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EVERLIGHT  作者: 三羽巽
第一章『絵本の世界と魔女の国』
3/16

第一幕『騎士ジン・クォーカー②』

「──聖女エルシー・エバーライト」



 明くる日ジンとエルシーは荘厳な装いをしている神の御使の、その姿を奉った巨大な神像が安置された大聖堂に呼び出されていた。豪奢な衣装を身に纏った錚々(そうそう)たる面々の内、その一人に指名を受ければ、昨日を識るものであれば別人かと疑われそうなほどに凛々しい声で聖女は「はっ!」と応えた。



「聖刻を預かりし其方に教皇様より直々の勅命が下された。魔女を滅する重大な役割である。ここに誤りや偽りなどあってはいけない。必ずや魔に産み落とされし穢れた蛮族たちを討ち滅ぼすのです。その礎となりその御身を捧げる事を、教皇様に御自らお伝えください」


「はい。不肖なるこの我が身を神へ捧げ、必ずや民の無念を晴らして見せますことを、大いなる奇跡と栄えある使命を賜る至上の喜びを授けて下さりました教皇様に今、この場で宣誓致します。どうかその覚悟の行く末をお見守りください。救済の任、確かに承りました」


「……」



 祈りを捧げる姿を遠巻きに眺めながら誰だこいつとジンは思った。しかしそこにおふざけなどは一切なく、至って真剣な表情で言い切るのだから、ここが格式の高い場所であることなどジンにも当然理解できたていた。


 しかしそれでも昨日の様相を思い返せば今日この場で見せているエルシーの姿などまるで別人だ。皮だけ被った他人だとか実は双子なのではないかと言う可能性がその脳裏を掠めたジンだったが、視線がぶつかればパチリとウィンクをしてきたのでその可能性はなさそうだと腑に落ちた。そして今度は自分の番だと腰元の剣を抜き放ち、神像前にある山成になった祭壇へ向けてその曇りなき銀の先を捧げた。


 すると「教皇様のおなりである!」という言葉一つに騎士を除いた全ての者が傅き、(こうべ)を垂れた。ジンの視界の端では端にあるカーテンの裾下がふわりと揺れたかと思えば、しんとなった大聖堂に大げさなほど反響した靴音が響いた。すると途端に祈りの声が聞こえてきた。

 ジンも事前に聞いていればこそこのように流れに身を任せて一連の所作をこなせたものの、その気色(けしき)には内心うすらと気持ち悪さを覚えていた。


 同じ魔女を憎む心を持ちながらどうしてこうも違うのか。騎士とは魔女を(たお)すために決起した勇者と言える。対して聖都の民は自らは手を汚さずまた自らは安全な場所に待ち、神に祈りを捧げれば魔女が勝手に滅びてくれるのだという幻想を抱いているようにすら、ジンには見えていた。事実この場に集まった聖都の民は皆痩せ細り戦うことを是とする体作りなど全くしていない。


 しかしそれも聖剣と聖女なくしてはこの剣も無意味であると思い至れば、ジンは民たちが祈りを捧げる先へと視線を遣った。



(…………あれが……)



 ジンがその渦中にある人物を視界の端にて捉えれば、豪奢な装いをした女がいた。足運び一つ取っても美しいその女性は、ゆっくりと祭壇前にある椅子へと歩いていく。

 エルシーもあのようにあればな、とジンがその脳内で呆れたように呟けば、教皇はその足を止めることなく、祈りを捧げる民たちへと目先を遣った。



「──────……ッ⁉︎」



 その最中、ジンは、教皇と目があった。脳髄から、頸椎を通して、五指の先に至るまで、ジンの体に高圧な電流が走った。かと思えばふつ、ふつと途端に背中から始まりそこを中心に体中の毛穴という毛穴から汗が湧き立った。直後すぐに訪れたうすら寒さにジンの全身にある毛が驚いた猫の尾の如くザワザワと総毛立ち、粟立つ毛が衣服に擦れるたびに針の筵を思わせる痛さが全身を襲った。内に秘めた心臓はまるで小動物にでも成り代わったかのように暴れ回り、今にも喉の奥からこぼれそうになるのを必死で抑えた。


 ジンは思った。──なんだ、あれ(、、)は。




「──……おい…………おいッ」「──ッ…………すまない」



 隣にいた同僚の騎士に声を掛けられればジンはハッと我に帰り、その手にある頭の垂れた剣先を再び握り直した。一つ、二つ。肺の有ることを確認するように呼吸をする。まるで今まで長い夢を見ていたかのようなまどろみを覚えつつ、ぼんやりとした頭も二度、三度瞬きを繰り返して頭を軽く揺さぶれば、ジンの脳内もようやく覚醒を果たした。


 周囲を見渡せば祈りの言葉は既に終わっており気でも失っていたのかと思ったジンだったが、祭壇に目を遣れば教皇は今まさにとりわけ豪華で大きな椅子に腰をかけたところだった。



「エルシー・エバーライト。貴女の覚悟、わたくし確かにこの耳で聞き届けました。魔女の掃討は神託です。ここに留まらず遍く全ての民たちが安心して暮らせるよう、聖女たる務めを果たしてください」

「はい、教皇様。わたくし、必ずや魔女を討ち滅ぼして見せます!」



 普段のエルシーも甘ったるい声であるが、教皇の声などまるで空気が舌にでもなったのではないかと思うほど纏わり付き、それでいて聞き心地が良いのだからジンにしてみれば体験したことのない出来事に空恐ろしいという気持ちを初めて抱いていた。


 これ以上聞き入ってしまってはまずいと目を閉じようとした瞬間、パァン、と柔らかくも大げさに響いた音に、ジンは自然と意識を向けさせられた。



「護衛の任を任された騎士たちよ、これに!」



 教皇を見ればその合わさった手が離れたところで、初めにエルシーに声をかけていた老齢の男がそう言えば、見知った顔であるバルフが動き、周囲の視線が自分に集まった。自分も呼ばれたのだと思えばバルフに習ってその剣を腰元に納め、教皇の御前へとジンは向かった。


 やがてバルフがエルシーの左後ろでかしずけば、必然的にジンはその右後ろで腰を落として頭を垂れた。


「聖女を狙う者は多いでしょう。道中、魔女を崇拝する過ちを是とする穏やかでない一党が聖女を亡き者にせんと襲いかかることも大いに考えられます。聖女の崇高なる目的へと至る闇を切り開く道として、聖騎士としての役職とその補佐をする至上の栄誉を二人に託します。これも必ずや手抜かりのないよう降りかかる災いを打ち払い、屹度(きっと)聖女の行く末を見届けてください。その任をあなた方、二人に託しましょう」



「はっ、身命を賭して!」「……身命を賭して」



 バルフの言葉をそのままおうむ返しのように口にすれば、教皇は一つ頷いて席を立った。

 そしてくるりとその身を翻せば一歩引き、自身もまた祭壇の奥に立つ神像に祈りを捧げた。



「偉大なる神の御使であるエルドラド様。これからあなた様のお救いした世界へ再び訪れた災厄を討ち払わんと三名の若者達が旅立ちます。その行く末をどうか彼方なる神域ヤハクェよりお見守りくださいませ」



 そうして教皇が深々と頭を下げれば、今度はジンも含めた全員がまた頭を下げた。そして祈りの声が続いたが、こればかりはジンも預かり知らぬ事。口ばかりをパクパクと動かして誤魔化すより他はなかったが、自分など根っからの信徒ではないと自身に言い聞かせた。



 ……儀が済めば人など蜘蛛の子を散らすようだった。始めに教皇が速やかに立ち去れば、次に司教(儀を執り仕切っていた者)が儀式の終わりを告げ、司祭や助祭が一言二言と確認を済ませては祈りを捧げて立ち去り、信徒も祈りを捧げてすぐに列を乱さず立ち去った。


 いわく、大聖堂は神域への入り口である。今回のように救世主エルドラドへの報告の儀式などを執り行わない限りは、無為にその場に留まっては大いなる神の逆鱗に触れてしまい、天地が逆転する災いを招きかねないと危惧されているのだ。


 そのどこまでが本当かも分からない言い伝えがあるとエルシーから聞いたジンは半信半疑ながらも郷に入っては郷に従えと自らに言い聞かせ、一同揃って大聖堂を後にした。


 大聖堂から階段を降れば辺りに人などいない。今宵は満月で、魔女が最も活動する日だとされている。特別な用事があるか、よほどの好き者でない限りは希死念慮をその胸に秘めていればまだしも、当然出歩く者などいないのでそれもまた人の世の道理である。



「もう出発するのか?」



 茜色に染まった空の下で、ジンがエルシーに確認を取ると、式典用に纏めたげられた髪をふわふわと揺らしたエルシーは、小さな頭を横に振った。



「ううん、たぶん長旅になるからってニールが荷物をまとめてくれるんだってぇ〜。あーしも禊ぎを済ませないといけないからぁ〜、出られるのはぁ……明日かなぁ?」



 ジンが確認すればエルシーは昨日と変わらない物言いで答えた。その様子を細目ながらにパチクリと見ていたバルフを視界に捉えれば、ジンは分かるぞと苦笑を浮かべた。



「そんでぇ〜、世話係の侍女がついてくるんだってぇー。綺麗な人だけどぉ……」



 そこから先は言わなかった。しかし続く言葉の代わりはその切れ目になった鋭い目付きが物語っていた。要約すれば「関わるなよ」だ。



「聖女様、そろそろ……」

「あ、もう行かなきゃ。ジンくんとバルフさん、まったねぇ!」



 ニールに急かされればエルシーは元気よく立ち去って行った。

 共に旅をするであろう間柄にも関わらず無茶苦茶なことをとジンの気が重くなれば、こそっと忍び寄ったバルフがジンの斜め後ろに立ち、そっと耳打ちをした。



「お知り合いですか?」「そこからか」



 昨日顔合わせをしてな、とジンが説明を済ませばバルフは「なるほど」と相槌を打った。



「…………クォーカー殿。いいえ、ジン殿はお優しいのですね」

「どこがだ」



 苔岩を思わせるほど悠然とした男の見せた懐の深い笑みは、意味深に憂いを帯びていた。それでもジンにしてみれば見当違いもいいところだという気持ちの方が強い。

 昨日エルシーも言ってたなと冷静に思い返せば、やはりジンの語気はどこか反発するかのようにぶっきらぼうになった。


 しかしそんな態度にもバルフは綺麗に並んだ歯を見せて気持ちよく笑うと、ジンの肩に手を置いて、もうかなり小さくなったエルシーの背を見た。



「どうやら吾輩は、同僚だと思っていたが友を得たらしい。吾輩は貴殿を気に入った」

「……そうか」



 ジンがよく分からないまま相槌を打てばバルフはポンとその肩を叩いて殿内をすこし歩く。

 今日の予定は終わったのだ。バルフの後を追いながらジンは二人に言われたことについて考えていた。

 優しいとはおかしなことを言う。自分は復讐のためにしか動いていない。それは今も昔も変わらず、その目的のためにエルシーという名の聖女を利用しているに過ぎないのだ。


 そのためのおべっかが必要であれば言うし、やる気を出してもらえるなら微力ながら力にはなる。護衛も例え任されなくてもやるだろう。全ては魔女を討つ為だ。


 しかしそうなれば聖都の人間は違うのだろうか、とジンには疑問が浮かぶ。魔女を討ってくれるのだ。教皇にとっても聖都にとっても聖女の存在は大切なものだろう。事実、彼女は今日に至るまで大切に育てられたのだろうと思えるほど喜怒哀楽に富んでおり、その器量も良ければ品も良く(普段を除き)、無念さだとか、そういう負の感情からは最も遠いところにいるようにさえ感じる。持ち前の明るさもジンにとってこそ煩わしいものの、希望の象徴とされる聖女であれば何ら問題はないはずだ。そんな彼女が聖都でどんな存在なのかと考えれば、当然悪いように扱われているはずはないだろうとジンは思った。そうであれば、特別ジンに「優しい」というエルシーやバルフの言葉は、やはり見当違いではという思いに至る。


 しかし付き人のニールはどうであっただろうか。聖女の付き人としての栄誉に胸を張るというよりは、どう扱っていいか分からない親戚の子を養子に迎えたような、どこかよそよそしい態度が各所に見えたことを、ジンは覚えていた。老齢となり名誉に胸を張るような歳で無くなったのか、はたまた普段のお転婆ぶりに心が疲弊してしまったのか。


 いずれにせよこんなところで歩きながら考えても答えなど出てこないだろうとジンが首を振ると、先ゆくバルフの足が止まり、こちらへ振り返ったところだった。



「ジン殿、すこし手合わせ願えますか?」

「ん?」



 神妙な顔でそう言われればジンはバルフの指差す方向を見た。指し示す方角は曲がり角ではあるが、その先は通い詰めた場所なので当然ジンも知っている。騎士の修練場だ。



「吾輩は見ての通り力はあります」



 得意げに見せた二の腕は大黒柱のようで熊にすら立ち向かえそうなほどだ。しかしそんな大男もしゅんとしおらしくなれば、その巨漢もジンには途端に小さく見えた。



「ですが……それだけです。先日のジン殿は、吾輩の一瞬の隙を逃さず的確に急所を突き、文字通り一撃で勝負をつけました。驕りや慢心があったわけではありませんが、吾輩はこれまで負けなしでした。しかし騎士の道にはない、命を賭した戦いといえる何かをジン殿から感じました。それが此度の旅中(りょちゅう)に我々の命運を分けるやもしれません。今回は特例で護衛の任に就かせて頂きました。なればこそ、我輩が足を引っ張ることなどあってはなりませぬ。我輩は……強くなるキッカケを掴みたいのです」



 訪れたそのチャンスをこぼさないようにグッと固く拳を握ったバルフは、まさに熱血漢だ。生真面目なその男の言葉にジンは大聖堂での出来事を思い返していた。護衛の任をバルフと共にすることになったが、ジンには気になることがあった。



「そういえば決勝を勝ち抜いた者のみが護衛に就くと聞き及んでいたが……バルフ、これは珍しいことなのか?」

「ええ、特例です。理由は定かではありませぬが、我輩にとっては願ったり叶ったりです」

「ふむ……」



 聖都の外での暮らしも経験しているジンの見方ではキナ臭いという言葉が脳裏を過ぎったが、人数など多いに越したことはない。ましてやバルフという男の実力は疑いようがない。むしろ実直な騎士の型さえ破れば自分より遥かに腕が立つだろう。決勝戦にしてもあの妖精の横槍さえ入らなければジリ貧になっていたはずだ。



「それで……いかがかな? ジン殿」

「…………分かった」



 バルフの申し出はありがたいことであった。意図せず不正をさせられたジンにだって正々堂々と勝ちたいという気持ちがあった。騎士となるまでに生き抜いてきた人生は、正直同情すら受ける事もあった。それでも、その過程で積み上げて得てきたものを何一つ無駄にしたつもりなどなく、それを認めてもらえたような気がして、ジンの口角は珍しく上がっていた。



「ふむ、ふむ。さあさ、参りましょう」



 それを見て意味深にニコニコと笑ったバルフに変なやつだと思ったジンだったが、経歴を思えば自分の方こそ異質なのかもしれない、と窓口に広がる街並みを見て思った。そうしてふと視線を持ち上げれば地平線から昇ってきたのは無垢な子の目のように光る月が有った。



「…………」



 しかし見るものの心を洗うような月もジンにとっては……いや、こればかりはこの聖都に住まう人々にとってもあまり気持ちの良いものではないのだ。月は、魔女の生まれた場所とされている。それを知らぬ者などおらず当然その背に立つバルフの表情も険しくなっていた。



「参りましょう、ジン殿」「……ああ」



 絶えぬ決意を胸に、二人の騎士は修練場へと向かった。




「──此度は真剣でよろしいですかな?」「ああ」



 着くなり抜き身の真剣をバルフから手渡されたジンは、公式戦と同じように線の引かれた所定の位置へと足を運んだ。線の手前で向かい合えばバルフも同様に木剣を手にして立っていた。やはりその身に不釣り合いな剣などまるで果物ナイフのようだ。


 真剣である理由は道すがら語られた。実戦を想定してだ。とはいえ選抜戦の木剣も中には鉄芯が埋め込まれているので重さの話ではない。教皇の前で誓った通りまさに身命を賭した時、自分はどう動けるかを想定しての話なのはジンも分かっている。見た目に囚われず普段通り振る舞えるかの胆力を鍛えるのだ。修練場には、致命傷を避ける法術も設けられている。試すなら打ってつけだろう。


 趣旨を理解したジンは優しい苔岩からゴツゴツとした岩肌をした活火山を思わせる、鋭い眼光を放つ男の気迫を前にして、自身もまたと鋭利な刃のような視線で迎え撃った。



「ルールは公式戦と同じか?」

「左様、吾輩も前回同様……いいえ、前回以上に気合を入れます。ジン殿も手を抜こうなどと努々(ゆめゆめ)思われぬよう願います」

「そんなつもりは毛頭ない」



 入り口には噂を聞きつけた見習い騎士たちがどこからともなく集まり出し、二人の気合いも十分だ。いつこの戦いが始まってもおかしくはない。


 野次馬たちが固唾を呑み、二人の足が土を蹴り出そうとひねりを加えた時、



「──はじめ!」



 道すがら呼び止められた見習い騎士が試合開始を宣言した。まず先制して攻撃を仕掛けるのはリーチの長いバルフだ。大振りながらも一撃で勝敗を決する力を有したその豪快な一撃をジンはその身をかがめてやり過ごした。震えた空気の音に冷や汗をかいたジンは、やはりバルフは強いと再認識した。一気に間合いを詰めて鳩尾のど真ん中へ刺突を放ったものの、その巨体からは想像もできないほど俊敏に身を翻せば、脇腹をすこし掠めるか掠めないかの紙一重でこれを躱して見せ、身を捻った勢いそのままに過ぎ去った剣をぐるりと一周させると再び銀の首を取ろうと軌道を確保した。



「チィッ……!」



 しかしそのままやられるようならジンも決勝まで勝ち進めていない。小さく舌を鳴らしたかと思えば、伸び切った腕を素早く引き寄せ、やや体を丸めながら両手で剣を強く握り直し、バルフの剣閃を自身の首元から大きく逸らした。散った火花と剣の悲鳴に野次馬たちが息を呑む中、ジンは反動そのままにふらりと剣を持つ手ごと地面についたかと思うと、ふわりと下半身を浮かび上がらせ、バルフの顔面目掛けて渾身の蹴りを放った。



「素晴らしい……!」

「お互い様だ」



 ジンの蹴りを避けて間合いを取ったバルフはまるですごい友達を見た童のようにワクワクとした顔で笑っていた。対するジンも聖都に来て初めて歯を見せながら、眉尻を下げていた。


 楽しい。今までこの剣を手にして振るう時は目的があった。半分以上が打算しかない人生だった。それが理由もなく、目的もなく、ただ友とする者と互いを高め合うため、いや。己の実力を語らうために、剣を振っている。剣閃が一つ、二つ。さらには三つ、四つと結ばれた軌道上に橙一色の花火を生むたびに、ジンとバルフは歯を剥き出しにして、笑った。


「────この時間が永遠に続けばいい」そんな思いが二人の剣士の理性を()み、伝播した思いを手放さないよう拳を握りしめた見習い騎士達が言葉を失った。



────瞬間だった。



「──……!」

「これは……!」



 二人の背筋は凍りついた。瞳孔は揺れ汗がどっと噴き出していた。まるで頭から爪先までぬるま湯に詰め込まれたような気持ちの悪い息苦しさと、四方八方から舐め回すような視線が刺さっているような(おぞ)ましさに、ジンは思わず鼓動の高鳴りを感じていた。



「──なっ。おい、ジン殿!」「魔女だ、急げ!」



 この場にいるジンだけはこの感覚に記憶があった。動揺の広がる野次馬たちの元へ向かい剣を片手に駆け出せば、バルフが呼び止める。しかしジンが足も止めずにそう叫べばバルフもまた呆けた口を結び直して慌てふためく見習いたちの間を縫って銀の髪を追った。



「どこへ?」「聖女の元だ」「──道理であるな……!」



 大胆不敵に敵方の本丸に責めてきた魔女が狙うのは聖女以外あり得ない。そう考えた二人の足は自然とエルシーの住まう殿中へと向かっていた。


 聖都は大きい。その中に在って外からでも容易に視認できる聖殿の広さたるや、端から端までで小さな町村ならすっぽり治まるほどの広大さを誇っている。幸いにして(恐らく意図しているだろうが)騎士修練場はその中心に位置する表御殿となる、正殿に近い場所に位置している。とは言えそれが容易に目的地に到達できるかといえばまた別の話だ。大きな建物を作るのは権威を示す上で非常に高い重要性を持つというのは聞く話ではあるが、浅はかな見栄のせいでもしも聖女という魔女に抗する武器を失ってしまえばと思えばこそ、万が一があれば設計者の末代をその代限りに留めてやるとジンは思った。



「──ジン殿、上だ!」「……ッ!」



 殿廊を渡る最中バルフの言葉にジンは宙を見た。群れ成す無数の蝙蝠が巨大なカボチャを大事そうに抱えていた。こんな光景は、普通に生きていれば見ることなど間違いなくない。確実に魔女だ、そう思えばこの殿廊の真上を狙って落とされたカボチャなど嬉しい落とし物なはずがないと、嫌な音を立てて潰れたカボチャに二人は最大限の注意を払い、剣を構えた。



「見よ、ジン殿!」「……使い魔か」



 果たしてその警戒は実を結んだらしい。そこだけ世界が抜け落ちたかのような漆黒の深淵が動いたかと思えば、月のような黄色い目だけがギョロリと五つ、周囲を確認した。まるで水をかけられた犬のようにぶるぶると無警戒に首を振ったかと思えばバルフとジンとを順に見て、それ(、、)は鋭い犬歯と長い舌を覗かせ喉で空気を揺らしながら唸り声を上げた。



「ジン殿、聖水は持ってますかな?」

「……当然だ」



 懐に忍ばせた小瓶から、トローっと粘り気のある水を剣身に染み込ませ、二人は再び剣を構えた。騎士は魔女を討つことはできない。魔女の肉体を物質が貫通するからだ。ただし、教皇が騎士に持たせている聖水は、魔女の肉体を捉えることを可能とする。そして、聖水は魔女の使役するその使い魔を対抗せしめる只人が持つ最後の希望だ。しかしそうは言っても物理的なダメージでは絶命しないという対魔女戦を想定すれば、当然露払い程度の意味しか持たない。ただそれも使い魔相手であれば十分であった。



「勇敢と無謀を履き違えた輩め。ここは聖都ルストナードぞ」



 勇ましくバルフがそう言えば「足りないか?」と問うように膨れ上がった体からもう一体、それと全く同じ体をした化け物が分裂して現れた。



「もう一匹、増えたな。任せられるか?」

「愚問である!」



 尋ねられば聞くまでもないと多くを背中で語り、威勢よく先陣切って駆け出したバルフ。その後に続いて、ジンも立ち向かった。



「くそっ、待てッ!」



 やはり目的はエルシーだろう。もう一匹は背を向けて駆け出し、もう一匹はあくび混じりに殿廊の中心に座していた。無謀にも近寄ってきた人間二人を愚かしいとまで言わんばかりにじゃれた犬のような余裕を見せた使い魔はゆっくりと駆け出し、先頭を勇猛に走るバルフの手前でポーンと雑な放物線を描いて飛びかかった。



「そこだッ!」



 襲い掛かる無数の刃を揃えた赤口に、バルフは迷いなく剣先を差し向けた。



「むおッ⁉︎」



 しかし、それも普通の動物であれば決着は付いたはずだが、相手は魔女の使い魔だった。ぐにょーっと常の動物ならばあり得ない、物理法則を無視した肉体が首元から自在に変形し、餅のように伸びた頭の先にある獰猛な牙が驚くバルフの首元へと向かっていた。



「バルフッ!」「ッ──! かたじけない!」



 ジンが捨てずに手にしていた小瓶を使い魔の顔にぶつけると、その怯んだ隙を見てバルフも無理やり剣の軌道を変えてすかさず追撃した。


 しかし小瓶程度ではダメージなどなく、使い魔は顔についた聖水をぶるぶると振り払ってその傷の浅さを証明してみせた。



「あまり時間は掛けられない」「同感である」

「一気に畳みかけよう、オレが先に出る」

「……かたじけない、必ず息の根を止めてみせますぞ」



 ジリ、ジリと詰め寄れば、今度は少し警戒の色を濃くした使い魔がゆっくりと斜めに足を運んで忍び寄る。その動物らしい動きとは裏腹に、牙や爪はさらにその数を増した。


 そして地を蹴ると共に床石を砕いたかと思えば、使い魔は唸り声と共に駆け出していた。揺れる長い舌からベチャベチャと唾液を撒き散らしながら飛びかかったその(けだもの)は、大きく変形してその顎をぐにょりと縦に引き伸ばした。



「ッ!」



 ジンは腰元に忍ばせていたナイフを抜き取ることで間一髪上下から襲い掛かる牙を凌いだ。唯一実体を持つ牙に挟まりギチギチと耳を逆撫でする音を奏でる短剣には聖水など掛かっていない。もしも弾みで短剣がするりと抜け落ちてしまえば、この均衡はすぐに崩れ、いとも容易く使い魔の本体を通り過ぎて銀の頭を噛み砕くだろう。そう思えばこそジンの肩は自然と強張り、牙と刃の鍔迫り合いを強いられるこの状況の均衡を保つより他に(すべ)はなかった。



「ジン殿ォ!」



 ぐらり、とバルフの叫びが聞こえたと思った時には既にジンの体は使い魔の口へと傾いていた。二つの剣の少し先に牙があるのを見れば、口をさらに大きくしたのだと気付くまでは一秒もない。しかし崩れた体勢は戻る事はなく、このままでは死は確実だ。しかし、ジンは笑った。それは当然嘲笑や諦観の笑みではない。──勝利の笑みだ。



「フンッ!」



 ザンッと砂を切ったような音が響くと使い魔の体から切り離された口先は牙や灰となって崩れ去り、食らいつくのを待っていた牙は砂利のように重力に逆らわず落ちていく。使い魔はサラサラとした灰になったかと思えば、ズチャッと聞き気持ちの悪い音を立てて霧散した。その中心に心臓だけ残して消え去ったが、その心臓も数秒脈打ち、やがては止まった。



「助かった」「面目ない、もう少し早ければ……!」

「擦り傷だ、問題ない!」



 バルフはジンの腕に走った赤を見てそう言ったが怪我を負った本人は気になどしていない。



「急ごう」「……かたじけない!」



 出血もしばらく放っておけば治りそうなほどで、剣を腰に戻せば雑に包帯を巻いてジンはそう言って走り出した。

 殿廊を越えれば殿中だ。本殿の更に奥まった場所にあり、聖職者の生活スペースとなっている。何人かが既に怪我にうずくまったり、事切れていた。そのうちの一匹が、ジンたちに気づくとそのまま向かってきた。先ほど同様、犬の使い魔だ。



「ジン殿は先へッ!」「……死ぬな!」

「無論である!」



「吾輩もすぐに行く!」という勇み声に背中を押されながら、ジンは先へと進んだ。惨状を見れば猶予などない、とバルフは自ら使い魔を足止めする囮を買って出た。聖女の守護こそ至上の任であるジンはほんの一瞬、友を捨て置く選択に迷いを見せたものの、一目散に駆け出した。ここまで来ればエルシーの部屋まで曲がり角を一つだ。

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