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透目町の日常  作者: 四十九院紙縞
『飛べない翡翠の歩きかた』(失声症だけど鳥の声でだけ喋れる「私」の話)
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『飛べない翡翠の歩きかた』4

 母親がその町の話を聞いてきたのは、十二月に入ってからのことだったと思う。

 遠い親戚の葬式の手伝いに呼ばれ、そこで透目町(すきめちょう)という、地方にある町の話を聞いたのだと言う。

 母親が言うには、ほどよく田舎で、誰もが自然体で居られる場所であるらしい。

 それだけで、私は母親の目論見がわかってしまった。

 端的に言えば、自分たちの体裁の為だ。

 事故から数ヶ月経っても失声症が治らない娘が居る家庭は、日に日に悪目立ちするようになっていた。なにより異常を嫌う彼らのこと、その視線からはなんとしてでも逃れたかったのだろう。知り合いのいない田舎で心機一転、娘の療養という名目での引越は、どこにも角が立たない。

 透目町への移住計画は、とんとん拍子に進められていった。例によって、私に意見は求められなかったし、そもそも、発言権さえ与えられなかった。


 

 私が中学生になるのに合わせ、私たち家族は透目町に引越した。

 この町へ引越した理由こそ癪に障るが、透目町自体は、とても空気の良い町だった。単に自然が豊かだからそう感じるのかと思っていたが、なんというか、人間が生み出す独特な淀みが、限りなく薄いような気がするのだ。そういえば、母親が最初に透目町の話を出したとき、『誰もが自然体で居られる場所』と言っていたっけ。いやに抽象的なことを言うなと思っていたが、案外、的を射ていたのかもしれない。

 そんな風に考えながら、これから通うこととなる中学校に足を踏み入れたのだが。

 その日、私は『自然体で居られる』ことの、本当の意味を知ることとなった。

 入学式で校長先生が話している最中、私の前に座っていた男子がくしゃみをした。式典の最中ということもあり、本人なりに抑えたのだろうが、それは紛うことなきくしゃみだった。それだけならまだ良い。くしゃみは生理現象だ、下手に我慢するほうが身体に悪い。私が驚いたのは、そのあとのことだ。

 くしゃみをした男子の身体が、ゆっくりと宙に浮き始めたのだ。

 それはまるで、手元から離れて行く風船のように、ふわふわと上昇していく。

 それだけでも驚きだというのに、隣に座っていた彼の友人らしき男子は、「お前、またかよ」なんて苦笑しながら、浮遊する彼の手を引っ張り、椅子へと戻したではないか。

 人間が一人、突然宙に浮いたというのに、生徒席からも、保護者席からもどよめき声のひとつも聞こえない。

 校長先生も、一瞬だけ見遣った程度で、普通に話を続けている。

 自分の頭がおかしくなったのかと思った。

 だって普通、人間はその身ひとつで浮いたりしない。仮に、私が鳥に姿を変えられるのと同様に、彼も自在に浮遊することができるのだとして、それを人目のつくところで披露するのは、いけないことのはずだ。私はずっとそうやって教えられ、怒られ続けてきた。けれど、私の前に座る男子は、それを個性のひとつであるように周りから受け入れられているのだ。

 何故。どうして。

 頭が処理限界を迎え、視界がぐわんぐわんに揺れる錯覚を覚えつつ、入学式を乗り切った自分を褒めてやりたかった。案の定、帰宅後、入学式に参列していた母親は、やれ躾がなってないだの、あれが自分の娘だったらと思うと顔から火が出ていただの、私にも聞こえるように大声で父親に報告していた。

 しかし、特異な能力を持っているのは、あの男子一人に留まらなかった。

 涙が花びらに変化する子、直接触れると他人の心が読めてしまうから常に手袋をしている子、風を自在に操ることのできる子。そして、猫とも会話ができる子。

 一学年二クラスしかなく、学校全体で見ても二百人ちょっとしか生徒がいない中学校で、同級生にこれだけ異能を持つ人間が居るというのは、はっきり言って異常だった。私の通っていた小学校は、ここよりもっと人が多かったけれど、そんな子は一人も居なかったはずだ。そんな異常者が居たら噂の的になっていたことだろう。

 しかしここ透目町では、それが当たり前の日常として受容されている。『誰もが自然体で居られる場所』とは、異形も異常も、当たり前の日常として飲み込まれているからこそ成立しいているのではないだろうか。ある種異常なまでの受容性は、なにが理由かまではわからないにしろ、この町特有のものだろう。中学校生活に馴染んでいく過程で、私はそう結論づけることにした。

 どんな異常も日常に飲まれていって当然のこの土地で、しかし私は自分のことを誰かに話す気には到底なれなかった。

 相変わらず声が出ない状態では、そもそもの話、同級生とコミュニケーションを取ることが難しいというのはもちろんのこと。この土地特有の人柄を信じて、自分は鳥にもなれるのだと打ち明けたところで、両親のように否定されてしまったらと考えると、どうしても勇気が出なかった。

 とはいえ、変わった特性を持つ人が少なからず居る土地柄のおかげか、顔面に痛々しい傷跡があって喋れず、中学進学に合わせて突如やってきた人間が一人いようと、迫害されることはなかった。私のような異常者でも、この町でなら、少なからず居場所はあるのかもしれない。そんな微かな希望を持てたことは重畳だった。

 中学生になって一番良かったことは、部活動に所属したことだ。

 田舎で交通量も少ないからと、引越してきてからは登下校の付き添いという名の監視もなくなったが、あまり家には寄り付きたくなくて、消去法的に美術部に入部したのだが、これが思いの外(しょう)に合っていた。ほどんどの部員は空調の効いている美術室内で各々制作していたが、私は専ら外に出て写生をしていた。透目町の空気や風景が好きで、写生している間だけは余計なことを考えず、穏やかな気持ちでいられた。

 なにより、思いがけない収穫もあった。

 どうやら私は、人間の姿のときも鳥の言葉がわかるらしかったのだ。

 カワセミの姿のときは当然理解していた鳥の言葉が、人間のときも理解できるとは思ってもみなかった。いや、もしかしたらずっと前から聞こえていたのかもしれないが、外出時は常に隣に監視の目があったから、気がつけなかったのかもしれない。

 ともかく、ある日、写生中に近寄ってきたスズメが確かに『ごはん、ごはん』と言っているのがわかったのだ。

 私は自分が声を出せないことを承知の上で、口パクのつもりでスズメに『ここにご飯はないよ、ごめんね』と答えたのだが――なんと私の口からは、カワセミの鳴き声が飛び出したのだ。久しぶりの発声でぎこちなくはあったが、それは間違いなくカワセミの鳴き声だった。

 私の声を聞き取ったらしいスズメは、驚いた様子を見せつつも逃げることはせず、

『ごはん、どこにある?』

と返してきたではないか。

 会話が成立している。

 ああ、誰かとまともに会話をするのはどれくらいぶりだろう。

 目頭が熱くなるのを感じながら、溢れそうになる熱をぐっと堪え、

『あなたはいつも、なにを食べているの?』

と訊いてみた。

『いろんなもの。いっぱい食べる』

『それなら、あっちの草むらはどうかな。葉っぱも虫もたくさんいると思うよ』

『行ってみる。ありがとう。ばいばい』

『ばいばい』

 短い会話のあと、スズメは私が指さした方向へ飛び立って行った。スズメは茂みに入って、あっという間にその姿は見えなくなる。

 刹那、せき止めていたはずの涙が目から零れ落ちた。それは喜びというにはあまりに湿っぽく、どちらかと言えば、ここ数年間抑え込んでいたなにかが涙となって溢れてきたような感覚だった。

 その日以来、写生中に近寄ってきた鳥たちと会話をする時間ができた。自然と私のスケッチブックには鳥の絵が増えていったが、それを誰かに見せることはなかった。学校に居る間だけ、もっと言えば、こうして絵を描いている時間だけは、私は空を飛べた頃のように自由だったのだ。今度こそこの自由を守る為には、万が一にもバレるわけにはいかなかった。

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