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魂を反す香  作者: 真崎優
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 蔵の掃除は難航していた。

 伯父たちも昼間は仕事があるし、手を付けられるのは仕事が早く終わった夕方からか休日のみ。

 それ以外の時間帯はわたしがちまちまと手を付けたけれど、如何せん物が多い。マスクが意味を成さないくらい埃っぽい。とりあえず手前の棚や木箱にある、明らかにもう使えなさそうな物を処分していく。


 でもさすが江戸時代から続く旧家である。年代物の古道具は、マニアが見たら垂涎物ばかりだろう。

 まあわたしは古道具マニアではないし、「埃がすごい」「みるみるうちに手が荒れる」「使い道がない」と思ってしまう。古書には少し興味があったから何冊か手に取ってみたけれど、傷みまくった和紙やわら半紙でさらに手が荒れ始めたため、数ページで断念した。



 古くて小さくて薄汚れた木箱から、美しい装飾の香炉を見つけたのは、数日後のことだった。手前の荷物を退けたら出てきた一段と埃まみれの棚の上段に、高価そうな花瓶や茶器と共に並んでいた。その香炉を見た瞬間、目が奪われた。

 わたしはこういうものには詳しくないし、今までお香を焚く習慣もなかったけれど、なぜだかどうしてもこれが欲しくなった。


 木箱には、和紙に包まれた黒い木片らしきもの。これを焚くのだろうか。これは何年前のものなのだろう。湿気ていないだろうか。


 夜、伯父にこの香炉をもらう了承を得て、使い方を教えてもらった。


 黒い木片らしきものは恐らく香木で、香木なら空薫そらだきが良いだろうとのこと。空薫とは、おこした炭をうずめた香炉で香を焚く方法らしい。昔の人はそうやって家具や着物に香りを焚きしめたりしていたそうだ。


 灰や炭をもらって、とにかく使ってみることにした。

 伯母の話では、香道教室なるものもあるらしい。使ってみて興味が湧いたら、通ってみるのもいいかもしれない。せっかく恋人も仕事もない時期だ。京都にも来た。視野を広げる良いチャンスだ。




 炭にマッチで火を付け、灰の上に置いて、少し待つ。おこった炭を灰に浅く沈めて、灰を温める。充分温まったらそこに香木を乗せて、焚いていく。


 少しするとそこから、ゆらゆらと煙が出始めた。が、肝心の香りは全く感じられない。香木というのは、予想したより香らないものなのか。それともわたしのやり方が間違っていたのか。古すぎて悪くなってしまったのか。むしろ、これは本当に、香木だったのか……。


 疑問ばかりが募り、香炉に顔を近付ける。やっぱり香りはない。その代わりに煙はどんどん大きくなり、少しけむたい。


 お世話になっている祖父母宅の一室に煙を充満させるわけにはいかない。窓を開けようと腰を上げた、そのときだった。


 部屋に充満していた煙が集まっていく。香炉に向かってしゅるしゅると。何かの形を作るように。

 あまりのことに驚いて、中腰のまま、その煙の行方を見つめていた。


 その煙は次第に人の形になり、人の形は次第に色付き始める。そしてものの数分で、ひとりの男性の姿が浮かび上がったのだった。


 男性は着物姿だった。頭には髷があった。涼やかな目をした、優しそうな雰囲気の人だった。煙の中の男性は、わたしの姿を見つけると微笑み、こう言った。


『やっと、使うてくれた』


 穏やかなその声を聞いた瞬間、わたしの意志ではない涙が、濁流のように流れ出す。「わたし」はこの着物の男性を知らない。だから親しげに声をかけられる理由も、涙を流す理由もないのだ。

 けれどわたしは、涙の理由が解った。悲しみ、喜び、親愛、渇望、念願……様々な感情が、抱えきれないほど胸に溢れているのだ。


 それを全て包み込むような優しい声で、煙の中の男性は『ついておいで』とわたしを促し、煙の中に消えた。残された煙は意志を持っているかのようにふわふわと動き出す。わたしは手の甲で乱暴に涙を拭い、何も考えず、その煙の後を追ったのだった。




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