



 思い返せど、ここに至る理由など見当たらない。敷いて挙げるならば、魔女の光だろうか。しかしどれほど周囲へ目配せして赤を探しても、それを放った本人はどこにも見当たらない。そしてあれほどの強さと存在感を誇る者が自分たちを見逃した理由も見つからない。


 聖堂から大聖堂へ移動した理由は分からないが、依然脅威が去った訳ではない。ここが大聖堂であるならば、と。そこまで思考を巡らせてジンは初めてハッと思い至った。



「そうだ、バルフは──」



 今はこの場に残した友の方が気掛かりだった。


 自分たちを逃すためただ一人で殿(しんがり)を務めたバルフ。そんな友を探してちらと周囲へ目を見遣るも、見過ごすはずのない体は見えない。あるのは痛々しいほどの血痕ばかりでその姿はとんと雲隠れしてしまっていた。



「バルフを、どうした?」



 怒りに弾け飛びそうな声を懸命に抑え、努めて冷静を装ってジンは聞いた。



「あはっ、そいつに聞けばァ?」



 鼻で笑い飛ばすその魔女が指差す先。切り分けられた影から月明かりに躍り出てきたのは、病的なほど痩せ細ったそばかすまみれの女。銀色の髪に藍色を宿した瞳。フケまみれの髪はせっかくの銀をくすませており、不健康に乾燥しきった肌や唇。身体的な特徴も相まって冬の枯れ枝を思わせた。着の身は黒の外套一つ。そして、



「きひ、ししっ。ここに来ると思った」



 狂ったような笑み。蹴れば折れそうなほど全身が急所と言っても良いその姿に、一見ほどの隙はどこにもなかった。



(──こいつも魔女か)



 背筋を捉えたうすら寒さに、ジンは直感的にそう判断した。



「ジンくん、あれ……」



 子鹿のように足を震えさせながらもようやく立つに至ったエルシーがくいと袖を引けば、ジンはその指差(しさ)された方向へと視線を見遣った。



「何故、お前が……?」



 声が震えた。焦点が定まらない視線はただ目の前の現実を拒んだ。しかしその現実はしかと足を前に出し、その身に不釣り合いなほど小さな剣先を、ジンへと向けた。その傍に立つ銀髪の魔女はと言えば奇妙な笑い声を上げ、血眼になりながらジンを指差した。



「きひっ。こひ、こい、コイツもいひ、いーいけど、おま、おま、お前もい、いいいなぁー。わた、わたひ、私のコレクションに、おま、お前も、くわ、加え、ひひっ」



 ひどく(ども)って聞きづらいその言葉にジンは、



「黙れ」



 (したた)かに閉口を命じた。それは聞くに()えない、という気持ちよりも、ただ眼前に立つ情報を処理したいという気持ちの方が遥かに大きかった。しかし、その魔女にしては面白い事であるはずなどない。



「くっ……あ、ああ、アイツを、やや、やれ!」



 その号令に従うべく、大柄な男は駆け出した。そこには砂粒ほどの迷いもなく、ただ主人(あるじ)が発した言葉を全うすべく、剛腕を以って剣を真一文字に振るった。



「きゃっ⁉︎」



 ジンは降りかかる火の粉を払うべく剣筋を交わらせ、鈍い金属音を響かせた。後ろにいるエルシーを思えば剣閃を逸らすことなどできず、ジンは(つば)迫り合いを強いられた。



「なんのッ、冗談だ!」



 眼前で剣を交える相手に言葉を投げかけるも、返事はない。それどころか、男はこちらを見るどころか目を開いてすらいなかった。視界の閉ざされたまま無明の敵を捉えて叩き潰さんとする人間離れしたその姿に、ジンは心のどこかにあった儚い希望を消した。



「バルフ、お前は……」



 ジンの(まなじり)から頬へ、銀が一線走った。濡れる碧は友の顔を正面から捉えた。その土気色をした無表情に、ジンはもう友がこの世にいないのだと察した。



「……すまない」



 輪郭を伝って流れた雫が床を叩いた時、ジンは誰にともなく謝った。その謝罪を受け取るべき相手はもういないというのに。有り体に言えば自己満足だったのだろう。けれど、ジンはその言葉を口にせずにはいられなかった。そうでなければ胸中に渦巻く自責の念に、肺が押し潰されそうになっていたからだ。



「ジンくん!」



 エルシーの呼びかけに現実へ連れ戻されたジンは、視界の端から襲いかかる銀閃に気付き、バルフの剣を弾いてその剣を受け流した。



「あはっ、何勝手に盛り上がってんの?」



 もう一人の魔女が振るった剣先はそのまま軌道上にあったバルフの脇腹を抉った。それにも関わらず、バルフは呻き声を上げるどころか身動ぎ一つしなかった。



「おま、おまおまお前……。ヘテロ、お前だけは、ころす」


「はぁ? カトリチアさァ、見習い卒業できたからってチョーシ乗っちゃってる?」



 また虐めてやろうか! と続けた魔女ヘテロにカトリチアは「ほざけ!」と返した。


 ヘテロとカトリチアはジンとエルシーの存在すら忘れたように争い出した。ヘテロは剣で、カトリチアはバルフのみならず、地面から複数のしゃれこうべの兵士を生み出し、そのままヘテロへ向けて突撃させた。それを見たヘテロも負けじと手元の本から剣を複数召喚すると、迎撃に努めた。そんな人間離れした(いさか)いは激化を辿る一方であった。あの赤い魔女の事も気がかりだったジンは、エルシーの腕を引いて密かにその場を後退する決意をした。



「エル、一旦引こう」


「……ジンくんはそれでいいの?」



 ──いい訳がない。



 しかしエルシーの手は震えていた。けれど、その目は強い意志で諦めるなと言っていた。ただ打つ術も見当たらないジンは、肺を震えさせながら「ああ」と口にするしかなかった。



「行こう」



 後ろ髪引かれる思いのままジンがそう言うと、手を引かれていたエルシーが途中でかぶりを振って、二人の魔女に向かって両の手を向けた。



「おい!」



 勝手な事をするな、とジンが言うよりも早く、



赦祓(エルーラ)!」



 エルシーはその手から光の波動を放った。その鋭くも温かな黄金の光は大聖堂を包むように広がり、やがて魔女たちの武器を祓い落とした。



「なっ⁉︎」



 もたらされた奇跡はその一同の顔と声を、驚愕一色に染め上げた。



「やられてばっかじゃいられないっしょ……!」



 顔と一緒に膝が笑っていれば、それが虚勢である事など誰の目にも明らかだった。けれど、そんな少女が諦めていないのだから、どうして自分が諦められるのか。動揺していたジンの心に、エルシーの勇気が波紋した。



「ジンくん、あーしも戦うよ。だから──」



 震える肩にジンは手を置いて「もういい」と伝えた。



「下がっていろ」



 食い下がろうと振り返った少女の目が闘志の宿った瞳とかち合えば、少女はぱあっと日の咲く明るい笑顔で「うん!」と頷き後退した。



 どうなっても知らない。しかし自分は聖女を守る聖騎士だ。その聖女が魔女に狙われるならば魔女を討ち払うまでだ。


 そんな言い訳じみた言葉で自分を納得させ、怒りに戦慄く魔女たちを見据えた。



「だるっ。魔法が上手く機能しないのってその女のせい?」


「しし、侵害心外シンガイぃッ!」



 二人の魔女の視線が一つに交差する。エルシーを終点とするその交差上に立ったジンは、手にする剣でその焦点を絶ち切った。



「だったらなんだ。泣き言でも言うのか?」


「ムカつく。そのスカし顔、絶対ぶち壊してやるッ」


「……ほじゃけェ!」



 怒り任せに無理やり魔法を発動させた魔女たちは、それぞれ得意とする魔法を発現させる。ヘテロは剣を数本、カトリチアはぎこちなくもバルフの体を動かした。


 しかし数の優位性はあってとて、そこに巧みな連携が無ければそれも形無しだ。バルフの剣がヘテロの剣を弾き、もう一つのヘテロの剣がバルフの剣の軌道上に重なった。



「邪魔すんな!」


「お前ががッ!」



 ジンは動きの止まった瞬間を見計らい、今だと駆け出した。手始めにバルフの剣を聖剣で打ち払い、ヘテロの剣を奪い取るとそれでそのままバルフの剣を弾き飛ばした。



「眠ってくれ」「させ──」



 そのまま高く舞い上がると、ジンはヘテロの剣で首目掛けて真一文字に切り裂いた。



「させ、させ、させない。わた私の王子しゃま!」


「クソッ……!」



 もう片方の手にあった聖剣で追撃するも、バルフは数回後ろに飛び退くだけで無傷のままカトリチアの元へと戻った。


 しかし、その最中(さなか)にジンは確かに見た気がした。その口角が上がっているのを。修練場で見たあの笑みを。あるいは幻想だったのか。ジンがバルフの笑みの真意を測っていた時、



「──あーあ、時間切れだわ」



 不意に、ヘテロがそう呟いた。外はわずかに白みだし、夜明けの片鱗を見せていた。夜が終わる。魔女が夜行性と言った話を聞いた事はないが、やりたいようにやられたとあってはジンとしては面白いはずもなかった。



「このままタダで帰るつもりか?」



 ジンが手にした剣を持ち主の顔目掛けて投げると、ヘテロはそれを避けるでもなく、ただ軌道上に開いた本を構えた。



「なっ……」



 ずるりと、剣は飲み込まれた。そればかりか、その本からはお返しとばかりに無数の蔓が中から這い出で、うぞうぞと意志を持った蛇のようにうねりだした。



物語の氾濫(ティラッド)



 さらに本はヘテロの手を離れても宙に浮き、蔓の存在もあってそれはもはや独立した生物のようだった。



「へてへて、ヘテロォーッ! しょそ、それはズルい!」



 その身に余る怒りを声にしたカトリチアの訴えに、ヘテロは「はァー?」とどうでも良さそうに耳の穴に指を突っ込み、ぐりぐりと(ねじ)った。



「あのさァー、悔しかったらもっと使える固有魔法にすりゃ良かったじゃんね。ショボくて弱い人間を生き返らせる反魂とかいう下らない魔法に命賭けるとか馬鹿すぎでしょー」



 しかも未完成、とヘテロが続けるとカトリチアは悔しそうに唸り、地団駄を踏んだ。



「わたたしの魔法は、くらだなくないッ!」



 思うままに喋るカトリチアの言葉を、ヘテロは爪についた耳かすと共に吹き飛ばす。



「まっ、そんなわけだからさァー」



 ヘテロはそう言って懐から平筆を取り出すと、本から出ている蔓の表面をそっとなぞった。すると蔓は本の在り処など憶測でしか割り出せないほどその大きさと密度を膨れ上がらせた。



「──ここいらでお別れでーす!」



 犬歯を剥き出しに邪悪なウィンクをして見せたヘテロの行動に、カトリチアは「王子しゃまッ!」と叫んでバルフを呼び寄せた。



「待てッ!」



 バルフはジンの声など聞こえていないかのように振り返らず、そのままカトリチアを肩に乗せて一目散に逃げ出した。その肩に乗るカトリチアは悔しげに親指の爪をかじっていたが、友を連れ去られたジンの心境の方が計り知れない。



「クソっ!」



 今すぐ何かを激情のまま蹴り飛ばしたい気持ちにさせられたが、同格の魔女ですら尻尾を巻いて逃げる脅威が健在であればそれも叶わない。ジンは歯を鳴らしながら視線でエルシーを呼んだ。



「待って、もーすこし……!」



 エルシーは無防備に祈りを捧げていた。朝靄に光が集う神秘的な光景。ジンは瞬時にその行為の意味するところを汲み上げた。



(そうか、先刻の法術なら──)



 エルシーの法術であれば、先ほどのように無効化──まではいかずとも、隙を生み出す事はできるかもしれない。そうであればジンの役割など一つだ。



「ハァッ!」



 ジンはエルシーに迫った蔓を断ち切った。魔女たちの狙いは最初からエルシーだ。当然と言えた。ヘテロは「ちっ」と舌を小さく打った。



「その剣、きもちわるいね」


「お前らの存在ほどじゃない」



 反吐が出る、とジンは睨みを利かせた。これ以上奪われてなるものかと剣を構えて牽制をした。しかしそれで怯むようなら魔女も可愛いものだ。


 ヘテロは「はッ」と鼻先で笑い飛ばした。



「ほんと人間ってひどいよ。僕の弟子もたった今死んだみたいだし」



 ヘテロはまるでどうでも良さそうに「あーあ、もったいなー」と吐き捨てた。



(魔女の弟子……見習いか!)



 あれからずっと戦っていたのだろうか。一つ道を(たが)えば体と魂が泣き別れするような戦場(いくさば)で、一体どれほどの研鑽を積めばその体力と集中力が成立するのか。その人並外れた胆力と功績へ賞賛の言葉を贈りたいジンであったが、今はソフラよりも自分たちの事だ。


 あはっ、と歪んだ口を向けたヘテロは未だ苦心の顔を見せない。ジンはその目的を測り兼ねていた。



「あのさあのさー。ずっと言ってんだけどさー。もうムダなことはやめよーよ。人間ごときが魔女に勝てるわけないじゃん。それがこの世界のジョーシキってやつでしょ」


「それはお前らが決めることでは、ないッ!」



 無尽蔵に湧き出る蔓を切っては捨て、切っては捨てと脅威を退けるジン。しかし、自信を(はべ)らせる魔女の底は未だ見えない。



(なんだ、この違和感は)



 決定打に欠ける状況ではある。だがそれは相手も同じはずだ。恐らく魔女が忌避しているであろう朝日は徐々に地平線から藍を押し退けて茜色で侵食している。それにも関わらず、ヘテロが見せているこの余裕の正体とは──。



「ははっ、余計なこと考えてないでもっと踊れよ。バカみたいにさァ!」



 ヘテロの攻撃が激しさを増す。癪ながらジンも考える余裕を棄却しようとした時、



赦祓(エルーラ)!」



 朝焼けのような声と共に拡散する神聖力。

「うわっ、うっそー⁉︎」

 蔓はドロドロと溶解を始めると、絵の具のようにぐじぐじとした粘度ある液体に変わった。それらは床一面に広がると、足の踏み場もないほど大聖堂の中を埋め尽くした。



(今だッ)



 ジンは周囲の攻撃の手が止んだ事を確認するや否や、好奇とばかりに攻勢に転じた。


 ──しかし。



「なーんちゃってー!」



 朝日が見えるか見えないか。恐らく朝日よりもなお明るいわざとらしい声で、ヘテロは手にしていた筆を落とした。


 その筆先が床の液体に触れた瞬間、



「なっ⁉︎」「うそっ⁉︎」



 ベリベリと嫌な音が立った。ジンやエルシーはもちろん、自分ごと巻き取らせながら、ヘテロは全てを巨大な舌の如き緑の絨毯で全てを巻き取らせた。



「さァ、終幕だよォー!」



 隙間から差し込んだ光が映したヘテロの笑みは、闇よりもドス黒かった。


 やがて全てを包んだ緑は竜巻状になりながら集束を始め、ついにはその全てを本の中へと閉じ込めた。

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